8-2.苦道


 双王の権威は大きいが、双の全てを決めてきたのは王ではない。その言葉には万金の重みがあるとして

も、貴なる者は軽々しく口を開く事はなく。政治も雑務、貴の触れるものではないとされ、実際には重臣

達の間で決められる事が多い。

 双王は君臨するが、さりとて端々にまで口を挟む事はなく、口を開く事すら少ない。一切干渉しないよ

うに見える程、座してたおやかに微笑む。政治の場に居合わせない事も多かったようだ。

 双において、王とは権力を振りかざす存在というよりは、むしろ神に近い。ようするに仰ぎ見られる存

在である。だから人の世の事などは、人である重臣達に委ねられている。よほどの事が無ければ、意を述

べる事は無い。

 平時ならそれでもいい。神の名の下、重臣達がどう搾取しようと彼らの勝手である。民達も神への貢物

であるからには不満無く差し出している。

 双国が他と最も違うのはそこであるだろう。唯一と言ってもいい正統なる王は、力で立っているのでは

なく、自然に人の上に立つ。例えるなら聖王とでも呼べる存在なのだ。

 そこに外部の人間である趙深が口を挟む余地は無い。また、その意味も無い。

 しかし、これが乱世となると違ってくる。現状、双の権威は双国内でなければ通用しない。外部にも多

少の効果はあるが、それは薄く、それだけでは成り立たなくなっている。下克上が当たり前の今、唯一現

存する正統な血筋とはいえ、その貴は絶対なモノではないのである。

 他の七家はすでに滅びているのだ。双家だけがそうならないなどと、誰が言えるだろうか。

 王が君臨し、重臣が手足となって統治する。この法は遥か昔から行なわれてきた。重臣の序列も細かく

定められ、誰がどの権威をどの程度持つかも細かく決められている。長い年月によって、ある意味洗練さ

れている。

 だがそれは腐敗の歴史でもある。王を上に掲げながら、実際には自分達が利権を吸う。やっている事は

双王を傀儡としてきた、歴代の実力者達とさほど変わりない。彼らと比べれば甚だ小粒だが、重臣達もま

た、王に寄生するだけの存在に成り下がっている。

 その地位も世襲制であり、例えば王に娘を嫁がせるなどで勢力図は変わるものの、大体上に居る者は同

じ姓を持つ者達である。この双王朝だけは、下克上とはほぼ無縁だ。

 だがこういう寄生者達も双王を傀儡とする為には必要な道具であり、修飾品であり、双王と共に長き歴

史を滅ぼされる事無く生き延びてきた。重臣の方は長い歴史の中で何度かは滅ぼされたり、入れ代わった

りした事もあったようだが、その形はほとんど変わっていない。

 言うなれば、生きている化石、のような者達であり、政体である。おそらく双という王朝が続く以上、

変わらず続くのだろう。重臣高官は切っても切り離せない存在で、この形そのものが、双となっている。

 趙深もそれは理解している。だからその形を崩そうとまでは考えていない。ただ、本来のあるべき力を

使い、この乱世を乗り越える為の臨時的な形を取らせたいと考えている。

 それはつまり、王が動かす事、王自らが動く事、である。

 重臣達も自らの権威を護る為には、まず王の権威を護らなければならない。何故なら重臣達の権威は、

全て王から与えられるものだからだ。

 重臣達は王に逆らう事を許されない。それは自らの権威を否定する事になる。

 故に王さえ動けば、双は動く、双は従う。最早貴だの何だの言っている場合ではない。今のままでは乱

世を乗り越えられない。双は生き延びられない。王を支えるべき重臣にその力が無い以上、王自らが動かね

ばならぬのだ。

 それは古の王の姿に還る事である。

 遥か古代、双王も他の王達同様、自ら立って戦い、この地位を磐石なモノにする為、汗水流して働いた

筈である。今のように形式だけを重んずるようになったのは、力を示す必要がなくなってからだろう。そ

れまでは儀礼だのに拘っている余裕は無く、豪族王達のように荒っぽい事も多くしてきた。その結果とし

ての貴であり、血筋である。

 それは、生き残った、というただそれだけの結果とすら云えるかもしれない。双は生まれながらに貴で

はなく、長い時間をかけて積み上げてきた結果として、そこに貴が生まれたのである。

 ならば今また王自身がそれを積み上げたとして、一体何の罪があろうか。むしろそうする事こそが、乱

世に生まれた正統なる直系の役目ではないか。

 趙深は双正(ソウセイ)を説得した。今までも事ある毎に述べていた事を、今執拗なまでに説き、彼の

心を動かそうとしたのだ。

 重臣がいくら腐敗し、その能力を失おうとも、王さえしっかりしていれば、王さえ動くのなら、双はそ

の意に従い、磐石となる。幸い双正は英明である。自ら立つ覚悟さえすれば、双は再び立つ。その眠りし

力をいかようにも発揮出来るだろう。

 何をするにしても、まずはその力が要る。重臣達のように曖昧で頼れぬモノではない、国を動かせる絶

対的な力が、今必要なのだ。

 眠りし夢は覚めるべきだ。最早まどろみの中には居られない。ただ生きようとするだけで、その命が脅

かされる。それが乱世であるならば、双王は今立たねばならない。



 双正は趙深の言葉に乗り気であった。その好奇心が、そして彼の中に秘められていた意欲が、自ら立つ

事を是としたのかもしれない。

 或いはそれが趙深の言葉であるという事が、彼の心に火をつけたのかもしれず。はたまた彼自身が誰に

言われるでもなく、その必要性を感じていた結果なのかもしれない。

 双正の心は掴み難い。その心を消す事で神性と変えていたかのように、双王の心は誰にも理解し難い部

分がある。もしかすれば、王自身ですら、その心を理解出来ないのかもしれない。

 それが人を神に仕立て上げるという事かも知れず、その立場になければ、とてもその心に触れる事は出

来ないのだろう。

 ともかく、双正が乗り気であったのは確かだ。彼は趙深と趙起を頼れる者と考えていたし、逆に重臣達

は頼れぬ者と遥か昔から考えていた。双王は代々子に伝えている。臣を信じてはならぬ。臣は信じる物

ではなく、利用し、ただ使役する物である、と。

 双王がその血筋を存続させる為、代々教育というものに重きを置いていたのとは逆に、重臣はある意味

愚かである事が望まれた。知恵が付けば余計な野望を抱いてしまう。彼らは手足で良く、王の利益を損な

わない範囲で、自らの欲を満たす事だけを考えさせておけばいい。

 考える力は必要なく。重臣という形さえあれば良かったのだ。余計な知恵を宿せば野心が生まれる。重

臣は民から搾取する方法だけに長けていればいい。後は宮廷での勢力争いに、醜く終始させておけば良い

のである。

 多少知恵のある者はもっと下の地位から得る。双正が明慎(ミョウシン)を手駒としていたように、野

心を起こせぬ程に小さく、王が御せる程度に頭が働けばそれでいい。双王への信仰心と忠誠心があれば、

尚の事良い。

 そのような教えが叩き込まれている為に、双正も代々の王と同じく、重臣達に大して情を感じていなか

った。だからその存在を無視するような事も、遠慮無く行える。道具をどうしようと、持ち主の勝手であ

り、誰に文句を言われる筋合もない。

 無論、それが恒久的となり、重臣達の存在自体までを失うような事は望んでいない。そこまですれば流

石に重臣達も何を考えるか解らないし、双王朝という形すら崩れてしまいかねないからだ。双正も血筋を

護る事に執着している。そのような危険な事はしたくない。

 あくまでも一時的に、である。一時的ならば、双正も冒険に出る事が出来る。彼もまた一人の人間、神

という名の人形で居る事に、不満が無いではない。とうに捨てた感情ではあるが、楓流や趙深のような者

を見る度、静して座するのではない、自ら動くという事への憧憬が、日に日に強く甦ってくる。

 例え動いても、身を隠し大人しく座していなくとも、彼らのような何処か人を超越したような雰囲気を

まとう事が可能なのだと知った今、抑えてきた心が少しずつ溶かされ、疼くのを感じている。

 双の権威を復古させるという大義名分が、その心を沸騰させる。それは歴代の王達の悲願でもあった。

静して座する事が貴の宿命ではあるが、そういう大義があれば、動く事も吝かでは無くなる。少なくとも

そう思いたい。

 そもそも乱世を生き残る為に、双正は暴挙ともいえる楓流、孫文との同盟を結び。前例や貴賎の壁すら

無視して、覇者の道を歩もうとした。北方、中央、東方をそれぞれが治め、最終的には楓か孫の下に付い

たとしても、今のような名ばかりのモノではない、現実的な力を双に持らせようとしたのである。

 双正もまた、覇王であった。王道を捨て覇道を歩まんとした。王者であるべき存在が、覇者足らんとし

たのである。まるで先祖がえりでもしたかのように、彼の心には歴代の王とはまた別の炎が宿っていたの

だろう。始祖八家の初代が宿していただろう炎を、双正もまた受け継いでいたのかもしれない。

 そう言う意味で、双正こそが当時最も野望に満ちた、形振り構わぬ野心家と言えなくもない。

 趙深と双正の利害は、おそらく初めから一致していたのである。



 紀領を得る為に問題となるのは、暦盛と斯馬ではなく、彼らの後ろ盾となる金と魏である。

 唯一の味方である紀陸の力が当てにならない以上、彼を護りながら、その上で金と魏を抑え、しかる後

に暦盛と斯馬を討つ。そうする事で初めて紀領を得る事が出来る。

 この一連の戦いに勝つ事が出来れば、金と魏にも深い影響を与える事が出来るだろう。上手くすればそ

れをきっかけに、両国の領地にも干渉できるようになるかもしれない。趙深と趙起の目的が紀の併呑では

なく、窪丸(ワガン)を救う事にあるからには、それはありがたい副産物である。

 ただしそれは勝てばの話で、前述したように、とても趙と双だけでは賄いきれないモノがある。暦盛と

斯馬だけならともかく、金と魏が加わっては、力が足りない。下手すれば三者疲弊して共倒れという可能

性もあり、簡単に手を出せない状況となっている。

 自らの力だけで足らないとすれば、外部の力を借りなければならないが、そうなると双国自体が動き、

外交する必要が生まれる。紀霊戦の時のように、趙だけで行なう事は不可能だ。趙深がどう他国へ働きか

けても、一人の人間の戯言など、一国の王が耳を傾ける筈が無い。

 国が広く人材を求め、その結果の一つとして遊説の徒の走りも現れ始めているのだが、よほど名が売れ

ている者でなければ、その言が信じられる事も、受け容れられる事も無い。何をするにも重みが必要なの

である。

 趙深にいくら能が有り才が有ろうとも、彼の名はほとんど世に知られていない。そんな者の言葉を、一

体誰が聞くだろうか。恥ずべき事だが、どんなに素晴らしい意見を述べたとしても、どんなに素晴らしい

考えを持っていたとしても、その名に重みが無ければ、誰もその意を聞こうとはしないのである。

 だから双という名の重みを借りる必要があったが、前提となるその条件は、双正を動かす事で解決して

いる。暫くは双政府内でごたごたが多くなるかもしれないが、双正と趙深、二者で何とか乗り切る自信は

あった。

 そこで話は次の段階に移る。

 これから双がやるべき事は、簡単に述べると金と魏の力を弱体化させる、或いは紀へ回す余裕を失くす

事である。そしてその為の方策も、すでに趙深が考えている。

 しかしそれを述べる前に、まず金と魏がどういう状況にあるのか、少し深く考えてみよう。

 金は付近の小勢力と組み、小さいながらも連合を結んでいる。それ故に周辺との領土争いに終始せずに

済み、その分だけ力を蓄える事が出来、虎視眈々と紀領を狙える余力が生まれている。金一国ではおそら

く自国防衛だけで精一杯なのだが、周辺との領土争いを同盟を結び回避する事で、この国は外征する力を

得たのだ。

 金からすれば紀領が内乱に入り、その力を失した今こそが千載一遇の好機であり、決してこの機会を逃

すような事はしないだろう。いくら好条件を述べたとしても、手を引くとは思えない。金と双で魏の食指

を阻み、その上で得た紀領を二分割する、くらいの条件を出さねば、耳を傾けようともしない筈だ。

 次に魏である。魏は西方と領土を接しながらも、その関係を上手く利用し、西方の力を借りる事で自ら

を大きくさせようと企んでいる。西方としても親密な関係を結んでいる国が大きくなれば、それだけ得ら

れる物が多く。以前から北方の豊富な金銭と食料に目を付けていたから、これを機に魏を尖兵として西方

自らも北方の領土争いへ乗り込んで来る可能性がある。

 孫との戦中とはいえ、西方も一枚岩ではなく、それぞれに思惑があり、中央から離れれば離れる程孫の

脅威が薄れる為、北方に接する国は接する国で、独自の動きを示してもおかしくはない。

 それに西方の大同盟にとっても、北方の大穀倉地帯は垂涎の的である。孫との戦が長引く事は明白、食

料はいくらあっても足りない。例え北方へ侵攻できないとしても、その一勢力と結び、そこから得られる

食料と引換えに力を貸したとしても、不自然な事ではない。

 戦争は愚かしい程、あらゆる物を浪費する。長引けば長引く程その傾向は増大し、いずれ西方だけでは

賄えなくなる事は目に見えている。そういう西方の気分を思えば、魏が付け込む隙は充分にある。

 戦では、いやこの大陸において、食わせる、という事以上に重要な事はない。人を食わせられるから人

が集まり付いてくるのであり、翻ってみれば、ただそれだけの為に人が動き、争い、そして歴史が動いて

きたとすら云える。

 故に北方の豊富な食料は、喉から手が出る程に欲しい物である。

 そういう意味で魏と西方の利害は一致しており、西方も魏に力を貸す事にむしろ積極的な姿勢を示す可

能性が高い。魏一国ならばさほどの脅威も無いが、その背後に西方が見える事が問題なのである。

 金、魏どちらにも脅威となるべき理由がある。しかし双方に共通して言える事だが、その脅威となる点

が外部にある事が解る。金と魏が問題になるのだが、その問題となる為には、両国共に外部の力が必要な

のだ。

 後ろ盾のそのまた後ろ盾が居る訳で、話が少しややこしい。

 金は連合あっての外征であるし、魏も西方あっての外征である。紀の三勢力が自らの力だけでは立てな

いのと同様、双方共に自らだけの力では外征する余力が薄い。それは不可能ではないとしても、脅威とま

ではなり難い。

 ようするに暦盛、斯馬に対するのと同様、この外部の力を失わせる、或いは薄めれば、それだけ勝機が

見えてくるという事になる。

 趙深が考えたのは、そう云う事であった。

 その為に趙深はまず西方へと接触した。西方が膨大な食料を欲している以上、魏との関係を悪化させる

には、より好条件な札を差し出さなければならない。

 幸い、双国には北方でも有数の資金力がある。双は大穀倉地帯の中でも特に収穫高の多い地を領土とし

ている。そしてそこから得る物資を大陸中に流す事で、膨大な富を得ている。双国の民も献身的に働き、

前政権からの流れのまま税金も重いが、文句言わず誇りをもって生きている。そして重い税を課せられて

も生きていけるだけの富を、彼らもまた得ているのである。

 どれだけ重税を課せられても、まず飢える事はない。だから民が付いてくる。それ故に国へ尽くす。こ

の困窮の時代に重税を支払う事も、むしろ彼らの特権意識を満たす糧となる。

 その豊富な資金力を武器とすれば、魏などは問題にならない。魏の存在価値が失われるとまでは行かな

いが、双と比べれば随分下に見られる事だろう。

 そうして西方を味方に付ければ、或いは北方へ干渉しないという盟約を結べれば、魏の力は小さくなる。

西方を味方にすれば双の勢威が増し、金の連合に働きかける力も強くなる。

 趙深は西方と正式に同盟を結び、双に北方を併合、又は同盟によって統一させ、北方、西方、孫(中央

と東方)という勢力図を作り出し、大陸に一つの均衡をもたらそうと考えている。

 北方が物資を西方に流しながら、孫の東方軍、或いは窪丸を通って中央を脅かし。西方は北方の力を得

て、孫と正面から戦う。そういう構図を作る事で、現状で最も脅威となる孫を押さえ込もうとしているの

である。

 これこそが趙深の構想する、天下三分の計。まずはこの形に持っていく事が、楓と趙の望みを叶える糧

となる。

 趙深はただ孫文を抑える為だけに、大陸全てを使おうとしている。全くもって孫文とは怖ろしい存在で

ある。趙深の構想の大きさそのものが、孫文の脅威の大きさとも言えるのだ。




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