7-5.焦燥の悪路


 当面となる問題は、東方から北へ忍び寄る孫軍であろう。

 孫文以外の将が率い、窪丸にも脅威を覚えていない(そう云う意味で油断していると取れなくもない)、

と云う利点があるものの、それを相殺して余りある不利点がある。

 簡単に述べれば、勝ち目は無い。東方から来る一軍でさえ、窪丸一個では対抗出来ないのだ。だからこ

そ今の状況があり、孫文の周到さを裏付けるかのように、鉄壁と言える程、その牙城を崩す事は困難、い

や不可能と思えた。

 窪丸に残る軍勢をかき集めても、他へ侵攻する力は無く。守備を疎かにすれば、孫文が中央から一挙に

侵攻してくるだろうし。守備兵を揃えるだけで手一杯の今、じっと滅びの時を待つ以外に無い。

 趙深も孫文のやり方には舌を巻いている。余りにも現実的で確実で、これでは誰もそれを崩せない。そ

の力は軍神と呼ぶ以上に、絶対的なモノである。力もただ揮うだけでは意味が無い事を、孫文は良く理解

し、誰も文句が付けられないやり方で、完全に支配しようとしている。

 もし出来得るなら、まだ孫文が小さな勢力であった頃に戻り、何としてもその芽を摘んでおきたい所だ。

虚しき願いだが、そういう想いが切々と浮んでくる程に、絶望的な状況である。

 そんな中、苦悩するままに、趙深が独り言でも呟くようにこんな事を言った。

「こうなれば、外に力を求めるしかありません。双家に北方へ覇を称えてもらいましょう」

 その意はこうだ。

 現状で楓が単体でどう動こうと、間違いなく孫に滅ぼされてしまう。無論、じっとしていても同じ事だ。

かといって外へ協力を乞おうにも、孫文という存在を怖れ、受ける国はあるまい。

 孫文とがっぷり組んでいる西方に頼ろうとしても、今の窪丸の力では、取引材料にはならない。交渉し

ても、一笑されて終わりである。

 ならば北方はどうかと云えば、こちらも同じ事。

 地形的に見て、楓が孫との盾となっていると述べてみても、皆孫文がそうしないだけで、やろうと思え

ばいつでも力圧しに滅ぼせる事を知っている。下手に孫と敵対すると、後に手痛いしっぺ返しを喰らうの

は必定。一体誰が楓に協力すると考えるだろうか。

 そんな酔狂者は、双だけである。双のみは楓と共に孫と敵対する姿勢を取っている。無論、同盟を一方

的に破られ、そうする以外に道が無かったと云う事もあったが。

 何にせよ、孫文に他を圧倒する力がある以上、楓は動く事が出来ない。破滅を待つ事しか出来ぬ。

 ならばどうするか。答えは一つ。

 唯一の協力者である双に、孫に対抗できる(勝てぬまでも守りきれる)力を付けてもらうしかない。そ

うして力を付けた双の協力を得れば、窪丸も何とか孫文を食い止める事が出来るかもしれないし、北方の

他勢力の考え方も変わってこよう。

 まったく当てにならない妄想、その上に確実さも無い。どう考えても妄言としか思えぬ考えだが。正直

な所、そうとでもしない限り、孫文の思考の上を行く事は出来ない。強引にでも無理を道理にせねば、孫

に対抗する事は出来ないだろう。

 結局弱い者は、いつも一か八かの賭けをしなければ、生きていけないのだ。

 だからこそ弱者は惨く、惨憺(さんたん)たる状況にあると云える。希望に縋り、死ぬ方が楽だとすら

考えながら、それでも必死に生き抜くしかない。

 だが妄想だけではどうにもならない。無理では事が成らず、必ず失敗する。何としても、無理を理に変

える方法を考えねばならぬ。

 それは趙深も良く理解していよう。ならば何か手を考えている筈だ。趙深が夢のままの方策を、こうし

て述べる筈が無い。

 楓流はそう考え、その意を問うた。

 趙深が答える。

「残念ながら、保証出来るような要素はありません。ですから本来はやりたくは無いのですが、こうとで

もしなければ、とても孫文に対する事は出来ない。難しいですが、可能性を信じてみましょう。

 双と云う国は、本来もっと強大になれる国です。地の利、人の和、そして他との関係、影響力を見ても、

その力は双の当主が思っている以上に強い。しかし現状では、脅威とは思われていないのも事実。双には

国力、財力共にありますが、厳しい言い方をすれば、それだけの勢力でしかありません。何故ならば、か

の国には、他を恐れさせる程の軍事力が無いからです。その権威に頼ったか、それとも権威のみの存在と

する事で、乱世を生き抜いてきた名残なのか。代々の当主はまるで軍事力増大を恐れるように、敢えて最

小に止めて来た節があります。

 そして何よりも、軍を率いる将に恵まれていない。こちらも敢えてそういう将を得ようと考えてなかっ

たからでしょう。双は自らの力が他へ脅威を与える事を、恐れているのです。そしてそれは現当主、双正

殿でさえ、変りません。双家は血の保存のみを考え、自らの力を増す事は二の次としています。

 しかし力はある。その統治を見ても、内情を調べても、それは明らか。ですから、後は足らないモノを

足せば良いのです」

「それは、どう云う意味か」

「この地を白祥殿に任せ。王と私、身を隠し、双へ仕官致しましょう。我らが双の矛となり、盾となるの

です」

 余りと言えば余りの言葉に、暫し呆然と趙深を眺め見る楓流。

 趙深もかしこまったまま微動だにせず、失礼の無い程度に、楓流の目を見ている。その瞳には、確固と

した信念と、不退転の決意が宿っていた。

 信じてみよう、そう思わせる程のモノが。



 趙深は臣下の礼を取って以来、楓流へ分を越えた言動をしなくなった。その姿は実直かつ奉仕的であり、

慎み深く常に楓流を立てている。

 いつの間にか主導権を握っている事もあるが、人にそれを悟らせないよう細心の注意を払っている。必

要以上にでしゃばる事も無かった。そこには明らかな敬意があり、皮肉も侮蔑の意も、そういう一切の悪

感情は排除され、清廉かつ謹直な姿勢を崩す事はなかった。

 凱聯も口を挟めぬ程に、それは完璧に遂行されていた。真意が何処にあれ、本心はどうであろうとも、

何人にも批難される事はなかったのである。

 楓流が恐れに似た気持ちさえ抱いた程に、全く理想の臣であり、それが揺らぐ事は無い。

 しかしそれも今は拭われ、昔通り丁寧だがあくまでも同格としての扱いに変わっている。

 今二人は趙深の最短路を通り、双家へと向っていた。

 双家に行く事、楓流自らがこの窪丸を出る事には、勿論大きな反対があった。当たり前の事だ、常識が

無さ過ぎる。しかし趙深は根気良く説得を繰り返し(楓流は黙っているよう務めた)、反対する側にも他

に希望の無い今、適当な代案を出す事が出来ず。結局はこの無茶な策を受け容れるしかなかったようだ。

 楓流と趙深、二人のみで行く事には凱聯が強行に反対し、胡虎も心配する風であったが。趙深もこの時

ばかりは強硬で、最後には凱聯が根負けし、楓流がはっきりと二人で行く旨を述べ、この論争を終わらせ

ている。

 流石の凱聯も現状に弱っていたし、また自分が行かない方が良いだろう事くらいは、彼も充分に解って

いたのだろう。それでも言わずにいられないのが凱聯なのだが、多少は成長していると言えなくもない。

まあ、状況が変われば、また虫が騒ぎ出すだろうが。

 ともあれ、こうして二人は双家へ仕官する、つまりは双に欠けた軍事力を強化する為、急ぎ向っている

のである。

 時間が多く残されている訳ではない。東方の進軍が窪丸へ辿り着く前に、孫文本人が西方に釘付けられ

ている間に、何としても双の力を増さねばならない。困難でも、やらねば窪丸が滅びる。

「しかし」

 と楓流は思う。

「例え双家に軍事力が備わったとしても、窪丸同様、兵がすぐに増える訳ではない。傭兵を雇うにしても、

おそらく孫相手には役に立つまい。急激に力を増すような事が、本当に出来るのだろうか」

「確かに」

 最もな疑問で、趙深もそれには反論しない。

「確かにそれが問題です。領土を増せば兵も増えますが、そう簡単には行かない。そこで私は、賦族を使

おうと思っています」

「賦族! しかし双家は・・・・」

「ええ、難しいでしょう」

 話を聞くに、趙深は兵力として賦族を使う事を、前々から考えていたそうだ。無論全ての賦族を使う事

は不可能だが。すでにある程度目星を付け、訓練を積ませている者達もいる。それは趙深の私兵とも言え

る者達で、彼の諜報力の肝となる者達である。彼らによって情報を得、最短路の準備を整える。趙深の力

の全てと言っても良い、信頼深き者達だ。

 賦族だけに膂力(りょりょく)が有り、その力を揮えば天下無双の働きが出来る。数を集め軍を組織し、

それを然るべき将が統べれば、確かに大きな力となりそうである。

 なら、何故今まで窪丸で使わなかったのか。それは窪丸が常に孫に監視されており、下手に動けばすぐ

に叩き潰されるという事と、それだけの軍を賄うだけの国力が無いと云う点にある。どのような美辞麗句

を並べようと、結局食わせなければ軍は成り立たない。

 忠誠心、愛国心、義務、希望、そういったものは、余裕があって初めて生まれるモノ。無論全てがそう

であるとは言わないが、明日生きる事を心配しているようでは、何を為す事も出来ないものだ。余力があ

って初めて、人は生活以外の事に力を注げられる。

 その点、双ならば孫と距離があり、今すぐ叩かれる事は無いし。国力だけならば、孫には及ばぬまでも、

北方の勢力の中でも屈指の力を誇っている。まず食べ物や武具の心配をする事はあるまい。

 だが、問題がある。しかもとても大きな問題だ。

 それは賦族が大陸人から蔑(さげす)まれる奴隷でしかなく、そして双こそがその差別意識に最も固執

する存在である事だ。

 双は始祖八家の血脈である事に誇りを持ち、その誇りのみで存続してきたような勢力である。大陸に根

付く血統信仰に基き、それを上手く利用する事で、彼らは代々生き延びてきた。それを現すように、双に

は歴とした階級意識がある。その異常なまでに血と階級に拘る双が、果たして賦族の力を使う、つまり賦

族に頼るような事をするだろうか。

 否、どれだけ力があろうと、実用的だろうと、賦族は下賎も下賎、家畜にも劣る存在だと罵り、決して

受け容れまい。少なくとも建前の上では、そうせざるを得ない。でなければ、絶対であるべき階級制度が、

揺らいでしまいかねないからだ。

 現状でも力のみが正義である意識は、大陸中に広まっている。双国もまた、例外ではない。しかし双家

が必死に否定している為か、双領土の住民が(唯一残った始祖八家に仕えているという)選民意識を失い

たくないからか、未だ双国内への影響力は薄い。

 このように民も血筋と階級に異常なまでに拘っている以上、賦族と大陸人という明らかなる差異を、認

め受け容れさせる事は難しい。そこだけはどうしても許さない筈だ。人と人ならばまだしも、人と家畜を

同格にするなど、貴族と選民には考えられない思考であり、双の誇りを汚す行為である。

 楓流と義兄弟の契りを結ぶだけでも、双正(ソウセイ)以外は難色を隠さなかったし、おそらく今も賛

成していまい。双正の我侭、それだけの認識でしかないだろう。だから楓双同盟は、楓流と双正との個人

的な同盟であるとも云える。

 それでも双正の言葉が絶対であるから、今も同盟が成り立っている訳だが。双正お気に入りの楓流でさ

え、そのような細い糸で繋がるしかないのに、毛嫌いする賦族が認められる訳が無いだろう。臣下も決し

て認めないだろうし、双正自身もどう考えるか解らない。

 そこまで賦族への差別意識は強く、深いのである。

 もし上手く説得できたとしても、ただでは済むまい。双へ入った賦族への扱いは、凄惨(せいさん)極

まりないものになる。それでも、それでも賦族は来てくれるのか。応えてくれると云うのか。

 趙深には信を置いているが、楓流も賦族を良く知っている訳ではない、不安なのだ。

「貴方も、賦族を見くびっている」

 趙深は楓流の視線からそれと察したのだろう。否定するように、或いは自らを鼓舞するように、珍しく

感情を込め、言葉を投げ付ける様に発した。

「賦族への蔑視は今に始まった事ではありません。貴方が、いや、私ですらほとんど理解できない程に、

それは悲しみ、怒りという個人の感情すら通り越し、全てに対する恐怖と絶対的な民族愛へ変わる程強く。

彼らにはどうしようもない事でした。

 しかし賦族はそれを乗り越え、今も力を増しつつあります。賦族は、賦族は、決して折れる事はないの

です。どんな扱いを受けようと、どのような現実が待っていようとも、必要であるならば同族の為に甘ん

じてそれを受け容れる。彼らはそういう者達なのです。

 貴方は、賦族を見くびっている」

「・・・・・」

「貴方も彼らと同じ覚悟をしてもらいたい。そうしてこそ、道は開けるのです。孫文すら触れぬ賦族の力。

孫に対抗するには、それを使うしかありません。その他には、もう何も残されてい

ないのですから」

 楓流は黙って聞き、頷くしかなかった。趙深の目に鬼気迫るモノを感じた彼には、もうそれ以上何も言

わず、ただ受け容れるしかなかったのである。

 趙深と賦族に頼る以外に、方法は残されていそうもない。確かにそれだけが楓が生き延びる道であるだ

ろう。そしておそらく、それが趙深の望みにも適うのだろう。

 であるならば、何があろうと趙深を信じ、その心に沿うようにしてやらねばならない。

 文字通り、楓流は覚悟した。




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