8-1.雑多入乱


 紀の内情は変わり果てた。

 紀陸(キロク)が王として都である奉洛(ホウラク)に座しているが、その兵力は千足らず。彼が全て

を明かしているのではないとしても、兵数は多くない。防衛部隊を編成するのがやっとで、出兵するなど

は初めから無理である。

 その上紀陸は旗色が悪く、名ばかりの存在となっている為、いざ戦となっても兵がどの程度忠誠を示し

てくれるのか疑問である。誰が未来の無い主君の為に、自らの命を投げ出そうとするのか。兵達も自らの

生活と生命を賭けている。分の悪い賭けであれば、意欲も失せるというものだ。

 ほとんどが都出身者であるから、自分の家族と家を護る為、それなりの働きはすると思うが。負け戦に

いつまでもしがみ付くような真似はせず、勝敗が決まればさっさと逃げ出すだろう。戦が始まる前に逃げ

出してしまう可能性も低くない。

 誰もが悪く言えば狡猾で、良くいえば利に聡い。皆生きる事に必死で、道義よりも実益を重んじる。建

前すら気にせず、平気で裏切り、またその裏切りも悪ではない。生存の名の下に、全ては正当となる。

 故に求心力のある存在が消えれば、一挙に瓦解する事は珍しくない。それを言えば碧嶺(ヘキレイ)で

さえそうであった。一地方の小王など、死んでしまえば何も残らない。

 紀は今大きく三分割された状態であり、紀陸、暦盛(レキセイ)、斯馬(シバ)、の三者がそれぞれを

支配している。紀陸が王であるが、実権があると考えている者は居ない。当然、暦盛、斯馬、この二者の

方に兵力がより多く集まる事になる。

 比率にすれば、1対3対3くらいになるか。守備兵を含む総兵数を比べると、大体そのくらいになるだ

ろう。趙軍との一戦ではそれほど多くの死傷者は出していないのだが、あのままいずこなりと逃げ去って

行った者達もいたようで、紀の総兵数自体も減っている。一度負ければ去る。これはどの国でも見られる

現象だ。

 今はどこに行っても大抵兵を募集しているから、その気にさえなれば何処ででも生きていける。戦が多

い為に戦死する可能性も高いが、黙って飢え死ぬなり、勝った軍勢に好きなように蹂躙(じゅうりん)さ

れてしまうなりするよりは、幾分かましであるかもしれない。

 それに万が一でも軍功を立てる事が出来れば、食うに困る事はなくなる。より辛辣な賭け事とも言える

が、それでも可能性すらないよりはましである。中でも歳の若い者ほど兵隊になりたがった。先が長い為、

可能性という未来が欲しくてたまらなくなるのか、未来が長い者ほど、苛烈な方向に行きやすい。

 逆に老人ほど苛烈さを嫌う傾向がある。残り少ない未来をわざわざ危険に賭けるなど、心底馬鹿馬鹿し

い事だからだ。

 しかし中には最後に名を残したいと思う老人も居て、一概に一纏(ひとまと)めには出来ない。人間と

は不思議なものだ。この個の違いというものは、一体何であろう。

 ともあれ、すでに流れの消えた紀軍に入ろうとする者は少なく、この隙を突けば、さほど労する事無く

領土を得られると考えられる。紀陸を理由にする以上、彼にはある程度領地を安堵しなければならないが、

現状維持させるとしても、紀領の大半を得られる事になる。悪い取引ではない。

 その上で礼として紀陸から幾許かの土地を得る事も、或いは可能だろう。

 だが油断は出来ない。紀陸は別として、暦、斯共に千から二千の動員兵力がある。無論、最大数の方は

護りを放棄すればの話で、実際には千五百も用意できれば良い方だろうが、傭兵を雇う事も考えられるし、

千の兵数であれ、動かせるのであれば脅威となりかねない。

 何しろ、趙軍は千で紀の流れを断ち切ったのだから、彼らにもそれが出来ないとは言えまい。世の中に

は奇跡と偶然という怖ろしい現象もある。甘く見ては怪我をする。

 暦盛は紀霊に良く似、武に秀で気性が荒い。先の一戦にも参軍していたようで、趙軍に手痛い攻撃を加

えている。本来は前線指揮こそ彼の役目であり、紀霊が逸って自ら前衛に出ていなければ、死んでいたの

は彼であったかもしれない。

 紀霊の片腕と呼ばれ、武力は及ばぬでも、軍略の才はむしろ暦盛の方があると言われている。紀霊の単

純明快さと比べれば、大抵の者はそうなるかもしれないが。紀霊の大雑把なやり方が通っていたのも、暦

盛の力添えがあってこそとも考えられる。

 斯馬の方は地味で暗く、紀霊や暦盛のように目立つ存在ではない。自らは戦場に出ず、大抵は補給を担

当している。補給の腕は悪くなく、謀略を愛し、日陰から常に紀霊を上手く補佐しており、彼があってこ

そ紀の内政が成り立っているとも噂される。紀の頭脳と言っても良く、魯允(ロイン)に似た胡散臭い油

断なさを感じる。

 その性質に似合わず派手好みのようでもあるし、表舞台に出た今、何を考え、何をするかは解らない。

ひょっとすれば、初めから王位を狙っていた可能性もある。

 双へは暦盛、斯馬からも使者が来ている。新しい勢力を立ち上げるとなると、近隣諸国との外交は欠か

せないからだ。双正(ソウセイ)が一時考慮したのもその為で、彼らも彼らで自らが生き延びる為に最善

を尽くしている。無論、近隣諸国とは双一国のみの事ではない。他国にも注意が必要だろう。

 紀の三者共に、最早紀のみで立つ事を考えていまい。むしろ紀領を切り売りする事で、自らの生存と、

そして後の暮らしを少しでも良くしようと考えていると思える。王位にも拘らないかもしれない。

 力を失えば独立は不可能である。それはこの時代の大抵の人間が知っている。何故なら、それが日常的

に起こっている為、知りたくなくとも耳や目に入ってくるからだ。だから彼らも夢だけを見ていまい。

 故に紀を奪うつもりであれば、悠々と構えていられない。他の隣国もこの手頃なご馳走を狙っている。

下手すれば近隣諸国全てを巻き込み、大きな戦へ発展してしまうかもしれない。

 双としても趙深としても、今は力を蓄える時期であり、大きな事をすべきではないと考えている。

 迅速に攻め、隣国が参戦する前に平らげてしまわねば、後々苦労する事になろう。

 その点、趙深の行動は速かったが、双臣は鈍重である。しかし紀霊との一戦の時のように、相手の油断

を突くような策が使えないだろう今、趙軍だけで為す事は難しい。双の力が必要である。

 趙深は苛立っていた。頭の鈍い人間の考える事は、まったく理解し難い。

 何故彼らは自滅に向っている事に気付かないのか。

 利を求めながら自滅する。これこそ真に愚かな事ではないだろうか。

 だが双臣は何も悟らない。悟ろうとしない。おそらく考える力を失っているのだろう。

 双臣に会えば歯の浮くような美辞麗句を並べるが、では実際に力を借りようとすれば、彼らは慌てて目

を逸らす。趙深もそれを解っているから何も言わないが、時間だけが無意味に過ぎ去り、彼の当初立てた

計画も変更を余儀なくされている。それは苦痛以外のなにものでもない。

 計画というものは現実に沿って行なわれるべきものである。それは思考の中にあるが、しかし現実から

遊離していては全く役に立たなくなる。そして現実とは瞬間的に変化していくものであり、その為に計画

には常に修正が加えられ続けねばならない。

 それを理解出来ぬ者は必ず計画の段階で失敗する。それは当然の事なのだが、面倒だからか、どうもこ

の事を理解しない者が多い。当初立てた計画通りに進む方が、どう考えても無理があるというのに、人は

それを希望する。

 確かに鷹揚(おうよう)に構えるのが長者の風、貴族のやり方といえども、その裏では終始迅速に行動

していなければならぬ筈。それが何故このように鈍重だけの愚かさを誇るようになっているのか。鷹揚と

云う事と、鈍いと云う事は、根本的に違うものであろうに。

 趙深はそういう事を考える度、人間というものが理解し難くなる。

 いや、もし理解できてしまえば、その時彼もまたその精神の迅速さを失うのかもしれない。それはおそ

らく理解してはならぬ事なのだ。人は常に、真の理解とは無縁であるが故に。

 自分が何も知らぬと思うからこそ、初めて精神の迅速さが生まれるのかもしれぬ。

 ともあれ、すでに機は失した。

 紀領を奪える可能性が消えたという訳では無いが。他国よりも有利にそれを得られる機会は失っている。

 双臣がもたついている間に、他の隣国の横槍が入っている。こうなれば紀領併呑は困難で、下手すれば

返り討ちにされかねない。

 双の軍事力は弱い。兵の質もそうだが、数も多い方ではない。傭兵を雇いたい所だが、双軍に不安材料

が多い以上、傭兵という更に不安なものを入れる訳にはいかない。

 兵は数ではない。確かに数も重要であるが、ようするに兵として使えるかどうかが問題である。それは体

力的な事ではなく、精神的なものに重き

が置かれる。

 人数ではなく、兵数が問題なのだ。どれだけ兵であるかが重要なのだ。

 故に隣国と争うとなると、双に分が悪い。如何に紀陸という大義名分があるとしても、そんなものは力

が無ければ意味が無い。力があるからこそ、それを行使する正当性が重要になるのであって、そもそもそ

れを行なう力がなければ、正当の是非以前に、それ自体が不可能なのである。

 名ばかりのモノに現実的な影響力は無い。全ては夢である。夢とは須く消えるものだ。

 趙深は計画を練り直す必要があった。



 様々な動きがあったが、結果、紀の三勢力に近隣の三国がそれぞれ付く形となっている。

 紀陸には双、暦盛には金(キン)、斯馬には魏(ギ)。金は紀の東に接し、魏は紀の西に接して西方諸

国とも領を接する国である。

 金は小さな国だが、付近の小勢力と手を結び、西方を真似た同盟を結んでいる。魏は双や紀よりも若干

小さいが、西方と関係が深く、下手をすれば西方を北方に呼び込む引金となりかねない。

 西方は孫との戦で忙しく、他に構っている余裕は無いのだが。それでも前線より離れた北部や西部には

若干の余力がある。皆全ての動員兵力を西安へ送っている訳ではなく、孫と結ぶ北方の勢力が現れないよ

うしっかりと牽制している。

 例え不可侵条約を結んでいたとしても、西方が他国に気を許す事は無い。彼らは同盟の危うさを重々理

解している。何せ西方の大同盟自体があんな風なのであるから、状況によっては孫と手を結びかねない北

方の勢力など、信じる筈が無い。盟約もまた、力を失すれば虚しいモノとなる。

 西方内でもそうだ。彼らはお互いに力を合わせながら利用し合い。そして常に互いを監視している。そ

んな事で同盟など結べるのかと疑問に思われるかもしれないが、それが出来るのである。

 元々同盟というのは友人になるという事ではなく、お互いに利がある内は協力し合おうという関係。そ

こには信が重要なのだが、例え信が無くとも、それを行なう必要性があれば、信の変わりとなり得る。何

故なら、それもまた裏切らない理由となるからだ。良い意味でも悪い意味でも、裏切らない理由があれば

同盟は成り立つ。

 無論そういう辛辣な関係ばかりではないが、そういう関係が基本にあると云う事は、理解しておいても

らいたい。同盟とは互いに友情を交わす事ではないのである。

 必要だから結ぶ。そういう関係だ。

 紀の状況は、紀の三勢力を介した三国の戦へと発展しようとしている。こうなった以上、争わぬ訳には

いかない。すでに暦盛と斯馬が動いた以上、紀領を得る為には金と魏に勝たねばならない。戦いたくはな

いが、双が紀陸と結んでいる以上、動かざるを得ないのだ。

 それに紀領を得なければ、趙深と趙起の目論見も潰える。窪丸を助ける為、何としてもこの状況を打破

せねばならない。

 しかし肝心の紀陸の軍事力が一番低い以上、どうしても双が不利となる。

 そこで趙深は熟考を重ね、危うさは増してしまうが、他勢力の力を借りる事に決めた。最早一双一国の

手には負えない。幸い、双の名は外交に便利である。他国に借りを作れば後々面倒が増すが、こうなれば

形振り構わず北方全土を巻き込むくらいの気持ちでいる方が良いかもしれない。

 双臣の事も捨て置けない。古き権威が邪魔を超えて、死活問題となってきている。こちらも強引な手を

使ってでも何とかする方が、かえって楽になるかもしれない。

 趙深は双正を動かす事を決めた。それで双の権威が失墜する事になったとしても、このまま滅ぶよりは

ましであろう。情勢が大きく動き始めた以上、双が自ら変わるのを待っていられない。

 強引にでも変える必要がある。例えそれを誰が望まないとしても。




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