8-8.虎穴か楽土か


 越王の住まう都の名は網畔(モウハン)。網目のように川で仕切られている事から付けられたのだろう

か、これも国とは関係無く古くから呼ばれていた地名である。その地名をそのまま都市名に付けたのだと

思われる。

 川商国である越の都に相応しく、四方八方に水路が伸び、国内のほぼ全ての場所に繋がっている。それ

だけ多くの河川があれば、水害の恐怖が思い浮かぶが、その辺は長い時間をかけて、少しずつ手が加えら

れてきた。呉の技術力によって治水技術が大幅に発達し、大規模な工事を行なえるようになると、その不

安は大きく解消され、今では水が氾濫する事はまず無い。

 無論、それは絶対ではなく、常に注意が必要であるのだが。長年水害と戦い続けてきたこの地の民にと

っては、そんな事は問題にならないようだ。初めからそれがある事を前提に街作りが行なわれている為に、

今更それを怖れるような事はない。

 幸か不幸か、皆慣れてしまっているのである。

 趙起は同行させていた大隊長の百(ビャク)に支路駐屯中の討伐軍を任せ、兵の中から特に胆力と武勇

に優れた者を選び、越への護衛とした。

 双の名を掲げている以上、無闇に襲われる事は無いと思うが、さりとて越王が何を考えるか解らない。

謁見の際に王の気分で使者が殺されるような事も少なくないし、計算高い人物であっても、一時の感情に

身を任せないとは限らない。

 大義と名分を重んじるようになっていると言っても、それは仕方なくであり、所詮は乱世である。そこ

で何が起き、何が始まり、何が終わったとしても、おかしいとは思えない。未だ世は治まっていないので

ある。

 乱世とは、定まっていない、という事であり。だからこそ何が起こっても不思議ではない。予断や理想

は通じない。それが乱世と云える。

 故に趙起も覚悟している。最悪の結果、いやそれ以前の状態であっても、そこで命を奪われないとは言

えないのである。そしていくら護衛を付けたとしても、十や二十ではどうにもならぬ事もある。

 覚悟は常に必要だ。

 網畔に行くには水路を使う。防衛の為か利便性の為か、網畔への陸路は最低限にしか整備されておらず、

兵も民も専ら水路に頼っている。話によれば、越の民は大抵自家用舟を持っているそうだ。親類で一つだ

ったり、家族一人に一つだったりと、その数は財力によって異なるが、少なくとも一隻は使える。

 舟無しには暮せぬ程、彼らの生活は水と密着し、その恩恵を受けているのである。

 その為、混雑したりせぬよう、水路へは何よりも優先して気を配り、設計、整備されている。水路が死

ぬ。それが網畔、ひいては越の死へ直結しているのだ。

 そこまで依存するのはどうかと思えるが、双とても道に依存しているのには変らない。単にそれが陸か

水かの違いだけで、道、つまり物の運搬がなければ、この大陸の何処に住まおうと、おそらくは生きてい

けないだろう。

 南方の土着民族や泰山の隠者のような例外はあるとしても、少なくとも大抵の大陸人と賦族はそうだ。

物の運搬が無ければ、彼らは皆干上がってしまう。

 道こそが人を富ませ、国を富ませる。軍事であれ外交であれ、それが必要だ。人にとって道とは、他者

との繋がりとは、無くてはならぬ物である。

 趙起は軍事だけではなく、単純に生活するという点だけでも、人は道に深く依存している事を理解した。

この越の水路を見た事が、彼が後に道というものに、異常なまでに拘るようになった、理由の一つに挙げ

られるのかもしれない。

 ともあれ、趙起達は用意されていた船に乗せられ、水路を進む。

 この船は国賓(こくひん)用にわざわざ作られた豪奢(ごうしゃ)な船である。一目でそれと解り、越

の繁栄を示すかのように、無駄に思える程修飾されている。おそらくこの国でも一番立派かつ頑丈な船で

あり、船頭を務めるのも国でも指折りの者。これで水難に巻き込まれるようであれば、運が悪かったと諦

めるより他に無い。

 幸い天候も良く、順調に進んでいるが。自然とは移ろいゆくモノ、誰にも先は見通せない。

 せめて天候の良い間に風景でも楽しみたい所だが、船は壁に覆われ、趙起達からは外を見る事が出来な

い。これは波除けだと教えられたが、実際には防諜の為である事は間違いない。趙起達に一切の情報を与

えないようにしているのだ。

 前述したように越は水路が命であり、水路を他者に知られる事を最も嫌う。船が何度も曲がるのも、道

が入り組んでいるのではなく、道順を覚えさせない為だろう。特に網畔に近付くに従って、曲がる回数が

多くなった。越の警戒心は異常と思える程だ。

 視界を壁で塞がれ、見えるのは天と太陽のみ。これは退屈である。それに何度も細かに曲がるので、酔

いそうになる。せめて風景でも眺められれば、気分も楽になるだろうが、それも出来ない。確かに順調に

進んでいるようだが、正直な所、趙起達は今すぐ帰りたくなっていた。

 穏やかな波に乗るのは気分の良い事ではあるが、視界を塞がれたままでは気分が滅入ってくる。

 さりとて文句を伸べた所で、船頭は穏やかに笑って無視するだけであろう。

 だが収穫が無い訳ではなかった。趙起は船そのものに関しては詳しく無いが、随所に様々な工夫がして

ある事は解る。この工夫を覚えておき、帰った後で賦族の技術者に教えれば、新たな技術を見出す糧にな

るかもしれない

 出来ない事を望んでも仕方が無い。解る範囲で、知れる中で、有益な物を見出す方が、ずっと建設的だ。

無駄な事、無駄な時間など、この世に一つとしてありはしないのである。



 水旅は滞りなく終わり、無事網畔へ到着した。

 早速見物したい所だが、有無を言わせず王邸へと連れて行かれる。越側の物腰は柔らかいが、扱いは間

者に対するのと大差なく思える。しかし今は素直に従うしかなかった。

 迂闊な言動を取れば、ここで斬り捨てられてしまう可能性もある。趙起はわざわざそんな事の為に越ま

で来たのではない。短慮は禁物だ。

 忘れてはならない。越は川賊の末裔(まつえい)、いや川賊そのものである。いざとなれば一切の躊躇

(ちゅうちょ)はすまい。

 越は敢えて双と矛を交えようとは思わないだろうが、その気になれば躊躇もしないだろう。双には越を

滅ぼすだけの余力が無い事を、彼らは知っている。もし余力があれば、双は賊の討伐軍などではなく、越

へ侵略軍を送っていた筈。

 挑発行為に対し、厳格な姿勢を取れない事が、何よりも能弁に双の内情を教えていると、おそらく越は

そう考えている。そしてそれは大きく外れていない。確かに今の双に越まで関わっている余裕は無いので

ある。

 王邸へ入れられた後も状況は変わらず、用足しにも気軽に行けない有様だ。川賊だっただけに警戒心が

強いのだろうか。それともこの事が何かを物語っているのだろうか。

 趙起は大人しく過ごした。

 脅しにしろ、単に警戒しているだけにしろ、今の彼としてはそうするしかない。



 越王は底の見えない人物と思えた。程無く謁見の準備が整い、広間へ案内されたが、一目見て抱いた印

象がそれである。

 見た目は穏やかで如才無く見えるが、何となく油断ならない気配が読み取れる。もしかすれば、わざと

それを出しているのかもしれない。越王はどこかで人を見下しつつ、それを直接的には見せない、よくあ

る才子肌の人物であると思えた。

 底が見えないからといって、底が深いという事にはならないが。見えない以上どう相手するべきか至難

であり、底が遥かに深い可能性もある以上、簡単に底を決めてしまうような愚は避けねばならない。

 誠に油断ならず、噂に聞いていた通りの王である。

 居並ぶ家臣達も曲者揃い。彼らは王と使者に遠慮しているのか、終始無言であったが。まるでこの場の

一字一句全てを記憶するような、不気味な油断ならなさを感じた。

 目が底光りするかのように、冷え切っている。

 とはいえ、いやそうであるからか、謁見の間特筆するような事は何も起こらなかった。時間も短く、単

に挨拶程度で終わっている。事前に幾度も書状と使者で言葉を交わしている事もあり、ここでつらつらと

述べるような事も無いのだろう。

 議論し論破するような事もしない。形としてはあくまでも賊討伐についての話合いであり、儀礼として

の挨拶であるから、越の方もそんな事は期待していないだろう。

 謁見の間、越阜の方も当然のように趙起を見ていた。しかし趙起は特にその事を意識せず、いつも通り

の姿で居た。こういう型の男にはありのままを見せた方が、かえって惑わせる事が出来るものだからだ。

 自分に才が有ると思っている人物ほど、ありもしない事で悩み、ありもしない不安を抱えたりする。な

らばこそ、わざわざ何かを腹に抱えていく必要は無いのである。初めから何かあるはずだ。油断ならない

人物である筈だ。そういう予断を持っているのだから、こちらがその材料を用意せぬでも、あちらの方で

かってに悩んでくれる。

 もし単純に趙起を底の浅い男だと侮るようであれば、それもまた良し。簡単に利用できると相手に思わ

せる事も、悪くはない。それもまた興味を惹く事になる。

 それに越とは越王だけの事ではない。働きかけるべき実力者は、まだまだ居る。それを見極めるのもま

た、目的の一つ。相手は王一人だけではない。一人だけでないからこそ、どんな状況であれ、ある程度柔

軟に適応させていく事が出来る。これもまた趙深のやり方である。無理に道を一つに定める必要は無い。

 趙深が一つに拘らないのは、思考を一つに固まらせない為だ。情勢は常に変動するもの、だからこそ人

の思考も柔軟に変化せねば、上手く対応する事は出来ない。一つではなく、様々な事を、様々な点から見

なければならない。

 だが越王も然る者、中々にその心中を量り難く、少し話しただけではその真意を悟り難かった。

 じっくり見定めなければならぬ。

 趙起は慣れぬ船旅による体調不良の為と称し、王から滞在許可を貰い、予定通り、暫しこの地に腰を落

ち着ける事にした。



 基本的に外交使が長く滞在する事はないのだが、望めば滞在出来ない事も無い。むしろゆるりと滞在す

る事が、友好の証になる事もある。無論、今回の場合は友好の証になどならないだろうが。

 趙起不在を狙い、賊が活動を活発にするという懸念は必要ない。その背後に越が要る事は周知の事実で

ある。そこには目的があり、その目的は単純な略奪にあるのではない。

 双が使いを送ってきた以上、双に対する挑発行為の目的は果たしたと言える。これ以上余計な事をして、

状況を無闇に拗れさせるような事はしないだろう。

 越境界付近に住まう民は自治組織に金を払っているだろうし、まず襲われる事は考えられない。何かあ

るとすれば、収税使達にだが、百が居る以上、下手な事にはならないだろう。

 そちらを心配する必要はなかった。むしろ趙起自身の方が心配である。

 彼らは王邸に作りの良い部屋を与えられ、趙起には別に特別にあつらえた一室があてがわれている。こ

れは相手の地位を重んじ、相応の礼を取るという意味もあるが。それよりはむしろ護衛と主を引き離す、

という意味合いが強い。

 それを証明するように、護衛の部屋から趙起の部屋までは結構な距離がある。明らかに離れ過ぎている。

これでは護衛としての役目は果たせず、趙起を軟禁し、護衛を斬る事も容易い。

 誠に越は警戒心が強い。小数の護衛ですら、その間を引き離す。

 しかし逆に言えば、そこに付け込む余地がある。警戒心が強い事は、必ずしも良い結果だけを引き起こ

さない。物事に拘り過ぎれば、そこに隙が生まれる。無用の考えは、迷いを生むのだ。

 だからそれはそれで良い。しかしこの部屋からも水路を見る事が出来ないのは残念だ。窓もあるが、そ

こからの見晴らしも計算され、良く見えないように設計されている。遠くに川が見えるが、見る事を許さ

れている分だけでは、大した事は解らない。

 とにかく、見せない、それが越の基本方針であるようだ。

 この分では、外出も簡単には出来ないかもしれない。それとも入念に設定された観光進路でも案内され

るのだろうか。

 一応趙起は、外の空気を吸いたい、と外出の許可を申請しておいた。それが下りなければ、また考えれ

ばいい。やれるだけはやるべきである。それが無駄とはっきりするまでは、まだ可能性があるのだから。




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