8-5.分譲、併呑


 紀領が平定され、未だ領内は慌しいながらも、早速土地の配分が定められる事となった。

 あくまでも協力の礼という形を取るから、双だけが利を見る訳にはいかないが。ほとんど双だけで紀領

を平定したようなものなのだから、強腰で行っても、誰も文句は言えなかっただろう。

 紀陸に降伏した者達も、あくまでもそれは形だけの話で、実際には双に対して服従の姿勢を取っている。

実質双の領土となってしまっている今、どれだけ土地を奪われようと、紀陸に文句は言えまい。

 権力争いに勝利したとしても、紀陸の力はさほど大きくはならない。それが外部から力を借りた代償で

ある。

 そういう事情があり、双の重臣達は大部分の領地を奪う事を進言していたが、しかし趙深はそれを是と

せず、密かに双正と相談し、ある程度の領地を紀陸に残してやっている。

 それは温情を見せる事で、後々に他国が双に靡(なび)きやすくなる、助力を申し出、或いは乞う、と

いう協力関係を築き易くなる、等の意味合いの他に。趙深個人として、紀陸をいざとなれば独立出来る勢

力として残して置きたい、という気持ちがあったからである。

 知っての通り、趙深、趙起がわざわざ双にまで来て、表面上は無償の奉仕をしているのも、ただただ窪

丸に居る同胞を救いたいが為である。その為には後々の事まで考慮する必要があり、ここで双に大きくな

り過ぎてもらっても困る。

 ようするに何かあった時の為に、常に対抗勢力となりうる存在、或いは旗頭、つまりその核となる存在

を残して置きたいのである。

 楓を兄貴分とする同盟がまだ生きているとはいえ、双の重臣達はその同盟に反対していた、おそらく今

も反対しているだろう。そんな者達に余計な力を持たせるような事になれば、何を考えるかは解らない。

少なくとも、楓にとっての利はあるまい。

 双正に楓と敵対する意志は無いとしても、双臣と双民がそういう考えへ傾倒すれば、双正までも引き摺

られてしまいかねない。双正は双王として絶対な存在であるが、神として君臨するが故に、あまり直接的

な行動は出来ず、その為に引き摺られてしまう可能性があるのである。

 今は趙深が側に付いているから良いが、趙深が側を離れればどうなるか解らない。

 愛国心という便利な言葉もある。双正は楓に騙されているのだ。故に楓を打倒し、双正の目を覚まさな

ければならない。などと野心家が言い出さないとは、誰も言い切れない。

 紀陸はそれに釘を打つ役目として残しておきたい。ある程度の力を持ったまま、属国としてでも、紀と

いう国を残して置きたい。紀陸の名を大義名分として使ったのには、紀陸自身を生かす為、という理由も

あったのだ。

 趙深は無条件に誰かを信じ抜くと云う事は、滅多にしない。いつでもそうするべき理由作りをしておく。

偶然も幸運も信じない。ただそうなるべき自然の流れを生み出す事に、終生力を尽くした。

 そういう意味で、趙深は双正も信じ抜いてはいない。

 双正は潔癖な要素を多分に持つ男だが、その心には確かに双を復興させたいという想いがある。それは

彼個人のモノではない、先祖代々脈々と伝えられてきた悲願、執念であり、あくまでも双という血が願う

事ではあるが、時に個人では抗えない感情となって噴出する。

 となれば、ある種の気まぐれのように楓と敵対する事も、或いは無い訳ではない。

 ただ現状では両者の思惑は一致している。それに双正としても、自らを慕い、双という名を、例え表面

上だけだったとしても、立ててくれる紀陸に対し、悪しからぬ想いを持たぬでもない。

 そこで合議した末に、紀陸に五分の二を与え、双が五分の三を得る事を定めた。紀陸が王都のある紀領

北部、双が領を接する南部一帯を支配する。無論、紀陸へは相談無く、一方的な通達である。

 初めは半々にしたかったのだが、しかし双の領地が上回らねば、臣は承知しまいと云う事で、そう言う

事にした。それでも収穫高の多い地帯を紀陸にも与えているから、ある程度の力は持てる筈だ。紀陸が思

った通りの男であれば、趙深の望みも達せられるだろう。

 定められた境界が布告されても、将兵と民から不満が出ることはなかった。

 双の領地になったとはいえ、その領地を与えられていた家臣ごと双に併呑される形を取った為、実際に

は紀王家と双王家にしか影響がなかったからである。今まで紀へ納めていた税を、今度は双へ納めればい

いだけの事。無論兵役の義務などもあるが、ようするに上に立つ王が変わっただけで、後は変わらない。

 ある程度は双式に移行せねばならないだろうが、それも急激ではなく、緩やかにしていく方針を双が打

ち出している為、大した混乱は生まれなかった。

 実質的に見れば、紀領全体を属国化しただけとも言え、どうなるかと戦々恐々としていた紀側にとって

は、嬉しい結果となったようである。

 こうして表面上は難無く済み、双はその力を増したのであった。



 紀の安定を紀陸に任せ(こういう意味での存在価値もある)、双の意識は金へ向う。

 すでに金連合は瓦解している。双が劉と陶と密約を結んでいる事までは金は知らない筈だが、連合がす

でに役に立たない事は、かの国も充分理解している。しかし紀が制圧され、双の力が増している今(しか

も先の戦での双への被害はほぼ皆無)、金は連合に頼る他無い。

 魏と繋がる道も模索していたようだが、それは初めから無理な話である。魏は近い内に周と従属同盟を

結び、周の属国になるとの噂もあり、金が入り込む余地はなかった。

 このまま座して待てば、いずれは双が侵攻して来、そうなれば劉と陶もどう動くかは解らない。下手す

れば金を裏切って侵攻して来るかもしれず、金は救いの道を見失った迷い子のように、絶望とそれ以上の

焦燥の中で、軍備増強に専念し始めていた。

 最早他の事は一切考えていない。とにかく刀剣を買い、傭兵を雇い、民からも広く兵を募る。蓄えてい

た資金と資材を擲(なげう)って、形振り構わぬ姿勢を示している。

 兵や民もその気分に包まれ、焦りの中、とにかく気炎を挙げ、全ての気持ちが戦へと向わされていた。

 つまり誰もが不安であり、軍事力を強める事でしか、他にそれを和らげる方法が無かったのだろう。

 だがそんな極端な方向へ傾けば、自然、それに反しようとする力が生まれてくる。

 金国内には反乱分子とも言うべき勢力が芽生え、その力を増しているそうなのだ。

 それは民と一般兵の中から不満とともに発生し、徐々にその数を増やしている。そして金が軍備増強に

力を傾ければ傾けるほど、それに応じるように反乱分子の力も増していく。

 ようするに金国内は王を見捨て他の者を王として擁立させる、或いは他国に属しようとする派と。あく

までも金に従い、金と心中しようという派に分かれている。

 それはどの時代どの国にでも末期に現れる現象で、おそらくは国への忠義とか愛国心とか、或いは反抗

心とか憎しみとか、そういうモノとは関わり無く、多分に自然発生的に生まれるモノなのだと思われる。

国とかそういう理由は後に来るもので、ようするに今のまま行くか、それとも変わるのか、いつもと変わ

らぬ反対賛成の戦いである。

 反対する為に反対し、賛成する為に賛成するように、それは際限なく拡大し、次第に深刻な溝を設け、

個人的な憎しみにまで変わっていく。

 どちらも現状を打破すべく動こうという姿勢には変わりなく、その手段のみが違うのだが、人の中に置

いてはそれだけの問題ではなくなってしまうのである。思想ではなく、自分と違うという事自体に憎しみ

を抱き始め、目的は一緒であるのに、何故かお互いに争い憎しみ合おうとする。

 真に無様かつ無意味な争いなのだが、人は何故か長い時をそのように過ごして来、今も変わらず続けて

いるようだ。

 人は自らが一方に突き進もうとする事に対し、まるでそれに反するように他方へ突き進もうとする存在

が許せないのかもしれない。例え目指す先は同じでも、その道程が違う事に、耐え難い怒りを覚える。

 それは理性ではなく、善悪でもなく、単なる感情の発露なのだろう。だからこそ、その理由を思想の中

に探している限り、永遠に理解できない。感情とは人が想うような良いモノでは無いのかもしれぬ。

 感情のまま走り続ければ、いずれ内乱になる事は、誰の目にも明らかであった。



 趙深は焦らず時間を置く必要があると考え、一時視点を広く伸ばし、劉と陶へも向ける事にした。

 知っての通り、劉と陶は双と密約を結び、その頭の中では金を敵国と考えて行動し始めている。その二

国が金の内乱を見過ごす筈が無い。間者からの報告に寄れば、すでに干渉し始めており、金が紀に行なっ

たのと同様、主だった重臣と密約を結ぼうとしているという。

 もしかすれば、金内部から両国へ働きかけがあったのかもしれない。反乱を起すには、外部の力が要る。

自分達だけで打倒する力が無いから、常に反乱と呼ばれるのだろう。

 しかし金は劣勢に追い込まれようとしているが、その基盤は崩れていない。双や劉、陶との関係が悪化

しただけで、少なくとも今は、さほど内情に変化が無いのだ。

 王は変わらず君臨し、その増強された軍事力を使い、治安維持にも勤しんでいる。未だ統治するだけの

権威は備えている。

 金の王の名は金顔(キンガン)。独特の風貌をしており、南方の少数部族達と共通する部分が多い所か

ら、土着人との濃厚な混血族ではないか、という噂がある。金という国も古く、大陸全土に領地を変えな

がら、度々歴史の中に登場している。

 その金という国々が同じ血族の者によって建国、運営されていたのかまでは解らないが。もしそうだと

すれば、始祖八家の時代にまで遡る程に古い。

 しかし古き血統を大事にする双ですら全く関心を抱いていない事からも解るように、その血筋は一般に

全く尊重されていない。それはその血が古いものであっても、あくまでも土着人の血であるという事にな

り、大陸人の古き血統とは認められないからだ。

 無論、どの大陸人にも土着人(そういう存在が本当に居たならば)の血はある程度流れているだろう。

賦族ともそうであるように、お互いに交流はあっただろうし、その流れとして結婚、或いは女の略奪、が

あっただろう事は誰にでも想像出来る。

 だがここでいう血統とか血筋とかはそういう厳密なモノではない。あくまでも思想の上での、偏見の上

での血統であり、血筋である。ようするに大陸人とそれ以外という、差別と人種主義に寄っての血統なの

である。

 金の流儀も大陸人好みではなく、総じて粗野である。金が劉と陶を軽視していたように見えるのも、そ

のせいだろう。別に金はこの二国を顧みなかったのではなく、単に、自分を立てる事のみが金のやり方で

あり、他者に譲るなどとは信じられぬ、という気分に寄る。

 金も孫と似たような所があり、孫程苛烈ではないにしても、自らが上に立たねば気が済まぬ心があるの

だろう。金顔は特にその色が強く、自らを英雄のように思い、そうあらんとし、その為ならば他国の事な

ど考慮しない。金はあくまでも兄貴分であり、であるからには劉と陶は弟として金を立て、その意に従う

のが当然であると、そう考えているのだ。

 それは金顔自身が傲慢というよりは、やはり風俗や根本的な考え方の違いと捉えた方がしっくりくる。

 誰もそうは思っていなかったようだが、金顔は愚かではなく、武勇も知恵もあった。他の国に生まれて

いれば、おそらく優秀な将、或いは王になれただろう。

 しかし彼は金に、しかもその王として生まれた。考えてみれば、それが彼の不幸だったのかもしれない。

 金と劉陶との間の溝は、最早修復できぬまでになっている。しかし金という国がそうであるからには、

自分のやり方が不味いとは気付かない。例え気付いていたとしても、そうなる理由が解らなかったろう。

 金は金こそが、金のやり方こそが至上だと、素朴なまでに信じ込んでいる。そしてそうする事が劉陶に

とっても幸せだと考えている。

 金が大きくなれば、弟分である劉陶を守る力も増す。望むなら、兄の度量を見せる為、領地をいくらか

は分譲してもいい。決して劉陶を無視している訳ではない。

 だがそれは全て金だけの事情であり、当然劉と陶には通じない。

 根底にずれがあるのだから、時間を置けば置く程溝が深まるのも当然であった。最早劉と陶は金に価値

を抱いていない。むしろ有害であるとさえ考えている。

 しかしそれも逆に言えば劉と陶だけの問題である。金はあくまでも金として在り、確かに焦り苛立って

いるが、依然として金顔の支配力は強く、声望も堕ちてはいない。金の将兵も民も金のやり方に慣れてい

るから、大部分は金顔を評価してさえいる。

 彼らからすれば、何故金に従わないのか、金を立てないのかと、苛立ちは主にそちらへの怒りに転化し

ているようだ。自然発生的に生まれた反乱分子も、その内情は単純に金顔との権力争い、或いは現状への

不満を大義名分という笠に隠しているに過ぎない。

 この状況では、まだ手を出すのは早過ぎる。

 例えて言うならば、紀に未だ紀霊が生きている、そういう状態だろうか。金も末期症状を見せているが、

さりとて金顔という強力な支配者が居る限り、容易には崩れまい。

 例え内部干渉したとしても、効果的な結果は見えそうにない。

 だが干渉する事で、少しずつその力を削る事は出来る。無論そうしている内に、干渉している劉と陶の

方も疲弊してくるが、それは双には関わり無い事、むしろ好都合である。

 故に、双は待つ。

 劉と陶も今は二つで一つのような形を取っているが、この先どう動くかは解らない。この二国も友誼の

為ではなく、単純に自国、つまりは王の個人的な利益の為に動いている。今劉陶の繋がりが強いのも、単

にそうしなければ不利になるからで。逆に考えれば、この二国が深く繋がる事で、お互いに監視、牽制し

合い、どちらも抜け駆け出来ぬよう足を引っ張り合っている、とも言い換えられる。

 であればこそ、双の、いや趙深の付け込む隙が生まれてくる。窪丸を救う為、双にはまだまだ大きくな

ってもらわなければならない。金を劉と陶に譲るというのも一時の方便に過ぎず、たかが紀一国を得たく

らいでその歩を止める事はない。

 趙深は三国を睨み、その隙を窺う。

 ただし、単純に待つだけではない。その間にも様々に謀略を張り巡らせている。趙深は呆れる程勤労だ。

 その仕事の中でも双と並ぶ大きなモノが、趙起である。彼もまた、その役割をもう一歩大きくしよう、

いや、させられようとしている。それも趙深が趙起を窪丸より離し、身一つで双へ連れてきた理由の一つ。

趙起こと楓流に様々な事を学ばせ、楓流自身を大きくする、趙深流の帝王学指南であったのだ。

 孫文に対抗する為、楓流もまた双と同じく脱皮する必要があった。王から覇王へ、覇王から統一皇へ、

そして王者となり世に王道を敷く。その為に更なる経験を積まなければならない。




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