7-4.決意か諦めか


 私室にて二人、楓流と雲海が語らう。

 他には何者もおらず、物の少ない機能的な室内に、少しの寂しさが漂っているようにも感じられる。い

や、平素楓流以外に使う者がいないとすれば、これでも賑やかだと言えるのか。

 ここは楓流が唯一独りになれる場所であり、胡曰ですら許可無しに踏み入れる事は出来ない。他の者な

どは論外で、余程の事が無い限り誰も近付かず、常に静寂が保たれている場所である。

 白祥、胡虎、そして凱聯でさえ例外ではなく、まるで誓約でも守るかのように、皆が静寂に拘っている。

 楓流に与えられる苛立ちや焦燥は、こういう静けさを絶対的に求めねばならぬ程大きくなっており、彼

には誰も見る者が居ない場所で、思う存分に気分を晴らす事が、或いは落ち着ける事が、いつの頃からか

絶対的に必要となっていた。

 この一室は、上に立つ者だけが得られる至上の贅沢であり。人の上に立つと云う事が、或いは牢獄に近

いと云う事も、同時に意味していた。こうでもしなければ、静けさを得る事が出来ない のである。

 ともあれ、この部屋ならば誰にも話を聞かれる心配は無いし、始まったであろう喧騒も、隣村で起こって

いるように聴こえる。

 雲海もこの場所に満足したようだ。

「こういう場所故、何も出来無いが」

「いえ、ただ話すだけですから、これ以上の場所はありません。後で食べる事も飲む事も、充分出来そう

ですし」

「そうだな」

 楓流はゆっくりと笑った。染み入るような喜びを感じる。この生涯に二人と得られぬだろう存在が生き

ていた。それは彼個人にとっても得難い喜びなのだ。

 そしてこうして会話する事で、初めて雲海の生が実感出来た様な、不思議な気持ちを味わっている。張

り詰めていたものも少しだけ和らぐ。対等の言葉で話せる相手が居る。人はそれだけで、随分心が和らく

ものである。

 居るだけで良い。そう思える相手は、誰にでも必ず現れる。無論、その絆が、いつまで続くか、どれ程

深くなるかは、誰にも解らないが。

 二人は椅子に座り、近すぎず離れすぎず向かい合う形で、改めてお互いの表情を見交わした。

 それから勿体つけるような事はせず、雲海はいつもよりも若干熱を帯びた様子で話し始める。

「話というのは他でもありません。我々の今後の事です」

 楓流もゆっくりと頷く。

「里長を含め里の者はほとんど死にました。残ったのは女子供、老人と少数の技術者、そして私だけです。

消息不明な者もいますが、おそらく二度と会う事は出来ないでしょう」

 孫文はやるとなれば徹底的にやる。それは見せしめの意味もあるだろうが、おそらく彼自身の性格にも

寄る。無力化するまでは決して手を止めようとはすまい。

 逃げ遅れた者、逸れた者は、おそらくもう・・・。

「双家に厄介になる事で、取り合えずは問題ないと思います。しかし、このままでは里人に未来は無い。

今更里を復興しようなどとは思いませんし、皆もそれは諦めておりますが、さりとていつまでも厄介にな

っている訳にはいかない。客として生きるのではなく、人には住む家、生活する場所が必要なのです」

 雲海は暫し沈黙を置いた。

 それは迷っているようにも思えたが、彼の目は変わらず真っ直ぐなままであった。

 楓流はゆっくりと頷く。

「私はその新たな家を、貴方に頼みたい。貴方の下にはすでに里人が居る。貴方は他の人よりも我らに理

解があり、少なくとも我々を他と別するような考えはもっていません。最早我々に新しく里を造る力は無

く、貴方以外に頼める存在はないと判断しました。

 例え里を存続できずとも、例え楓の民に同化するとしても、その血と誇り、技術、記憶、そういったモ

ノを残したい。それが里長に預けられた者の義務であり、私個人としての望みでもあります。

 もしそれが叶うなら、私はいくらでも貴方に協力しましょう。戦乱を助長する事は本意では無いが、貴

方が望むなら、臣として仕えてもいい。私だけでなく里人達も全て覚悟を決めている。楓流の民として、

楓の下に集いたいと心を決し、ここへ訪れたのです」

「なんと・・・・」

 楓流はある程度は予期していたものの、流石にここまでとは思っておらず。何よりあの雲海が自らの信

念や思想を置いてまで、それを実行しようとしている事に、非常な驚きを覚えた。あれだけ乞い、説得し

ても微塵も揺るがなかった心が、確かに状況が状況であるとはいえ、こうも見事に動くとは、人間の生と

はかくも不思議なものか。

 楓流に異存は無い。むしろ願っても無い事である。雲海が欲しいというだけでなく、彼は里人にも好意

と感謝を持っていた。拒む理由が無い。

 しかしどうしても聞いておきたい事があった。どうして楓流なのか、その思想を変えるまでに、一体ど

ういう思考があったのか。別に今となっては聞く必要は無いのだが、個人的な興味として、聞かざるを得

なかったのである。それを聞くまではすっきりと迎え入れられない。人間の心とは不便なものだ。

 先程述べた事だけが、全ての理由とは思えない。楓流は里長の代行者、里人のまとめ役としての雲海の

言葉ではなく、雲海自身の言葉が聞きたいのである。

 変化、その理由とは何処にあるのか。もっと生の言葉、直接的な原因を知りたい。

 雲海はそれを聞き、少し迷ったようであったが、この際はっきりと忌憚(きたん)なく述べておく方が

良いと考えたのか。暫く時を於いて言葉をまとめた末、再び話し始めた。

「世を覆う勇の者達、例えば孫文。そういう力有る存在は、無数とは言わないでも、今少なからず生まれ

ています。我らがただ頼るだけならば、そういう者達でも問題はありません。力有る者ならば、懐は広い。

貧困と死の原因である戦乱は、そうであるからこそ、人をより多く必要としますから。

 しかし、彼らは力は有っても、戦乱を収める者ではない。むしろ戦を求め、戦に生き、本来は戦を鎮

める為に争っていたものが、今ではもう争う事のみを目的としているかのようです。

 彼らは乱世に憑(つ)かれている。

 確かに力は強い。しかしそれは粉砕する力でしかない。守る事もせず、止める事もせず、ただ奪い、破

壊する。何をも生まず、何をももたらさず、ただ戦うだけの、生命を枯渇(こかつ)する力。人を滅ぼす

力。だからこそ、あれ程までに強いのかもしれませんが、それは求めてはいけない力だ。

 そしてそれは貴方もそうです、楓の王。貴方も常に戦と共に在り、結局は戦を続ける事で生きてきた。

他を破壊する事で成長し、他から奪う事で生き延びてきた。おそらくそれは悪ではない。それも人を生か

すとすれば、善ではなくとも悪ではないのかもしれない。しかし私の目指す所とは違う。だからこそ我ら

は繋がらなかった。繋がるべきではなかった。

 ずっとそう思っていました。いや、今でも思っているのかもしれません。だが貴方はまだ不完全だ。欠

けているモノが多い。だからこそ完全なる存在、孫文の前に敗れ去った。しかしそれこそが可能性。不完

全だからこそ、決して一人では完成されないからこそ、大いなる可能性が宿る。貴方はまだ、何者にも成

れる。変わる事が出来る。

 貴方が不完全である限り、貴方の運命は一つに決しない。常に不安定に揺り動き、未来は定まらない。

天は未だ貴方に命を授けていないのです。

 ならば私はそれに賭けてみたい。不完全故の可能性、それが貴方の力であり魅力。

 今思えば、だからこそ貴方は危険だったのだ。漠然とした気持ちでしたが、ようやく確信できた。貴方

は人に夢と理想を託したいと思わせる。貴方といれば未来は変るのではないか、夢や理想も叶うのではな

いか、貴方は人にそう思わせる。そうしたいという気にさせる。それが貴方にある、可能性と云う最も危

険な力。恐るべき夢を見せる力。

 それは他の誰にもなかった。意志という自ら立てる力を持ちながら、尚不完全である。そういう言って

みれば不自然な存在は、この大陸広しといえども、貴方くらいなものです。だから何者かと繋がるしかな

いのなら、どうしてもそれ以外に道が無いのなら、私は貴方しかいないと考えたのです。例え、孫文に滅

ぼされるだろう未来であるとしても、貴方しか考えられなかった。

 貴方と私が交わった時、我らの運命がどう変わるのか、どう変えられるのか、それが見たいという想い

もあったのかもしれない。私も所詮は人間、いくら真似ても、仙人のように解脱する事はできなかったの

でしょう。

 それに貴方は私を必要としている。貴方が私を一番高く買ってくれると思いました」

 雲海は珍しく声を立てて笑った。

「この時代、この時、この場所で、我らが出会い、こういう状況になったのも天命と云うしかない。私の

運命はすでに決していました。我が力と命、貴方に預けさせていただく。王よ、我らも共に」

 それから雲海は深く頭を下げ、片方の拳をもう片方の掌で包み、楓流へ捧げるように頭よりも高く掲げ、

深い礼の姿勢を取った。これはもう友でも協力者でもなく、ただ只管に臣下として働き、楓流のみを王と

して頂くという証である。

 こうして楓流は、二無き存在を得た。そして覇王への道を、再び歩み始める。未だその先は遠けれど、

この二者が交わる事で一つの道が決したのである。 



 忠誠を誓う証として雲海は自らの名を明かした。その名は趙深(チョウシン)、これ以後楓流の片腕と

して、生涯を共にする事になる男の名だ。

 楓流は自らの相談役として顧問(こもん)の役割を与えると共に、最高官である宰相の地位を与え、軍

事内政共に総括させようと考えたようだが。流石にこれは趙深の方で断り、新たに参謀という役職を設け

る事を提案し、その役を貰った。

 参謀とは将に付き、軍の作戦や用兵の一切を計画し、その補佐をする役割なのだが。当時はもっと広く、

内政や人事に渡って、王に許される限り、思うまま発言する事を許されていた。勿論許されるのは発言だ

けであり、その言葉がそのまま採用される訳ではない。

 とはいえ、発言出来るだけでも大きな権限である。役職に捕らわれず自由に意見を述べられるのは、非

常に大きな事だ。しかし新しい役職という事があり、その重さに気付く者は少なかったようである。

 あの凱聯ですら、この事に異論を唱えなかった事を思えば、趙深の目論見は成功したと言えよう。

 彼は新参者であり、彼を欲しているのは今の所楓流のみであると云う事を、誰よりもよく解っていた。

如何に王に認められようと、突然現れた者が最高の地位と栄誉を与えられるなど、内部に不穏をもたらす

原因にしかならない。

 しかし発言できなければ、楓流の片腕となる事は難しい。小さな役職に縛られるようであれば、満足に

働く事が出来ない。そこで位階としては高くなくとも、思うまま発言出来る役を作ったのである。

 こういう点からも解るように、趙深は楓流よりも複雑で神経質な所があり、それだけに人の心の流れに

敏感である。

 心配性とすら言えるが、そうであるからこそ楓流の補佐を務められる。彼は場と楓流の心を敏感に察し、

様々な手を打つ事が出来るのだ。

 楓流も程無くその真意に気が付き、改めて趙深に満足を覚えた。正に欠けた部分を補える存在である。

 趙深の下には、内政の一切を任されていた奉采(ホウサイ)と、今ではその補佐役になっている明慎(ミ

ョウシン)を付けている。この二人ならば、彼の助けになるだろう。

 そして自分は白祥と相談しながら訓練を積み、防備を固め、趙深によって空いた時間を交易の問題など

に当てている。

 交易といえば趙深はその点でも大いに役立った。彼の連れてきた商隊を丸々一つ手に入れた事で、より

多くの取引を行なう事が出来、彼らの知識と人脈を得る事も出来た。

 そして更に、趙深しか知らない諜報手段と最短路の秘密まで明かしてくれたのである。

 それは楓流の、いや大陸人と呼ばれる人間の全てが予想すらしなかった手段であった。

 その全ては、賦族(フゾク)によって得られていたのである。

 賦族、それは大陸人がこの地に踏み入れて以来、奴隷として使っている被差別者達の事だ。その地位は

家畜同然、ともすれば家畜以下であり、その労働力をすり潰すように酷使する事で、大陸人は様々な恩恵

を得ている。

 何しろ賦族の男は屈強で、厳つい顔そのままに、労働力として申し分のない存在であり。賦族の女はと

いえば、男に反して美しい外見をしており、慰みものとしては最上の存在であった。

 賦族達は揃って従順で、己が運命を受け容れているのか、それとも耐えるしかないと考えているのか、

決して逆らう事をしない。昔は徒党を組んで乱を起こしたという話もあるそうだが、今ではその面影も無

く、大人しく大陸人に使役される道を選んでいる。

 その数は少なくなく、大陸人との混血を加えれば、大陸中に十万単位の人数は居たと考えられる。その

ほとんどは酷使に耐え切れず死んでいき、生まれてすぐに捨てられる事も多いが、それ以上に生まれてく

る数の方が多く、今も少しずつ増え続けている。

 大陸人が限り無く安い労働力として、敢えて数を増やさせていたという説もあり、大陸の何処に居ても、

その姿は見受けられる。

 集縁では楓流の思想として奴隷を歓迎していなかったが。ここ窪丸にも多くの賦族がいる。

 その賦族を束ね、協力、或いは利用していたとすれば、確かにどんな情報でも得られ、何処から何処へ

行くにも事前に準備出来た筈である。

 考えれば考える程、その力は大きく、強い。今まで気付かなかったのが、不思議なくらいだ。

 だがそれも、賦族を束ねれば、賦族をその気にさせる事が出来れば、の話である。

 先も述べたように、今の賦族はすっかり骨を抜かれ、大人しい。そしてそうならざるを得なかったよう

に、実に賦族への縛りと差別は厳しく過酷(かこく)だ。

 それに賦族が大陸人を信頼し力を貸すとは思えない。趙深の風貌(ふうぼう)はどう見ても大陸人であ

る。賦族を脅してやらせるにも限度があるだろうし、全土に散らばる程多くを飼えるとも思えない。

 だが現実に趙深の諜報力は賦族の力とでも考えなければ、他に考えようがないものだ。

 趙深は今は他にやる事が多いからと、詳しい事までは教えてくれなかったが、ひょっとすれば彼は賦族

の血を引いているのかもしれない。

 賦族は判別しやすい風貌をしているが、大陸人の血と混じると、その特徴はほとんど消える。稀に賦族

らしい混血が生まれる事もあるが、ほとんどは判別できない。そういう意味で、賦族の特徴は純血でなけ

れば残り難い、特異なものであるとも言える。

 或いは大陸人の方が強過ぎるのかもしれない。

 ともあれ、こういう理由から、生粋の大陸人だと思っていたのが、実は賦族との混血であった、という

事もそう珍しい事ではない。何しろ賦族は多い。しかも大陸に踏み入れた当初から、大陸に居る。血が混

じらない方がおかしい。

 楓流自身もそうである可能性がある。

 彼も生れ落ちてすぐに捨てられた。賦族との子であるから捨てられた、そう考える方がむしろ自然だ。

 だからといってどうこうなる話ではないが、楓流は何となく趙深との、そして賦族との親近感が増すの

を感じていた。

 趙深もまた、自らと同じような存在であるかもしれない。だからこそこれ惹かれ、必要性を感じるのだ

ろうか。

 勿論これは楓流のこの時点での想像であり、実際はどうなのか解らないし。そもそも知る必要も無い事

かもしれない。話としては面白いが、それだけの事である。



 双に預けたままの里人は、少なくとも今の窮地(きゅうち)を脱するまでは、預けたままにしておく事

に決められた。今は何をするにも力が足りない。趙深を得たとはいえ、それだけでは何も変わらないのが

現実の厳しさ。これから何をし、どうするのか、それが問題であった。

 孫文の力は今も増しつつある。




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