9-10.悪寒


 趙深はまず楚に対し、斉ではなく窪丸の救援に向かってくれるよう願った。その上で自ら劉陶の軍を率

い、斉へ進み。金軍を楚へ向かわせている。

 双本軍には決戦兵団として温存すると言い置き、実際には輸送の一切を任せた。軍に兵糧などを積んだ

輸送部隊を付けて進むと行軍速度が非常に落ちるので、軍には必要最低限の食料を持たせ、各拠点をなぞ

るように移動し、その都度補給していくようにさせている。

 そうする為には各拠点に豊富な備蓄があり、輸送部隊を数多く別個に作る必要があったから、双軍一切

をその任に当てたのである。

 無論、軍に最低限の食料しか持たせないのは戦場に到着するまでの話で、最終拠点から戦場へ向かう際

は、平常通り多くの輸送部隊を引き連れて行かなければならないのは変わらない。しかしそれまでの行軍

時間を短縮できる事は、非常に利点のある事であった。

 何しろ戦が始まる時は、常に火急の時であり、ほぼ全ての情況に置いて、時間こそが最も尊ばれる事な

のだから。

 趙起には金軍の将を任し、虎の子の賦族軍も合わせて配備している。金劉陶の新領土軍はまだ安定して

おらず、強い統率力を持つ将が必要であり、他の者に任す事は出来ない。それに金劉陶は趙子飼の軍団に

したいという狙いもある。

 尤も、趙深が劉陶の軍を直接率いた事からも解る様に、戦力を出し惜しみする余裕がないというのが、

最も大きな理由なのかもしれない。

 趙深も趙起も休む暇がなく、全ての力を使い続ける必要があった。

 金軍には楚軍が窪丸へ行き手薄になった守備隊を補強するという役の他に、楚方面から斉を牽制すると

いう役目がある。ここに金軍が駐屯している限り、斉孫も簡単には楚を抜く事は出来ないだろう。

 もし楚へ攻めて来るとしても、それだけ劉陶方面へ送る兵数が減ずるという事で、悪くはない。

 勝利は確証できないが、それでも幾らか勝率が増すだろう。大陸の約半分を手中に収める孫に抗うには、

あらゆる手を使い、少しずつでも勝率を上げていく必要がある。

 北方の戦力として、後は越が居るが。越には西方との交易や双国内の水運の整備などに尽力してもらわ

なければならない。それらも疎かには出来ず、地形的にも越が出張ってくるのは苦しいから、越は今のま

ま続けてもらう方が良いと判断している。

 こうして当面の戦略が決まった。問題があるとすれば、各国が思うように動いてくれるか、特に楚が自

らの領地を趙起に任せ、窪丸に孫軍と戦う為に出てくれるかどうかだが、こればかりは何としても姜尚と

楚王を説き伏せるしかない。

 最も怖いのは斉孫ではなく、中央から来る孫軍である。この軍に窪丸を抜かれてしまえば、最早どうに

もならなくなるだろう。窪丸こそが対孫戦略の要である。



 幸いにも、楚は双の、いや趙深の身勝手ともいえる提案を受け容れてくれた。どうせ孫軍と戦わねばな

らぬのは同じ、であれば今は双と趙に恩を売っておくのも良いだろうと考えたのか。或いは姜尚を救って

くれた礼としたのか。窪丸を取られてしまえば、一番困るのが楚という事もあったのだろうが、ともかく

心配の一つは杞憂(きゆう)に帰した。

 その上、楚は最大限の好意を見せてくれている。

 趙起が楚国に着くと、わざわざ太子が出迎えてくれたのである。

 太子の名は楚斉(ソセイ)。その名は言うまでもなく姜尚と斉へ敬意を示したものであったが、結局は

無為になってしまう事になった。しかし姜尚に対しての効果はあるし、斉の民も悪からず思っているだろ

う事を考えれば、今もその名だけで人知れず功を立てているのかもしれない。

 象徴としての何かというのは、人が思っている以上に効果を及ぼすものである。

 孝に篤く、礼儀正しい男で、自らの名を心に刻み、その名に恥じぬ人物になろうと心がけているようだ。

斉の名を付けたと云う事は、もし彼が何か汚名を着ようものなら、斉国をも侮辱した事になる事を、誰よ

りも理解しているのであろう。

 歳はまだ十を数える程か。聡いがそれだけに哀れさを感じる。必要が人を聡くさせるとすれば、本当に

それが良い事なのかどうか、疑問にも思えてくる。尤も、乱世の太子に生まれた以上、大きな苦難と苦悩

を背負って当然なのかもしれない。

 まだ王が存命であり、国の主柱たる姜尚が現役でいる内は安定しているが、楚斉の人生も恐らくは安楽

に終わるまい。王らしく楚王にも多くの子が居ると聞く。趙起に丁重な態度を取るのも、双に良い印象を

与えておきたい、という心もあるのだろう。

 他国から嫌われているか、好かれているか、それもまた王権を継ぐに大きな影響を及ぼす。その孝行も

礼の心も、ある程度は必要から得たものかもしれぬ。

 太子が一応王の代理となるのだが、勿論その後ろには後見となる者が付く。後見役の名は項関(コウセ

キ)将軍という。

 項将軍は楚の名士であり、代々この地方に勢力を誇ってきた一族の出である。彼の娘が楚斉の母であり、

王后である事からも、彼の権威がどれだけあるかが解るだろう。ようするに外戚というやつで、太子の祖

父にあたるからには、項将軍が後見人となるのも当然の事であった。

 性格は一言でいえば頑固。義理を重んじ、信頼に足る人物である。ただし侮辱されるのを決して許せず、

癇癪(かんしゃく)持ちな所があり。その性格故に失敗する事も多く、姜尚が来てからは彼の手腕に随分

助けられ、姜尚には友情以上の感謝心を抱いているようである。

 使い易い人物ではないが、信頼を得られればこれ以上心強い人物はいない。彼の立場を無視するような

事さえしなければ、趙にとっても大きな力になってくれるだろう。

 その為にもまず、項関の抱いている警戒心を取り除かねばならない。

 軍の大半は窪丸へ出払っている。そこに他国軍が駐屯するとなれば警戒するのは当然だ。もし趙起軍が

牙を剥けば、今の楚にそれを止めるだけの力は無いのだから。

 そんな事をしても民が黙っておらず、また将兵も服従する訳が無いので、よほどの馬鹿でもなければ採

らない方法だとしても、それに対する警戒が消える訳ではない。例え同盟相手だとしても、いや同盟相手

だからこそ、簡単に信用しろという方が無理である。

 相手に信頼を望むのではなく。まずこちらが相手の信頼に応えられるだけの器量を見せなければならな

い。まずこちらが見せてこそ、相手も胸の内を見せてくれるというものだ。

 趙起はまず礼を徹底させる事にした。軍紀を厳しくし、違反する者は直ちに斬り捨てる事を布告してい

る。金兵を圧迫すれば、金に内在する不穏分子を活性化させる事になりかねないが、それでもここは厳し

く律せねばならない。あくまでも今は金も双の臣だと理解させなければならないし、趙起も将軍として侮

られるような事をすれば、兵士が付いてこなくなる。

 厳しく接する事も大切な事なのだ。

 その代り、どんなに小さな功でも賞し、行いには必ず報いねばならない。厳しいだけでも人は付いてこ

ないものである。

 そして将が誰よりも規律を守り、質素を心がける。まず上の者が見せる。これが一番大事な事だ。

 その上で、時間があれば兵の間を見て回り、兵達に親近感を抱かせるようにも努力している。将と兵の

心を繋ぎ、軍を完全に掌握せねばならない。

 そしてこの事が、項関の心に好意を抱かせる事にもなろう。頑固で真面目な人間程、同じように真面目

な人間を評価するものだからだ。項関のような人間は厳しい分、その眼鏡と好みに適う相手ならば、全幅

の信頼を寄せる。統率力のある頼れる将であれば、兵だけではなく、同盟相手からも敬意を寄せられるも

のである。

 これらは半ば計算した行動であるが、趙起の心にも合っている。言動には無理が無く、すぐに項関と打

ち解ける事が出来た。この豊かな髭を湛(たた)えた頑固者は、趙起の挙措(きょそ動作を見てすこぶる

感心したらしく。当初の警戒心などすぐに捨て、趙起を同盟相手以上に、友人として扱うようになった。

 趙起も項関個人の心に痛く感じ入り、友情を育む事にむしろ積極的になっている。

 項関の言に寄れば、楚斉も趙起達に対し、悪くない印象を抱いているそうである。特に項関が事ある毎

に趙起を褒めておいたので、楚斉も今では趙起を友人のように思っているらしい。

 この関係を続けていけば、孫打倒後も楚とよりよい関係を築いていけるだろう。

 場合によっては敵対する可能性もあるが、出来るだけその可能性を減じる事が出来る。まだ先の話では

あるが、今から考えておいても損はない。

 趙起も今だけを見ているのではない。趙深と同じく、将来の事を考えて行動しているのである。人生と

いうのは絶えず繋がっているものなのだと、彼もまた理解しているのだ。



 斉孫が楚領付近まで到達しつつあるという報が入った。そう、劉陶ではなく、楚へ進路を向けたのであ

る。劉陶軍へは防衛に徹する構えのようだ。無論、趙深が隙を見せれば、見逃す事はないだろうが。

 劉陶と楚を比べ、兵の少ない楚を狙う、自然といえば自然の流れである。楚には趙起率いる援軍が居る

とはいえ、正規軍に比べると援軍は遥かに弱い。同盟国とはいえ所詮他人の国であり、国を護る意識がそ

の国民より薄くなる為だ。

 斉と楚には溝が出来ているし、劉陶と戦うよりも覚悟を決め易いと、孫将が考えた可能性もある。

 ようするに楚の方が戦いやすいと判断したのだろう。或いは双勢力を短期間で膨張させた趙深という男

に不気味さを感じ、様子見をしようと考えたのか。

 ともあれ、来たとなれば防がなければならない。

 趙起は手勢を率い、早速軍を前線へと移動させた。

 楚軍は拠点守備で手一杯であるから、趙起軍のみで事を成さねばならない。なかなかに厳しい情況であ

るが、これくらい出来なければ孫を倒す事など世迷言である。

 斉孫への防衛拠点となるのは、楚東北に位置する東城(トウジョウ)という名の都市である。

 楚は南が窪丸の篭る山地である事から、南北ではなく東西に伸びるように発展した国で、その東西の最

も先端に当る拠点を、東楚、西楚と名付け、自らの領地である事を高らかに宣言していた。

 しかし国が大きくなるに従い、東楚、西楚では楚を二つに割ってしまう事になり縁起が悪い。国が大き

くなればなる程統治が困難になるというのに、こんな名前では良からぬ事になる、という考えが生まれ。

東楚、西楚をそれぞれ東城、西城(セイジョウ)に改めた。

 その為、東城、西城という名は都市名というよりも、都市に与えられる称号のようなものであったのだ

が。近隣諸国との国境争いが安定し、長い間その名が留まっていた為、その時その名を冠していた都市が、

今では正式に東城、西城と呼ばるようになったそうだ。

 古き風習も、その役目を達したという事だろう。

 だから今では東城は東城であり、西城は西城である。ややこしい由来がある都市であるが、ややこしい

のは昔の話であるから、今は特に気にする必要はない。

 東城は元々軍事拠点として設計された都市ではなかったのだが、長き間軍事拠点として機能してきた為

に、充分にその機能を果たせる都市へと改造されている。兵舎も数多くあり、鍛冶屋から細工屋まで数多

の職人が揃(そろ)い、不便はない。

 防衛設備も備え、ここに篭って守備に専念すれば、敵が倍の兵力を持っていたとしても、長時間耐え続

ける事も可能であろう。

 ただし、今は援軍が期待出来ない為、篭っても仕方が無いし。趙起軍の威を示す為には華々しい戦果、

とは言わぬでも、ある程度の戦功を示す必要がある。できれば、こちらから攻撃を仕掛けて撃破するとい

う姿が、一番望ましい。

 ここは何とか趙深の軍勢と連携し、斉孫を撃ち破りたい所だ。

 とはいえ、趙深軍とは距離が離れている為に、細かな連携が取り難い。自分の兵力だけで勝つ方法を考

えた方が、建設的かもしれない。

 趙起は脱落者が出ない程度に速度を上げ、粛々と軍勢を進めさせた。

 幸い輸送などの後方支援は楚軍が受け持ってくれる。趙起は斉孫軍に専念すればいい。

 まずは相手の出方を窺うか、それともこちらから奇襲をかけるか。どちらにせよ、楽な戦いにはならな

いだろう。



 長らく領土が安定していた為、東城の備えは充分にされている。防衛柵などの設備も他所よりも入念に

造られ、いざ敵が攻めてきた時の為に、防衛点がいくつか野外に設けられている。

 食料も充分に用意されているし、姜尚の富国強兵政策は大きな効果を挙げていると言えるだろう。

 楚は強い。北方に覇を築く力はなくとも、一国としては充分な力を持っている。地の利を上手く利用す

れば、斉孫を破る事も不可能ではないように思える。

 趙起は東城を出、設置された防衛点の一つ、柵に囲まれた高地に陣を置き、遥か先を見渡しながら、斉

孫軍の到着と斥候(せっこう)の帰りを待った。

 今までに得た情報に寄れば、敵総数は約五千。孫軍が二千に、斉軍が三千程。堂々たる大軍だが、孫か

らすれば大した数ではない。東孫のみでも五、六千は常に用意されているだろうから、精鋭を選ってきた

と考えても、少ない方だ。

 趙深の方と二分したと考えても、やはり少ない。それだけ自信があるのか、それとも何か策でもあるの

だろうか。

 確かに精強な孫兵であれば、二千も居れば一軍を崩す決戦戦力として充分であろう。しかしそれだけで

は勝つ事は難しい。孫将も孫文から東孫を任される程の人物、決して勝ち目の無い戦を挑むまい。

 もしかすれば、斉を捨て駒にする可能性もある。孫は斉の事など考えておらぬだろうし、もし斉軍の犠

牲を顧みないとすれば、恐ろしい事だ。命を大事にするからこそ、付け入る隙が生まれるものだが、それ

が無いとすれば、それを無くされているとすれば、生きる為ではなく死なせる為に戦線に兵を投じたとし、

それに兵も従うとすれば、その戦力は数倍に高まるとすら言える。

 付け入る隙があるとすれば、斉兵がそれを強制されているだろう事であるが。孫軍の兵数を見れば、斉

国に兵力を駐屯させている可能性が大きく。一国を人質に取られているのなら、斉兵も死に物狂いで攻め

るしかあるまい。

 高を括ってしまえば、思わぬ損害を受けるだろう。

 それに敵だけではなく、味方にも不安要素はある。

 賦族軍ならばともかく、金軍がどこまで機能してくれるかが問題であるし。趙深が一心に鍛えたのだか

ら弱い筈は無いが、どこまで頼れるかは解らない。彼らも趙軍としては初陣なのである、勝手が解らない

という事もあるだろう。

 こちらの兵力は、賦族軍が千五百、金軍が二千五百といった所か。これでも出来る限り連れてきている

のだが、明らかに数では負けている。地の利はあれども、戦は所詮人が行うもの。数が全てとは言わない

が、兵数が勝敗を大きく左右する事は間違いない。

 乞えば東城から千くらいは援軍を出せるかもしれないが、それはなるべく避けたい。楚にこれ以上負担

をかけるようであれば、流石に項関が黙っていないし。頼れぬ者だと思われれば、今後の事にも大きな支

障が出る。

 何度も言うが、北方がまとまっていればこそ、孫の侵攻を食い止める事が出来るのである。その間に不

和を招けば、とても孫文に対抗する事は出来ない。

 北方は、いや趙は常に窮地にある。同盟、連合などと言っても一枚岩ではない、所詮は集まりである。

結びつきが薄れれば烏合の集になるだろうし、一国で他の全てと渡り合えるような力を持つ孫とは、初め

から力量が違う。

 西方も北方も、孫文の刃を必死に食い止める程度の力しかない。

 そんな力で勝利を生み出そうというのだから、最早愚かですらある。

 趙起も喉にねばりつくものを感じずにはいられなかった。例え覚悟していても、拭いきれぬモノはある。




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