9-1.異種の花


 紀と越を押さえ、魏が周と従属同盟を結んだ事で、西南北の不安は一時取り除かれた。これにより双は

東へ意識を集中させる事が出来る。

 趙起(チョウキ)も都に帰還し、訓練を積みながら趙深の動きを待っていた。

 東には金、劉、陶(トウ)の三国からなる金連合が居る。しかしとうにその絆は断たれ、有名無実の盟約

となり、双は劉と陶と反金の密約を結んでいる。双が立てば、劉と陶が背後から金を突く、知らぬのは金ば

かり。

 金は劉と陶との仲が冷え切っているのを感じながらも、二国に頼らざるを得ない。よもや裏切られてい

るとは想像もしていないから、何とか関係を修復しようと躍起(やっき)になっている。その傲慢な態度

も随分和らいでいるようだ。

 金が兄貴分として常に立てられなければならない、という基本方針は変らないが。弟分である劉と陶へ

もっと配慮せねばならない、という考えに変ってきてはいる。

 今までは盟主として堂々と振舞うべきだと考え、その通りに振舞ってきた事から考えると、これはかな

り譲歩していると思える。

 しかしそう思っているのは、勿論金のみである。兄貴分に拘ると云う事は、常に上から物を見ている、

という事である。そんなやり方ではいくら譲歩しようとも、下に見られている方は堪るまい。どれだけ柔

らかろうと硬かろうと、不満なのは変わりない。

 臣従しているのなら仕方ないとしても、金、劉、陶の三国はあくまでも同格であり。金が盟主なのも、

金が率先して同盟をまとめたという事から、金が強引に盟主に就いているに過ぎない。身勝手に兄貴分と

押し付けてくる金がいくら譲歩してようと、何も変わらないのだ。

 金が態度を改め、同格としてこれからやっていくというのであれば、まだ考える余地もあったかもしれ

ないが。金があくまでも上に立つと言うのなら、劉陶にも考えがある。双が越と組み、更に力を増してい

る事を考えれば、今こそ双と協力し金を妥当する時、と考えても不思議はない。

 今ならば、双も全兵力を持って、金に当れる筈。それに劉陶の力を加えれば、金を圧倒できるだろう。

 このように、趙深が待っていた機が訪れつつある。

 劉と陶は二国間の結び付きを強め、積極的に金内部にある反乱分子に働きかけ始めている。つまりは資

金や武具の提供をし、反乱分子と密約を結んでいる、という事である。

 最早その意を金に隠そうとも思っていないようだ。勿論表面上は同盟国として、金王、金顔(キンガン)

に協力すると言っているが。裏の行動を今までのように隠そうとはせず、むしろ金顔に知らせて圧力を加

えようという意が窺(うかが)える。

 暗の宣戦布告とでも言えば良いのだろうか。

 当然、金顔は怒った。しかし彼は無能ではない。何故劉陶が強気に出たのか、その意味も解っている。

 西を向けば双が居る。そして双は金領付近への兵力を増強させ、完全に金を敵国として見ている。次の

標的はお前だと、示しているのだ。それらを考えれば、劉陶が双と結託し、金を盗らんと狙っている事は

容易に理解できた。

 口惜しいがこうなってはどうする事も出来ない。双だけならまだしも、劉陶だけならまだしも、その二

つを同時に敵に回してしまえば、金一国では防ぎようがないのである。

 方法があるとすれば、他国を頼る事だが。窮地(きゅうち)に助けを乞えば、その代償は大きかろう。

それに身を屈して助けを乞うなどと、金がやるべき事ではない。金の誇りを傷付けるような真似は出来ぬ。

例え滅ぼされようとも、それだけは出来ない。

 金顔は生存と意地を天秤(てんびん)にかけ、意地の方を取った。そして思う。どうせ死ぬのであれば、

何としてもあの劉と陶に一泡吹かせたい。酬いを受けさせたい。金を裏切った酬いを、金顔を裏切った憎

しみを、とくと味合わせてやるのだと。

 例えそうする事で、金という国がどうなるとしても。



 金顔は兵を集め、軍を編成した。最早防衛など考えていない。全兵力を持って、東の劉と陶を討つ。金

は西から来る双に蹂躙(じゅうりん)されるだろうが、それは諦めよう。国などは劉と陶を奪って、そこ

に新たに建てれば良い。

 金がこの地でなければならぬ、という法はないのだ。

 だが金顔の考えに賛同できない者は、当然のように数多く居た。

 金の誇り、金顔の意地、それは良かろう。しかし残された者達はどうするのだ。兵の家族、将の財産、

その他全ての物は一体どうなるのか。土地も人も何もかも、今まで必死に守り蓄えてきた物が、全て双に

奪われてしまうではないか。

 それならば今まで我々は何の為に戦ってきたのだ。何の為に王を掲げてきたのか。

 全ては故郷を守る為、財産、家族を守らんが為であった筈だ。

 それなのに金顔はそれら全てを捨てよ、と言う。確かに劉と陶を奪えれば、新たな家族、新たな財産を

得る事も出来よう。しかし我々が守りたいのは、我々が欲しいのは、そんな物ではない。そんな確証の無

いあやふやな妄言(もうげん)ではない。

 我々は新たな物が欲しいわけではないのだ。今ある物を守りたいが為に戦っている。それを守れないな

らば、金の、金顔の誇りや意地などは、我々の知った事ではない。

 そう考える者が数多く出てきた。以前から居た反乱分子だけではない。金顔を慕っていた者達の中から

も、叛意すら抱く者が次々に現れ、同士を増やす。

 反乱分子への扇動(せんどう)も今までが嘘のように効果を及ぼした。

 王と将兵の意志に完全なずれが生じ、伝え聞く所によれば、なんと全将兵の半数は叛意を抱いていたと

も伝えられている。その真偽は定かではなく、例え真だとしても、その全てが反乱を起す訳では無いとは

いえ。軍という組織が、もう成り立たなくなっていた事だけは確かであろう。

 それを知った劉は今が好機とばかり、様々に働きかけ、金顔が信頼していた将軍の一人を買収し、その

者に金顔を殺させ、強引にかつ感情的に王位を簒奪(さんだつ)させてしまった。

 しかもそれだけではない。

 簒奪させた将軍を、陶の意のかかった金顔の子らに殺させ、王位を取り戻させている。

 云わば二重に荒らしたのである。

 王位を簒奪した将軍も何も一人でそれをやった訳ではなく、当然味方とする者達がいた。将軍を殺せば、

その者達は怒り狂い、再び自分達の手に王権を取り戻そうと必死になる。

 こうして見事に簒奪者対金一族という図式が生まれ、内乱はその激しさを増して行く。無論、その後ろ

には劉と陶が居る。二国は金の内部に別々に働きかける事で、内部争いを激化させながら金を二分させ、内

戦を起こさせて漁夫の利を得ようと考えたのだ。

 これは劉陶が巧みだったと云うよりは、誰がやっても上手く行く程、金内部が沸騰(ふっとう)していた

事が大きいと考えられる。違う状況であれば、こうも上手くはいかなかっただろう。

 双からすればこれは想定外の事態であったが、それならばそれで好ましくないではない。

 劉と陶が金に対し別々に干渉しているという事にも利がある。内部争いを激化させる為の手段、金を疲

弊させ漁夫の利を狙うという戦略は悪くない。しかし劉と陶が別れた事は、その間に溝を穿つ可能性が増

したと云う事でもあるのだ。

 人の関係は離れれば脆いモノである。無論離れて尚強い関係もあるが、利害のみの付き合いである劉陶

に、そのようなモノを望むのは無理であった。

 趙深は漁夫の利を狙う二国を、更に一歩離れて狙う。誠にあくどいと云うべきか、冷酷なやり方である

が、劉陶も似たようなものであるからには、文句を言われる筋合いは無いのだろう。



 双は劉と陶に協力する立場に居ながらも、実際はほとんど何もせず、ただ二国の行く末を眺めている。

 何かを乞われればそれに応えるのは吝(やぶさ)かではないが、自主的に動く事は無く、深く関わろう

としていない。それはあまり深く関われば引き摺られてしまいかねない、と云う事もあったが。真意は劉

と陶との間に不和を招く事にある。

 双が余計な干渉をすれば、矛先が双に向ってくる可能性が生まれる。だからこそあくまでも一歩引き、

じっと見守るような形で、劉陶の仲違いと衰退を見守っていたのである。

 その間にも他国と外交をしたり、内政を整え、軍備を増強したりと、双も双でやる事は多い。自力を増

さなければ、他国への圧力は生まれない。いかに甘言を弄(ろう)し、鬼謀を練ろうとも、自らに力が無

ければその効果は生まれないのである。

 孫や西方が自ら動かなくても絶大な影響力を周囲に及ぼしているように、まず人を恐れさせねば圧力は

生まれない。

 力なき存在が何を言おうと、何をしようとも、そのままでは無力なのである。故に何をするにも、まず

は自力を増す事が肝要であり、趙深は最もその部分に拘った。彼は奇策の人ではなく、正攻法を好んだの

である。

 意外かも知れないが、魔術のような策を用いたり、突飛で人の想像を超えるような術を用いたり、そう

いう事は基本的にしない。むしろそれを使う事を恐れていた嫌いさえある。彼は出来る限り正攻法で事を

成そうとする。奇策は時に効果的で、便利な術となるが、奇に溺れる者はいずれ足下を掬われるのだと、

趙深は知っていたのであろう。

 奇は磐石とは無縁であり、むしろ奇は磐石を崩す事にある。正こそが磐石であり、奇は一時の方便とで

も考えれば近いかもしれない。正を崩す奇に頼っても、それでは何も築けないのだ。

 趙深は機を待ちながら富国強兵という基本方針を貫き、その結果を出すべく、懸命に努力した。越と協

力関係を結んだ事により、船舶建造や土木技術が飛躍的に増している。その内大規模な土木工事も出来る

ようになるだろう。

 越は技術提供に渋っていたが、越商の望みである北方に水運を布き、越商の行商範囲と規模を拡大させ

る事を条件に、双はそれらを得たのである。

 いざ行うとなれば、更に莫大な資金が必要となってくるが、西方と孫が戦っている限り、何とか工面出

来るだろう。越だけでなく、双も西方貿易のおかげで巨利を得ているのだ。

 だがどれも一朝一夕で完成する事ではない。少しずつこれ以後も長い時間をかける必要があるだろう。

 暫くその事に趙深は謀殺されたが、それもそれで良い暇潰しとでも云うべきか、金、劉、陶が程好く弱

体する良い時間稼ぎとなってくれた。

 劉と陶は初めは金を疲弊させるという共通の条件の為、お互いに協力し合っていたのだが。徐々にその

思惑を変え。

 このまま相手の勢力を打倒すれば、自分が金を丸々得る事が出来るのではないか。別に劉陶といつまで

も一つにくっ付いている意味はない。それよりも金を自分が盗り、返す刀で劉ならば陶を、陶ならば劉を

討ち。その上で双と結べば、双とも対等に並ぶ事が出来るようになるのではないか。

 例えこのまま上手く金を二分出来たとしても、依然(いぜん)双の力の方が強く、金の下で苦渋を舐め

ていた時と変わらない。下手すれば、双がどちらかと密約を結び、自分達が金にした事と、同じ事をされ

るかもしれない。

 劉陶は不安と野望をお互いに抱き始め(野望の方が大きかったろうが)、元々金という相手に対抗する

繋がりだった為に、その金が勢威を失墜した事で(目的を遂げた事で)、繋がりの意味を失くしてしまっ

たのか、結果として劉陶の仲を自然に裂く事になってしまった。

 無論、その間には趙深の工作があったとしても、それは自然な流れだったのだろう。趙深はその自然の

流れを、一押ししただけである。

 劉と陶の間にある思いが、領土欲を得て、段々と競争意識と似たものに変わり。それがいつしかお互い

を打倒するという所にまで行きつき、意味を失っていた劉陶の絆をはっきりと消滅させ。そこに野望と

生存という二つの心を交える事で、お互いに憎悪を抱くようになるまでには、さほど時間は要らなかった。

 これ以上手を加える必要はない。後は熟し、実が落ちるのを待つのみである。



 劉陶の争いは激しさを増す。それは両国が直に争っていると云う事ではなく、金に居る自らが後ろ盾と

なっている勢力同士の争いが、という事であるが。当然劉陶の間にも深い影響を与えていく。

 しかし面白い事に、といえば不謹慎かもしれないが、どちらの勢力も王であった金顔の意を受け継ぐ姿

勢は見せていない。むしろそれに反対する事で、自らの政権を確立しようとしている。

 知っての通り、金顔の意志は、金を捨て一か八か劉か陶に全力を持って戦いを挑み、その領土を奪って

新たな金をそこに造る、と云う事であったが。今更こんな捨て鉢な考えに賛同する者はいなかった。

 そう言う意味で金顔のみが特殊な、いや古い考えを持っていたと言える。盗られる物は放っておけばい

い、また盗ってくれば良いのだ。という考え方は、土地に執着を持つようになった当時の考えとは、基本

的に相容れず、むしろ嘲笑されるような考えである。

 とうとう狂ったか。そんな風に金の民も将兵も思ったであろう。金顔の血族も、そんな考えを吹聴すれ

ば、誰も付いてこなくなる事は解っている。それにそれがきっかけとなって謀叛が起きた以上、金顔の遺

志を継ごうなどと、愚かしい考えである。

 彼ら自身も今ある土地の方が惜しい。家族と土地を捨ててまで、賭けに出るような事はしたくなかった。

 故にどちらも金国の安定の為とか、民の為とか、何の意味も意志も無い上辺だけの言葉を並べ、それを

理由として覇を競っている。同じ理想を掲げながら、しかしお互いに争う。これこそ単に自身の野望の為

に戦っているという証明であろう。

 まあ、それはそれでいい。しかし民の方は堪らない。民とすれば、金一族だろうが、他の将軍だろうが、

上に立つ者は誰でも良かった。ただ早く安堵させてほしい。このまま争いが続けば金は疲弊する一方で、

結局どちらが勝ったとしても、劉か陶に隷属させられる事になる。ただでさえそれが決まっているのに、

これ以上国土と民の暮らしを荒らす事は止めて欲しい。

 そもそも彼らは何の為に戦っているのだ。この争いが何の為に必要なのだろうか。結局、金はもう何者

かに隷従するしかないのならば、その勝利などに一体何の意味がある。

 民の怒りは誰の予想を越えて、遥かに強く、そして抑えきれぬモノとなっていた。

 ここで誤算と云うべきか、当然の帰結というべきか、新たに第三の勢力が台頭(たいとう)する事とな

る。即ち民間の勢力である。民の間に不満と怒りが満ち溢れ、とうとう民が立ち上がったのである。

 将軍も金一族も慌ててその討伐に向った。一揆(いっき)が起きた以上、争っている場合ではない。

一揆は共通の敵である。一時休戦して、即座に討伐に向うのは、当然の事だ。今更民に横から奪われては

堪らない。横取りされる憎しみは、競争相手へのそれよりも勝るのである。

 軍は権力者の手にあるから、当然のように民間の反乱軍などすぐに討伐された。しかしその度に憎しみ

は増し、潰しても潰してもすぐに別の場所で蜂起する。最早国内の軍事力だけでは、それを抑えられなく

なっている。

 それに正規軍の多くも民間から出ているのだから、民の協力を失えば、当然軍からも離反する者が出て

くる。中には民意を利用して野望を成そうと、率先して自ら反乱を起す者まで現れた。

 こうなってはもうどうにもならない。激しく抵抗していたが、兵力は減少の一途を辿り、とうとう金一

族も将軍達も、この民間軍に滅ぼされてしまったのである。

 権力者を誅した後、民間が頼るのは双しかいない。劉と陶が金一族と将軍の後ろ盾になっていた事は誰

もが知っている。事は成ったとばかり、金を攻めに来るだろう。内部争いだから民が勝利を得る事が出来

たが、他国との戦いとなれば、どうにもならない。他国の兵が、金国の民に同情して協力してくれる、な

どという事がある筈がない。

 民達は双に頼るしかなかった。そして頼られれば、双は、いや趙深は出ない訳にはいかない。ここで断

れば、後々金領を得た時に、その統治が非情に困難になるだろうからだ。今恩を売っておかねば、双は後

で泣きを見る事になる。

 こうして期せずして双と劉陶が睨み合う形となってしまった。

 流石の趙深も、ここまでは予測していなかった。いや、予測を上回ったと言うべきだろうか。人の読み

など、その程度のものなのだろう。




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