7-7.遠波


 楓流が趙起として過ごすようになって、半月が経った。指揮下には総勢千にも膨らんだ兵士達。訓練に

訓練を重ね、全体として動く事にも慣れてきている。

 趙深は軍としての全体的な動き、つまり個々の武勇ではなく、統率された組織としての強さを重視した。

それは趙起が以前から行なっていた集中の理にも適い、戸惑う事無く訓練を行なう事が出来ている。

 力の集中、兵ではなく軍として見る事。これが両者共に望む理想の形である。

 この考えは大陸中にある程度広まっている。個々の強さよりも統率力が重視され、古来のような個人的

な一兵士としての強さよりも、孫文のように将としての強さを称えるようになっている事も、それを証明

していると云えるのかもしれない。

 或いは、上手く孫文という存在が出た事で、その勢いに拍車がかかった、という言い方も出来る。

 どちらにせよ。上手いやり方、使える方法ならば、皆遠慮なく取り込む。当時の王達は、旧来の方法に

拘る余り結局弱体化してしまった前政権と同じ鉄は踏まない。そもそも王の前身である豪族が、前政権の

弱体から生まれたのだから、彼らがその悪癖を嫌悪したのは当然と云える。

 しかし不思議な事に、嫌悪しつつもそれを死守しようという豪族達も居た。いつの時代も変えようとい

う者が居れば、変えまいとする者が居る。

 だが今回の場合、変えまいとする方が呆気なく滅びた。乱世という時代がそうさせたのだろう。まるで

歴史に嫌われたかのように、前政権のやり方は消されてしまった。無論、良い部分、使える部分はそのま

ま受け継がれているが。

 故に、今残るしたたかな王達は、すでに旧来のやり方に拘りは無いと見て良い。双のような特殊な例も

あるが、その双とても、変化する事を否定できなくなっている。

 唯一の貴種である双ですら、変わるしかない。変わらなければ滅ぶ。

 趙起達は云わばその変化の隙を突き、双の力を利用しようとしている。良くも悪くも変化すれば、必ず

その中から出、それを利用しようとする者達が現れる。人の世は古き世も遥かな未来も、同じようにして

流れていくのだろう。

 飽きもせず、延々と。



 趙軍(敢えてそう呼ぶ)の訓練は前記したように順調だ。賦族達(混血も含む)の力は趙起の想像して

いた以上で、屈強な上に命令には従順、趙深の躾(しつけ)が良いのか、それともそういう者達を集めた

のか、不平を云う事無く、黙々と鍛練に励み、恐ろしいほどの早さで力を付けた。

 外出もせず静かに暮らし、私事の面でも申し分ない。まるで戦闘機械のようで、おかしくもあり不思議

でもあり、多少不気味でもあるが、兵としては文句の付けようがない。

 趙起をただの将ではなく主として敬っている風でもあり、彼らの心には趙深と同じ想いが宿っている事

が解る。単純に仕事や運命だと受け容れているだけでは、こうはいくまい。自らそれを為そう、そしてや

り遂げるのだという熱き魂が無ければ、とてもこうはいかない。

 自分を律するには、それなりのモノが必要になるものだ。

 このように彼らは静かに準備を整えていたのだが、やはり隠してはおけないもので、どこからどう知ら

れたのか、賦族が居るらしい事が、噂として至峯(シホウ)の街に広がり始めてしまった。未だ半信半疑

ではあるようだが、その内確かめに来る者が出、そういう者達が来ればはっきりと悟られてしまう。

 双王家に知られるのも時間の問題である。いや、すでに知られてしまっているのだろうか。元々趙深の

集める兵など胡散臭いと思っていたろうから、ほれ見た事かと騒ぎ出しているかもしれない。

 そうなれば双正がどう思うか。家畜以下の存在の力を借りる事を受け容れられるのか。如何に変化が必

要とはいえ、一息に変われるものではあるまい。

 貴賎云々以前に、大陸人にとって賦族とは別の生命なのである。好き嫌いや憎しみだけではなく、異種

であり。もっと言えば、在ってはならない、その存在を許されない者達なのである。

 敵とまで言ってしまっても、過言とは思えない。

 では何故その存在を奴隷として生かし、血を絶やそうとしないのか。

 それは単純に便利だからだ。労働力として賦族は欠かせない。

 確かに、そんな事で信念が揺らぐのか、そんな事でこの矛盾の理由になるのか、という疑問は残る。し

かし、なるのである。

 そうする為に人は古来からあらゆる努力を惜しまなかった。悲しいほどに、惜しまなかった。矛盾を成

り立たせる為に人は生きて来たのではないか、とまで思えるくらいに。

 賦族は思想的には滅ぼすべきである。しかしその力を利用せねば大陸人達が困る。賦族には手放すには

惜しい魅力があった。だから嫌悪しつつも憐れみや道徳という仮面を被り、或いは創る事で、無理矢理で

も賦族を生かしてきたのである。人のやる事はいつも惨(むご)い。

 真の理由は善意の仮面で隠され、いつの間にか理由を求める事すら忘れられていく。理由は時間を経る

事で要らなくなり、矛盾も矛盾でなくなってしまうのである。

 何々だから賦族は悪だ、だったのが。知らぬ間に、賦族だから悪、となっていく。

 誰もがそれを知っているが、異を挟む者はいない。賦族自身ですら、諦めてしまう。だから賦族はいつ

までも生かされながら、その不遇な役目から降りる事も許されない。生きる事が罪と言われつつ、死ぬ事

を許されない。生かさず殺さず、彼らは大陸人達に奉仕する事を強いられてきた。

 だから血統信仰の強い双国内でも、賦族の姿は見受けられる。勿論人の目に付く場所には居ないが、組

織の末端、辺境とすら言える部分、に彼らは生きている。いや生かされている。

 しかし建前として、賦族はあくまでも存在を許されない。例え正規の兵士ではないとしても、双に仕え

る軍に編入する事を、果たして許す、黙認出来るのだろうか。

 それは在ってはならない者達を、双自らが認める事になりはしまいか。

 今までは視界の外として無視する事で済んでいた。勝手に迷い込んだ畜生など、油虫同様、ただ鬱陶し

いだけの、人間とは関わり無い存在。だからこそ居る事を許される。

 しかし例え半官のような軍であろうと、国が認めた軍に入れるとなれば、どうか。

 趙起は不安に想い。趙深の身を案じた。

 如何に双正お気に入りだとしても、いやだからこそ、その非礼は万死に値するのではないかと。



 だが趙起の不安はすぐに消える事となる。

「賦族などはありえぬ存在。であればこそ自分が集めた者達には、賦族のような者はおりません。それは

民も知っておりましょう。確かに傭兵の中には大柄な者もおりましょうが、傭兵なども元より貴賎関係無

い者達。ただの流れ者。一時ここに身を寄せたに過ぎず、そのような者達がどうであろうと同じ事。野良

犬に情けをかけ、一夜の宿を許したとて、何故双の高貴さが問われる事がありましょう。用が済めば叩き

出せば良い事。塵と同じ、掃えば済む事でございます。むしろそのような者を気にかける事こそ大事。下

賎の者の事など、私共にお任せあれ。皆様の手を煩わせるような事は決して致しませぬ」

 などと趙深が双国に都合よく言い訳を述べてやり、貴族らしく曖昧な場所へ押し込む事で、この件も有

耶無耶にしてしまったようだ。

 おそらく重臣達にも前々から手を回していたのだと思われる。親趙深派とでも呼ぶべき者達を、時間を

かけて作っていたのだろう。趙深はそういう部分にも長けていた。

 そして重要な事は、双もまた拘れぬようになっていると云う事である。知りつつも受け容れねばならぬ

程、彼らも孫文、そして西方の大同盟を怖れているのだろう。でなければ、こうも上手く運ぶ筈がない。

その恐怖があったからこそ、本来在ってはならぬ軍隊を創る事が出来たのだ。

 これも上手く弱点を突いたというべきか、そうであったからこそ実行したというべきか。趙深は全てを

計算して行なったと思える。もしかすれば、事前に双正にも打ち明けていたかもしれない。

 全ては虚構の中で行なわれる事。であるが故に入り込む余地がある。まるで魔術染みているが、そのよ

うな事も趙深は行なえる。彼の能力もまた、万能と云える程に幅広い。

 賦族の事もそうだが、その思考は異常と思える。他の人間とはまったく別種の思考で、本当は彼こそが

異種なのではないかと、趙起はそんな事を思った。

 ともあれ、双家のお墨付きを得た事で、不要な噂はいずれ消えるだろう。双を刺激するような事をしな

ければ、双家にとって都合の良い存在であり続ければ、趙軍はその存在を許される。

 ならば、それで良い。考えた末、彼はそう思う事にした。



 この半月の間、大陸の情勢も変化している。

 西方と孫文、二勢力の対立が強まり、双方からの隻(セキ)への圧力も増している。最早隻は第三勢力

ではいられない。どちらに付くにせよ、早く決めなければ一息に揉み潰されてしまうだろう。

 西方、孫共に、隻へ憎しみにも似た想いがある。

 西方はよくも裏切ってくれた、という想い。孫は何故早く動かぬのか、今すぐでも態度を明らかにし、

尖兵として西方へ斬り込むべきではないのか、という想い。二つの想いは憎悪に膨らみこそすれ、穏やか

に浄化される事はないだろう。

 隻は窮地に陥っている。双方の力をしっかりと計り、それから態度を決めたい所だが、今までのような

第三者的な立場を取り難くなっている。何故なら、西方、孫共に隻領を通過せねば、お互いの領土へ侵攻

する事が出来ないからだ。

 ようするに隻が邪魔なのである。

 力関係をはっきりさせる為には、直接ぶつけ合わせるしかない。だが今までとは違い、隻こそが戦争の

舞台の中心に在る。それが国土であるからには動かす事も出来ず、西方と孫、どちらが上なのか、それを

知る術が無い。

 窪丸が落ちていれば、まだ孫文に北方侵攻をさせるという手もあるが(おそらく不可能だろうが)、孫

の出る道が西方に限られた今となっては、隻に猶予は与えられない。

 気転をきかせ、西方でも孫でも、領土を交換するなり割譲するなりして、事前に道を開けておけば良か

ったものを。西方と孫へ存在価値を見せる為、その地を譲らなかった酬いが、今現れている。

 隻を得れば、その領土分だけ丸々敵側へ侵攻する事が出来る。

 隻を許せば、領内を通行するにも隻にいつも気を配り、良い条件を言わねばならない。その上裏切り

をいつも心配せねばならない。

 ならば孫と西方がどちらを選ぶか、わざわざ語るまでもない事だ。

 隻は自らにとっての利点だけを見ていたのだろう。或いは敢えて他を見ようとしなかったのか。

 弱者が欲をかいて、夢のような利を得ようとした為に、今困窮している。

 憐れであった。

 しかし趙起には隻に対する同情の意は無い。興味も無い。

 隻如きに振り回される状況に対し、まず痺れを切らしたのは孫文の方であった。西方は内情がごたごた

しているから、まだ付け込む隙があるが。一枚岩の孫にはそれが無い。

 怒った孫文が軍を動かすまでにさほど時間は要らず。それで三国の関係が決まった。

 隻は孫に付いた。最後に選んだのは隻自身であるが、強制に等しい。

 考えてみれば、始めから選択肢はなかったのだ。それを隻が無理に足掻き、足掻く真似をして、益々自

身を泥沼に埋めていたのである。

 孫が動いてから決めたのでは遅い。孫文は苛立っている。懐柔ではなく壊滅、方針を変えた矢先に震え

上がって身を差し出したとしても、効果は薄い。すでに隻の未来は決まっている。いや、ずっと前に決

まってしまっていたのかもしれない。

 隻は自分の力量と孫文の力を見誤っていた。窪丸と同じく、楓に付くか孫に付くか、それを選んだ時に

道は決していたのである。一時的と考えたにしても、あの時に楓だけでなく西方にも牙を剥いた事に変わ

りない。

 孫の方も始めから隻の存続を望んでいなかった。利用価値が無くなれば、或いは邪魔になれば潰す。そ

れだけの存在である。

 惨いといえばそうだが、隻も似たようなもの、情けを寄せてやる義理はないだろう。好んで滅びの道を

選んだのだから、思う存分滅ぼされれば良い。

 孫は隻降伏(敢えてそう記す)後も強硬な姿勢を崩さず、隻へ常に全兵力を無条件で用い、誰よりも先

陣に立って西方と刃を交える事を命じた。それに反すれば西方に寝返ったと考え、そのまま攻撃する。

 許しも情も無く、ただ主として隻へ命じた。隻も最早逆らえぬ事を悟り、運命を受け容れたらしい。無

論、運命という名の、自ら選択した道なのであるが。

 孫は何をするも速い。すぐに軍を隻領に駐屯させ、軍事力を糧に隻軍の指揮権を奪い。隻王も実質監禁

されている。民も当たり前のように孫軍に靡(なび)き、不平を洩らす者は居ないそうだ。兵達も喜んで従

う風であるらしい。

 彼らは隻を見限ったのだろう。今まで隻が他者にやってきたと同じ、隻王も力を失えばそれまでである。

それが隻の風であれば、誰が隻王などに忠義立てしようか。

 孫文は民や兵にも寛容、公平である。むしろ望む所。彼らは真なる英雄の到来に歓喜すらしていたかも

しれない。

 隻、一体何がそれだったのか、今では誰も思い出せぬ。

 趙起はこの変化から何が導き出されるのかを考えている。

 方針、つまり戦略は趙深が定めるとしても、それに従うだけでは趙起の居る意味が無い。戦術を主に任

されるとしても、戦略という全体像を掴めていなければ、柔軟に動く事は出来ない。趙起は兵ではなく、

将である。将は常に全体を掴んでいなければならない。

 大陸中の目が西方と中央の境界に向くとすれば、それ以外は注意が散ずるだろう。北へ進軍中の孫の東

方軍がその隙を射るとすれば、いよいよ時間が無くなる。孫文が東方の軍を削減し、中央へ移動させてく

れれば良いが、そう上手く運ぶとは思えない。

 北方の勢力はどう考えるか。孫という強大な敵に対抗する為、西方に倣(なら)おうという向きも出て

くるかもしれない。

 隻がああなった事で、孫と組めば自勢力の存続は無いと考え、孫に靡く者が減る可能性もある。すでに

降っている勢力の中にも、何か動きが生まれるかもしれない。

 勿論、孫が磐石である限り、そんな些細な振動にはびくともしないだろうが。今後何かあれば、どうな

るかは解らない。

 西方が上手くやってくれれば、それだけ色々な場所に罅(ひび)が生まれる。

 本格的に戦が始まれば、その振動は大きな波となって大陸全土へ広がるだろう。どの道を進むにしても、

その時が狙い目である。

 趙起は訓練一辺倒だった方針を変え、いつでも動かせるよう、軍を再編し始めた。部隊長の人選にも目

星は付いている。後は慣らせば、上手く力を発揮できるようになるだろう。




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