7-2.軽流必滅


 孫軍はゆっくりと波が満ちるように圧し寄せて来る。

 兵数は約三千。増員も減員もさせていないようだ。これは楓側千五百の倍に当る兵数だが、窪丸の防衛

力を加えれば、凌げない数ではない。

 堅固な要塞を攻める場合、勝利するには守備兵の十倍もの兵数が必要だと云われる。勿論、状況は様々、

全ての戦がこの限りである訳も無いが。攻城兵器らしい兵器が無い当時、この数は妥当であると云えるだ

ろう。

 それだけ攻城戦というのは、難しい。

 人と城塞都市、比較してみれば、その困難さは良く解る。大きさ、高さ、そういう物理的な事柄は、何

よりも現実的であるだけに、どうしようもない。人はただ数に任せて、それを上回る外無いのである。

 しかし両軍の兵質の差を考えれば、要塞の防衛力も絶対とは言えなくなってくる。何故なら、戦をする

のは物ではなく、所詮は人同士だからである。

 精神的に、つまりは士気の点においては、楓兵も孫兵に引けを取らない。彼らも自然に選別され、今の

今まで生き残ってきた兵である。その意気は高く強靭で、孫兵に劣るとは思えない。

 しかし訓練度、統率力、経験、そういった様々な能力を細かに比べていけば、楓兵は一つとして孫兵に

勝る所はあるまい。孫文も愚かではない。獅子らしく、全ての戦に全力を尽くす。連れて来ている兵も、

彼の決戦兵団。精強たる孫軍の中でも、特に選別された強兵の一団なのだ。

 そんな者達に、傷だらけの楓兵が、果たしてどれだけ戦えるのか。

 防壁も堅固とはいえ、所詮木製に毛が生えたような代物。石造りに改造しておきたかったが、そんな時

間がある訳もない(楓軍に敗北した後も、白祥が李牧にいくら言っても、聞き遂げられなかった。故に今

も木製のままである)。大陸では有数の要塞でも、楓流や白祥の理想からは程遠い。心配は消えない。

 だが嘆いている暇すら無い。

 楓流は砦に五百、街門に五百の兵を配置し、残り五百を臨機応変に動かす予備兵とした。

 孫軍は今の所どちらかに偏(かたよ)るような気配は見せず、全軍をゆっくりと前進させている。ぎり

ぎりまでその思惑を悟られないようにしているのだろう。孫文とて、両方面を攻めるような事はしない筈

だが、どちらを重点的に攻めるのか、その時までは解らない。

 悔しいが、兵数が多い以上、そして楓側は窪丸から動けぬ以上、主導権は常に孫側に握られる事になる。

楓は常に受身であり、それは相手の動きを見て動けると云う事でもあるが、後手後手に回されると云う事

は、常に神経を磨り減らされる。

 しかも相手は孫文。受身であるが故の弱点を、何処かで必ず突いてくるだろう。

 孫文は、そうする。いや、そうすると相手に思わせる力を持っている。そしてその思わせる力が、始ま

りから終わりまで、常に精神的な圧迫を加え、敵者に休息を与えない。

 実績も経験も孫文の方が上なのだ、楓流よりも遥かに上手い攻め手を見せてくるだろう。

 恐るべき存在だ。考えれば考えるだけ、新たな恐怖が生まれてくる。

 しかし覚悟し、もう後が無い、負ければ終わり、という状態になってみると、不思議と興味も湧いてく

る。大陸でも最高の用兵術を誇る孫文、彼の力を見れる機会など、そうはない。

 どのような手を使うのか、どのように兵を動かすのか、興味がある。

 おかしな事かもしれないが、楓流は孫文を尊敬してさえいる。

 だからこそ、この滅びへの道程の中に居てすら、孫文への興味が生まれる。

 集縁で全ての悲しみを流してきた。今はもう、ただ立ち向かう心しかない。嘆きも、憎しみも、辛みも、

恨みも、全ては胡曰(ウエツ)が癒してくれた。

 恐れるのも良い。だがそれだけでは無意味だ。学ぶのだ。この大陸屈指の軍団を見、孫文の戦い方、思

考を学ぶのだ。いつか、孫文自身を破る時の為に。

 楓流は迫り来る孫兵を真正面から受け止め、静かに眺め見ていた。

 先ほどまであった気負いも抜けていき、平常の自分に還るのを感じている。

 或いは、孫文もこのようであるのだろうか。



 孫軍の攻撃は苛烈であった。

 波の如き動きのまま、今度はそれに返しが加わり、寄せては返し、寄せては返し、数百の部隊毎に何度

も交代しては仕掛けてくる。

 砦に二千五百、街門には五百を当てているようだ。

 孫文は窪丸の象徴とも云えるこの砦を落す事で、全ての戦意を挫くつもりであるらしい。どちらかとい

えば防衛力の堅い砦を狙うのは、孫文の心にも合っている。彼は敵の最も自信のある部分を突き、全ての

自信を剥ぎ取って後、完全なる勝利を得る。

 それは他への見せしめでもあり、自らの誇りでもあるのだろう。

 そしてそういう風に戦ってきたからこそ、孫文は大陸屈指の名将である、と言われるのだ。

 無論、例外もあり、彼はそのように単純ではないのだが、ここぞという時には、常に完勝を収めてきた。

 平原の獅子という二つ名を持つのも、大陸広しといえど、彼くらいのものである。そこからもその軍事

力と影響力が解るだろう。この大陸で二つ名を与えられるのは、並大抵の事ではない。それは当代随一と

呼ばれるに等しい事である。

 楓流は一時たりとも休めない。

 昼夜問わず、それは行なわれた。眠るどころか、食事の時間さえ難しい。

 常に劣勢、常に圧されている。

 しかし楓兵は頑張った。白祥が一計を案じ、大胆にも街門を守る兵と交代させたりもして(街と砦を結

ぶ内部通路が役立った)、何とか食い止めている。

 街門側は同数なので、まだ余裕があったのだ。

 そうこうしている内に十日という時間が過ぎ、準備不足が災いしてなのか(元々孫文はここでの長期戦

を予定していなかった)、孫軍は何の兆候も無く、ある朝迅速に撤退して行った。

 油断させる罠かと思い、数日窪丸には緊張が続いたが。暫くして間者から、孫軍は全てふもとまで引き

返した、という報告がされ、ようやく楓軍は一息付けたのである。

 皆不自然に思ったが、とにかく生の喜びを分かち合った。孫軍に与えた被害は多くないが、楓が受けた

損害は更に少なく。ともかくも、勝った、といえる。

 兵達は安心し、泥のように眠った。

 しかしそれも、当然の事ながら、一時の平和に過ぎなかった。

 楓は孫文が剛だけの漢でない事を、改めて思い知らされる事となる。



 孫文はあれだけ楓流の首に執着していたにも関わらず、あっさりと撤退した。

 無論、今も窪丸と中央を結ぶ街道を封鎖し、距離を取って包囲しているのだが、その兵数も最低限にま

で落とされ、もう攻めて来る意志を見せていない。

 これは一時時間を置き、改めて準備を整えているのかとも思われたが。それも暫くすると違う事が判明

した。そう、孫文が窪丸方面より離れ、西方へと向ったのである。

 孫文が戦線を離れた以上、本気で侵攻する構えを捨てた、としか考えられない。配下の将に任せたとも

考えられるが、孫文の性格上、攻めるとすれば自ら攻める筈である。何故なら、一度攻勢をしくじった以

上、その沽券に賭けて、必ず自ら再戦を挑んでくるだろうからだ。

 孫文が尻拭いを他の者にさせるとは、どうしても考えられない。

 とすれば、これは一体どう云う事だろうか。まさか、窪丸は落せぬ、と思った訳がなし、他に緊急にや

らねばならない事が出来たとでもいうのか。

 しかし隻や西方に大きな動きがあったとか、そういう話は入ってきていない。流石にこうがっちりと封

鎖されてしまえば、詳しい情報を得る事は難しいが。孫文が移動した事が知れたように、大きな情報であ

れば、自然と流れてくる(もしかすれば、意図的に流しているのかもしれない)。

 特に大きな動きが無いとすると、これも予定通りの行動だと云う事になる。

 では本当に窪丸を捨てたのだろうか。最早無力である、例え攻勢を凌げても、あちらから打って出るよ

うな力は無いと、あの一戦で判断されたのか。

 確かにそれは事実であろう。護るのがやっと、ともすれば落ちそうになったというのに、窪丸の方から

攻め立てるような力が残っている訳が無い。

 底が知れた以上、興味が失せた、と云う事があってもおかしくはない。

 だが、やはりらしくない。途上で放っておくなど、あまりにも孫文らしくない。

 そこに大きな不自然さと、何か得体の知れないモノを感じる。

 きっと何かある。

 孫文に理由無き撤退など、ありえない事なのだから。



 一週間が過ぎた。

 その間、孫に大きな動きはない。おそらく新領土の平定と後始末に終始しているのだろう。孫文はそう

いう仕事もきっちりとやる。抜かりない彼が、領土を得たからと、それだけで満足する訳がない。反乱や

不満分子が生まれぬよう、きっちりと地盤を固めておく事を忘れない。

 彼は大局的に、長い時間で物を見る。

 楓側も余計な事をする暇が無く、防衛力を増す事に終始していた。

 北方と繋がり、食料や資材を蓄える事も忘れない。李一族が滅びた今、交易も今までのようにはいかな

いが。旅商人らと協力する事で、なんとかそれなりの成果を収めている。窪丸が他国からの輸入を必要と

しているように、窪丸の流す資金を期待している街も多いのだ。

 双と繋がるには遠すぎ、今の所そこまで繋げる力は無いが。中央への道を封鎖されたとはいえ、今の所

困ることはなさそうである。

 しかし北方との繋がりを増すにつれ、気になる情報が入ってきた。

 それは東方をほぼ平定していた孫軍が、新たに北方へも、それも窪丸を目指すように進軍している、と

いう情報である。

 やはり孫文は諦めたのではなかった。単にやり方を変えただけだったのだ。

 計画外の白祥の裏切り(孫から見れば)で楓が窪丸に籠り、十日攻めても落せなかったように、なかな

か面倒な事になってしまっている。火のように攻め続ければ、いずれは落ちようが、それには膨大な資金

や資材が掛かるだろう。

 だから方針を変え、今までのように一方向から攻めるのではなく。北方への道を封鎖し、窪丸を立ち枯

れさせた後、改めて北と南から攻め寄せ、被害少なく攻め落とそうと考えたのである。

 その為に東方に残してきた軍の一部を動かし、窪丸北方への道造りを始めさせている。

 確かに時間がかかる。しかしこれは確実だ。北と南を閉じられ、その上で両方から攻められれば、楓流

がどう足掻いても、止められるものではない。あっけなく落ちてしまうだろう。

 孫文は窪丸の力を知り、ここで無駄に戦力を浪費するよりも、どの道北方も手に入れるのだから、じっ

くりと攻めて行くべきだ、と考えたに違いない。

 窪丸がその間に力を蓄えるとしても、高が知れている。窪丸は交易に頼らねばならない都市である。だ

からこそ他国、他の街へ攻めるような事は出来ない、それは自分の首を絞める事になるからだ。しかも人

口は多くなく、兵数を大して増やせない。

 頼りの傭兵も、孫文が敵になった以上雇われる事は無いし。例え雇われたとしても、孫軍が来れば逃げ

出すだろう。当時の傭兵とは、その程度のものである。それは誰もが良く知っている。

 故に窪丸がその地に在る以上、到底成長する事など出来ない。放っておいたとしても怖くは無い。むし

ろ最後まで放っておくのも、一興かもしれぬ。惨めに何も出来ずただ滅んで行く様を、見せしめとして置

いておくのも悪くない。

 その上、これなら孫文の手が空く。準備が整うまで、他の事をやれる。これは孫にとって大きな事であ

る。孫文ともあろう者が、窪丸、楓流などというちっぽけな存在に、いつまでも構っている方が、愚かで

あろう。

 そういう事を考えれば、孫文があっさり退いた事にも納得できる。楓流が窪丸を得て生き延びたのでは

なく。窪丸という要塞に閉じ籠った事で、楓という勢力は死んでしまったのである。成長しない死んだ勢

力など、問題にはならない。

 孫文という漢には、どんな手段でも扱える力がある。何でも出来る。その力を持ってすれば、不可能な

ど無いとすら思える程に。

 今東方に生存している勢力も、もしかすれば、窪丸と同じように、生き延びているのではなく、隔離さ

れた勢力なのかもしれない。すでに死んだ、もう関わる意味の無い勢力。おかしな言い方になるが、孫文

に捨てられたとも言える。

 これをハッ、と理解した時。どうしようもない絶望感と無力感が、楓流と白祥の心を散々に打ちのめし

た。到底彼らの敵うような相手ではなかったのだ。

 生き延びられたとしても、先は閉ざされている。




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