8-4.虚実同源


 金連合が、金、そして劉と陶、という二派に分裂しつつある。

 趙深が楔(くさび)を打ち込んでから半月が経ち、その効果がはっきりと現れていた。無論、その間に

も更なる楔を打ち込み、亀裂を広げる事も忘れていない。趙深はこういう点慎重、いや執拗ですらあり、

まるでその心を舐め溶かすかのようにして、ゆっくりとだが確実に歪ませていく。

 この丁寧なまでの執拗さ、これもまた力と言わざるを得ない。こういう妥協なき姿勢が、良くも悪くも

歴史を動かす。大きな石を転がすまでには時間がかかるものだが、一定の速度まで押せば勢いに乗り、後

は自然転がり始める。そして一度転がり始めれば、行き着く所まで行かない限り、決して止まる事は無い。

 動かす、とはそう言う事であり。怪力の持ち主でしか動かせぬという事ではなく、単純に動くまで力の

積み重ねが出来るかどうか、諦めずに押し続けられるかどうか、がそれに到達する為の資格、理由となる

のである。

 考えてみれば、楓流、孫文もまた丁寧なまでに執拗であった。ある種の狂気染みたその姿勢が、歴史を

動かす為には必要なのかもしれない。

 ともあれ、金連合の事である。

 金連合に不穏な気配が立ち込めている今、当然のように紀領への影響力は薄れる。金もこうなっては劉

と陶に遠慮、またはその存在を危険なモノとして考慮するしかなく。今までのように紀領だけを見ている

訳にはいかない。各地への守備兵を増加させ、そしてその事がまた劉と陶との間の溝を深くする。

 一度転がせば後はもう手を触れる必要は無い。それぞれが勝手に足を引っ張り合い、最後にはお互いに

仲良く自滅していく。趙深の罠に嵌った三国に、覇を呼ぶ力を期待する方が無理というものであった。連

合内で牽制し合っている間は、その動きは著しく制限される。怖れる必要は何も無かった。

 そこで趙深は双正に進言し、劉と陶とに同盟を申し入れさせた。

 劉、陶共に双とは領を接していないのだが、その事がかえってこの二国を安堵させる。利害関係がより

間接的になれば、その分仲違いもし難く、例え仲違いをしたとしても、領を接する金とのように即侵略の

可能性に発展する事も少ない。

 領が離れているからこそ、逆に友好関係を結ぶ余地が生まれる。何も同盟とは一塊にくっ付く事ではな

いのである。

 劉、陶共に今は余計な敵を増やしたくなく。むしろ金との仲が拗れた事で、新たな同盟者を求める心理

が働く。どちらも双の申し出に乗ってきた。

 双はいずれ金とも戦う事になるだろうから、例えば金を滅ぼせたとして、その領土を丸々二国へくれて

やっても良いとまで言っている。その代りに紀領にどちらも手出しをせず、金を牽制して引き付けておい

て欲しい。

 双と劉陶、どちらにとっても悪い話ではない。果たして本当に金を劉陶へくれるかは疑問であったが、

それでも今双とまで敵対しては困る。劉と陶は素直に受け入れた。後でどう動くか解らないのは、劉と陶

も同じ事なのだから、今受けられる利を取れば良い。一時の方便にも一時の利はあるのだ。

 こうして新たに双劉陶同盟が結ばれたが、しかし表立ってのものではなく、あくまでも内々の話であっ

た。金を刺激し過ぎると自棄になって何をするか解らず、今は金、劉、陶との間で微妙なる関係を続けて

もらう方が、どの国にとっても都合が良い。

 嫌なやり方であるが、気にする者はいなかった。ようするにそれも、お互い様なのである。

 金が三国の密約を知らないとしても、劉と陶との関係が最早どうにもならない段階へ到達している事は

悟っている。金連合などは有名無実である事を金も重々承知している。その上でその関係に縋りながら、

他方で対抗手段を考えなければならない。

 金が取るべき行動は、双、或いは魏と結ぶ事だろう。

 連合がどうなるにせよ、紀になど構っていられない。劉と陶は金が紀に拘っている限り、決して耳を傾

けてくれないだろうし、連合内での改善が望めないとすれば、今度は金に牙を剥く可能性もある。

 それならば早々に紀から手を引き、それを条件として双と結び。更には困窮した者同士の起死回生の一

手として(現実にそうなるかは別としても、多分に気持ちの解決として)、魏と結ぶ。そして新たな生き

場を確保し、生存の為の方策を練る。その方が遥かに良い。

 趙深は金がそうなるように仕向けているのだから、当然そういう気分を知っている。すぐに金へ停戦交

渉(実際に戦っているのは紀陸、暦盛と斯馬、となっているから、おかしな表現かもしれないが)を持ち

かけ、労少なくして不戦同盟を結んだ。

 勿論、劉と陶へは事前に話を通してある。金を謀る為であるから、二国共に文句は言わない。金連合か

ら見ても、金が余計な干渉を止めた事は利点である。どちらにせよ、文句などある筈が無かった。無論、

金を見限った今となっては、後者はどうでも良い事だったかもしれないが。

 金こそ良い面の皮であるが、藁をも掴む想いの金にとって、双から申し出てくれるとは、夢のような話

であったろう。普段ならばその都合の良さ故に、この申し出へ不穏を覚えた筈だが、焦燥と危機感からす

でに考える力を失っているようである。

 或いは元からこのようにたわいない国家だったのか。

 そう考えれば、確かに金はそういう子供っぽいというのか、熟考しない癖があった。金にとって都合の

良すぎる同盟のあり方といい、もう少し金が考えていれば、こうもあっさりと力を封じられる事は無かっ

ただろう。

 趙深にその点を巧みに利用される事はなかっただろうに。

 こういう流れがあり、多少時間がかかったが、紀領内の敵対する二勢力、暦盛と斯馬の力を失わせる事

に成功した。

 後はもう一圧し力を加えれば、紀領がころりと双に転がり込む事になるだろう。



 趙深は双王へ進言し、紀領平定戦を行なう許可を得た。

 今度は紀麗の時と違い、双軍も使う。双軍三千、趙軍千という、堂々たる大軍である。これは一国を制

圧出来る数であり、弱った紀を叩くにはあり余る兵力だ。

 双兵は強くは無いが誇り高く、自分より弱い相手ならば、或いはこちらが優勢であるならば、その誇り

を糧にして勇猛に働く。今回は実力以上の働きを示してくれるだろう。

 しかし趙深の真意は戦をする事ではなかった。

 当然ながら戦を行なえば大量の物資と生命を浪費し、多大なる損害を被(こうむ)る事になる。それは

呆れる程の浪費であり、無駄以上の無駄、無意味な消耗でしかない。

 そんな事を何度も行なえば、戦を持ちかけた方が死滅してしまう。勝っても負けても傷跡は深く、勝利

して絶望する結果にもなりかねない。

 故に直接矛を交える事は、最後の手段としたい。双軍には今は頑張って立ってもらわねばならないし、

趙兵をこれ以上失うのも避けたい所である。

 ではどうするか。そう、外圧ではなく、内圧で滅ばすのである。軍も戦をするだけが能ではない。力と

いうモノは脅しにも使える。むしろ脅しに使う事こそが、力の真価と云える。戦わずして勝つ、そう云う

事である。

 祇路(ギジ)を破った時のように、勢力と言う桶を締め付けている箍(たが)を圧力をかけて外し、直

接手を下さずに自壊させる。これならば自軍から死傷者を出さず、軍勢を保ったまま勝利を収める事が出

来る。

 わざわざ自ら出向いてきた双兵は不満がるだろうが、彼らがどう思おうと、関係の無い事である。彼ら

の無意味な思考など、何の意味もない。不満を声高に叫んでも、実際は空元気という事は解っているのだ

から、適当にいなせば良い事である。言うだけいえばすっきりする、その程度の事である。

 何があろうと、双兵は双王に従うのだから、気にするまでもない。

 騒がしい双軍を横目に、趙起は趙軍を率い、粛々と進んでいる。影が薄いのは、余計な波紋を生まぬよ

う、出来るだけ双軍に干渉しないようにしているからである。戦をするのではなく、数を見せ、脅すとい

う役割であるから、自らは後方に陣し、双軍の鈍重な速度に合わせ、ゆっくりと進めば良い。ここで自己

を喧伝する必要は無く、むしろ目立つ事は害となる。

 双軍の鈍重な動きを苛立たしく思わないではなかったが、ゆっくり進むというのも、脅しならば効果が

ある。そう思い、趙起はそれ以上考えない事にした。

 趙深の方は、飾りとして付けられた将軍が暴走せぬようしっかりと見張りながら、細かく誘導させ、何

とか軍を予定通り進ませていた。将の自尊心と不安を上手く操り、まるで子供をあやすようにして、巧み

に動かしている。

 そう言えば魔力染みて聞えるが、別に大した事をやっている訳ではない。赤子をあやすのと同じだと思

えば、誰にでも出来る事である。図体がでかく歳を取っているからこれは大人なのだと、初めの認識で間

違ってしまうから、皆失敗するのだ。

 双軍が進んで行くと、次々にその傘下に加わろうとする者達が現れた。彼らは暦盛か斯馬に付いていた

のだが、いよいよ双が侵攻するとなり、泡食って現れたのである。彼らにも思想は無い。強き者に従い、

より多くの利を。それだけの極々簡単な思考の持ち主である。

 だからこそ怖ろしいが、今の場合はたわいない

 趙深はそれらを前衛に配しながら、手を変え品を変えて双軍を掌握しつつ、形だけは粛々と軍を進ませ

たのであった。



 暦盛と斯馬は応戦する構えを見せている。当然の事だ、この二人だけは敗北と死が直結している。無理

だろうと無謀だろうと、戦うしか他に無いのである。

 しかしそんな事は二人の事情であり、兵には関係無い。当然のように士気は低く、逃亡する兵も多いよ

うで、その内情は筒抜けである。その全てを鵜呑みにするのは危険であるが、最早止められる事の無い滅

びへの道を歩いている事は否定できない。

 こうなってしまえば、もう誰も止める事はできぬ。

 双が逆に金連合に手玉に取られており、まんまと誘き出した双軍を、待ち構えていた軍が襲い掛かる、

というような可能性も想定していたのだが、杞憂(きゆう)に終わってくれたようだ。

 もしこの全てが双を油断させ誘き出す為の策であったのなら、趙深も趙起もここで終わっていたかもし

れない。そうなれば金連合が大陸に覇を称えるような結果になっていたかもしれず、歴史は大きく変わっ

ていただろう。

 誰にでもその機会はあるが、それに気付くか、それが上手く行くかどうかは解らない。本当は天が選ぶ

のではなく、人が天に選ばさせるのかもしれない。

 魏と金にも動きは見えない。どちらにも間者を発しているが、そういう報告は無かった。ただし別の面

白い知らせが入っている。

 金は劉と陶が牽制しているが、魏の方にもどうも西方から圧力がかかっているらしい。紀領争いの勝者

が決まったと見、これ以上拗れぬよう、周が魏に圧力をかけたようなのだ。周は北方が落ち着き、補給物

資の輸送が安定する事を望んでいる。その為に最小の力で最大の効果を挙げた。流石と言うべきか、金や

魏などは足下にも及ばない。

 やはり北方よりも西方にこそ気を配らねばならないようだ。今の段階では双、趙深ですら、西方の手の

上で踊らされているに過ぎないのだろう。



 趙深は双軍だけでなく、紀陸も引っ張り出している。

 あくまでもこの平定戦は紀の大義を守る為であり、不埒な裏切り者から紀陸を護る為にある。主役は紀

陸であり、双も紀陸から乞われた形で出兵している。その紀陸が奥に篭って震えているようでは、どうに

もならない。少なくとも、戦場に出ていてもらう必要があった。

 当時は碧嶺後のように名と大義を真に重んじる事は無いが。それでも自らを尊しとする為、外聞と名声

を誰もが気にしている。

 誰もが出自の卑賤さをどうにかしようと、あらゆる手を使って、自分を権威立てようとしているのだ。

その為には何でも使う。すでに消え去った信義や道義まで持ち出して、何とかして暦とした王になろうと

し、民に認めさせようとしている。

 人というものは不思議なもので、欲望に塗れながら、それを人に知られる事を恥と思う心がある。欲を

追いながら、それを恥と思う。この矛盾した心が礼儀作法を生む一つの理由になったのだろうが、その心

はこの乱世にあってもいくらかは残っており。世が新たなる形へと落ち着くに従い、より強く、絶対的な

までに人の中へ君臨していく事になる。

 世が落ち着けば、今度は秩序を必要とする。その秩序を壊して勃興した者達が、不思議な事にその秩序

を必要とするのである。その秩序の形は変わって行くが、秩序そのものである事はいつも変らない。

 その新たな秩序を定めるのが碧嶺と趙深になるのだが、その発芽は、彼らが定める以前からいつも人の

心の何処かにはあった。だからこそ碧嶺の法が容易に受け容れられ、その後劇的に大陸人の考え方そのも

のまで変化させてしまったのだろう。

 でなければ、碧嶺没後、彼の統一政権が崩壊したように、その秩序も仕組みも崩壊していたと思える。

 それに双という国は他と違い、形式を重んじなければならない。正統な血統という垂涎(すいぜん)の

唯一の資格を持っているからこそ、逆にその形式に振り回されるしかない。人とは厄介なものである。

 そういう理由があり、また暦斯軍に対する圧力を増させる事もあり、紀陸にはありったけの数を集め、

敵前に布陣する事を命じていた。

 そう、命じている。この時点で双は紀の上に立つ事が決まっており、紀は双の属国となる事が決まって

いる。その領土も大半を双が呑み、紀陸も名ばかりの王として、実際には一臣下へと組み入れられる事と

なる。

 名だけは王としているのは、先も述べた大義名分の為もあるが、これは趙深の口添えの方が大きい。趙

深は紀陸に可能性を見、双ではなく趙に引き入れようとしている。内々に動き、紀陸個人とも友好を深め、

双正の名を借りる事で、後々の為の布石に仕立て上げようとしていたのだ。

 何の為の布石かは、今述べる事では無いが。趙深は様々な所で実に色んな動きを見せている。一番趙深

に近い、趙起ですらその全てを把握しておらず、その為に趙深はどこか謎めいた不気味さも持つ。

 その思惑もやった事も、後世に伝え残されているのはその半分にも満たないだろう。

 趙深は終生この調子であり、だからこそ独自に行動出来たとも言えるし、他の碧嶺臣下からも一歩離れ

ているような印象を受けるのかもしれない。彼だけは臣下というよりはやはり同盟者であり、毛色の違っ

た存在であったように思える。

 それを碧嶺は疎んじるどころか、むしろ頼もしくも好ましく見ていたようで、今もその動きに口を挟む

事をしていない。伝えられる所によれば、その真意を問うことすらしなかったようである。

 趙起は只管に趙深を信じ、自らは軍を動かす将としての役割だけを果たそうとしている。

 まるで主従が逆転している感があるが、そもそも主従という形とはまた違う関係であるからには、それ

もまた不思議ではない。それはお互いが理解しあっていたというよりも、多分に両者の性格に寄るものな

のだろう。

 風変わりで面白い関係である。



 紀陸軍と双軍が進み、北と南から挟み込むように大きく暦斯を包囲している。

 無論暦斯の領地も個人の目から見れば広大であるからには、大湖を二人の人間が両端で睨んでいるよう

な格好となるが、その効果は絶大であった。

 暦盛と斯馬は一緒に居る訳ではなく、互いの拠点に篭り、それぞれに軍を立てている。どちらも亀のよ

うに篭り、力を合わせようとも、軍を集めようともしていない。只管に怖れ、その中でも裏切り者を最も

怖れており、部下でさえ容易に近付けさせようとしない。

 自身が裏切り者であるからには、裏切る者の心理とその結果を良く理解しているようだ。

 この時点で双の勝利は決まっているが、反乱を恐れた暦盛と斯馬が兵を集めず、むしろ分散させようと

し、暦斯兵達はまとまって動く事が出来ず、どうにも困っている。

 しかしそれも大した時間稼ぎにはならなかった。機微を察した趙深が、紀陸と双正の名で、暦盛と斯馬

の首さえ差し出せば他の者の命は保証する、という触れを出させると、機を待っていた暦斯兵達が水を得

た魚のように動き始め、あっと言う間に暦盛と斯馬を討ち取り、その首を献上してきたのである。

 紀陸がそれを収め、投降した兵達を紀軍に再編成する事で(具体的には元の領地や官位を安堵する事で)、

あっさりと平定されてしまった。

 双軍はすぐに引き上げ、まだ落ち着かないながらも、紀領はいつもの暮らしへと還りつつある。

 趙深は紀領平定戦をやり遂げた事により、更に双内での権威を強め、客将でありながら参議、つまりは

政議に参加しその方針を決める決定権の一端を持つ職、へ命じられ、民の間でも知らぬ者がいない存在と

なった。

 兵の間では武力ではなく政略で落した事に不満があるようだが、それは前も述べたように見せかけだけ

の不満であるので、問題は無い。

 双は紀領を得た事で、更に飛躍(ひやく)できるだろう。もしこれに金と魏を加える事が出来れば、堂

々たる大国となり、北方に覇を称える資格が充分に生まれる。

 その為にも、まずは上手く紀を併呑せねばならない。そして劉と陶との関係もある。これらも滞りなく

済めば良いのだが。




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