8-7.商国


 趙起はまず双の名を借りて、越王へ国境付近の賊討伐への協力要請をした。

 無論その賊そのものが越なのだが。その証拠は無い。証拠が無い以上、越に遠慮せねばならず、無闇に

国境へ兵を集める訳にもいかないから、面倒ながらも一言知らせなければならない。馬鹿馬鹿しくも思え

るが、こういう化かし合いを続けなければならないのである。

 情けない事に、今の世の政治は、そんなモノへと成り下がっている。

 越からはすぐに返答が来た。越も国境辺りで不穏な動きがあるのは知っているし、それを遺憾にも思う

が、しかしそちらへ派遣出来るような余剰の兵力は無い。との事である。

 ようするにやるなら勝手にやれ、と云う事。予想通りと言うべきか、無難な返答と言うべきか。

 越としても賊討伐には反対する事が出来ない。例え越自身がその賊だとしても、あくまでも建前は越と

は関わり無い不埒(ふらち)な賊なのだから、その討伐に反対するなど、国家としては出来ない事だ。賊

は越にとっても敵であるのだから、賊を国が認めるような対応を取る事は出来ない。

 故に同情めいた言葉も返答には添えてある。同情はするが、しかし力は貸せない。意固地なまでに、そ

ういう形を取っている。

 予想通りであるから、この返答に誰が驚く事もない。とにかくこれで話は通した。討伐軍を動かそうと

も、後で文句を言われる筋合は(これも建前としては)なくなったのである。

 趙起は千の手勢の中から、三百を抜き出し、自ら率いて越との国境付近に移動した。全軍を移動させな

かったのは、高だか賊程度に千もの軍勢は明らかに多過ぎるからである。それは賊討伐の名を借りた、侵

略準備だと捉えられかねない。開戦の理由などいくらでも生み出せる、慎重に行動せねばならなかった。

 さほど規模の大きな賊相手ではない為、三百でも多いといえばそうなのだが。越は長年に渡り呉の侵攻

を防いできた国家である。数百なにするものぞ、という気分があるだろうし、実際に数百程度では越に脅

威を与える事は出来ない。越が過敏に反応する事はないだろう。

 例え何か言ってきたとしても。賊の出没している範囲が広く、その為に人手がいるのだと言えば、別段

不自然な事ではない。

 越は川舟を巧みに使い、行動範囲が広い為に、賊が拠点とする場所を特定し辛いのである。昔は川賊が

幅を利かせていたという事もあり、国中に根城となっていた跡があるという事も、それを助長させる。

 ともあれ、趙起は三百の軍勢と共に、越国境付近の拠点、支路(シロ)へと駐屯している。第一段階は

達成できたというべきか。



 支路。枝分かれした通路、の名前通り、ここから越側に踏み入れれば大河悠江(ユウコウ)の支流が数

多く流れ、川舟無しで進むには非常に困難な地形となる。

 支路という実直な名前からは、ここが国が何かの目的の為に造ったのではなく、自然発生的に必要から

生まれた街である事が解る。

 ここは元々川の渡し守、増水の為に舟が出せない時の待ち宿、の為に生まれた街である。それが付近に

国が出来るに従い、交通の要所としての価値が益々高くなって、見る見るうちに大きくなり、今では人の

波が途切れる事が無い程に賑わっている。

 賊が出没しているという報を聞いても、街人が動揺する事はない。彼らは知っているのだ。それが越の

仕業であり、その標的は双の収税使であって、決して商人や旅人では無い事を。

 何故なら、この近辺は越が出来てより、いや越という国が生まれる前から、運輸商やその前身となる川

賊が自治し、厳しく取り締っていたからである。

 彼らが国という垣根を越えて、この越付近にある川という川を取り締ってきた。だから商人や渡し守は

それなりの金を取られるが、きちんと支払っている限り、彼らの安全は絶対に保証される。常に護衛の舟

が付いてくれるという丁重さだ。

 運輸商も川賊も、まず人が来てくれなければ商売にならない。だからいつ頃からか無闇に襲う事を止め、

代りに自治をし、安全料とでもいうべき金を徴収する事で、より確実に懐を潤わせ。襲うのではなく守る

事で来る人数を増やし、単に奪うよりも大きな富を得るようになった。

 これも一つの国家と云えるだろう。

 自治組織はより利害と深い関わりがある為に、国家などよりもよほど信用されている。だから街人はむ

しろ喜んで金を払う。越の川商に護られている限り、誰も手出しが出来ないからだ。その上何かあれば助

けてもくれる。頼りになるか解らない国家などよりも、現実に利益のある自治組織の方を民達はありがた

く思う。それは当然の事である。

 故にこの越付近は国境を越えた、無国籍の独立勢力という雰囲気がある。一般に云う国家とは別の意味

で、おそらくここは独立しているのである。名前だけは双だの越だの言っているが、この支路も第三勢力

に近い気配がある。もっとも、統治期間が長いのか、双的気質もきちんと持っているようだが。

 趙起は支路に異風を感じていた。ここは双でありながら双ではない。そう考えておく方が良いのだろう。

 自治組織がある分、国と二重に税金を取られる事になるが。しかしそれを払っても余る程に収入は多い

らしい。

 越舟は速く、しかも確実で、運賃も良心的、と評判が良く。巨利を生む事も難しくはない。舟持ちにな

るのは色々と難しいが、ただ物を北から南に運ぶだけでも、充分に利益が挙がる。安全料や費用を差し引

いても、生活に困る事はない。

 戦の多発する乱世でなれば尚更である。

 戦とは即ち消費。金と物、そしてあらゆる命が夥(おびただ)しく動き、消えていく。故にその夥しい

消費を補うだけの物が必要である。何でも飛ぶように売れる。儲からない訳がない。

 越人は商魂逞(たくま)しく、あの呉へさえも区別なく物を運んでいるようだ。恨みは恨み、商売は商

売といったところか。商談がまとまれば、仕事は確かにする。それが川商としての誇りなのかもしれない。

 或いは仇敵である呉とさえ、商談さえまとまれば、きちんと取引を行なう。そういう信用を得たかった

のかもしれない。呉を利用しているのだと思えば、腹も立たない。

 越人は商人的思考が濃厚である。

 呉としてはそう言う所もまた鼻につくのかもしれないが、舟は輸送に便利である為に、双からの物資な

どが毎日越近辺を通って運ばれて来る。嫌でも利用しない訳にはいかない。そしておもしろい事に、双も

また、絶対にこういう商舟が襲われない事を知っている。だから収税使が襲われているのに、遠慮なく輸

送路として使っている。

 不思議に思えるが、内実を知っていれば、不思議な事は何も無い。化かし合いである。

 とはいえ、確かに越は不思議な国家であろう。王も居るし、政府もあるが、実際に動かしているのは商

人達であり、民の方もそれを知っている。他国でさえ、そう思っている。そしてその自治組織は、こと商

売においては、敵国からも信頼されている。

 つくづくおかしな国である。

 しかしこの川商達も、今でこそ一つにまとまっているが、昔は縄張り争いが酷く、とても輸送路として

利用出来ない程に乱れていたらしい。それが徐々にまとまり、協力する方がかえって利益が出ると気付く

に及び、今のような強固な組織へと変貌する事になったのだが、その間には随分血生臭い歴史がある。

 今その詳細を記すつもりはないが。昔ならともかく、今の運輸商の組織を崩す事は不可能に近い事は確

かだ。それは趙深の諜報組織を崩す事と同じくらい難しい、深く根付いた関係なのである。



 支路付近に、暫しの平穏が訪れている。

 趙起が三百の兵を連れてきた為か、収税使が襲われる事がなくなったのだ。

 そんなに頻繁に税を取り立てる事も無いから、単に襲う収税使が居なくなっただけ、とも言えるかもし

れないが。とにかく落ち着きを取り戻している。結構な事だ。

 支路に来て肌で感じる事により、どうやら越というものの形、正体が、おぼろげながら掴めてきた。こ

こ支路とも、つまり双領ともすでに深く繋がっているというのには驚いたが。この付近を治めるのは自治

組織の方が遥かに古い。考えてみればそれは当たり前の事かもしれぬ。

 血統と歴史を言えば双の方が遥かに古いが、こと越近辺に関しては自治組織の方に一日、いや百も千も

の長がある。

 しかしだからこそ、すでに深い繋がりがあるからこそ、その繋がりを利用して交渉も容易に出来ると言

うもの。それを聞いてくれるかは別として、交渉する分には難しくない。何処にでもその糸口が有る筈だ

からだ。

 とはいえ、運輸商達を双へ取り込む事は簡単ではあるまい。この越だけでも充分に儲ける事は出来るし、

双から干渉される事を嫌うかもしれない。独立心が強いのであれば、それだけ双が譲歩せねば、この取引

をまとめる事は困難であろう。

 それに考えてみれば、こういう組織は越にだけあるのではない。何処にでもこういう扶助組織は存在す

る。そういう各地の組織との折り合いはどう着けるのか。確かに双との商いは魅力的かもしれないが、そ

れだけでは商人は動かない。確たる利、確たる証がなければ、彼らも信用すまい。

 趙起は様々に悩んだが、悩んでいても時間を浪費するだけと、ともかく交渉してみる事にした。

 まずは話してみなければ、始まらない。話せば問題点も見えてこよう。悩むのはそれからでいい。



 越王の名は越阜(エツフ)。不思議な事に運輸商よりも商人気質が強く、国家運営よりも商売の方を気

にしているとの風評がある。越の資金源は商業にあるから、国家とは全く関係ないとは言えないが。越阜

自身が政治に重きを置かず、どうせ飾りなのだからと、開き直って運輸商達に丸投げしてしまっていると

の事だ。

 ある意味図太く、性根が座っていると言えなくもないが。結局面倒な事を他者へ押し付け、自らは好き

な事だけをやっているという事で、運輸商、そして民や兵からの支持は少ない。余計な口出しをしないと

いう事で評価されてはいるが、頼りにならない男だとも思われている。

 能力としては決して無能では無いが、本人にやる気が無い為に、その力も宝の持ち腐れとして、今では

金儲けの腕以外は相当鈍ってしまっているとも云われる。

 しかし当人は何を言われても知らぬ存ぜぬであり、相変わらず国は国、自分は自分と好きなように儲け、

好きなように遊び、自分で稼いだ資金を使って何人も愛妾を囲って暮している。子供も多く、知られてい

るだけでも十人は居て、武官、文官、或いは商人として国中で彼らもまた好きにやっているそうだ。

 子供達も親に似て自己愛が強く、大きく他人への責任を持つ事を嫌い、それに関わる事を目に見えて避

けている。こちらも親に似て才が無い訳では無い為に、それぞれにそこそこに上手くはやっているようだ

が、その事がまた自分を省みようとさせない大きな要因となっている。

 皆困っているが、王家もまとまると少なくない力を持っている為、強く言う事が出来ない。越王家の根

は、いつの間にかこの越という国の端々にまで、深く行き渡っていたのである。

 ひょっとすれば、王家の権威を強める為に、わざとそうしてきたのかもしれない。傀儡となりながら、

密かに力を蓄えてきた。だとすれば、この越一家も相当に食えない一族である。

 そもそもいつの間にか現れ、王として君臨していたのだから、その手腕も並ではない。

 越王家は元々川賊か山賊だったとも、落ち延びてきた前政権の高官か将とも言われ、その素性は他の多

くの王家と同様、はっきりした事は解らない。わざとぼやかせ、解らないようにさせていたのだろう。辛

うじて確証の無い噂が残るのみで、本当の事は誰にも何処にも残されていない。

 大陸人は記録好きと言われるが、しかし常にそうとは言えず、始祖八家などはまだしも、それ以外の新

興勢力などはわざわざ自らの怪しい出自を、詳細に書き残しておくような事はしていない。精々力を付け

てから、自分に都合の良いように書き換えるだけである。

 そうしておけば、何十年と経っていく間に、捏造された方が本当の歴史と認識されてしまう。だからは

っきりとさせず、いつも伝説のような得体の知れない話を持ち出したりする。それも政治といえばそうで

あろう。

 ともあれ、いつ頃からか盛んになった越という血族が、名ばかりとはいえ、越という国を造り、この一

帯をまとめる核となった事だけは確かだ。よほど人望があったか、他を納得出来るだけの力があったのか、

とにかく越という国が誕生した。

 或いは元々越は川賊達の首領か筆頭ともいえる一族で、それが国という形を造る必要を感じた時に、自

然とそのまま王へ押し上げられたという可能性もある。

 この辺は良く解らない。越の前にも似たような勢力があったのか、越がどれくらい古いのかも良く解っ

ていない。

 ただ、越という国以前に、自治組織がまずあった事は確かなようだ。越はその後に生まれた。

 国というのは民と兵を食わせて初めて国家と言えるから、川が多く北方でも農業に向かないこの一帯に

は、国という物自体が起こりにくかったのかもしれない。今は国がなければ一介の商人と見られ、舐めら

れるから、仕方なく国という形を取っているのだろう。農業に依存していない国家というのは、ひょっと

したら越が初めてかもしれない。

 特殊な国家と云える。

 長くなったが、決して越王は無能ではなく、ひょっとすれば野心家であるかもしれず、油断のならない

相手だという事は確かである。

 趙起は表立ってはこの王と交渉する。彼も双の代表として双の名で来ているから、これは当然の事だ。

 しかしその裏では実権を持つ運輸商達とも交渉する。一方ではなく、双方に働きかけ、情報を得ると共

に、双方から揺さぶろうという考えである。

 これも趙深の真似であり、一方ではなく他方面から思考し、干渉する。表と裏ではないが、使える物は

全て使い、とにかく働きに働く事、それをしようとしている。

 たった一つであれば強固だが、そこに複数の思惑が関わると、途端に脆くなる。突けるとすれば、その

隙を探るしかない。

 越王家はある意味一つぽんと浮いているが、さりとてしっかりと根付いており、決して雲のように漂っ

ている訳ではない。個人的な財力もあるし、運輸商の実力者の一人といった風だ。自治組織は言わずもが

な、どちらも一つだけを見て崩すのは不可能と思える。

 傀儡政権に近いものと考えていたが、実情は違う。王としては確かにさほどの力も無いように思えるが、

越阜個人としては、決して弱くない。

 当初は運輸商を利によって味方に付け、越王を討ち。運輸商達の自治をある程度許しながら双という国

に取り込もう、という腹だったが、その考えを変える必要があるだろう。

 もっと詳しい情報が必要だ。

 運輸商間の仲はどうなのか、多くいる越阜の子達はそれぞれに上手くいっているのか。仲違いしている

とすれば、誰と誰でその理由は何処にあるのか。

 そしてこの越全体としてはどうなのか。双をどう考えているのか。越という国全体の望みは一体どこに

あるのか。

 それらを理解した時、初めて越を崩す方策が浮んでくるだろう。

 まずは川賊の問題を解決しなければならない。今は治まっているが、単純に趙起とその軍勢の様子見と

いう可能性もある。軍を差し向けて尚、収税使が襲われるようであれば、国家の威信に関わる。双は賊一

党でさえ討伐出来ないのかと笑われれば、今後の外交に支障が出るだろう。

 趙深が担当する他方面へも影響が出てしまう。双は今下手な事は出来ない、しっかりと双自体の力が磐

石だと思わせられなければ、金連合や西方との関係も不味くなってしまう。

 たかが一地方の問題と侮ってはいられない。小さな事も重なれば大きな事になる。何事も小さな事から

始まるのだ。趙起の責務は他人が思うよりも遥かに重い。

 とにかく越の興味を惹く事だ。話を聞く価値がある。敵よりも味方にする方がいい。そう思わせなけれ

ば、交渉すら出来まい。

 趙起は双から外交権のようなものも与えられている。賊の裏に越が居るのは誰もが知る事であるから、

この事も不自然ではない。越も趙起をただの討伐軍の将とは思わず、双の代理人と考えているだろう。

 その権威を使い、趙起は自ら出向き、直接話し合って見る事に決めた。

 書状や使者を通しての会話はもう充分である。自ら動いてこそ、掴める機もあろう。多少の危険も冒さ

ねば、相手を信用させる事は出来ない。

 無論、勝算あっての危険であるが。




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