9-2.虚しき帳


 趙深の読みは外れた。金の民の想いを考慮しなかったのが、その原因であろう。双の民が(王に)従順

なので、彼の民に対する見方を、知らず知らず甘くしてしまっていたのかもしれない。

 趙深は自らの眼識の甘さを恥じた。

 しかしこうなってしまってはやる他に無い。最早退く訳にはいかないし、逆に考えれば良い機会である

かもしれない。これで公然と金を奪えるのだから。

 そもそも十の内十が当ると考える方がおかしい。そんな事は天でもなければ解らぬ事。たかだかこの地

上を這う一人の人間風情が、千里眼のような力を持てる筈がないのだ。情報収集に勤しみ、数多の事を知

る事は出来ても、それから答えを導き出すという、云わば未来予測、の全てが的中する訳がない。

 それは人を超えた事、ならば外れるのも当然である。むしろ今まで上手く行っていたのが不思議なのだ。

これも天の戒めに違いない。自らの智に溺れるな。それは智を穢(けが)す行為であると。

 趙深は双王に双の威を示す必要があると説き、即座に出兵する事を進言した。後に戦をする事は決まっ

ていたので、幸い食料の備蓄など戦の準備は整えてある。多少時間が足りなかったが、金の民が協力して

くれれば、充分その穴は埋められる。

 無論、趙起も手勢を率いて出陣する。彼の勇名も高まっており、率いる賦族兵の強さも近隣に知れるよ

うになっている。金の民と双兵を鼓舞する為、そして何よりも劉陶を降す為に、必要不可欠な力だ。

 それに比べ、双兵は相変わらず強くはないが、出来る限りの訓練は行なってきた。劣勢になれば脆いの

は変わらぬが、組織的な動きには磨きがかかっている。士気も騰(あ)がっており、上手くすればこの勢

いで一息に攻め落とせるかもしれない。

 それは希望的過ぎるとしても、勢いがあるのは良い事だ。それに劉陶を降せないようでは、初めから西

方や孫と戦う事など出来る筈がない。趙深の力が今試されている。

「劉陶は同盟者である金を助けるどころか、内乱を起させ疲弊させ、その上で自ら乗っ取ろうとしている。

これは大逆非道の行いである。双家の名にかけて、このような非道許すまじ。金の民を救い、悪鬼劉陶を

討ち滅ぼすのだ。これは天意である。始祖八家の正統な嫡流である我らが果たすべき宿願である。今こそ

双の誇りを見せよ。天意は我らにあり」

 趙深が双正の言葉(勿論趙深が草案したもの)を読み上げると、将兵の士気は弥(いや)が上にも高ま

った。

 何しろ金の民から乞われて軍を進めるのである。これは侵略行為ではない、民を救う為の英雄的行為で

ある。双の威を示す、これ以上の名誉は無い。

 当時は乱世、大義や道徳など名ばかりのモノに成り下がっている時代だ。それがどうだろう。まるで古

の英雄譚(たん)、伝説に聞く神話のように、今大義が双の名によって現世に甦るのである。血統、そし

て形式と名を重んじる双に置いて、これ以上の名誉はない。今こそ双の、始祖の血と名が復古される時だ。

 唯一残る正統な子孫であるからには、双の下にこそ大陸は平定されなければならない。この戦は、その

第一歩となり、名を成せば子々孫々まで語り継がれよう。

 今奮い立たずして、いつ立つというのか。

 そう考える双の将兵達が、この一戦にどれほどの意気込みで挑んだか。例えそれが薄っぺらい勇気の上

に成り立っている砂上の楼閣であっても、士気の高さは平時の比ではない。

 趙深はこの意気を損ぜぬよう、速やかに軍を進めた。



 金領内に踏み入れると、領民達が歓喜して双軍を出迎えてくれた。彼らにとって双軍は救いの神、救世

主なのだろう。双と金は争っていたが、それも金一族が勝手にやっていた事、民達には関係ない。少なく

とも民達はそう思っている。歓喜するのに何の支障も無かった。

 双国は税は重いが、暮らしは豊かである。同じ併合されるのならば、劉や陶よりはいい。寄らば大樹の

陰、という言葉もある。どうせ付くならば、上り調子の双の方が良いと思うのが人情だろう。

 趙深はそれに応えるべく略奪を禁じ、規律を重んじ、粛々と軍を入れさせている。頼もしい姿を見せる

事が、後々にまで良い影響を及ぼすのである。人に良い印象を与えておく事は、何よりも強い武器になる。

良い印象を持つからこそ、人はそれに素直に従えるのである。

 しかし金の中にも勿論双を疎ましく思う者達が居る。

 それは民に呼応して蜂起する形を取った将達である。折角金一族と競争相手の将軍を、民の総意の名を

借りて滅ぼせたのに、今双に来られては手柄を全て奪われてしまう事になる。これでは双に献上する為に、

わざわざ危険を冒して蜂起したようなもの。不満に思うのは当然だろう。

 中にはやれやれ肩の荷が降りた、とさっさと双に従う者も少なくなかったが。多かれ少なかれ、不満を

持つ者達は多い。しかし彼らも民の力を借りて蜂起したからには、民の総意(双に従う)に倣(なら)う

しかない。

 だから今は渋々双の軍門に降っている者も、獅子身中の蟲となって、いずれ害を及ぼす可能性がある。

注意が必要である。

 趙深は金の民軍を再編成し、守備隊や輸送隊に当てた。流石に民を前線に連れて行き、盾にするような

事は出来ない。それは金の民の意にも反する事になるだろうし、双としても外聞が甚だよろしくない。し

かし守備や後方支援に兵を割かなくて済むのは、双にとっても好都合である。

 民の心は容易く揺れ動くもの、全幅の信頼を置く訳にはいかないが、双が優勢である内は、裏切るまい。

自らの命と将来の為、彼らは無償で懸命に奉仕してくれるだろう。誰が命じる訳でもなく、自然にそれを

行う、それが最良の状態なのだから、利用しない手は無い。

 それに混成軍は弱い。意志が統一されていればまだしも、混ぜる事で軍は弱くなる。出来るだけ純度を

高め、その意が統一されている事が望ましい。出来れば全ての兵が同じ人間である事が最も望ましい。

 そんな事は不可能だとしても、それに近ければ近い程良い。ただでさえ扱いの難しい双軍に、民兵とい

う軍事訓練もしていない者達を加えれば、統御するのは一層困難となる。兵数がただ多ければ良いという

訳ではないのだ。

 趙起の率いる賦族兵を趙軍として双軍と区別し、その純度を保っているのもその為である。

 如何に精強なる賦族であっても、中に双兵が混じれば、その強さは半減する。足手まといは死を招く。

精鋭は精鋭として置くべきだ。

 ただし、民兵だけを残して行く事は、裏切りを抑える力が薄まる事を意味する。

 金の民を信頼している事を示す為、思い切って抑えの兵を置いていない事は、下手すれば壊滅的な状況

を生み出しかねない。例え劉陶と敵対しているとはいえ、人間何を考えるか解らない。気が変わって双に

牙を剥けば、退路と補給路を塞がれる事になる。そうなれば双の勝機は費えてしまい、最悪前後から挟撃

を受けて、壊滅(かいめつ)させられてしまうだろう。

 双本国にはまだ兵力があるとはいえ、それだけでは抑える力としては弱い。

 なるべく信の置けそうな者を選んで隊長格とし、不安のありそうな者はその下に付けておくなり、有名

無実の役職に就けたりしたが、その効果がどれだけあるかは疑問である。

 勢いが損じれば、双は深刻な打撃を受ける。これは賭けといえる。

 とにかく急いで平定する事が肝要である。劉陶を落さずとも、優勢を保っているだけでもいい。双が優

勢である内は、民は決して双に背くまい。民が背かなければ、不満を持つ将が居たとしても、率いる兵が

居なくなる。兵が居なければ裏切りも怖くない。

 金の民が劉陶打倒に燃えている間に、熱が治まらぬ内に、何としても決着を付けてしまわなければなら

なかった。



 双軍の出陣を聞いて、劉陶も一時休戦とばかり再び手を結び、連合軍を出して待ち構えている。

 丁度金、劉、陶の国境付近、大河悠江(ユウコウ)の支流を前にして布陣しているようだ。川はさほど

深く無いが、入れば膝が隠れる程はあり、進軍するには不便である。劉陶は手堅く布陣したと言わねばな

らない。芸は無い

が、それだけに効果がある。地味で基本的な事には、人が思っている以上の効果があるものだ。

 対する双軍も川を挟むように布陣する。これもまた手堅い処置であり、芸は無いが無理もない。

 こうして両軍暫し睨み合う形となり、大声を出したり、申し訳程度に弓矢を交えながら、大きな動きは

見せず。日暮れを迎え、お互いに少し引き、野営を取った。

 余り時間をかけてはいられないのだが、趙深は焦りを見せず、ゆったりと構える風を装(よそお)って

いる。これにより劉陶へ余力を見せながら、後方の金はすでに我が物と示しているのである。ここで悠然

と構えていられると云う事は、後顧の憂い無し、つまりは金がすでに双に組み入れられた事を意味する。

 実情は前述した通りだが、劉陶からしてみれば、確かに金は劉陶に敵意を剥き出しにし、その意のかか

った王ではない存在を掲げる事を望んでいた為に、民が双に心服してもおかしくはないと考える。そうな

ると劉陶には不安が芽生えてくる。

 元々彼らも双との一戦を望んでいた訳ではない。金の民の蜂起を望んでいた訳でもない。全ては仕方な

くであり、その意気は自然と低くなる。嫌々やっているのだから、やる気が出る筈がない。

 上に立つ者がそうなのであるから、兵などはもっとやる気は無いだろう。何故こんな事に、何故こんな

事をしなければならないのか、疑問だけが浮び、勝つ負ける以前に意味が解らない。

 この一戦に勝った方が、おそらく金を治める事になるだろうが。例え劉陶が治めたとしても、必ずや再

び民は蜂起する。双が容易く金に迎え入れられた事が、その恨みと憎しみの大きさを物語っている。だと

すれば、ここで勝ったとして、一体何の意味があるだろうか。勝とうが負けようが、余計な不安を抱える

だけではないか。

 劉陶の敵は双だけではない。周辺の国家、そして最も大きなモノが東方から来る孫軍である。それなの

にこんな所で何をやっているのだろう。何がどうなろうと疲弊(ひへい)し、他国の格好の餌になるだけ

ではないか。まさか双と心中するのが目的でもあるまいし、一体自分達は何をやっているのだろう。

 劉陶は内心酷く動揺している。金への干渉には失敗し、逆に民の蜂起を促(うなが)した。その上で双

まで敵に回し、こうして開戦する破目になっている。すべてが裏目裏目に出、仕方なく劉と陶と結んだが、

この二国はお互いに嫌悪し合う関係だ。相手がいつ裏切るかも解らない。

 はっきり言って双と戦うだけ無駄どころか害にしかならない。ならば早々に詫びを入れ、その上で双と

結び、一方にすべての責任を被せて双と共に領土を奪い取る。その方がどれだけ賢明な手段だろう。

 憎いのは同盟国である。金を得る為に協力し合う所か、劉が、陶が、余計な干渉をした為に民に不信を

招き、その結果として今こういった状況に陥っている。

 愚かしい事この上ない。何故に憎き劉と、陶と、我々は同じ陣営にて、双を睨み付けているのだろう。

これではあべこべではないか。

 劉陶内部には負の思惑が割拠(かっきょ)し始めた。王でさえ悔いているのだ、将兵の間には尚更大き

な不満がある。劉だの陶だの言う前に、むしろ将兵は自分達の王自身を憎んでいるかもしれない。そも

そもこやつらが余計な事をしなければ、こんな事態にならなかったのだと。

 いつ裏切って双に付き、矛先を逆にして向ってくるのかも知れぬ奴らと、何故並んで立っていなければ

ならないのか。こんな奴らと一緒では初めから戦える筈が無い。勝てる筈が無い。戦えば即ち破滅ではな

いか。

 早い者勝ちである。どちらがどちらを逸早く裏切るか。金を得る事は最早不可能だが、今裏切れば、劉

か陶の領土を得る事は出来る。なのに何故動かない。

 愚かな王め、欲深な王め、お前達のおかげで我々の心は死の恐怖に押し潰されそうだ。

 こうなれば、と将兵の心に浮んできても、それは仕方の無い事であったろう。金もやったのだ、我らが

やっていけない理由は無い。そう考え、同盟軍の矛先がこちらへ向く前に、自らの矛先を王に、或いは同

盟者に向けようと考えても不思議ではなかった。

 どちらでも良い。やってしまえば良いのだ。誰かが一度やってしまえば、後はもう自然に転がり付く。

それは止めらないし、止める必要もない。転がしてしまえば良い。そうすればもう、誰もどうしようも出

来ないのだから。

 そうすれば国は滅びるかもしれないが、自分達は助かる。そして一番初めに行った者が、後に一番大き

な恩賞に与(あずか)れる。今はそういう状況である。

 将兵や同盟相手から感じるそのような不穏な動きに、王達は震え上がった。彼らも馬鹿ではない。不穏

の背後には双の手が伸びている事を理解している。彼らが金に対してやった事を、そっくりそのまま双が

今自分達にやろうとしている。

 劉王と陶王はそのように考えた。だからこそ、双軍はああも悠然としていられるのだと。きっと誰かが

それをやるのを待っているのだ。そうに違いない。

 目の前に双軍が居るのだ。例え謀叛(むほん)に失敗しても、そのまま対岸の双軍へ逃げ込めば良いし。

蜂起すれば双軍が一挙に雪崩れ込んでくる。そうなれば単騎蜂起するよりも、遥かに成功率は高くなり、

失敗しても命が助かる可能性も高くなる。

 上手く成功すれば双も高く自分を買ってくれるだろうし、このまま愚かな王の尻拭いに付き合わされ、

無意味な死を賜(たまわ)るよりは遥かにましだ。

 そう思わせるのは簡単だろう。だからきっとやっている。それをしないような者がこの世に生きている

などと、王達には信じられなかった。思考は内に閉ざされていき、純粋な恐怖の前に、目も耳も眩んでい

る。何もかも信用ならない。一体誰が双の手下なのか。

 恐れれば恐れる程に恐怖心が弥増し、ありもしない妄想に現実味を加え、自己の脳内で全てを完結させ

てしまう。誰の声も、誰の動きももう不審にしか感じられない。奴かもしれない、いや奴かもしれない。

 双が進撃してきた時、その時が最後であろう。その時に何かが起こる。誰がどうするのかは解らない。

しかし双に動きがあれば、必ずや誰かがそれに呼応する。そうに違いない。もし自分ならそうするし、そ

れ以外にはありえない。

 ならばその前に事を起こさねば、やるなら今だ、早い方が良い。相手がやる前にやらねば、滅ぼされる。

殺されてしまう。

 将兵も将兵ならば王も王、お互いに疑心暗鬼にかかり、疑心が疑心を呼ぶ。それを抑えようとする者は

おらず。その疑心こそが双の狙いだと気付く者も居ただろうが。抑えようと下手な事を言えば、自らの首

が飛ぶかもしれない。

 死を賭して王を救おうと考える臣はおらず、王もまた誰一人として臣を信用していない。最早誰にもど

うしようもなかった。命が惜しい者はさっさと逃げるしかない。

 目の前に整然と並ぶ双軍を見る事で、劉陶はその心に止めをさされた形となったのである。



 敵軍の動揺は双軍にも伝わっている。今から考えれば、劉陶がわざわざ三国の境界を戦場に選んだ事が、

劉陶の現状を物語っていたのだ。

 金領を掠め取るつもりならば、腹を決めて双と本気で戦う積もりであったならば、少しでも進軍を深く

し、双軍が到着するまでに奪えるだけは奪っていただろう。それをご丁寧に三国の境界で待っていたのは、

お互いにお互いが信用出来ない為である。

 深く入り過ぎれば、本国に残されている軍に本拠を突かれてしまう可能性があったのと。いずれ双に和

議を持ち込む時の為に、なるべくその心証を悪くすまいとする考えがあったからであろう。

 でなければこのような消極的な姿勢にはならなかった筈だ。その兵数も明らかに最大動員数には満たな

い。その半数も居れば良いくらいだろうか。お互いにお互いを信用していない為に、本国に守備兵を置く

必要があり、その為にこの兵数となったのである。

 兵数は総合しても双軍以下であり、初めから勝つ気、つまりは本気で双と戦う気が無いのが解る。

 趙深は劉陶軍を前に見、間者よりの報告でそれが明らかになったので、電撃的に攻める事をせず、むし

ろ余裕を見せる事で劉陶を威圧しようとした。

 金国に兵を置かなかったのも、それをある程度知っていたからかもしれない。でなければ、ああも思い

切った事は出来ない。

 趙深は劉陶へ積極的に内応を勧めた。このまま居ても良い事は無い。それならば少しでも早く双と和議

を結び、共に劉を、陶を討つべきである。時間は無い。早くしなければ、相手の方が先に牙を剥(む)く。

そうなれば双もそちらに付かざるを得ず、結果として貴国が滅びてしまうだろう。

 昼夜問わず使者を送り、しかも王だけではなく将にも送り、兵の中にすら間者を混ぜて扇動している。

 疑心暗鬼の者には何でも効く。王に不審あり、将に不審あり、兵に不審あり、劉に、陶に不審あり、そ

れらの言葉は半ば事実なだけに、余計に効果があった。

 劉陶軍の空気は沸騰し、最早誰が何をやってもおかしくない状態に陥っている。

 その上で、更に趙深は待った。最後の最後は必ずその者にやらせなければならないからだ。他人に決定

させるのではなく、自らで決定させる。もしくはそう思わせる。それが重要な事なのである。

 間違っても、双がきっかけを与えてはいけない。双から攻めてはいけない。

 趙深の真意を遂げる為には、それが最も重要な事であった。




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