7-9.馬耳東風


 西方で戦が始まった事による余波が北方に達するまでには、さして時間がかからなかった。

 まず孫の北方侵攻軍の侵攻速度が目に見えて落ち、一時休息を取るように防衛を堅めながら兵を休めて

いる。しかしこれはその矛先が鈍ったというのではなく、孫文が西方に専念する為、北方侵攻軍からの負

担を減らした結果だろう。

 西方の状況と共に侵攻速度が増減するだろうから、常に目を配っていなければならない。単に侵攻にか

ける年月を延ばしただけなのだ。

 西方が予想以上の抵抗力と見たのか、それとも予定通りなのかは解らないが、ともかく侵攻速度が落ち、

その分窪丸の寿命が伸びた事になる。

 ただし喉元に刃を突き付けられている状況には変わりない。窪丸へは中央からも侵攻出来るし、いつで

も滅ぼせるという危機感は変わらず保たれている。

 逆に間を置かれた事で、精神的疲労が増した。窪丸の者達の心は、休む暇無く、延びれば延びる程精神

が削られてしまう。そういう意味では一時侵攻速度を落す事も、効果がある。ようするに窮地に陥ってし

まうと、何をされてもしんどい。

 孫軍の侵攻が緩んだ事の影響は他にも出ている。

 北方勢力の中に北方統一の思想が高まり始め、鬼の来ぬ間にと、各勢力が活発に行動し始めたのである。

孫軍と接する勢力は同盟を組むなり併合するなりして力を強め。その他の勢力も戦争の為、西方との交易

の頻度と重要性が増し、西方との繋がりを強める結果になっている。

 逆に孫と手を組んで・・・、と考える者は少ないようだ。独り立ち出来ない程弱体化した勢力なら話は

別だが、ほとんどの勢力は北方だけで固まろうと考えている。

 これも隻の権利があっさり無視された事の影響なのだろう。両雄並び立たず、という言葉もあるが。孫

は誰にも同等の存在を求めてはいない。まず孫ありきで、後は無用の者だとすら考えている節がある。

 例え孫とは大きく力の差があるといえども、どの勢力もほとんどが(例え時代の波に乗ったとしても)

一代で大きく成長させている。当然、誇りがあり、思想というものがある。孫とは手を結べぬと考えるの

は自然の流れである。

 孫文の力が大き過ぎる今。逆にその事が怖れを越えた拒絶意識へと変わり、反孫同盟とでもいうような

気分が、各勢力の間で持ち上がってきているらしい。

 北方北西部に位置する双国近辺でもその傾向は変わらない。

 双は担ぎ揚げるにはこの上ない存在である。現存する唯一の始祖八家の正統なる後継。その血は一勢力

へと権威が失墜している今も、決して錆びる事無く人の意識の何処かに残されている。

 その唯一の正統な血統は、旗と掲げるには申し分ない。双ならば仕方ない、双ならば上に立たせても恥

じにはならない、そう人に思わせる力があるのだ。

 しかしそれは双に服従する事と同義ではない。上に仰ぐに足る、だから他よりはましと従属同盟を申し

込んでくる勢力も確かに居た。だが他の多くは双に実権を持たせず、古来より力ある者達がそうしてきた

ように、名ばかりの人形、傀儡(かいらい)にしようと考えている。

 独立の難しい衰えた勢力ならば従属も考えようが。同等の力関係にある者が、わざわざ膝を屈して臣下

に入るとは思えない。もしそうするしかないとしたら、より力のある西方同盟に付こうとするだろう。膝

を屈した上に滅ぼされてはかなわない。西方も今はどんな小さな力でも欲しい筈。高く買わせる事も可能

だろう。

 従属した勢力も忠義面して付いてきているが、状況が変わればどうなるかは解らない。結局双も自らの

力を示さなければならぬのだ。

 双に付けば生き延びられるのだと。



 双の当面の敵と思えるのは、以前より小競り合いを繰り返し、虎視眈々と双の血を狙っていた北方最北

に位置する紀(キ)家であろう。その領地は双と同程度に広く、接している。

 戦だけでなく幾度も婚姻同盟を申し込んできたりと、考える限りの手段を使い、双家を取り込もうと必

死だ。しかしそんな事を双高官が許す筈も無く、当然のように全て断り、その都度仲も益々拗(こじ)れ

ている。

 単純に力で見れば、両者五分五分と言った所か。

 ただ双家の軍事力が心許無いのは昔からの事で、五分五分に渡り合えているのも、紀家が手心を加えて

いるからだと考えられる。本気でかかれば勝つには勝つが、双家を圧倒する程の力は無い。だから下手に

刺激して他へ逃れでもされては面倒と、ある程度の所で譲ってきたのだろう。

 双家の血を狙っているのは紀だけではない。誰かにその血をくれてやるくらいならば、紀も自重しよう

というもの。だからこそ双家は生き延びていられる。北方に突出した勢力が無いおかげで、双は双として

居られる、とも言えるのかもしれない。それに最後の始祖八家の血を絶やした、という汚名は誰も着たく

ない、と云う理由もあるのだろう。

 双家の方も軍事力で劣っている事は、薄々感付いている。しかし今日明日どうこうなる問題ではないの

で、よくあるように、先延ばし先延ばしにされてきた。何も無ければずっと放って置かれただろう。

 紀家は目下の所一番目障りで不快な存在であるが、そう云う訳で双家の力だけでは圧倒出来ず。かとい

って他の力を借りようものなら、大きな代償を支払わされる。よって双も嫌悪しながら見ない振りを続け

るしかなかった。

 それを今、趙深が申し出、不逞の輩であると討伐の許しを双正に請うたのである。

 西方と孫が交戦している今、北方にも大きなうねりが生まれつつある今、双もじっとしているだけでは

どうなるか解らない。何かが起こる前に、双家の力を示しておく必要がある。

 高官の恐怖心を煽り、事前に根回しもし、双正に話を通しておいたおかげで、双家としてはあまり武力

で圧する事に乗り気ではなかったが、紀家に対し腹に据えかねている事もあり、趙軍のみであれば、とい

う条件付きで許しが出た。

 趙のみであれば、例え負けてしまっても言い訳が立つと考えたのだろう。双高官達は絶対に自ら立とう

とはしない。常に言い訳と責任逃れを考え、有用さよりも、むしろそれが立つかどうかが問題なのである。

 その薄汚い腹などどこまでも透けて見えたが、趙深は初めからそれも計算していたのだろう、何も言わ

なかった。

 趙としても趙軍のみの方が都合が良い。全ては楓を再起させる為の方策。双家の為にやるのではないの

だから、なるべく双の手を借りぬ事が重要だった。双に余計な借りを作れば、後々面倒になる。それに気

位だけが高い双兵などを連れて行けば、かえって邪魔になる。

 進軍許可が出ると、趙深を大将とした一千の軍勢が、すぐさま双都至峯(シホウ)を発った。無論、実

際に軍を率いるのは趙起こと楓流その人である。



 大陸北方には豊かな穀倉地帯が広がっているように、起伏の少ない平野の多い地形で、全土を覆うよう

に流れる悠江(ユウコウ)という大河のおかげで水に困る事も無い。大地を潤す偉大なる流れは、一度と

して干上がった事が無いという伝説と多くの逸話がある。

 北方の穀倉地帯が大陸の生命線と言えるのだが、つまりはこの悠江が太古から大陸に住まう人々を食わ

せてきたのである。

 ただこの大河のおかげで渡河する回数が多くなってしまう。北方の行軍速度は西方の草原を行く程には

速くない。川舟が使えれば速いのだが、大軍を運ぶような大きな船を作る技術は無いし、大軍を運べる程

舟の数も多くない。

 行軍速度を遅くする為、わざと橋をかけない川の方が多く。中には以前かかっていた橋をわざわざ取り

壊した所も少なくないという。これも乱世の弊害(へいがい)と言えようか。最も、川舟を生活の糧とし

ている者にとっては、ありがたい話かもしれないが。

 紀領へ侵攻するにも、当然幾度か川を渡らねばならない。距離としては近いながら、その間には悠江の

本流が流れている。紀が侵攻に踏み切れないのには、そういう地形的な理由もあった。

 渡河する間は兵を隠す事が出来ず、その数も相手側にすぐ悟られてしまうし、渡河中程不利な状況は少

ない。双家から得体の知れぬ軍勢が侵攻してきた事も、すでに紀側に知られている事だろう。

 ちなみに紀側はこの川を国境と言い張り、双側はこれを越えて数km先までを自らの領土と言っている。

現在は紀に圧される形でこの川が実質の境界となっているが、実際の影響力はそれほど強くない。境界に

住む者達からすれば、どっちがどちらやらもう気にするのも馬鹿らしくなっているのだろう。

 それでも敵領土であるに違いなく、趙起は不安を感じていたが、趙深は平然としていた。彼はここで交

戦する事は無いと見ていたし、敵に兵数を知られる事も、ここに来る前から勘定に入れている。むしろ兵

数を知られる事が重要だったようだ。

 趙深は渡河した後、付近から双の潤沢な資金を用いて、五十頭程も牛を買い集めた。北方はどこも農耕

が盛んなので、牛を探すには困らない。とはいえ農家にとって牛はなくてはならぬもの、結局相場の倍も

の金銭を支払う事になったようだが、趙深は気にしなかった。

 後で双高官から何か言われるだろうが、双家からすればこのくらいの金は微々たる物だと、彼は知って

いる。双王家に世辞を言う為だけに出入りしていた訳ではない。高官との間に人脈を築きつつ、その上で

双家の内情も調べていたのである。

 王が協力的なのだからそれもさして難しくはなかった。双正の意志は双家全体とはまた別の所にある。

 買った牛を引き連れ、途中で百本の松明を買い、趙起が訝しがる中、趙軍は順調に進んだ。

 紀は趙の数が千程度である事を知り、悠々と準備しているようだ。紀には三、四千と云われる動員兵力

がある。北方は人口が多いから、或いはもっと居るだろう。その兵力からすれば、千の兵など慌てて出る

までもない。

 紀の王の名は紀霊(キレイ)、武力に秀でている。感情が強いのか、小事に拘る余り大局を見失いやす

く、そのせいで失策も多く、現在の位置に甘んじているが、本来ならもっと成長していてもおかしくない

勢力である。

 個人的武勇だけでなく、戦も強く。荒削りで芸が無いともいえるが、その力は侮れない。少なくとも数

倍もの兵力差があって、勝てる相手ではない。

 故に紀に危機感は無かった。むしろ望む所と待ち受けている。

 趙深は牛などを買っていたが、それでどうするつもりなのだろう。

 百本の松明にも何の意味があるのか。

 趙深を信じ、彼の言う通りに事を進めているが、趙起には不可解な事が多かった。



 趙軍の動きに合わせ、紀軍も動く。

 紀の王都の名は奉洛(ホウラク)。北方最北に位置する紀領でも、特に北に位置する街である。

 何でも以前は方落という字だったのを、縁起が悪いからと紀氏が改名させたらしい。

 洛は紀領付近を流れる悠江の支流の一つの名で、奉はそのまま捧げるという意味である。方落の方は縁

起が悪いと考えると、方は四方という意味もあるから、それが落ちる、つまり世界が崩壊すると云う意味

だったのだろうか。

 そのような縁起の悪い名をわざわざ付けるとは思えないが、大陸人と賦族がここに閉じ込められる事に

なった事を思えば、それを皮肉ったか事実を忘れまいとしたか、そういう名を付ける者がいたとしても、

おかしくはないかもしれない。

 もし大陸人がこの大陸に逃げてきたのだとすれば、出入り口が閉じてしまったのも神の祝福ととれるだ

ろうし、なかなか興味深い名である。

 趙軍が牛を買い集め、進軍を再会して程無く、その奉洛から紀霊が直々に軍を率い、拠点を通り兵を増

やしながらゆるりと南下し、前線の最後尾当りの支流の対岸に布陣した。趙軍がどちらかといえばゆっく

り進んでいる事を差し引いても、中々に速い。まあ、前線以外であれば川に橋が架かっているだろうし、

特筆すべき事ではないのかもしれないが。

 兵数は三千前後、すぐに用意出来る全軍に等しい数である。

 ここで完膚なきまでに趙軍を叩き潰し、その上で外交上の優位を持とうと考えているのだろう。飛んで

火に入る夏の虫、今までの鬱憤を晴らす良い機会でもあるし、紀霊からすれば喜びを抑えられまい。上手

くすれば、領土も広げられる。自家の力が増せばその分双家を取り込める可能性も増す。願ったり叶った

りである。

 しかし趙深は圧倒的兵数差を知った後も、気にせず軍を進めさせている。趙起の方は不安に思ったが、

かえって相手が自信に溢れていた方が隙を生み易いと思い、その心を宥(なだ)めた。

 趙起も趙深の力量を知りたい。その為になるべく口出ししない事を決めている。不安もあるが、それ以

上に趙深を信頼しているのである。

 紀軍が待ち受ける支流は幅数十mといった所か、さほど広くなく水深も低いので問題なく徒歩で渡れる。

おそらく紀軍は追撃の事を考え、わざと浅い場所を選んだのだろう。でなければ、他にもっと護りに向い

た場所ならいくらでもあった筈だ。

 つまりは挑発である。双の軍勢などこの程度で充分、どうせいつものように敗色が見えればすぐに逃げ

るのだろうが、今回は簡単には逃がさぬ。どこまでも追い、完膚(かんぷ)なきまでに叩き潰してやる。

そういう意志が目に見えるようだ。

 双はある程度まで大きくなると、まるでそれ以上大きくなる事を怖れるかのように侵攻を止め、その後

は境界争いの小競り合いに終始してきた。

 だからこれが良い機会なのだ。珍しく攻め気を見せた双を散々に打ち砕けば、高慢な双の鼻をへし折れ

る。紀霊は日頃から小競り合いしか出来ない事に、大きな不満を持っていた。自ら誇る武勇、それを存分

に発揮出来る機会が無く、ここ数年は特に鬱々(うつうつ)とした気持ちが晴れる事がなかった。

 勢力の存亡を賭けた決戦、そこで自身の力を存分に揮い勝利する。それが彼の望み。千の兵数には不満

だったが、それでも歴とした戦だ。紀霊の心を奮わせるには充分であった。

 そして待つ、自らに狩られに来る、憐れな双兵達を。

 そう、彼は趙軍が双所属でも異質な軍だとは、微塵も考えていなかったのである。




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