7-6.傀儡


 存在を知られぬ為、楓流は極力表に出ず、兵を率いる事に専念して欲しいと、趙深が言った。

 楓流は常に面を半分覆う深い兜を被り、鎧装束のまま過ごす事になったが、異を唱える事をしていない。

不便でも必要であれば我慢する、彼にもそう云う所がある。

 楓流も双家臣と民から見れば、何処の馬の骨とも解らぬ浮浪人。しかし一度訪れている以上、顔を覚え

ている者がいないとは言えない。

 そして楓流本人がやって来ていると知られれば、困る事がある。

 第一に賦族と関わる事で、今後の楓双同盟に影が差してしまうかもしれない事。

 第二にあまり大事にしたくないと云う事。

 目立つのはなるべく避けたい所である。

 高々双正の気まぐれで結んだ同盟者が、双へ来てでかい顔をして軍を率いるなどと、双家からすれば好

ましい事ではない。ここは誰も知らぬ傭兵扱いとし、単純に協力、又は奉仕させているという形を取る方

が、双家の面目を立てる事になり、波風も立ち難くなる。

 これ以外にも、もし窪丸に楓流不在と知られれば、孫文が予定を変更し、早速行動に移りかねない、と

いう危険性もあった。いくら窪丸に力無しといえど、無用な動きをすれば、孫文は見逃してくれまい。面

倒になる前に叩く、それが孫のやり方でもある。

 他国の思惑だけでなく、趙深自身の理由もある。

 表向きは、双を使ってより直接的な代理戦争をしようとしている、という事になるのだが。趙深の本心

は別の所にあった。

 彼は楓流に賦族という者を知ってもらいたい。そして賦族の力を知ってもらいたいのである。今更賦族

を蔑視する必要は無く、血統などほとんど意味を為さない今、むしろ使う方が有用であるのだと。

 無論、その考えはこれだけではない。しかし現状では賦族が大陸人と変わらぬ人間であり、実際に使え

る人材だと云う事だけ、解ってもらえればいいと考えていた。

 物事は順を追い、段階を得て完成すべきものだと、趙深は考えている。

 楓流も今はまだ趙深の真意を理解してはいない。何か別の目的がある事は知っており、知っていて臣下

に引き入れたのだが、未だそれが何かまでは理解していなかった。彼がそれを理解するのは、この難局を

越えてからの話になる。

 だから今はそれは置いておく。

 ともかく双家との交渉一切を趙深が担い、楓流は兵営に籠って軍事のみに関わる。という決め事がされ

ていたのだと、それだけを理解してもらえればいい。



 趙深は楓流の好意として双に出向いた事になっているのだが、表向きは同盟者の臣として遇されている

ものの、まったく歓迎されていない事は明白であった。無論、その程度は予期していたので、気にしてい

ない。

 ただその中で、双正のみが嬉しそうな目をし、趙深を見ていた。楓流の予想通り、趙深もまた双正のお

気に入りとなっているようだ。

 里の者も元気にやっているようで、それなりの技術は完成し、双家に伝授されてもいる。双家も流石に

技術への感心は持っているらしく、多くの労力を割いているらしい。

 もしかすれば、そのように趙深が双正に進言したのかもしれない。

 何とか一軍を指揮する事は許されているが、正規兵を使う事までは許されなかった。自ら調達した兵力

ならば、という前提で自由に使う事を許され、それにかかる褒賞と食料だけは豊富に与えられる。言って

みれば、傭兵と同じ扱いである。

 それでも趙深は満足している。

 双家は軍事力に恐れを抱いているが、この乱世の中、ある程度の力は求めている。話に寄れば、徐々に

ではあるが、軍事拡張もされているらしい。

 最も、他国に比べれば甚だ低い拡張率であり、必要だとは思いつつも明らかに余り乗り気ではない。来

る者はありがたく受け容れるが、さりとて自分から動く事まではしない。そういう気分が双にはあるようだ。

 これも貴族らしい考え方といえば、そうかもしれない。貴族は常に誰かを待ち、何者かが常に助力して

くれて当然だと思っている部分が、多かれ少なかれあるように思う。だからこそ貴なのかもしれず、双も

鈍重な面を多く持っている。

 その辺の事情を趙深は察していたのだろう。だからこそわざわざ賦族兵を準備していたに違いない。

 そういう気配は何となく楓流も解る。

 ただ解らないのが、何故虎の子の賦族を使ってまで、今これをするかと云う事。実はこの根源ともなる

理由が、楓流には良く解らない。確かにそれくらいしか手が無く。今の楓には他勢力に頼る以外に方法が

無いとしても、何とも荒っぽい策であるように感じる。

 趙深はもっと周到にやる型の男ではなかったのか。それともそれは錯覚で、本来こういった大胆かつ強

引な心のある男だったのだろうか。

 だがよくよく考えてみると、荒っぽいからこそ、逆に孫文へ真意を捉えられ難いと云う事があるのかも

しれない。

 それに双にも孫に対抗したい理由がある。三国同盟を無視し、楓に侵攻した孫には明らかな非があるの

だ。名を重んじる双が躍起(やっき)になったとしても、不思議は無い。孫が強大になりつつある今だか

らこそ、その心を利用して、策に乗らせようと云う思惑ならば、確かに今しかない。

 だが急激な変化には理由がある。その理由が楓ではないかと、孫文が考えはしないだろうか。強引にや

れば、どうしても尻尾が見えてしまうものだ。

 そうして孫文が楓に疑問を持てば、早急に楓を攻め落そうと考えるのではないか。だとすれば、逆効果

であろう。

 いや、それも孫のやり方を考えれば、言い訳付ける事は出来る。楓が双と何かを企むなら、最早力無き

楓ではなく、むしろ要であろう双と正面決戦をし、誰も文句の言えない明らかな勝ち方で鮮やかに勝利す

る。そうする事で、見せしめと楓封じ、双滅亡を一挙に行なう。その方が孫らしいと言えば、そうかもし

れない。

 西方と北方、両方を本腰入れて相手しなければならないとしても、孫文は怯むまい。敢えて自らそうす

る事は無く、より確実な道を進むのだが。敵が望むとなれば、堂々と応じる。孫にはそれだけの力もある。

 ならば、北方、双家に孫文の目を引き付ける事が出来る、良い手と言えるかもしれない。孫の敵を増や

せば、楓が生き延びる可能性も広がる。悪くない考えかもしれぬ。。

 だがどちらにせよ、賭けである。楓流としては、心配が募るのを止められない。

 それに賦族を率いるのは初めての事。楓流は賦族と大きく関わった事も無い。見た事はあり、話した事

もあるが、かといって深い仲になる事はなかった。別に蔑視していたのではなく、楓流も大陸人として生

きて来た以上、接点が希薄であったのだろう。

 大体が賦族を軍に仕立てるなどと、誰が考えるだろうか。そんな事を考えるのは、趙深くらいのもので

あった。

 楓流が知る賦族は、確かに強靭な体躯をしていたが、目に全く光を感じない者達である。奴隷に慣れ、

ある意味率先して奴隷と化す事で、初めて生きていられるような、そのような印象がある。

 差別意識が生来薄かった為か、今まで余り深く考えてこなかったが。その所為で他の大陸人とは別の意

味で、無関心になっていたのかもしれない。そういう者達なのだと、それだけを思っていたのだろう。

 騎馬民族としての賦族に想いを馳せた事もあったが、それはあくまでも強かりし頃の賦族の話。今の賦

族には違う印象がある。それに賦族が例え趙深の命とはいえ、果たして大陸人である楓流に従うのか。不

安は次々に浮ぶ。

 他にする事がある訳でもなく。顔を知られてはいけない以上、出歩く訳にもいかない。楓流は手持ち無

沙汰のまま、取り留めない思考へと沈むしかなかった。



 楓流は名を趙起(チョウキ)と変え、趙深の従兄と云う事にしている。趙深の親類と云う事であれば、

それなりに丁重な扱いになり、信用もされるだろうと思ったからだ。

 血を尊重する双国において、親類縁者と云うモノは、何よりの身分証明になる。最も、趙深自身にさほ

ど重きを置かれていない為、その効果も知れていたが。

 趙起は不安を置き、双の都である至峯(シホウ)の郊外に造られていた兵営に住まい、食料と宿舎の確

認、地理の把握に努めている。趙深の方は半分を双家で過ごし、半分を兵営で過ごす形となるようだ。多

少不便ではあるが、双家との連携が欠かせない以上、これは仕方の無い事だろう。

 しかし先を思えば多少辛くなってくる。

 今は良いが、人数が増えてくるとその管理一切を楓流がせねばならなくなる。奉采(ホウサイ)や明慎

(ミョウシン)が居ればと思うが、奉采は内政の要、窪丸を離れる訳にはいかない。明慎も双から追放さ

れたような形となっている以上、連れてくる訳にいかない。

 それに趙深が二人だけでここに来たのには、必ずや理由がある筈だ。余計な事を考えず、励みに励んで

励み抜くしかない。

 趙起が率いるべき軍勢は、考えていたのと別の形を取って現れた。

 彼らは十人、二十人単位で、まず軍備増強の噂を聞いた傭兵と云う形で現れたのである。実際至峯周辺

に居たらしく、瞬く間に三百程の軍勢が集まった。

 彼らも趙起同様顔を隠し、兵営から離れる事は無い。朝晩訓練に明け暮れ、知る人が見れば、傭兵とい

う化けの皮は一目で剥がされた事だろう。このように真面目に訓練する傭兵など、何処にも居ない。

 皆体格が良い事も相まって、人間ではない別の生き物、鬼の軍隊であるかのようにも見える。

 兵営などに来る者はほとんどいないから良かったが、これでは遅かれ早かれ解ってしまうだろう。体の

大きさだけは、隠し様がないのだから。

 ただ傭兵という形を取った事で、いくらかは当りが和らぐかもしれない。双にとっては、傭兵も山賊強

盗と大して変らない。それが賦族であったとて、さほど不思議に思わない可能性はある。

 傭兵である以上、趙深や趙起との関係もある程度は薄く思われるし、何もしないよりはまだましかもし

れない。

 だがその数が倍になれば、流石にこれはと思える。意図的に賦族を集められたとしか思えない。体格の

良い者を選んだので、自然にこうなった、では済まないだろう。数が増えれば人の噂に上がる事も増え、

それだけ注目されるようになる。

 趙起は、趙深が用意すると双家に約束している軍勢が届けば、もう言い逃れは出来まいと思っていた。

賦族を意図的に集めたのは明らかであり、どう言い繕っても、彼らが双家に好意的に迎えられる事はない

だろうと。

 しかしその予想は別の意味で裏切られる。

 趙深により用意された軍勢、その数四百。その体躯は大柄の者が多く、中には明らかに賦族と思える者

も居たが。不思議な事に、ほとんどの者は大陸人と見分けが付かない背格好だったのである。

 趙深から聞くと、この者達は賦族とはまた別の、大陸人と賦族との混血であるらしい。混血は密かにど

ちらかの中に潜りひっそり暮すか、或いは迫害されるか、いずれかの道しかないが。この者達はどうやら

迫害される道を選ばされ、運良く生き延びる事が出来た者達であるようだ。

 大陸人からも賦族からも受け容れ難い彼らは、大陸中に多くはないが存在する。混血のほとんどは赤子

の時に捨てられ、そのまま死んでしまうのだが。楓流が拾われたように、命を救われる例もあるのだ。

 無論、命は拾ったものの、その後の生活は大抵凄惨で、救いようの無い扱いを受ける事も多かったが。

それでも生き延びられる者も居る。

 彼らは十数歳まで運良く生き延びれると、申し合わせているかのように山野へ逃亡し、山賊強盗に紛れ

込むらしいのだが。どうやら趙深はそういった者達とも繋がりがあるようだ。

 彼らが何故趙深に力を貸すのかは解らないが、趙深は賦族だけでなく、この大陸に行き場の無い者達を

も、まとめて力としようと考えているのかもしれない。

 今はまだ解らないが、賦族、混血に共通しているのは、被差別者だと云う事。ならばそこにこそ、趙深

の真の目的があるのではないか。

 趙起は少しだけ趙深の心に近付けた気がしていた。

 ただこのようなあざとい真似をしたとて、誤魔化せるのにも限度がある。それに誤魔化す手ならば、も

っと上手く賦族と混血を配分すれば良かった。これでは解り易過ぎ、かえって不審を抱かせる結果になり

はしないのか。

 趙深ならば、考えていそうなものだ。とすれば、趙深は解ってて、このような真似をしたのか。隠しな

がらも、誰にでも悟らせるような形を、わざと取ったというのか。

 よく解らない。しかしそれでも解らないままに趙深を信じ、自らの職務を全うするしかない。

 今は一介の軍指揮官として、趙起は余計な心配を抱える事を止めた。それは言葉で言う程簡単ではなか

ったが、軍の管理と訓練に望んで忙殺される事で、何とかそういう状態に持ってくる事が出来ている。

 もしかすれば、そういう事も考えて、趙深は趙起一人にやらせたのかもしれない。

 楓流は物事を考えすぎる嫌いがある。しかしそれに溺れる事は多くない。それが真であれ偽であれ、彼

は自ら答えを見付け、一人で立つ事が出来る。

 それに賦族と混血を知るという点では、確かにこれ以上にない効果があった。

 趙起の、楓流の心の中に、彼らと云う存在が、こうして強く刻み付けられたのである。




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