8-3.橋


 西方は双の話に乗ってきた。無論、何から何まで趙深の思い通りではなく、若干の差異と、それ以上の

誤解が間に横たわっていたが、それでも西方は双に魅力を感じ、双と組めるのならば、魏を斬り捨てる事

ですら、或いは吝(やぶさ)かではないと考えているようである。

 そこにあるのが単純な利害関係であるからには、導き出される結果は想像しやすく、また大きくその予

想を外れる事も無い。

 ただし、西方と言っても、その中には様々な想いが入り混じっている。

 双が話を通したのは、西方四家の一つ、西方北東部一帯を勢力圏とする周(シュウ)国である。知って

の通り周は四家のうちでも一、二を争う勢威を持ち、その発言力と存在感は大きい。西方でも古い家柄、

で古代の一時期は西方を覆う程の領地を持っていたとも伝えられるが、定かではない。

 現状で単純に領土と国力を考えれば、秦という勢力が一番大きく、大同盟内での熾烈(しれつ)な権力

争いを続けているが。西方の諸勢力はさほどその国土の大きさに開きが無く、周もその力は(伝承が本当

ならば)往古よりは衰えたりとはいえ、決して小さくは無い。その古さに価値を見出す者達もおり、どう

せならば周閥にと考える者も少なくない。

 とはいえ、別に周を望んで話を通したのではなく、単に領土を接するから接触したのだが。これ以後は

望む望まないに関わらず、双もまた周派と見られる事になるだろう。西方の情勢は複雑で考えるべき要因

は多岐に渡り、簡単に西方大同盟そのものと結び付く事は難しいのである。

 閥を超えて繋がる事が出来れば一番良いのかも知れないが、それは単なる理想であり、現実的ではない。

それを為す事は不可能と思え、例え出来たとしてもその実は夢幻と変わらない。

 だが西方が孫と戦っている限り、双と周の結び付きも尊重され、大同盟そのものと繋がっている事とほ

とんど変わらない効果を生み出すだろう。それは用が済めば終わりという関係でもあるが、双も未来永劫

西方、周と繋がる考えは無いから、双にとっても都合が良いと云えるかもしれない。

 不利益に見える事でも、よくよく考えればそうでない事もある。この場合も考え方によっては様々に見

えてくるモノがあり、一概にこうとは言えない。

 ともあれ、双はこの周を仲介人として、これ以後西方と関係を持っていく事になる。

 まず双はその豊富な資金と食料を武器に、西方と不可侵同盟を結んだ。魏との盟約をどうこういうつ

もりはないが、その代わりこちらとも同様かそれ以上の盟約を結んで欲しいと。

 こうする事で、西方に魏(魏も周と繋がっている)との盟約を反故にさせる事無く、魏の狙っていた同

盟効果を失わせる事が出来る。魏と双と盟約を結んでいる限り、魏と双が例え争ったとしても、周はどち

らにも介入しない。魏は外征する力をもがれた事になり、その魏と繋がる斯馬の力も失墜する。

 これならば西方もその信を失う事無く、双も目的を遂げる事が出来る。お互いに利があるのみ、簡単に

事が運んだ事にも納得できる。魏だけが不満だが、強者が弱者の心を慮(おもんばか)る事などは無い。

 この変化による紀国内の動揺は大きく、逸早く斯馬を見限り紀陸(つまりは双)に付く者が出ていると

も聞く。皆耳をそばだてて、必死に生き抜く道を探っているから、情報を得るのが早く、またその動きも

速い。

 そしてこの事が紀国内にあったお互いへの猜疑心をも大きく増幅させる事になった。暦盛と斯馬は危機

感を強めている。斯馬はその力をもがれたのであるから当然だが、暦盛も双の動きに驚きを隠せない。ま

さかこうも容易く翼をもがれるとは、なんと双の怖ろしい事か。

 暦盛からすれば斯馬もまた競争相手、それが失するに喜びを見出さぬ訳では無いが。それよりもあっさ

りと魏の力が失われた事に対する恐怖心の方が大きい。このままでは金の方も容易く力をもがれ、自分も

斯馬同様あっさりと力を失ってしまうのではないだろうか。

 金は魏と違い、小さいながら周辺の国家と同盟を結んでいる。西方へも地理的には遠く、その影響力は

魏程ではない。その間には魏と双、或いは魏と紀があり、その分影響力も薄くなる。

 しかし双が西方と結んだとなれば話は別である。双は金とも領を接している。その双が西方の力を得れ

ばどうだろう。西方が睨みを効かせている限り、誰も双へ侵攻しようとは考えまい。双が魏を追い落とし

たのと同じ方法を採ろうにも、双と同程度の条件を西方へ示せる国家は無い。

 双は魏と同様外征する力を増し、一挙に紀を切り取ってしまうのではないか。

 双の力を削ぐべく、金の同盟勢力が一丸となり、西方へ双に近い条件を挙げたとしても。同等程度の条

件では、距離的に近い双の方を西方は取るだろうし。或いは魏と双に対して行なったのと同様、双方共に

不可侵条約を結ぶかもしれない。

 そうなれば金連合と双の一騎打ちになるのだが、双は今までのように頼り無い軍事力ではなく、紀霊を

討ち取る程の力を持っている。しかも斯馬が力を失した事で、紀陸に付く者が増え始めており、このまま

では暦盛も見限られてしまうかもしれない。

 誰も彼も信用できず、いつまでも安堵する事ができない。

 暦盛の心の内は少し考えれば誰にでも解る。双の脅威が増した事で、一層金に頼るしかなくなっている

のだが、その金自身も状況が変わればどう動くかは解らない。場合によってはあっさりと紀領を諦め、暦

盛を切り捨てて、双と結ぼうとさえ考えるかもしれない。

 下手すれば双そのものが金連合に入る可能性もある。外部勢力だけに、いつ切られるか解らない恐怖が

あり、その恐怖は自身の力が弱まれば弱まるほど大きくなる。金もまた自らの利益を考えて暦盛と組んで

いるのであり、利無し、或いはそうする事で失う物の方が大きいとなれば、手を引く事にもさほど躊躇は

無いだろう。

 となれば暦盛が取るべき行動は一つ。

 暦盛は斯馬に使いを出し、盟約を取り付けた。いざとなれば手を引ける外部ではなく、利害の関わり合

いの深い内部と結ぶ事により、少しでも力を付けようと考えたのだろう。力を失した今、斯馬の方にも文

句はあるまい。例え風下に立つ事になっても、滅せられるよりはましである。

 これにより、紀領内は、金と暦盛と斯馬、対、双と紀陸、という新しい構図へ変化する事になった。

 こうなると今は大人しくなっている魏も、どう動くか解らなくなる。斯馬と暦盛を通し、魏と金が結び

付けば、と考える者が出てくるかもしれないからだ。西方の力を借りられないとしても、西方を敵に回し

た訳ではない。直接双と矛を交える事は難しいとしても、金の援助をするくらいは考えてもおかしくはな

い。西方が当てにならなくなった今、それに変わる新しい宿主を探したとしても、不思議な事ではないの

である。

 情勢は刻一刻と変化し続け、止まる所は無いように思えた。

 紀領内は相変わらず混沌としている。



 趙深からすれば、暦盛と斯馬が組む事は望む所と言えなくもない。両者共今更紀陸に屈する筈が無く。

この両者を討って領土を平定する事が、一番解りやすい後継者の資格を得る手段だと思えるからだ。

 紀領内に紀陸(双)の力を示し、紀領が再び安定すれば、それに不満を言う者は(少なくとも表面上は)

いなくなるだろう。

 結局、存続させる方に利があると見れば、大抵の者はそれに倣う。頭となる暦盛と斯馬さえ討てば、そ

の下に付いた者達など、すぐに頭を下げ許しを乞うてくる。彼らは一人では立てぬ者達なのだ。何者かの

下に居て、その事に対して文句を言うのが趣味なのである。彼らは怖くない。

 そう考えれば、討つべき二者が組む事にも利点がある。その間が友愛の情で繋がっている訳でもなし、

上手くすればこの繋がりを逆に利用できる可能性もある。

 ただしそれは、暦盛と斯馬の間だけの話しならば、という条件がある。外部の協力者である金と魏が組

まれるのは不味い。折角押し込めた魏を、もう一度引っ張り出される事は、双にとって不利益極まりない

のだ。

 斯馬程度ならばともかく、魏は小さいながらも一国の勢力である。場合によっては脅威となりかねない。

 例えば金と魏を一度に相手取れば、双も防戦一方となり、紀に構っている余裕が無くなる。一国相手な

ら何とでもなるが、二国を相手取れば双の方が持たない。趙軍が新たに編成されたとはいえ、二方面作戦

が取れるような兵力は持ち合わせていないのである。

 周辺に居るのは何も魏や金だけではないのだから、国を空けて外征する事が出来ないのは、双も同じ。

西方が睨みを効かせてくれているとはいえ、その西方と繋がるのは、魏と双だけではない筈。それに西方

と領を接していないならば、西方の意向を考えず、横槍を入れてくる国も無いとは言えない。

 そこで態度を明らかにする前に、魏と交渉してみたのだが、色好い返事はもらえなかった。周との関係

を薄められた恨みもあるし、この状況を利用して暦盛と双を天秤にかけ、より多くの利を貪ろうと考えて

いる様子だ。予想はしていたが、簡単に屈するような事はしないようである。

 魏も長く北方の西端に住まい、身を潜めるようにして情勢を窺ってきた。西方と双と紀、いずれとも巧

みに良好な関係を築き、少しずつだが力を蓄えてきたのである。

 外交の駆け引きには慣れており、軽々しく動くことはしない。西方も魏を滅ぼしたい訳ではなく、双一

国だけでは魏と金を相手取れない事も良く理解している。中央にも隻(セキ)という勢力が居たが、似た

ような存在は、何処にでも居るものである。

 むしろそれが当時の常套手段であったと云えなくもない。皆相手の隙を窺い、一瞬の油断も出来ぬ時代

であったのだろう。だからこそ激しく興亡する。まるで沸騰時のあぶくのように、激しく現れては消える

その様は、まことに異常であると言わざるを得ない。国家という形の儚さを感じさせられる。

 双も再び危うい状況にある訳だが、趙深は動じていない様子だ。

 魏が隻同様に動くとしても、いくらでも付け込む隙はあるのだと、彼は考えているらしい。魏が双と金

を天秤にかけている限り、魏はどちらとも一歩引く。魏が隻と違うのは、この自らを高く売れる状況が、

必ずしも利点のみでない事を知っている点である。

 魏はそういう意味で隻のように高慢ではない。双と金、付く先を間違えれば自らも滅ぶ事を知っている

から、危険な賭けはしたくないと考えている。つまりは双と金、どちらが優勢かを見極めた上で、その動

向を決める。

 隻のように自らを中心に据える事はせず、あくまでも俵から働きかけようとしているのだ。

 そこには利よりも怖れの方が多くあり。今も天秤にかけているというよりは、野鼠(のねずみ)が草む

らでじっと様子を窺うように、恐怖に怯えながら逃げ道を探しているのである。

 何せ双は周と結んでいるのだ。双が周の思惑を無視して魏に攻められないように、魏もまた周に遠慮し

て(例え外征する余力が生まれたとしても)双に攻める事は出来ない。周は食料と資金を北方に求めてお

り、双と魏が争いあって互いに消耗する事は望んでいない。 

 領外を戦場とする外征は許すとしても、領内を戦場とする事に激しい怒りを覚える筈だ。領土を荒らさ

れれば収穫高に大きな影響が出る。周はそれを望まない。今の西方には食料がいくらあっても足りないの

だから、それを決して許すまい。

 魏が金を隠れて援助する可能性までは否定出来ないが、魏にそのような余力があるとも思えない。金に

流す物資があるならば、西方に丸々流す筈だ。西方に捨てられない為には、常に西方を満足させる物資を

流し続ける必要がある。金になど構っていられまい。

 故に趙深は魏の動きを、張子の虎だと見破っている。周と双が結んだ時点で、やはり魏は無力化されて

いるのだ。魏が金と双を天秤にかけているように見せかけているのは、単に自らには価値がある、敵対す

るよりは味方にした方が良いと、両者に思わせる策。金と双の決着が付いた時、どちらが勝っても無用な

敵意を買わない為の、消極的な一計でしかないのだ。

 趙深は初めからそれに気付いている。それもまた彼の掌の内。わざわざ魏に使者を送ったのも、金と魏

の目を眩ませる為の方便に過ぎない。

 趙深の真の狙いは、金連合に楔(くさび)を打ち込む事にこそあった。



 金連合は(他国とも交渉しているようだが、少なくとも現状は)三つの国で形成されている。即ち、金、

劉(リュウ)、陶(トウ)の三国である。領土は三国共にほぼ同じで、その勢威に大した違いは無い。故

にその決定も、西方を倣っての合議制となっている。

 しかし元々先頭に立ってこの同盟を組織したのが金であったようで、金が同盟締結以前から盟主のよう

に振舞う事が多かったようだ。

 それでも確かに同盟締結は金の功績であるし、実際同盟に利があった為、他の二国はそれに目を瞑って

きた。しかし紀領を得るに当って、その不満は抑えられないモノとなってきている。

 何故なら、紀と領を接しているのは金のみであり、例え約束通り金が劉と陶とで得た領土を三分したと

しても、金以外は飛び地になってしまう。しかもその間には金があり、どうしても金に遠慮しなければな

らなくなる。

 ただでさえ盟主面している金が、これによって更に大きな顔をする事は明白で、劉と陶にはやりきれな

い想いがある。

 それに金が本当に得た領土を分譲するかも不安である。金の態度を見ていると、平然と総取りしてもお

かしくはない。流石に現実にそんな事をする訳は無いと思えるが、劉と陶は日頃の不満と不安から、その

ように考えている節がある。

 ようするに苛立っているのだ。

 金が理解していなかったのは、西方の大同盟が何故成り立っているか、という点である。西方が一丸と

なって結んでいる理由は、孫文という絶対的な外敵が存在するからだ。だからこそ様々な不満を呑み込ん

でも、同盟が成り立っている。そうしなければ孫文に滅ぼされてしまうからである。

 しかし金連合はどうだろう。劉と陶からすれば、別に金と絶対的に結ぶ必要は無い。それは金も同様で、

下手すれば今度は他国と繋がり、紀領を丸々奪って、今度は返す刀で劉と陶を襲ってもおかしくはない。

金連合には、現実にその程度の必要性しかないのである。繋がる相手は、別に金でなくても良いのだ。

 劉と陶にとって、紀などよりも東方からじわじわと迫る孫軍の方が大きな問題だ。そもそもその為にこ

そ同盟を結んだというのに、金は紀の領土争いに終始している。これは一体どう云う事か。

 このような無意味な盟約を結ぶくらいならば、独走する金を斬り捨て、他国と新たな盟約を結んだ方が

良くはないだろうか。

 趙深はそのような意味を書いた書状を劉と陶に対して送り。更にはわざと同様の書状を持った密使を金

に掴ませている。金は元からある疑心を強め、そして怖れるだろう。劉と陶は具体案を示され、朧だった

心が一つの形に固まっていくのを感じる事だろう。

 必要性の無い同盟などは成り立たない。国家の繋がりとは、そのような無意味なモノでは存在出来ない

のである。趙深は、冷静にそれを露(あらわ)にし、自然に崩そうとしている。

 無理な事は誰がやっても無理であり、無理という綻びを繕う事は誰にも出来ない事なのだと。




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