8-9.魑魅魍魎


 外出許可は意外にあっさりと下りた。しかしそれは当然かもしれない。国賓に対し、外出も出来ないで

は流石に礼を失し過ぎる。仮に安全の為とでも称して止めようものなら、越は治安維持すら出来ないのか

と哂われてしまう事になる。越にとっても良い事はあるまい。

 ただ予想通り外出時には護衛と案内と称した監視役が付き、行く場所と道を限定された。

 まあこればかりは仕方が無いので、趙起は素直にそれに従う事にする。越からは貴人用の輿を用意され

たのだが、それは断った。そんな物に乗せられては、満足に眺め見る事は出来ず、監視もされやすくなる

し、窮屈でかなわないからだ。

 越の方はしきりに輿を勧めるが、趙起は意固地なまでにそれを断っている。そこまで言われれば、流石

に越も強いて乗せる訳にはいかない。監視役の人数を増やす事で、妥協したようである。

 外出時の趙起は顔を半分隠す仮面を被っている。兜だけでは不便なので、簡単に顔を隠せるようにわざ

わざ作らせた物である。流石に王邸内で付ける訳にはいかないが、外出時であれば問題はないだろう。

 この辺りにまで楓流の顔が知られている事はまず無いだろうが、なるべく顔は見せたくない。もし孫文

に知られれば怪しまれ、その為に窪丸侵攻を早めてしまう結果になるかもしれない。越が双よりも中央に

近い分、慎重にならなければ。

 越は呉とも交易をしているのだ。情報は簡単に伝播していく。そして呉で噂が広まり、その噂が呉兵

の耳に入り、呉兵が孫に捕らわれ、そこで耳にした噂を孫に伝える。こういう可能性も低くは無い。交易

であれ戦であれ、繋がりを持てば、情報は広がって行くのである。

 趙深が派遣を命じたのだから、そこまで心配しなくても良いと目算を立てているのだろうが、やはり趙

起としては自分自身の事だけに、警戒心が強くなるのは避けられない。

 顔を隠す事で逆に人々の関心を買ってしまうのではないか、とも思えたが、外す気にはなれなかった。

 趙起もまた、孫文を大いに怖れているのであろう。彼の危機感もまた、異常である。

 しかし網畔の賑わいはそんな趙起の警戒心を他所に、珍しいだろう使節団にすらさほど関心を寄せてい

るように見えず。民も民で自分達の事に終始しているように思えた。皆忙しなく、油断なく、他者と必要

以上に関わる事無く、云わば冷徹に生きているように感じる。

 あらゆる場所で値段交渉をする声が聴こえ、武器を持たぬ戦いが四六時中街中で繰り広げられている。

 活気に溢れているが、それはむしろ戦場の活気に近いように思う。

「ここは主に食料品を扱っておりまして・・・」

 監視役が細かに説明をしてくれるが、どこに何が売っているのだの、今の旬は何でだの、これはどこ産

が良いだのと、正直どうでもいい話ばかりで、半時もしない内に飽きてしまった。

 順路も確かに特別に造られた道のようで、水路を一切使わず、また水路もほとんど見えない。ただ水の

流れが聴こえてくるのみで、ひたすらに街の賑わいを見せられる。遠くに青が見えるが、人が多くそれも

一瞬にして群集に埋まってしまう。

 執拗であった。ここまですればかえって損失の方が大きいのでは、と思えるくらいに越は水路を隠し、

内情を隠す。大陸のどの勢力にもその傾向があるとしても、ここはやはり異常であろう。

 所詮見せる為に作られた道、それがどんなに繁華だとしても逆にどれだけ貧しくとも、大して参考には

ならない。ただし、食料や物資が豊富な事だけは解った。見せられた場所にある物だけでも、充分にこの

街を賄える量がある。値段も安く、商業にかかる税の安さが知れる。

 商業がとにかく優遇されている。それは商業の衰退が、即ち越の滅亡に繋がる事を意味する証拠とも取

れる。いくら隠そうと、見ていれば何かが解るものだ。

 越は商業に依存している。そして民も金銭に対し、異常なまでの執着を見せている。

 双のような殿様経営ではなく、怖ろしいまでに厳格な経営が行なわれているのかもしれない。競争が激

しく、それだけに皆逞しいが、忙しない。

 であれば、商業の肝である運搬を握っている者達は、趙起が思っていた以上の権威を有していると思わ

れる。それは法で定められた以上に強く、はっきりした力であろう。



 趙起が王邸に戻ると、来客者が待っていた。

 無論、趙起が帰る時間は決まっている為、外交使に会えるような有力者であれば、わざわざ待つ必要は

無い。その時間に応じて来れば良いだけの事。それをわざわざ待つと云う事は、趙起の帰邸を待つ事で、

その誠意を見せている心算(つもり)なのだろう。

 来客者の名は、毛廻(モウカイ)。越阜の后の兄に当たり、造船業を営む越の実力者の一人である。話

によれば、越の舟の半数は彼の所で造られているとか。その真偽は定かではないが、水路を生命線とする

越において、造船商は強い影響力を持つと考えて良いだろう。

 后とは正妻に対する名である。子供を何人も儲け、成人している子も多い。つまり越后はもう若くない。

越阜の節操の無さを思えば、女としての影響力はすでに薄いが、やはり権威はある。聡明であると言われ、

内政にも口を出し、政治的な影響力は決して弱くない。

 そこからも、兄である毛廻の力の程が察せられよう。毛一族の力も並々ならぬものだ。

 少なくとも、越阜が敵にしたくない、或いは妹を后にさせよとの進言を断り難いだけの力を持っている。

油断ならぬ相手である。

 その毛廻が趙起に一体何の用かと言えば、当然のように商いの話であった。

 双は豊富な食料と物資を商いに当てている。商いには物の運搬が必須。北方は大河悠江が流れ、その支

流も豊富であり、越程ではないが舟を使う事も多い。そこで毛廻は何としても越舟の良さを理解させ、双

に売り込みたいようなのだ。

 確かに双よりも遥かに越の方が造船技術は高い。河川を使った大規模な運搬路を布くとすれば、最も大

事なのは舟である。越舟であれば確かにそれを任せるに申し分なく、双にとっても悪くない話だ。尤(も

っと)も、双にも造船業者が居るから、簡単にはいかない。双王家のやり方を見れば、他国よりも双製品

を重視したい気持ちを持っている事が解る。

 売り込む事が出来れば巨利を得るが、しかしそれは簡単にはいかない。だからこそ毛廻自ら水路を使っ

ての運搬を勧め、越舟の良さを教えに来たのだろう。

 外交使にそんな事を決める権限が無い事は毛廻も重々承知しているから、彼は何度も何度も双王によろ

しく伝えてくれと口にした。そして当たり前のように趙起に賄賂(わいろ)を渡そうとする。

 趙起は受け取って置く方が相手を信用させやすいかとも思ったが、生来の気分からやはり受け取らない

事にした。ただし、その代りに情報を求め、初めは毛廻もそれだけはと渋ったが、最後は欲に負けたのか、

越の内情を少しだけだが教えてくれた。

 趙起は礼を言い、必ず双王に進言しようと口約束だけをして、毛廻を帰している。

 越の商人は欲が強い。それは金に汚いと云うよりも、むしろそれが己を立てる為の手段であるからかも

しれない。刃を持ち武を誇る。叡智を持って政を布く。そういう事と越商の行う金儲けとは、同じ位置に

あるモノなのだろう。

 そして思う。

 趙起の目論見は外れていなかったと。

 越の商人にとっても、双と繋がる事はやはり魅力的らしい。国同士が一色触発の事態になろうと、例え

戦火を交えようと、商人にはむしろ金儲けの良い機会である。どの国だろうと、自国が敗れない程度にな

ら、いくらでも提供する。それが彼らの正直な気持ちなのだ。

 幸いと言うべきか、毛廻以外にも多くの客が訪れた。その心底は知れぬでも、共通して双に利を見てい

る事は解る。

 運輸商の総元締めとも言われ、越軍の食料補給を担っているという清楽(シンガク)。越軍の武器を一

手に引き受けている郭把(カクハ)。越阜の子の一人で、運輸商の間にも強い影響力がある越豹(エツヒ

ョウ)。他にも多くの実力者が後から後からやって来た。

 それだけ双に期待しているのか、それとも毛廻に遅れてはならぬと考えたのか、或いはこうする事で何

かを誘っているのか。その心底はやはり知れないが、商人達が当たり前のように国賓に会いに来れると言

う事がまた、この国の姿を雄弁に物語っていると云えよう。

 そういえば、清楽と郭把は越の二将と同姓である。その商いが軍と関わりが深い所からみても、関係が

あるのかもしれない。とすれば、やはり越という国家の本質とは、商人達にあると見ていい。

 しかしならば何故、とも思う。越の本質が商いにある事は理解している。だからそれはそれでいい。だ

が何故越商達は収税使を襲ったり、そして今回も何人も何人も押し掛けたりと、双との関わりを強引と見

えるまでに欲しているのか。商業的利益があるというだけでは説明の付かない部分がある。

 そこにはもっと別の理由があるのではないのか。商人達の歓迎振りを見るにつれ、趙起にそのような疑

惑が湧いてきた。

 商人達の真意をもっとよく調べねばなるまい。

 ともあれ、実力者達と繋がりを持った事で当初の役目を果たし、これ以上の長い滞在も不審と考え、趙

起は支路に戻る事を決めた。

 越という国はもっと時間をかけて調べる必要がある。



 趙起が支路に戻っても、越の商人達との繋がりは切れる事が無かった。足繁く使者(間者)を送って情

報を仕入れながら、繋がりを少しずつ強めていく。越の内情だけでなく、呉や孫の事も聞いた。むしろ呉

や孫の事を多く尋ね、本当の狙いはそちらにあるように仕向けている。

 商人の口は堅いが、対価となるモノを渡せば、相応に柔らかくなる。彼らは自分の利にならないから無

駄口を叩かないのであって、それなりのモノを差し出せば、相応のモノはくれるのである。現実的という

べきか、合理的というべきか、そこもまた商売と考えているのだろう。

 流石に他国へ漏らしては不味い情報を流すような事はしないが、例えば商売敵が困るような事や、すで

に噂になっていて外へ漏れるのも時間の問題であるような情報ならば、出し惜しみしない。

 そして彼らの話を総合してみると、どうやら呉へ送る物資が不足しているらしいのだ。

 不足と言っても、趙起が越に物が溢れている姿を見せられたように、飢えているとか、そういう現実に

足りていないという意味ではない。そういう不足ではなく、もっと売れるのに売る物が無いという意味の

不足なのである。

 知っての通り、呉は孫との激しい戦争状態にあり、直に領を接しているだけにその戦火は激しく、大量

に物を消費している。いくら有っても足りず、常に物に飢えている。その為に過剰に思える程に物を買う。

いくらでも運ぶだけ商品が売れるのである。

 資金の方も呉一国ではなく、西方大同盟から出るし、その資金力は単純に考えると、呉単体で用意出来

る金額の四倍はある計算になる。

 無論、そんな単純な計算方法で算出出来るような物ではないが、呉は孫と戦う為ならば、いくらでも金

を用意出来るのだ。

 そうなれば足りているだけでは満足出来ない。むしろ有余る程に欲しいと思うのが人情だろう。

 その心底にはこっそりと余剰分を蓄え、孫打倒後の備えに回す考えもあるのだろうが、西方大同盟とし

ても金を出さない訳にはいかない。孫は強く、有余る物資がなければ、現実に不安でもある。

 つまり、越の全てを空にしても、更に売れる程に呉は全てを欲している。

 しかし全てを売る訳にはいかない。いくら儲かると言っても、売り過ぎて今度は国内の物資が不足する

ようでは、本末転倒になるからだ。

 売れるのに売る物が足りないというのは商人にとって生き地獄である。確実に儲かるのに、売る物が無

い。これは拷問でしかない。

 そこで目を付けたのが双という訳である。今でも双から物資を入れているが、それだけではとても足り

ず、もっと大規模な交易を行いたい。だから今双と協定を結び、双にある豊富な物資を、越を通して呉へ

売りたいのである。

 簡単に言えば、双が独自にやっている交易までを、越の運輸商が独占したいと考えている。その為に越

商と越舟の優秀さと安さを説き、現在周を介して南回りに運んでいる物資をも、越を介して東回りに運ば

せようとしている。

 強引な手段を使ったのも、それだけ双の物資を欲しているからなのだ。

 趙起は今までは国が何かを欲するのは自国にそれが足りないからだと思っていた。しかし越のように、

より儲ける為に欲する、という事もありえる。趙起は改めて悟らされた思いだった。なるほど物事という

のは、自分一人の事ではない。

 趙深の言っていた事とはこういう事かと、趙起はまた一つ理解したのである。



 越との交渉に置いて、双の物資は大きな材料になる。

 商人達はこの物資を喉から手が出る程欲している。どの商人も物の運搬は基本であるから、それだけの

舟を持ち、基本に運輸があるのは変らない。違うのは扱う品の種類で、それは同時に複数の商人を利する

事を意味している。

 物資と一口に言っても武器から資材、食料と様々で、兵が生きていく上で必要な、あらゆる物を含む。

そしてその一つ一つによって扱う商人が違う。一部の人間だけではなく、多くの人間を利するという点が、

非常に大きな交渉材料となり得るのである。

 しかしそれを材料と出来るのは、あくまでも取引相手としての交渉であって、国盗りの材料とはならな

い。流石にそれだけでは運輸商達を動かす事は不可能だ。下手すれば内乱に発展しかねない事を、彼らが

簡単にやるとは思えない。

 そこに必要なのは利だけではなく、理由と感情も必要だと思える。

 ともあれ、何をするにもまず越と双との関係をより強くする事が先決だと考えた。商人達を動かすには、

一朝一夕の関係ではどうにもならない。越王が予想よりも深く強く根を張っている事を考えれば、双も相

応に深く根を張らなければならない。

 現状では、王一族を越から切り離す事は不可能だろう。

 だから状況を変える必要がある。

 利用できるとすれば、その王一族の強さだ。おそらく商人達はそんな王族に対し、不快感を抱いている。

彼らにとっては王は傀儡であって欲しく、そうであるべきだと考えている筈。王が実力者の一人となる事

に、それが王であるだけにより多くの反感を抱いているだろう。誰も王が競争相手となる事に、賛成する

者はいない。

 越を王が私物化するのではないかと、そして商人達の権威を少しずつ削ぎ、徐々に取り込もうとしてい

るのではないかと、そのような危機感を誰しも感じているのではないか。

 いつの間にか王の一族が商人達の深い部分にまで入り込んでいたと考えれば、その不快感は小さくはな

い筈だ。

 趙起はあれだけ多くの商人が挨拶をしにきた事にも、王への反感の裏返し、或いは競争意識が現れてい

るのではないかと想像する。

 王が傀儡ではなくより磐石な存在である事を知った。しかし磐石であるが故に、逆に不満は募るもので

あるかもしれない。そして何とかしてその隙を突こうと、いつも窺うようになるのではないか。つまり双

の関わり無しに、すでに王対商人という図式が出来ていたと考えられる。王の力が大きいが故に、そこに

相応の恨みが芽生える。そう考えるのは不自然ではあるまい。

 見方を変えれば、別のモノが見えてくる。

 双が越を得る為には、この王と商人の対立をより強くさせていく方法が有効だろう。新しく歪ませるよ

りも、元有った綻びを広げる方が容易であるからだ。

 ならばその為にどうするか。それは彼らが最も執着するモノ、商いを利用する他に無い。この商いとい

う競争と直結する事柄、そこから生ずる利と損害、それを利用すれば、この対立を更に拗らせ、激化する

事は難しくない。王が競争相手となれる程の力があればこそ、そこに争いが生じる理由が生まれるのだ。

 強さというのは、弱さも生む。故に何かを盲目的に追い求めるのは、愚か者のやる事と云われる。何物

も表裏一体となって存在しているのである。例え一方は見え難くとも。




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