8-11.寂月下


 趙起は待っていた。それは簡単に言えば機であるが、この場合はもう少し具体的なモノである。

 そう、彼は商人達が自ら王打倒を策し、その為に趙起の力を借りに来る時を待っていたのである。これ

は趙起の意向ではなく、あくまでも商人達の総意として行われなければならない。間違っても、趙起が、

双がそう望んだと思われてはならぬ。

 ある程度察せられるのは仕方ないとしても、最終的な決定は商人達の間で自然の流れとして決められな

ければならない。ここでの強い干渉は無用である。強い干渉は商人達の誇りを傷つけ、後に不和を招く。

だから部外者はあくまでも外に居り、内部の当事者達だけで事を決めさせる必要があった。

 趙起としては、協力を乞われればそれに応える事は吝かでないが、それも嫌々ながら仕方なく、という

形を取らなければならない。

 だから待つ。様々に工作し、そして商人達への協力を惜しまぬ姿勢を示しても、最後の所では必ず一歩

引き、直接自分が動こうとはしない。関わりを最低限に止める。

 商人達との我慢比べとも言え、これもまた一つの戦であった。刃を持っての戦いよりも、或いは後に大

きな影響を及ぼす戦かもしれない。

 血を流す戦は凄惨で、言ってみれば派手だが、それだけにその行為の意味よりも、その惨たらしさのみ

が浮ぶ。そういう意味で、血を流さぬ戦の方がよりその行為そのものを印象付けると言えなくもない。

 故に慎重になる必要がある。血で誤魔化せない以上、行為そのものへより気を配らなければならない。

 貴重な時間を浪費しても、待つだけの意味と価値がある。

 ただ一つ不安があるとすれば、商人達が趙起の力を当てにせず、越商のみで越王を打倒し、新生越とし

て再独立のような形を取ってしまう可能性がある事だろうか。そうなれば双から越への影響力は小さくな

ってしまう。自力でやった以上、そこに趙起が口を挟む余地は無くなる。

 だがそれもそれで良しと趙起は考えていたようだ。

 そうなるにしても、越は変らず双の物資が必要であり、そもそもその物資が原因となって仲違いしたか

らには、結局は双と深い関わりを持たざるを得ない。近隣の仇敵である呉との関係も考えれば、双と本気

で敵対する意志は無いだろう。

 双の後ろには周も居る。同じ西方内であるとはいえ、呉と周は睨み合う関係だ。そう考えれば双と友好

的な関係を築いておく方が、後々の為でもある。孫文を滅して後、共に目障りな呉を叩く。この提案は周

にとっても決して悪い提案ではない。周と越が組めば、地理的に呉を挟撃する形となる。その上で双も加

われば、呉と韓が結んでいるとは言え、圧倒する事が出来るだろう。

 無論、この形は現状の話であり、将来的に孫を滅ぼせば領土が拡大し、この構想は無意味な物となる可

能性がある。しかし少なくとも現状では呉に威圧感を抱かせる事は出来るし、周と北方が強く繋がる事は、

領土拡大した後も決して少なくない影響力を与えるだろう。

 周にしてみれば悪くない話である。西方は西方だけではある程度力が拮抗しているが為に、外部の力を

欲している。呉も内心は越と友好的な関係を結びたいと考えているのかもしれない。勿論そうであるとし

ても、それは道義的理由からではなく、現実的な理由からだろうが。

 何にしろ、越を併呑するではなく、独立勢力として残す必要があった。越が越として存在する方が、双

にとって利がある事なのだ。それに越に双領になれと言えば、越も黙っていまい。今更越と争いたくはな

いし、そんな余力が無い事は初めからはっきりしている。だから趙起は率先して越の独立を認める考えで

いるし、すでに双王の承認も貰っている。

 ただし属国とまではいかないが、越は双の弟分にはなってもらわなければならない。主従とは言わない

が、常に双を立てる立場で居てもらう必要がある。そうでなければ趙起が来た意味が無い。

 その為にも商人達が趙起の出馬を乞うてくれるのが一番良いのだが。聡い商人達の事、簡単に乗ってく

るかどうか。

 不安といえば、それが一番不安であった。



 結論から言うと、越(王ではなく以後商人連の事を指す事にする)は趙起の出馬を望み、正式にそれを

要請してきた。

 しかし商人達も然る者、商人達は商人達でしっかりと軍を押さえており、越軍を主力に使い、双軍は云

わば形だけの客分扱いとし、その助力を求めるのは最低限度に止めている。

 名高い郭申と清鐘の二将は予想通り郭把と清楽の血縁であり、彼らも王の私兵ではないから、あっさり

と王を見限り、商人連に付き、一息に新政府を誕生させてしまったようだ。

 新政府と言っても、越の名はそのまま残る。商人達は変える事の猥雑さを嫌ったらしい。

 新越はほぼ旧態のままで、越軍はそのまま郭申と清鐘が率い、王も越一族から立てるようだ。しかし王

の権威は極力弱められ、名ばかりの本来の越の形に還り、国の事は全て商人連が決める事になる。

 王の力を弱める。これは言ってみれば時代に逆行する形であったが。そもそも今の王達がほぼ下克上か

ら生まれた存在だと思えば、実際には時代に最も則した形であると言えなくもない。どちらも上に居る者

を滅ぼして、自らの権威を高めている。

 ただ越の場合は他国とは意味合いが違うから、他の王からすれば目障りであったと考えられる。

 下克上して王となった者は、下克上をこそ嫌う。同じように自分も滅ぼされる事を、最も怖れるのであ

る。ようやく王の力が強くなり、豪族から王へ転化しているこの時期に、越のような民間が力を持つ国は

喜ばしくない。

 この事もまた、後日の災禍の種となってくるのだが、一先ず置いておく。

 王には越阜の子の中でも力がある越豹が就くかと思われたのだが、意外にも越阜の孫に当る越獅(エツ

シ)が選ばれた。

 越獅は越阜の孫に当るとはいえ、数多い越阜の子でも母の実家の力が小さく、一族からも忘れ去られた

ようになっていた者の子である。自然越家との関わりは薄く、越阜からも半ば無視されていた為、越の血

を受けながら、越家への恨みは少なくない。

 その上越獅はまだ十に届くか届かないかという年齢である。その意図は明白であり、王の権威を法で削

った上、更に傀儡を乗せると云う、慎重というよりはむしろ執拗なやり方であった。

 越阜の子達も越阜と争っていた為、商人連に参加している者の方がむしろ多かったが、他の商人と比べ、

明らかに不遇であった。それは商人達からの越一族への恨みの深さを物語るが、同時に越一族への恐れも

感じられる。

 越一族は怒り狂ったが、流石に王権を失くした一つの家だけでは商人連に対抗する事が出来ず、歯軋(は

ぎし)りしながらも表面上は大人しく引いたようだ。しかしそこには当然大きな恨みが残っている。そして

この恨みもまた新たな災禍の種となるのだが、これも今しばらくは置こう。

 ともかくこうして越の新政体が出来上がった。

 趙起はといえば、形ばかり話し合いの場に参加したが、やはり深い影響力を与えるような存在にはなれ

ていない。だが、この政争に参加した事で、双と越が深い関わりにあるのだと示す事が出来、そういう意

味での影響力を得る事が出来ている。

 親双政権が出来た事は、双にとっても大きな事である。これによって南東の脅威を去り、南東一帯を安

堵する事が出来る。呉への影響力も増す。そして越は利がある限り決して裏切らない。それは即ち西方と

孫が戦っている限り、越は信用に値する国だという事になる。

 これは小さくない事だ。

 それに国内にはまだ火が燻っている。商人達は越阜を誅した事で浮かれているようだが、本当の災禍は

これからだろう。

 つまり、趙起の目的は達せられたのである。様々な意味で。



 趙起は双の名代として越獅に祝賀の言葉を述べる為、贈り物を携えて網畔へと向った。越である事は基

本的には変らないので、王都も同じである。

 趙起の待遇も変らず悪くなかったが、やはり水路を見る事は出来なかった。そこはそのまま受け継いで

いるらしい。ここからも越の民の水路に対する考えが良く解る。そして越阜が滅ぼされたとはいえ、考え

方としてはほとんど変っていない事も。

 革命というような変化ではなく、頭が挿げ変るだけの変化なのである。

 まあ、それも当然の事だ。商人達は現状の政体を変化させようとしたのではなく、変化させようとした

越阜を憎み、変化させまいとして誅したのだから、越という国自体に大した変化が起きていない事も、自

然の流れと云えるだろう。

 ただし、若干その態度は軟化し、物柔らかくなっているような気はする。ひょっとしたら越阜の代で以

前よりも少し厳しくなっていたのかもしれない。

 網畔に着くと、すぐに新王である越獅に会う事が出来た。

 越獅は意外にも聡明に見え、まだ若年ながらその瞳には確かな智の光が宿り、傀儡に甘んじているもの

の、その全てを理解しているようにも思えた。最も、越獅はそのような態度をまったく見せないから、ひ

ょっとすれば趙起の勘違いであるかもしれない。

 しかしもし自らの智を余人に悟られぬ為にそうしているのだとすれば、末恐ろしい男である。

 趙起はこの男を味方に付けておく必要性を強く感じ、その名とその瞳を覚えておく事にした。無論、趙

深にも報告するつもりでいる。もしこの越獅を味方に付ける事が出来たなら、後々大きな役割を果たして

くれる存在になるかもしれない。

 王への祝賀を済ませた後も、趙起は様々な人物と出会っている。

 毛廻、清楽、郭把、越豹、他にも述べればきりがない。現状で実際に越を動かしているのがこの者達で

あるからには、挨拶は欠かせない。その言動にも注意が必要である。趙起の任務には、彼らの思惑を掴む

事もあるからだ。権威が増して調子付けば無用な野望を抱くかもしれないし、何かが変われば心も変わる。

利に聡い商人であれば、尚更注意する必要があるだろう。

 人物を見極め、双と共存出来るだろう人物との関わりを強くし、その上でその人物の勢威が増すように

しなければならない。

 幸い、双にも多少の発言力はある。一応双が後ろ盾になって越阜打倒を果たしたという事になっている

から、形だけの重みはある筈だ。それに前述したように双の物資が争いのそもそもの原因なのだから、そ

う言う意味の干渉力もある。

 趙起の今の役割は、戦よりも政治的な要素が強い。趙起はその方面はどちらかといえば苦手であるから、

もしかすると趙深はそちらを鍛えようとしたのかもしれない。或いはまた別の思惑があるのか、それとも

その思惑とは外れているのか。

 ともあれ、趙起としては懸命に励むしかなかった。流れはもう決まったのだから。

 例え趙深の思惑を外れていたとしても、今更全てを台無しにするような事だけは、避けなければならな

い。煩わしい儀礼に慣れる為だと思えば、それもそれで意味がある。

 商人連との煩わしい挨拶を済ませた後、趙起は軍部へと向った。

 無論、郭申、清鐘と繋がりを持つ為である。

 前に来た時は軍部との関わりを持つ事は出来なかった。おそらく余計な繋がりを持つ事を怖れた越阜が、

敢えてそうしたのだろう。あれだけ大勢の商人が押しかけたのも、一つには趙起の自由に出来る時間を奪

う意味もあったのかもしれない。

 幸い今はゆっくりと出来ているし、軍部との繋がりを持つ事を止めようとする者達も居ないようだ。二

将とも商人との繋がりが深いからには、越阜のように警戒する必要が無いのだろう。

 二将共初対面であったが、まず気持ちの良い男だと思えた。どちらも一歩引いているような所があり、

迫ってくるような圧迫感と不快感は無い。そういう意味で商人らしくなく、生粋の軍人だと思えた。

 彼らは趙深と趙起で双の武威を急速に成長させた事を知っており、その点で以前から趙起に好意と云う

べきか、興味を持っていたらしく、その一歩引いている所が何処か似ているからか、二将もまた趙起に友

好的な気持ちを持ったようだ。

 話に寄ると清鐘は清楽の、郭申は郭把の、歳の離れた弟に当る(同腹かまでは解らない。年齢的に見て、

おそらく別であろう)そうだ。しかし商いの方を父と兄に任せているのと、生来商いに対する執着が薄か

った為に、さほど関わりは持っていないらしい。

 勿論血族として何事かする時には尽力を惜しむつもりは無いが、さりとて父兄が何をしようと、何を考

えようと、自分達はただこの越の治安を守るのみであるという。話を聞いていると、お互いに嫌い合って

いるような雰囲気も感じた。

 二将は商いがどうこう、王がどうこうよりも、出来れば仇敵である呉を滅ぼし、越の武威を高めたいよ

うだが、今呉を滅ぼしても孫文が来るから困ると笑ってもいた。

 彼らも己の力に自信を持っているが、攻勢よりも守勢に向いている事、そして越一国ではとても孫とい

う大国には勝てない事を充分に理解している。

 しかしいずれは戦わねばならぬ事も充分に理解している。孫であれ、西方大同盟であれ、勝った方が後

に覇権を求め、全土へと侵攻する事は目に見えている。だから出来れば孫と西方で共倒れになって欲しい。

そしてそれ以外とはあまり敵対関係を築きたくない。

 それが正直な気持ちで、趙起と仲を深めようとするのには、そういう理由もあったのだろう。

 だとすれば、彼らもやはり商人の血脈である。血は争えないと云う事か。この二将も敵にすれば恐るべ

き存在となるだろう。出来ればこのまま友好を深め、いつの日か手を取り合って共に進みたいものだ。

 趙起はその後数日網畔へ滞在し、その動向を見極め、越との繋がりを深めた。そうして双へ臣従する事

は出来ないが、それに近い同盟関係を結ぶ事は吝かではないという返答を貰い、後の細かな交渉は双本国

に任せる事にして、文官達を本国へ返し、自らも軍を率いて至峯の都に帰還して行ったのだった。



 双と越との関係が深まった事で、呉へ使者を立て機嫌を伺う必要が生まれる。双は周派に属する事になっ

ているとは言え、呉を無視するような事も出来ない。

 今呉と争う事は、双にとって、そして趙にとっても何の意味も無い。むしろ害となる。

 趙深は急ぎ双王に進言し、周にも呉へ使者を送る事の許しを貰い、趙深の文官を付けて、それなりに使

えるだろう高官を使者にやっている。直接的には述べないが、その言葉には越と仲を深めているのも、後

に越を盗らんが為と思えるような心を、敢えて混ぜてある。

 呉も小国ながら精鋭揃いの西方で上に立つような国家だ。中には有能な者が多数居るだろう。その者達

がしっかりとその意味を嗅ぎ取ってくれる。もし覚れなければ、それまでの国と云う事だ。

 そしてその言に真実味を持たせる為に越商と協議し、双がその分負担する事で、少しだが呉へ売る物の

値を下げ、それによって呉の物価を下げている。

 越商からは少なからず不満が出たが、これも呉を油断させ、そしてより激しく戦わせる事で消耗を増す

為の策だと言い聞かせ、その不満を退けた。

 越、呉、共に仇敵の事となると冷静さを欠く嫌いがあるので、上手く理由付けする事は難しくない。勿

論、どちらも双の言葉をそのまま受け取ってはおらず、全てを信用している訳でもないだろうから、両国

の言葉も額面通りに信用する事は危険だが、それはそれでいい。そもそも全幅の信頼を得るなどとは不可

能なのだから。利害関係からその言葉を半分信用させるくらいで充分だった。

 こうして一時的であるが、越との問題を片付ける事に成功した。急ぐ必要は無い。呉越の関係、越内の

勢力争い、そして孫文、三者に好きなようにやらせ、趙はそれを見ているだけでいい。機はいずれ訪れる。

芽が育ち、花開くのを待てば良いのだ。

 趙深の期待に応えられたかどうかは疑問だが、趙起は自分なりの答えを出し、方針を立て、種を蒔き、

芽を出させた。

 その芽の行く末は天のみぞ知るが。人事は尽くした、ならばそれでいい。

 双はまだまだ力を増さなければならない。さて、趙深は次にどう動くのだろう。そして趙起もまた、ど

う動いて行くのだろうか。

 或いはどちらも動かされて行くのか。

 天は何を望むか。未だ結末は見えない。




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