8-6.趙起


 金連合の事、紀の事を趙深に任せ、暫くは出番の無いだろう趙軍を率い、趙起は南東を見据える。

 北に紀、東方面に金連合、そして西に魏。それぞれに一時的にだが形は付いている。しかし未だ窪丸へ

は届かない。焦っても仕方ないし、焦る必要も無いのだが、さりとて焦燥の念を消す事は出来ない。

 順調に進んでいる。だがこの待ちとなる時間ですら、趙起は無駄にしたくない。そしてそれは趙深も同

じ。迂闊に事を急げば、孫に感付かれる可能性が増すとしても、ただ待ちを待ちとして何もせずに居る事

は許されないと感じる。

 全ての力を全ての時間に尽くす、それこそが趙の望む道。

 趙深は放っておいた南方、特に窪丸へ繋がる南東部へと趙起を向わせた。無論実際に行かせたのでは無

く、その意識を向けさせたという意味である。

 他方面が全て一応の区切りが付いている今、その食指を南東へ向けても怪しくはない。むしろ自然であ

ろう。そしてその自然さを後押しするように、南東部が今熱を帯び始めている。

 双が力を増し、そして北部から東部にかけての勢力が大きな動きを見せている今、それに引き摺られる

ようにして、南東部も活発な動きを見せようとしているのである。

 双の南東に控えるのは、越(エツ)。双南西まで伸びる西方の呉とは犬猿の仲であり、本心は西方の大

同盟に繋がりたいと考えていながら、それに属していない。その上、国土もさほど広くなく(双の三分の

二程度だろうか)、兵力も二千もあれば良い方だと云われている。

 それでも越が今まで生き残れているのは、西方勢力が大同盟成立までは熾烈(しれつ)な争いを続け、

越は防衛に適した地形で大兵力を動員し難く、全軍を持って越を叩く事が出来なかったからであり。大同

盟が成った今も、呉が最も孫と領が近く、自然その戦火が激しく、前とは別の理由で越に構っていられな

いからだ。

 更に越兵は越に置いては誰よりも強く、その強き兵を有能な二人の将が率いている。呉といえども、強

引に攻めては勝ち目が薄い。しかし越としても孫は怖ろしく、呉以外の西方勢力を敵に回す事もしたくな

く、現在は睨み合いの膠着(こうちゃく)状態にある。

 越軍を率いる二将の名は郭申(カクシン)と清鐘(シンショウ)。二人は義兄弟の契りを結んでいる。

 郭申は無理を嫌い、手堅く確実な用兵を行う。冷静で堅実、崩すのは至難であろう。

 清鐘は当時としては珍しく補給という概念を理解、習熟しており。補給を途切れさせず継続する事に長け、

け、持久戦を得意としている。

 どちらも攻勢には向かないが、守備を任せればこれ以上心強い者はいない。そういう意味で、白祥(ハ

クショウ)と似ているかもしれないが、二将は趙起と同じか少し上くらいの年齢で、その点でも持久力に

優れている。

 越は河川の多い地形で平地が少なく、その為に人口に伸び悩んでいるのだが。河川のおかげで守り易く、

攻め難い。大軍を用いる事は困難で、行軍路を確保する事すら難しい。一息に抜けるような地形ではなく、

憎き相手といえども、呉は今までも少数を用いての小競り合い程度しか行なえなかった。

 機を見計らって千単位の軍隊を用いた事もあったが、その地形故に往生してしまい、結局は退くしかな

かった。

 渡河手段となる川舟が多量に無ければどうにもならないが、さりとて川舟があったとしても、水戦で越

に勝てるとは思えない。越兵は河川での戦に無類の強さを発揮する。

 郭申と清鐘が現れてからは尚更手が付けられなくなり、戦をする度に捕えられる捕虜の数は増え、その

捕虜から技術を奪われ、呉は怒りを募らせながらも、決定的な手段を見出せずにいる。

 かといって、越も呉に攻め入る程の力は無く。あくまでも越の地に居てこその越兵、深追いも出来ず、

勝利はしても決定打を与えられない。

 堂々巡りであり、長年の仇敵。余人には解らぬ根深い感情が両者の間に横たわっている。

 互いに恨みと憎しみを常に絶やさず、怨嗟の声が大地を浸す程に強く強く人の心の中に潜み、修復しよ

うのない関係を築いているようだ。

 初めから憎しみのある関係ではなく、以前は交流もあり、風俗や思考なども似通った部分が多いのだが、

その事も今となっては憎しみを募らせる原因にしかならない。

 似ている。仲が良い時は良いのだが、一度こじれると、似ている事ほどその仲を更に険悪にさせてしま

う理由は無いと思える。似ていれば比較される事も多くなり、その事もまたお互いを意識させ、意識する

事で更に関係を拗(こじ)らせる。

 今ではもう何を理由に憎みあっているのか、良く解らなくなっている。解らないが父母の教え通り、人

々の言う通りに憎んでいる。長い憎しみの中で、理由無く憎しみ合う者達も、両国に数多く居るだろう。

 この越がどうやら双に食指を動かし始めているらしい。と言っても軍を差し向けて侵略しようという風

ではない。どうも双の豊富な資金が目当てのようで、越に近い村町からの税を狙い、収税使を襲っている。

無論表立っての事ではなく、確たる証拠も無いが、その賊の来ている方角、川舟を移動手段に用いている

事から見ても、その可能性は高い。

 越は呉の意識が孫に向けられている間に力を蓄えようとしている様子で、ひょっとすれば双を挑発して

越に誘い込み、それを討つ事で名を上げようとしているのかもしれない。或いは双と組みたいから、自ら

の強さを見せようとしているのか。

 また或いは、最近力を増している双に対し、釘をさしておくという意図があるのかもしれない。

 越も変わりつつある状況に怖れを覚えていると云う事だろう。西方とどう接するべきか、そして北方で

これからどう自らを位置付けていくべきか。悩んでいるのだろう。

 まあ、その真意が何処にあるとしても、当面の相手として越が双を選んだ事に間違いは無い。

 早めに手を打っておく必要があった。

 幸い、越と西方との関係が険悪である以上(呉と仲違いしているからといって、他の西方諸国とも険悪

とは限らないが、少なくとも表立っては)、争っても西方から文句を言われる事はあるまい。

 呉などはそれを歓迎さえするかもしれない(無論、双を手助けするような余力は呉には無いだろうが)。

 しかし越は呉(今は双も足されているが)以外の国家に対しては概ね友好な関係を築いている。場合に

よっては近隣の国までもが介入して来ようとするかもしれず、更には越は呉でさえ攻め倦(あぐ)んでき

た国家である。千程度の趙軍だけでは如何にも分が悪い。

 頼みの趙深は東西と北を睨み、越にまで構っている余裕は無い。それにこれは趙起に課した試練である

(当の趙起は知らない事だが)。趙深がこれまでのように万事滞りなく采配してくれる事はないだろう。

 さて、趙起はどのようにしてこの難局を打破するのか。

 それとも越の前に屈するのであろうか。



 趙起は間者を送り、情勢を探る事にした。まず敵を知らねば何も出来ないからだ。

 警備の為と軍を動かす事も出来たが、そうすれば越も色めき立ち、何をしてくるか解らない。この時代、

この状況では、軍を動かすだけでも宣戦布告となりかねないのである。

 取り合えず、収税使の警護人数を増やし、遠回りになっても陸路を行く事を命じ、情報収集に勤しんだ。

 それと合わせ、呉と周に断りの書状を送っている。西方に接する国と争うのだから、当然事前に話を通

しておかなければ、無用な恨みを買いかねない。呉だけでなく周にも送っているのは、双が魏の事で以前

周に話を通しているからである。

 望む望まないに関わらず、周派にされてしまう事は、以前に書いた通りで、双としても西方に関係する

事に対しては、周にも気を使わなければならない。

 越の情報は次々に入ってくる。

 趙深の情報網と諜報能力を、趙起も完全とは言わないが利用できる。その為に情報収集は随分楽になっ

ていた。賦族は何処にでも居る。勿論越にも呉にも居る。そこから必要な情報を得るまでには、いくらの

時間もかからない。

 趙深は間者にも教育を施(ほどこ)しているらしく、趙起が細かく指示しなくとも、必要と思われる情

報のみを抜き出して、定期的に伝えてくれる。

 この諜報能力があってこそ、趙深は縦横無尽に知略を揮う事が出来るのだろう。

 間者からの報を読んでも、越の地が如何に行軍に不適切であるかが解る。極端に言えば、碁盤の目のよ

うに全土を河川が覆っていると考えて良いくらいで、何処をどう進んでも河川を避ける事は不可能。そし

てその一々に防衛地点が作られており、防柵で囲われ、少数ながら常時弓を持った守備兵が駐屯し、巡回

している。

 特に領土の境には多くの守備兵が置かれ、その目から逃れる事はまず不可能である。

 その戦法も河川を充分に利用したもので、敵兵に散々対岸から矢を撃ち込んだ後、さっと次の陣地まで

後退する。そして再び対岸より矢を放ち、さっと後退する。

 河川もわざわざ川幅を広くしたり、底を深くしたり、様々に手が加わっているようだ。おそらく西方の

技術を応用した成果なのだろう。まず徒歩で渡河する事は出来ず、泳ぐにしてもそこを狙われれば一溜ま

りもない。

 越軍は後退する度に各防衛点の守備兵を吸収しながら大きくなり、最後には全兵を持って疲弊した敵軍

を粉砕する。こうする事で二千程度の兵が数倍の力を発揮し、寡兵を持って大軍を破ってきた。

 この戦法を取る為には河川での戦いに習熟し、更に兵に相応の体力が必要になるが。越は若い兵を前線

に、老兵を内地に置く事でそれを解決しているという。どの兵も河川に習熟している事は、言うまでも無

い事である。

 川舟の扱いにも長けており、土地柄その数も多い。

 水路も余人に悟られぬように気を配られ、見張りは多く、重要な場所は趙深の諜報網を持ってしても、

調べる事は不可能であった。

 正に難敵である。趙軍がただ勢いだけで攻め立てても、あっけなく敗れ去るだろう。

 これを撃ち破るには、圧倒的な数で全方面から圧するか、或いは大軍をもって被害を覚悟で攻め続ける

か、どちらかしかないと思えるが。趙軍の兵数は千程度、どう戦っても、万に一つの勝ち目も無い。

 次に将を見てみよう。郭申と清鐘の二将の事である。

 この二人は越一帯の河川を縄張りとする運輸商出身であるようだ。もっとも運輸商とは言っても、元は

川賊とでも言うような者達の集まりである。それを彼らの力に目を付けた(或いは怖れた)当時の支配者

が、その行いを公認する見返りに、川賊を味方に付けた。

 それが始まりと伝えられ、運輸商となった今も、川賊であった時の風は失っていない。運輸商という組

織自体の力も強く、越軍の戦法を見ても解るように、彼ら無しには越そのものが成り立たなくなっている

程だ。

 河川を支配する者が越を支配する。越の真の支配者は王ではなく、河川を統べる、彼らかもしれない。

 越兵にも自然運輸商や川賊(支配者に応じなかった者達、ごろつきの集まりも多い)が多く、国防は彼

らの利害とも一致し、それ故に強固な連帯感を生み、兵としての強さ、粘りにも通じている。

 越は名ばかりの政府、いや一介の組織といっても差し支えない。運輸商達の上に乗っかっているだけの、

今はそれだけの存在に成り下がっている。傀儡政権の形態に近いかもしれない。

 だとすれば、付け込む隙はそこにある。

 趙起が戦う相手はあくまでも越という国、つまり形と名であって、その国民、つまりは運輸商達ではな

い。それに双が支配者になるとしても、運輸商達の力は絶対に必要となる。

 物流は国家にとっても重要な事だ。

 川舟は速く物と兵を運べる。大型船が無い為に、一度に運べる数は高が知れているとしても、その分数

で補えば、趙深の秘密路で驚く程速く移動出来たように、神出鬼没の用兵を行なう事も可能になるかもし

れない。

 運輸業が栄える事も願っても無い事。物を運ぶ事で大きな富が生まれる。双の豊富な物資と資金力を生

かせば、膨大な富を得られるかもしれず。西方との繋がりも強く出来、更には遠く窪丸まで繋がりを伸ば

す事が出来るかもしれない。

 そしてそれは運輸商達にも巨万の富をもたらす。今は越近辺だけで働いているのが、双、そして北方一

帯へと広がっていけば、どれほどの富を得る事になるか。

 その事を持ち出せば、運輸商の心を取り、越を落す事も容易くなるかもしれない。

 戦や単純な国同士の外交では無理でも、富を理由にすれば、運輸商達を動かせるのではないだろうか。

 趙起は趙深のやり方を真似ようとした。趙起も今まで力だけを用いてきた訳ではなかったが、何処かで

まだ甘く、結局最後はいつも自己の力に頼るような部分があった。

 しかしそれでは圧倒的な力を誇る孫文に、一生かかっても勝つ事など出来る訳が無い。戦って勝つ、の

ではなく、戦わずに勝つ、戦う前に勝っている、そういう思考へと向けなければ、楓流対孫文の形に拘るよ

うでは、また前の二の舞三の舞になってしまう。

 嫌な言い方をすれば、もっと他者を利用する手段を考えなければならない。全てを自分でやろうと考え

るから、大事な所でしくじってしまう。疲弊して、最後には敗れてしまう。

 自分と目の前だけを見ているから、あっさりと足下を掬われるのだ。

 これ以上、同じ轍(てつ)を踏んではならない。

 趙起は学ぶ必要がある。趙深を模倣し、孫文に学び、しかる後にそこから脱皮し、両者を超える。それ

が出来なければ、窪丸を救う事も、それ以前に越を攻略する事も出来ないだろう。

 頭を働かせなければならない。狡賢くなれ、とは言わないが、もう少し考えなければならない。ただ戦

うだけが能ではない。人と刃を交えるだけが戦いなのではない。単純な勝敗だけではなく、国は何故争い

合い、何故一方で協力し合うのか、その理由にまで考えを及ぼせば、自ずから新たな道は見えてこよう。

 趙深が趙軍のみで越に当らせたのは、それで充分だからである。寡兵で充分と云う事はつまり、寡兵の

まま戦う必要は無い、という事を意味している。

 戦えば勝てない。戦わずして勝てと、趙深は言っているのだ。

 趙起は少しずつだが、その意を理解しつつあった。

 無論、それだけで上手くいくなら、誰も苦労はしない。そこに気付いてからが始まりである。




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