7-3.霊峰の破片


 封鎖され三月が過ぎ、楓流は窪丸にて年を越した。

 新年を祝うような気持ちは、何処からも湧いてこない。絶望とまではいかないが、着々と孫文の計画が

進み、北方への手も伸び続け、時を追う毎に死滅へと近付いているのが解る以上、時の流れを祝うような

気持ちには、とてもなれなかったのである。

 縁起担ぎの為、形だけは祝ってみたが、やはり大して慰みにもならなかった。

 そもそも今の大陸に、年を祝うという気持ちのある方が、不似合いなのだろう。何処も戦火に覆われ、

争いがいつ始まるかいつ終わるのか、焦燥感と不安だけが続く。戦地から遠ければ、ある程度は和らぐと

しても。遠かった筈の戦火が、いつの間にか隣りにまで来ていた、という事も珍しい事ではない。

 楓流と白祥が心理的に与えられた衝撃、孫文への敗北感、は何とか落ち着ける事が出来たのだが。その

衝撃によって強く抉(えぐ)られた心と、眼前に突き付けられている破滅への呼び声が、陰鬱(いんうつ)

な気持ちへと変わらず縛り続けている。

 孫文の方は順調に支配を拡大していく。大陸中央の平定も、粗方終わったようだ。

 ほとんどの街は抵抗せず、素直に軍門に降った。一部の大きな街では多少抵抗したようだが、それも交

渉の駆け引きといった様子で、間違っても本気で争う気持ちはなかったようである。無論そういった街は、

後で手痛い酬(むく)いを受けている。

 今となっては、孫文に逆らう者など、少なくとも表面的には、中央の何処にも居ない。孫文は時間をか

けて侵食している。それは強引ではあったが、確実性のある力で、まるで自然そのものであるかのように、

誰にも抗えず、どうしようもないモノであった。

 この頃から平原の獅子ではなく、獅子王とも呼ばれるようになっている。

 彼こそが唯一の王であると、そう呼ぶ者が増え。彼の旗下には、無数の人間が集まっている。中央には

まだ隻氏が生きているが、誰もそんな事は考えない。すでに孫文は中央と東方を支配し、後は全土を統べ

るのも時間の問題だと云われている。

 大陸南方はまだ未開の地が多く、現状ではほとんど所有する意味が無い事を思えば、孫文は大陸の半分

を手に入れている事になる。大陸統一を思われても、何の不思議も無い。それは夢ではなく、現実的な思

考の結果、導き出されたものだ。

 孫文こそが覇権を握る存在であると、誰も否定しない。いや、したくても出来ないといった方が正確だ

ろうか。



 孫文の力が現実的な脅威となった今、西方の情勢も加速せざるを得なかった。

 西方の勢力ほぼ全てを巻き込む、例の大同盟。それが、問題は多いままだが、成ったのである。

 西方四家、秦(シン)、呉(ゴ)、韓(カン)、周(シュウ)を中心とし、結局は盟主不在のまま、こ

の四家の合議制を用いる事とされた。

 孫文が来た以上、西方の勢力同士で争っている暇は無いのだが、それでもこの四家を一つにまとめる事

は、不可能である。何しろこの四家一つ一つでさえ、その内情は複雑、大小様々な国家が所属し、その意

図も思考もばらばら。そうである以上、これ以上まとめようと考える方に無理がある。この四家までが限

界だったのだろう。

 これ以後、呉と韓、秦、周という三つ巴の形でお互いに折り合いを付けながら、西方という一つの大き

な国家を運営していく事になる。

 無論、その絆は浅く、弱い。しかし外敵に対してのみは、一丸となって対抗出来る理由がある。そうで

ある以上、馬鹿に出来ない繋がりであろう。孫文も簡単に滅ぼせるとは考えていないようだ。

 それに西方と孫の間には、まだ隻という勢力が存在している。西方と孫と比べれば微々たる力で、ほと

んどその存在を無視されているが、この勢力もなかなかの食わせ者。西方と孫、どちらへの繋がりもある

以上、どんな影響を及ぼすか解らない。

 隻が西方と孫の間に立ち、どういう動きを見せるか、或いはどちらかにあっさりと滅ぼされてしまうの

か、暫くは目が離せない。

 だが今の所は西方、孫共に戦端を開く気持ちは無いようで、どちらも自国平定と軍備増強を急いでいる。

互いに挑発するような行動は見せていない。

 孫文は焦る男ではないし、西方もごたごたしていて、気軽に腰を浮かせられるような状況にはないから、

今しばらくは大きな動きは無いだろうとも目されている。

 だからこそ、隻の動向に注意が必要なのだ。きっかけはこの小国になるだろう。

 このように孫は侵攻を緩め、暫し休んでいる風にも見えるが、王である孫文は勤労家だ。

 彼は楓の力、特に彼らが持っていた道具に関心を寄せたようで、集縁一帯を手に入れて後、すぐにその

力の源を探し始めていた。

 何故楓程度の勢力で、孫と同等以上の武具を製作出来たのか。破壊された炉、残された技術の成果を見

ても、その高度な技術力が解る。楓などには勿体無い、これほどの力は孫にこそ使われなければならぬ。

 泰山の存在を知る者は極僅かだったのだが、小さな情報ならば、知る者は多い。噂も馬鹿にならない情

報となる。それらを集め、固めていけば、それを導き出す事は不可能ではない。楓流に出来た事ならば、

当然孫文にも出来る。

 孫文は泰山の技術者の存在を知り、すぐに使者を発した。

 無論、泰山は拒む。それは、楓流が目ぼしい技術者をほとんど連れて行ってしまった、という事もある

し、元々干渉を望まぬと云う事もあるが、何よりも孫文が怖かった事にある。一度楓流が連れ出している

以上、遅かれ早かれこのままでは居られぬようになる、と長も考えていたのだが。孫の使者の口上と態度

を見るにつれ、窪丸で白祥が考えた事と、同様の不安を抱いたのである。

 確かに孫は強い、覇王となるに相応しい力を持っている。長もそれを否定する気はない。里人の中にも、

楓流に義理立てする筋合もないし、孫に協力しても良いのではないか、という意見もあった。

 しかしどう考えても、孫からの要請は協力ではなく、あくまでも他と同様に支配下に入れ、という意味

の言葉。そこには誠意も敬意もなく、ただ命令と服従を強いるのみ。

 そこに長は危険を感じ、迷いもしたが、結局は使者を追い返した。

 これに対し、孫文がどうしたかといえば、当然のように泰山への侵攻を命じている。

 使える力は必要だ。だがもしもそれが手に入らぬ場合、後の危険を考え、須く潰す。それが孫文の意志

である。泰山の協力が必須という訳でもなし、目障りとなれば遠慮する必要はない。

 敵となった以上、誰であろうと滅ぼすのみ。

 泰山は人の訪れぬ山、地形も厳しく用意には入れぬ。しかし今の孫文の力をもってすれば、山を裸にす

る事も、湖を干す事も、不可能ではない。孫文の信仰心からしても、神の降臨せし御山に勝手に住み着く

人間など、不埒(ふらち)極まりない存在である。

 利用できないとなれば、後は不遜(ふそん)な人間に対する怒りしか残らない。

 孫文は数に物を言わせ、まるで根本から刈り上げるようにして隠し里を見付け、跡形も無く破壊した(勿

論、山そのものを傷付けるような事はしていない)。

 里人は抵抗も無意味と悟り、逃げれる者は逃がし、残る者だけで時間を稼いだとの事だが、果たしてど

れだけの時間を稼げたものか。

 泰山侵攻の話は、孫文が大軍を用いただけに、全土に広まるのも早かった。

 窪丸にも程無く届き、楓流はこの報を聞いて愕然(がくぜん)としたが、何一つ出来る事は無い。

 窪丸に居る里人達もその事をよく理解しており、目に見えて気が失せていたが、敵討ちだの復讐だのを

口にする者は一人として出なかった。

 そこには悲しみだけがあり、だからこそ何よりも救いようがなく、見る者の心にも明らかな痛みを宿ら

せる。

 しかし誰にも何も出来ず、かける言葉も、そうする事の意味さえ見出せず、せめて無事に逃れた者が多

い事を、天に祈るより他になかった。

 孫文への怒りよりも、自らの無力さへの怒りの方がずっと強く。楓流達は改めて、力無き歯痒さを思い

知らされたのであった。

 力だけではどうにもならぬが、力が無くてもどうにもならない。

 少なくとも、この時代に於いては。



 楓流は間者に泰山の落人を探すよう命じたが、それが無意味である事を知っていた。

 そもそも楓流に嗅ぎ取れるようでは、孫文の目から逃れる事は出来ない。故に収穫無しである方が吉報

とも言えたのだが、それはそれで言い知れぬ虚しさが彼の心を蔑(さげす)んでいく。

 胡曰(ウエツ)が傍で慰めていたが、今回は彼女がどうにか出来る問題ではなく、多少楽にはなるもの

の、それだけの事であったようだ。

 逃げた里人達は、今頃何処でどうしているのだろうか。

 里長はおそらく里に残り討ち死にを遂げたと思えるが、他の者はどうしたのか。長の血を継ぐあの娘は

生きているのか、そして雲海(ウンカイ)はどうしているのか。

 雲海ならば、事前にある程度の事を知れた筈。それなのに呆気なく孫文に滅ぼされたと云う事は、雲海

ですらその動きを察知できなかったのか。或いは孫文の心を読み違えたのか。

 だとすれば、雲海もまた泰山と共に滅したのかもしれぬ。

 楓流の心に新たな穴が空く。こうして皆無造作に死んでいくのだろうかと。

 異界の地も解ってみればただの村。怖れ無き者の前では、作られた神通力など何一つ通用しないと云う

事か。

 里の者の顔が次々に浮んでくる。極僅かな時間しかあの場所に居らず、しかも囚われの身であったのだ

が、それでも里の者に恨みはなく、同族意識、同情心しか浮んでこない。楓流もまた異境の山にて仙人に

育てられし者。あの里は第二の故郷になっていたのかもしれない。

 それを失った喪失感は怒りなどで満足されるようなものではなく、もっと深く心底に突き刺さったまま、

永劫に彼の心を痛め続けるだろう。

 それは里の者より軽い痛みとはいえ、苦しむ事には変わらない。

 楓流は最後に養父の事を思い浮かべた。



 泰山が滅ぼされたのが、大体楓流が窪丸に逃れてより二月経った頃だったろうか。そうなると、すでに

一月経っている計算になるが、何一つ手がかりらしい事は掴めていない。

 情報が入って来ないと云う事は、まだ捕まっていないのだろうが、だからといって生きているとも言え

ない。第一生きていたとして、里人が泰山以外で暮すとなれば、相当な困難が伴う。里長も居ないだろう

今、果たして生きていけるのか。

 窪丸に居る里人も、最近はもう諦めているように思える。

 悲しみは消えないが、それに圧される事も無い。自然の摂理、天の采配であると受け入れたのか、単に

考えないようにしているのかは知らないが、今まで以上に仕事に励んでいる様子だ。

 例え孫に勝てぬまでも、その時がくれば一人でも多く殺し、味方を一人でも多く助けようと、遮二無二

武具防具製作に力を注いでいる。

 泰山が滅ぼされた事で、孫家打倒は彼ら個人の悲願にもなった訳だ。

 しかしそれを見ても、何故か虚しさだけが漂ってくる。何かに対し、必死で弁明し続けているような、

ある種の痛ましさを感じる。

 彼らはきっと、常に何かに責められているに違いない。そしてそれを晴らすことは、決して何者にも出

来ない事なのだろう。終わった事は、誰にも取り返しが付かないが故に。

 彼らは夢の中でさえ、安堵できまい。



 更に一月が経つ。相変わらず手がかりは無い。孫家から受ける圧力も日に日に増して行き、無力感だけ

が募るのか、窪丸の士気は衰える一方となっている。

 だがそんな中に、ひょっこりと現れた男がいる。

 驚くべき事に、それは捜し求めていた、雲海その人であった。

 それも彼は中央ではなく、北方からの旅商人に成り済まし、北から現れたのである。

 話に寄ると、里長から後を託され、最初彼も窪丸を頼ろうと考えたのだが、すでに中央が孫の領域とな

っている以上、どう足掻いても抜けられぬと見、山脈伝いに西へ出、それから雲海しか知らぬ例の最短の

道を通って北方を目指し、双家を頼る事にしたらしい。

 雲海は現当主、双正(ソウセイ)の性情を良く理解しており。仙人と等しいともいえる暮らしをしてい

た里人ならば、喜ぶかどうかは知らないが、とにかく邪険にする事はないだろうと考えたのである。

 その目論見は当り、双家が代々血統を重んじてきた事も幸いして、古き純血種ともいえる里人達を、手

厚く出迎えた。無論、彼らの持つ技術力を当てにしたという事情もあるだろう。

 里人もこうなっては惜しむような事をせず、大した技術者は残っていなかったが、教え得る限りの事を

双に教え、その恩に報いたそうだ。

 こうして何とか里人が居場所を見付け、落ち着いたのを見、雲海は窪丸の里人に知らせるべく、こうし

て現れたと云う訳である。何でも旅商人も姿だけではなく、実際に商いを行ないつつ情報収集をしていた

ようで、要らぬ時間がかかったと苦笑いを浮かべる雲海の顔は、よく日に焼けていた。

 楓流は早速宴を開いて歓待しようとしたが、雲海が珍しく真剣な顔をし、話したい事があると述べたの

で、楓流の私室にてまずその話を聞く事にした。

 里人に無事落ち延びた者が居る事は、すでに窪丸の里人にも知らせにやったので、楓流がするまでもな

く、程無く宴は始まる事だろう。そして楓流も誰も、それに文句を言う事は無いだろう。

 こうして窪丸は、少しだけ活気を取り戻した。




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