5-5.双翼の痣


 白祥、李牧、果たしてどちらの言を採るべきか。

 どちらも降伏の文面に大した違いはない。ただ李牧が自らの政権と街としての機能の維持を願っている

のに対し、白祥は民の命と生活の保障を願っている。

 どちらも退いてくれとは言わない。降伏であるから当然だが、支配権を楓流に譲渡する事は、双方認め

ている。

 これ以上やったところで何ら利が無い事も、勝ち目が薄い事も理解しているようだ。

 だからそれはいい。問題となるのは、責任を誰にとらせ、そして誰を生かすのか、である。

 民に危害を加えず、この街を機能させたまま手中に収めたいのは、楓流の本心でもあり、そう言う意味

で双方の利害は一致している。それは両者も初めから解っている事で、だからこそあっさりと降伏を申し

出る事が出来たとも言えるだろう。

 お互いに自らが生き延びる事を考えている。勝敗に対する気持ちも無いとは言わないが、それは当時大

して重要ではない。孫文のように戦に拘っている者ならともかく、生き延びる為ならば、敢えて負ける事

も辞さないというのが、当時の一般的な考え方だと思っていい。

 しかし戦をしておいて、負けました、勝ちました、はいそうですか、とはいかない相談だ。戦を始める

のは容易でも、収める事は難しい。何よりその収め方に皆、苦悩する。

 大体が前統治者を生かすと云う事は、いくら名義上奪ったとはいえ、いくらかの支配権もそのまま残す

と云う事である。どうしてもその地への影響力が残る。今は大人しく楓流に降ったとしても、他の街と同

じく、情勢が変われば何を考えるか解らない。

 そしてその時に、どうにでも街を動かせるだけの力は、必ず持っている。その地に居て、その地を直接

監督している以上、その権威は衰え難い。その上で民の心を捉える事が出来れば、反乱を起すのも容易と

なる。

 勿論、楓流は民へ気を使い、略奪を禁じ、醜態を晒す事のないように注意していはいる。しかし侵略者

である以上、好かれる事は難しい。

 これが他の街ならまだいい。だがもしこの窪丸を失えば、楓流の今持っている構想そのものが瓦解して

しまう。この地だけは何としても死守したい。死守せねばならない。北方への備えとしても、いざという

時の避難地としても、この街ほど有用な場所は他に無いのだから。

 防衛力はある意味集縁以上、その上に財力も豊富、双家との距離も近い。だからこそ苦労して、被害を

推してまで強引に攻めたものを、あっさり裏切られるような事になっては敵わない。

 李牧も白祥も、従順に従っているだけの男ではなかろう。彼らにも自負がある。自らがこの街の運営に

必要である事も知っている。だからこそ、双方ともに図々しいとも云える提案を、平然としている。

 楓流の懐事情も良く解っているのだろう。どちらの書状も確かに降伏の文面が書かれてあるが、よくよ

く考えると、これは降伏よりも従属同盟に近い約定だと思える。

 これではまるで、上辺の名義だけが書き換えられるかのようではないか。結局、窪丸は窪丸として残る。

 他の街のように、向こうから従属を申し出てきたのならまだしも。戦って敗北を認めておいて、その上

でこの態度とは、腹立たしさすら感じる。

 まるで向こうに決定権があるとでも、言っているように感じるのだ。

「だが、致し方あるまい」

 しかし楓流はそうも思う。結局それだけの力しか、今の己には無いのだと。

 敵の多い彼よりも、この窪丸の方が、生存し続ける可能性は遥かに高い。その気になれば、同盟に応じ

てくれる勢力は、他にいくらでもあるだろう。それも楓流よりもずっと大きな勢力がだ。

 誰であれ、この街を攻めるよりは、交渉で降した方が得であると、そう考える。そしてそう思わせる事

が、李牧、白祥の強みであり、窪丸の真の力なのだろう。

 根底にある根拠ある自信こそが、国家としての、勢力としての本当の強みなのだと、楓流は知った。軍

事力の良し悪しだけではない。そう言う意味での損得勘定もまた、強みとなるのである。

 その上、窪丸はその重要性に反して規模が小さく、兵数も少ない。未だ他領土へ侵攻などした事がなく、

またその意味も意欲も感じられない。

 あの孫文ですら、生かしておいても大して問題ではないと、その自治を許すかもしれぬ。放っておきさ

えすれば、何ら障害にはならないだろうから。

 それに白祥は勿論の事、李牧の行政、内政能力も重要である。

 この街には秘密が多く、ただ李一族のみが全ての仕組みを知っている。その李一族を処罰すれば、街の

運営に問題が出。白祥を処罰すれば、街自体が成り立たなくなろう。

 よほどの力量があり、窪丸に割く余力が無い限り、二人を生かしておかねば、運営する事は至難の業。

 少なくとも、楓流の持つ人材だけでは、とても窪丸まで賄いきれぬ。

 彼の陣営にも、内政と行政管理に通じる者として、辛うじて奉采(ホウサイ)がいるのだが。彼の仕事

は現状で手一杯。とすれば楓流自身がやるしかないが、交易関係にはまだ疎い。旅商の相手をするのが精

々であった彼が、この窪丸を運営できるとは思えない。

 各地への繋がりやその他何もかもを李氏が握っている。それが李氏の力の源なのだから、例え殺しても

渡しはすまい。道理で白祥も従うしかなかった筈だ。

 だが例え思ったよりも少ないとはいえ、これだけの損害を出しておいて。得た物が、通行権と多少の税

を得られる権利だとすれば、全く割に合わない。それでは侵攻した意味が無かった。

 最悪でも、李氏を凌ぐ権威を持ち、支配権を確立せねばならない。

 その為には利害だけでなく、人の感情を考慮する必要がある。

 楓流はこれからが真の窪丸攻めであるのだと、この時理解した。



 結果として両者を許し、出来るだけその意を汲む事で、楓流は最終的な返答とした。

 ただ、後々の為にも、一つの手を打っておく事は忘れない。むしろ好意的な返答は、その一手を活かす

為の手段である。

 働きかけるのは、白祥の方だ。邪魔なのは李氏なのだから、当然と言える。

 形としては、白祥の非を認め、李牧に華を持たせるような格好で、一応の終結を見せた。

 李牧は得意そうな顔をする事もなく、始終顰(しか)め面をしていたが。心中ではよほど嬉しかったの

だろう。楓流が退いた後に開いた宴は、民の慰撫と称されていたが、それを考えても盛大で呆れる程のも

のであったらしい。

 反対に白祥は祝宴中も始終屈辱で顔を真っ赤に燃やし、民からの同情を買った。

 民も今まで彼がやってきた事を知っている。この街への真の貢献者は白祥である事を。

 確かに李牧のいるおかげで潤沢な資金が生まれ、生活にも支障は無い。しかしそれは李牧が全てを秘密

にし、自らしか行なえなくしている為で、彼が言ってみれば賢人であるおかげではない。その上、李牧が

心配したのはあくまでも街の事だったと聞く。そんな王に誰が親しもうと思うだろうか。

 逆に白祥は渋る李牧を説き伏せ、砦を建設し、確かに様々な理由があったとしても、この防衛力が窪丸

の権威を高め、長らく護ってきた事には、なんら変わらない。

 その全ては白祥がやった事。更に彼は窪丸出身であり、民の中にも知り合いが多く、恐れられてはいる

ものの、大抵好かれている。

 民がどちらを支持するのか、解り切っているようなものだ。それが今、浮かれる李牧を他所に、窪丸の

中にはっきりと現れていた。

 民達は、白祥がこの屈辱の為に自害でもしはしまいかと、心より心配したのだが。白祥にはそういう気

配はなかった。

 勿論憤慨し、恥に狂いそうになっている事は確かだったが。彼の内には確かな使命感と、それらを越え

た義務心と責任感が燃え上がっていたのである。

 白祥は改めて楓流の名の下、窪丸防衛長官に任命されたが。それとは別に、彼個人として楓流と密約を

結んだ。

 楓流は窪丸を得たく、その為には白祥の存在が不可欠であると考えている。白祥は白祥で、最早李牧な

ど百害あって一利無しだと考え始めている。そもそも李牧さえもっとしっかりしていれば、彼がこんなに

苦労する事は無かった。

 しかしまだ今の所は李牧を捨てられない。李氏全てを生かしておく必要がある。その気持ちもお互いに

同じである。

 両者を生かす為には、降伏を逸早く申し出た事による敬意と称し、助命するしかなかった。だが二人を

同等に置く事が、そもそもおかしい。何故なら、白祥もまた、李牧の臣下でしかないからだ。

 白祥が降伏を申し出るなど、本来あってはならず、明確な裏切り行為とすら言える。

 だから両者を助けるのであれば、そのままにはしておけない。罰を与えなければならなかった。そこで

楓流は暫くの謹慎と共に、白祥が李牧へ直接意見する権利を奪ってしまった。

 つまり白祥が何かを上告する場合、まず楓流へ嘆願書を送る。そして楓流が吟味し、改めて李牧へ送る。

それから更に李牧が受け取り、吟味した上で、返答を一方的に白祥へと知らせる。

 逆に李牧が白祥に命じる場合は、当然のように直接命じられ、白祥には直接反対する権利は無い。異議

申し立てるには、一々楓流を仲介させなければならないのだ。

 そうした上で、楓流は李牧に、

「これならば少しは静かになるでしょうし、その上彼に反対する力もなくなります。しかも彼の性格を考

える限り、謀反を起こすとは考えられない事です。もし何かあったとしても、お前のせいで負けたのだ、

お前は敗北者なのだと、そう言ってやれば良いでしょう。彼の事だ、言い逃れはしますまい。例え言い逃

れしようと、民の信頼を失うだけです。

 つまりは、今までもそうであったように、これからもそうであるのです。ただ、その上で、少し静かに

なる。私は貴方を買っている、そもそも敵対するつもりもなかった。ただ、あの白祥を懲らしめておきた

かったのです」

 などと部下を下がらせた個人的な場で話し、李牧もそれを喜んで聞いた。

 ただでさえ煙たい白祥である。それが戦で破れた事は、正直な所、李牧にとっても気分の良い事だった

のかもしれない。だから良く考えずに、楓流の言を受け容れた。いや、考えても答えは変わらなかったろ

う。李牧に必要なのは、白祥の軍事能力だけで、口煩さでは無かったのだから。

 こうして楓流は李氏から白祥を奪った。いや、解き放ったと云えようか。

 その時が来るまでは、せいぜい李氏に(見せかけの)恩を売っておこう。李牧を重んじれば、それだけ

白祥が楓流に書状を送る理由が増える。その結果、二人の仲はより親密になっていく。逆に李牧と白祥の

仲は、益々離れていく。

 ようするに大っぴらに白祥と会話する権利を、楓流は得たのである。そうしてそれだけを今の利とし、

税や損害賠償のようなものに、出来るだけ李牧の考えを聞いてやった。後になって、わざわざ変更してや

った項目すらある。

 流石に砦の費用さえしぶった男、そこまでしてやっても尚、しぶる事が多かったが。李牧も最後には満

足し、調印している。

 しかしその笑顔を背後から覗くかのようにして、楓流の窪丸掌握計画は、今ここに幕を上げていたので

ある。




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