5-6.対岸の橋


 楓流は窪丸から得た資金のほとんどを軍備へと費やした。

 装備を整え、防衛力を高め、褒賞を多くする事で士気を上げ、そしてその全てを持って胡虎の負担を減

らし、少しだけの余力を生み出す。

 ほんの少しでもいい。切羽詰った状況の中でも、いやだからこそ、何か一つでも息を抜ける場を作って

おきたかった。

 その代わり、といってはおかしいかもしれないが、魯允の仕事だけは逆に少しずつ増えるようにして、

その動きを封じさせもした。おそらく魯允自身も気付いてなかったろうが、明らかに意図されて行なわれ

た事である。この辺は楓流のあくどさというべきか、強(こわ)い所だろう。

 資金も何だかんだ言っては、窪丸からそれなりの額を引き出せている。

 前述したように、李牧にはなるべく良い扱いであるように思わせておきたかったので、賠償金や収入か

ら納めさせる分の比率は、それほど高く見積もる事が出来なかったが。特別に兵役税というものを設け、

その分を埋めた。

 楓流は支配地に防衛設備と訓練へ力を入れさせ、必ずいくらかの兵を差し出すよう、強制している。

 しかし窪丸は兵数が少なく、その上地理的金銭的に見ても、重要な拠点である。だからこれ以上兵を減

らす事は自殺行為に等しく、住民の不安を煽る事になる。そうなればその皺(しわ)寄せは、楓流や白祥

よりも、むしろ李牧へ行くに違いない。

 何せ、楓流との交渉は、全て李牧が執り行っているのだから。

 楓流としても何とか善処してやりたいが、流石に兵役を課さない訳にはいかない。そこで新たに兵役税

を設け、兵の代わりに金銭やそれに類する物を差し出す事で、楓国としての兵役は免除しようではないか

と、そう云う事を決めたのである。

 無論、人口少なく金多いという窪丸の為、わざわざ考えたのだと、多少の恩を売っておく事も忘れない。

 だがそうは言われても、どう考えてもおかしな話に思え、李牧も訝(いぶか)しがり、最初は金銭を渋

った。防衛費もけちるような吝嗇(りんしょく)家なのだから、それも当然だろう。

 しかしそこで白祥が、これ以上兵を損なうと、戦敗した事もあって、付近への抑えが利かなくなるかも

しれない。それならば金で払う方が安全だし、元々税額が少ないのだから、今多少増したとて、国庫の負

担にはなるまい。

 などと脅すような懐柔(かいじゅう)するような事を告げると、李牧も楓流の軍事力が怖く、白祥の不

敗神話が崩された事を思えば不安となり。彼に従う家臣団は揃いも揃って気の弱い者達で、彼らに押され

るようにして、最後には納得させられてしまった。

 李牧は気付いていなかったかもしれないが、彼もまた確実に王としての権威は衰えている。少なくとも

以前ならば、家臣がこぞって王に自らの意見を押し付けるような事は、決して無かったはずだ。

 しかし李牧は気づかない。どころか、彼も内心は不満が無く。皆がそこまで言うならと前置く事で、自

身の恐怖心を知られずに済み、王としての権威も保てたと、ほくほく顔だったようにも思える。

 最早譲渡する事に、さほどの抵抗を感じなくなっていたのであろう。

 それに李牧は機嫌が良い。

 国庫、王と内々だけだが呼称しているように、窪丸は相変わらず独立勢力の風がある。確かに軍事的に

は負けたが、政治的にはしてやったのだという想いが、李牧の気持ちを安んじ、自負させていた。白祥は

明らかに負けたが、自分は楓流に勝ったのだと、そういう想いもあったろう。

 そこから来る心が、彼の目を益々曇らせている。

 可愛らしい、言ってみればくだらない物の考え方だが。大人と言っても、人間は大概そういうものであ

ると思える。老いれば色んな物が抜けていく。身体的、精神的問わず、経験と知恵の代わりに失った物は

多い。

 恐れという心も失っていく。抜けた分を埋めるように自意識が再び肥大し出し、経験の足らなかった子

供時代と同じように、意地、自己顕示欲、我侭、自惚れに猿知恵と、昔から変わらず残っていたモノが、

変わらないどころか歳を経ると強くなってくる。

 人間に最後に残るのは、良くも悪くも子供の部分。人が初めに得たモノと、本能なのかもしれない。

 あらゆるものが外側から剥がれ落ちるようにして、人は皆老いて逝く。それを自覚したがらない事がま

た、それを助長する。

 勿論、老いは愚かになると云う事ではない。人は死ぬまで変わり続けると云う事であり、それを認め、

自分を見つめ直す事が大事だと云う事である。

 変化し続けるからこそ、良い方に変化させねば、自らでそう努力せねば、良い歳の取り方は出来ない。単

に時間を経るだけでは、何も変わらない。むしろ衰える一方である。

 その証拠に、懸命に生きる白祥の方はしっかりしている。李牧への言葉も本心ではなく、楓流から言い

含められていた事。彼だけは己が居場所を理解し、窪丸を護るという命題の下、くだらない拘りを捨てて

奔走(奔走)している。

 頑固で真面目な所のある白祥は、こういう小細工を軽蔑(けいべつ)しており、自己嫌悪に嘆く事もあ

ったが。それでも彼は素直に楓流に従い続けた。

 それだけが窪丸と民を護る術だと、執念にも似た想いで、自らに言い聞かせながら。

 李牧などに任せていては、とんでもない事になる。それがいよいよ良く解ってきたのだ。

 敗北させられたのは悔しいが、それ以上に白祥も楓流の能力を買っている。とても好きにはなれないが、

それでも李牧などに上に居られるよりは、遥かにましである。

 気質的に嫌いだが、やるとなれば計略も苦手ではない。せいぜい浮かれさせ、好きに動かせ、その時ま

でに李牧には、なるべく深く墓穴を掘ってもらわねばならない。白祥が常に彼の喉元に、刃を突き立て

ている事にも、決して気付かれないようにしながら。

 今や白祥は、完全なる楓流の手駒であった。そしてその関係は、楓流が窪丸に害しない限り、揺るぎ無

く続くだろう。



 目下の目標であった窪丸を組み入れ、楓の威勢は益々増したが、相変わらず人材不足と兵力不足に悩ま

される毎日である。

 白祥を将として使えれば良いのだが、まだその時ではない。それに彼は、窪丸への不安が無くならない

限り、あの地を離れようとはすまい。

 ようするに、楓流の誤算であった。

 確かに当面護る分には充分な兵力はあるが。後の大きな不安(孫文と西方)に対するには、明らかに力

不足。更には中央を分割する形となっている、祇、隻の二勢力の動向も気になる。

 特に領を接する祇とは、ここ最近小競り合いが増え。どちらのどこまでが自分の領域なのか、そういう

境界線の問題で、激しく舌戦も繰り広げている。

 一色触発の状況なのは明白であり、何かきっかけがあればすぐにでも戦へと発展する筈だった。

 両国の関係に、窪丸陥落が大きな楔(くさび)を打ち込んだ事は、言うまでもない。祇も恐怖心を覚え、

今の内に隻と共に楓を駆逐したいのである。

 楓と祇では祇の方が劣り、隻の戦力は更にその祇よりも劣るのだが。祇と隻が組めば、楓を凌駕する。

故にこの三つ巴の睨み合いは、簡単に変化出来ずに今に到る。

 しかしそれも限界だ。様々な思惑が絡まりあい、中央以外の勢力からの干渉も増えている。独立独歩す

るにも、同盟を築くにも、地盤となる力が要る。祇も隻も、楓と同じく、中央制覇を成し遂げたい。それ

が出来ぬなら、せめて一つの勢力だけでも潰しておきたい。

 楓流としては祇隻同盟に対抗すべく、双の力を借りたい所だったが。窪丸からの交通路を得たとはいえ、

援軍を派遣してもらうのは難しい。まだ距離が遠く、双家にもさほどの余裕が無く、せいぜい資金か資材

の援助に留まると思えた。

 となれば隻である。祇とはもう修復不可能で、領地を考えても友好関係を築く事は不可能だが。隻なら

ば可能性がある。かの国は祇に絶対忠誠という訳ではなく、常々力関係から祇へ遠慮せねばならぬ事に、

拭えぬ不快感を持っていた。上手くすれば共に祇を滅ぼし、領地を分け合う事は可能だろう。

 しかし隻へ行く為には祇を通らねばならず、工作が難航していた。

 しかも隻の背後には西方の諸勢力が居る可能性が高く。例え祇を滅ぼせたとしても、その後よほど上手

く立ち回らない限り、そのまま西方との戦に発展していく道が生まれてしまう。

 下手すれば、祇との戦での疲弊を突かれ、そのまま西方の先鋒と化した隻に、そのまま仕掛けられる可

能性すらある。背信の国家は、味方としても油断ならぬものだ。

 だが打てる手は限られている。黙って滅ぶか、覚悟して茨を進むか。楽な道は無い。

 焦りもあり、一度は楓、祇、隻の三国同盟も考えた。

 しかしそれこそ他国に介入させる絶好の機会となり、侵略の大義名分を作ることすら、容易い事になる

だろう。利害のみの関係など、自分が強くなければ役に立たない。

 やはり余計な勢力は要らない。孫文ではないが、楓流も統一の必要性を、ひしひしと感じている。

 だからこその窪丸侵略だったのだが、こちらは半ば当てが外れてしまった。被害が少なかったのだけは、

嬉しい誤算といえるが、それは結局状況が何も変わっていないと云う事も表す。悪化しないだけましとは

いえ、現状維持では意味がない。

 そう考えれば、窪丸を手に入れた(少なくとも外部はそう見る)今の優勢を利用し、祇と隻に揺さぶり

をかけ、なるべく早急に祇を崩し、そのまま隻をも突き破る事が必要か。

 早ければ早い程、西方からの介入も防げよう。

 幸い鉄器も量産とまではいかないが、そこそこの数を作り、その質も上がっている。その扱いに未だ不

慣れなのが不安ではあるが、戦場で慣れねば意味がないと考えれば、このまま勢いに乗じて攻めかかるの

も、決して悪い案ではないはずだ。

 楓流は考えた末、窪丸戦からまだ間も無く、兵の負担が多くなるのを覚悟し、祇侵攻に踏み切る事を決

定したのであった。

 そして祇侵攻拠点に、再接近領である遠映(トウエイ)を選び。そこへ動かせる限りの軍勢を集め始め

たのである。




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