9-11.斉孫


 斥候の出入りする回数が目に見えて増しているのが、迫り来る敵勢との距離を表している。今ではもう

敵軍の鼓動と呼吸すら感じられ、まるで斥候そのものが迫り来る存在であるかのような錯覚(さっかく)

さえし、緊張が高まるのを隠せない。

 恐れ震えているのか、それとも高揚しているのか、その緊張が何処を向いているのかすら解らず、自分

である事もなにやら希薄となり、このまま宙に溶けて行くような気がする。

 おそらく自分よりも外の方へ意識がいっている為だろう。注意が何かに傾けば、他のモノはその分薄れ

てしまうのだ。例えそれが自己というモノであろうとも。

 人は内と外を同時に意識する事は出来ないのかもしれない。

「各自準備は整っているか」

「ハッ、滞りなく。ご命令あらば、いつでも動けます」

「よろしい」

 確認の為に声をかけてみると、強張っているのは趙起の顔だけのようだった。それもそうかもしれない、

何せ金兵達は孫軍の恐ろしさを知らないのだ。

 金兵の多くは功を立てる事のみを考え、その顔も精一杯に気張っているように見える。金という国を誇

り、その力を見せ付けようというのではなかろうが。今まで趙深に手厚くしごかれた鬱憤(うっぷん)を、

今ここで晴らそうというくらいには思っているだろう。

 彼らは恐怖よりも勝気さが上回り、今から戦勝後の事を考えている節がある。士気が高まるのは良い事

だが、これではいざという時には頼れまい。良くも悪くもこれからの者達である。経験が足りない。

 そんな金兵に対し、賦族兵達は落ち着いているように見える。賦族達には本気で命を預ける覚悟がある。

最後に頼れるのは、そういう者達である。

 趙起は金軍に過度の期待を持つのは止める事にした。山賊野党討伐などで多少の実戦経験を積んでいる

としても、孫軍は別格である。斉軍相手ならば五分以上に戦えたとしても、孫軍には及ぶまい。こちらに

は賦族軍を当てるしかなさそうだ。

 だがこれは言葉でいうような易しい事ではない。千変万化する戦場において、頭の中のように都合よく

流れを動かす事は出来ない。ある程度事前にその方向性を、ある方向へ導く事は出来るとしても、実際に

動き出せば人の手を離れ、後は天の采配に任せるしかなくなる。

 予定通りにいかない以上、相手の出方を窺い、それに合わせて上手く投入するしかないが。そうなれば

どうしても後手に回らざるを得なくなる。一息に崩せる力を持つ相手に対し、それは大きな弱みとなるだ

ろう。そしてその弱みが致命的になる事もある。

 つまり趙起は、戦場での判断力と軍を統率する力量を問われている。場合によっては今までのように任

せるに足る兵ではなく、弱兵とまでは言わないが、劣る兵を使って勝つという事もせねばならない。

 趙起にとっても、これは初陣に等しい。どうなるか予想がつかない。

 首の裏を気持ち悪い汗が始終流れてくる。我慢ならなかったが、辛抱して流れるに任せる事にした。そ

して平静を取り繕(つくろ)う。汗などに拘れば、兵に動揺が伝わってしまうかもしれない。そういう些

細(ささい)な油断こそが命取りになるのだから、厳しく己を律しなければならない。

 それは苦痛でしかなかったが、これから戦って行くには是非とも備えなければならぬ力であった。

 結局、将とは忍耐であるのだろう。ひたすら堪え、堪えながらそれに耐え切った者だけが、勝利を掴め

るのだ。



 細波(さざなみ)が気狂いの様にやってくる。

 それこそが軍。自分の命を奪いに来、ここで死んでいく人々の群れだ。

「弓兵、構え」

 高所に陣している為に敵の動きが良く見える。逆に敵からは柵に防がれ、こちらの動きは見え難い。そ

うなれば読みに頼るしかないが、果たして敵将はどういう動きを見せるのか。敵の力量はまだ解らない。

 斉軍を囮にして、本隊の孫軍で東城を狙う。というような事も考えられるが、東城は簡単に落せるよう

な拠点ではない。敵将もそんな事はよく知っている筈で、おそらく全軍をこちらに向かわせ、孫らしく正

面から圧倒的な力で押し潰そうとすると思われる。

「放てい!」

 趙起の命に従い、全軍が一斉に矢を射た。高所という利点を活かす為、全ての兵に弓矢を持たせてある。

四千本もの矢が降り注ぐのだ。例え獅子といえども堪るまい。その上、矢を単純に一点に集中するのでは

なく。千ずつ四点を狙うよう訓練し、実行させている。これで敵の動きにもある程度対応出来る。

 力の集中は、数が増せば増す程に威力が上がるが、四千の一段よりも千の四段の方が効果的な事は多い。

時間差で攻撃出来る事と、四点に射ち分けられると云う事は、大きな力となる。

「構え! 放て!」

「構え! 放てい!」

 斉射を三度も繰り返すと、流石に敵勢の足は鈍ってきた。特に先頭集団にその傾向が顕著(けんちょ)

に出ている。おそらくそれが斉兵であろう。弱兵を盾に持ってきた事が、仇となったのだ。

 先頭が進まなければ、後続の部隊も進めない。だからこそ先陣には勇猛かつ速さのある者達を配すのだ

が、今回は後ろから孫軍が押さねばならぬ為、斉軍を前に配するしかない。死兵は自ら覚悟してこそ真価

を発揮する。強制された兵には勇気がない。そこに敵軍の弱みが生まれた。

「敵軍、後退していきます」

「迂闊に追ってはならぬ。矢を揃え、迎え撃つ準備に集中させよ」

「ハッ」

 伝令が下がると、どっと疲れが出てきた。

 一応勝っている。敵は退いたのだ、我が軍の勝利と考えてもいい。それが例え様子見の小競り合いだと

しても、勝利は勝利。このまま波に乗れれば、案外あっさりと勝てるかもしれない。

 だがしかし勝利して尚感じるこの寒気は何だ。勝って調子付く余裕もない。驕(おご)らぬ事は良い事

だが、この心に絶えず加えられる重みがそれを打ち消す。不審、不安、恐怖、そういう心が益々強まって

いる。兵も同じモノを味わっているとしたら、先に音を上げるのはこちらになるかもしれない。

 趙起は惑う。これは時間稼ぎではないのか、或いは趙起に迷いを植え付ける為の行動ではないのか。本

当に勝利したのなら良いが、何か裏があるのなら、すでに術中にはまっている可能性がある。

 このままでは済まない事がはっきりと解るだけに、とても戦勝気分には浸(ひた)れない。

 はっきりとした疲労だけを感じていた。



 暫くの時を置き、時刻は夕刻。日が落ち始めた頃、待ち侘びていた敵の第二波が、ようやく襲い掛かっ

てきた。

 朱に浮かび上がる斉孫軍の姿がまるで怨霊のようにも思え、重苦しさを更に募らせる。

「弓兵、構え! 放てい!」

 趙起はすかさず斉射を行った。しかし今回の斉孫軍は怯む様子を見せず、板に取っ手を付けたような矢

避けを天に向けて、被害を抑えながら進んでくる。俄(にわか)作りなのか、強度は弱いが、それがある

事に勇気付けられるのか、敵の歩みが鈍らない。

 敵の進軍を防ぐ為の柵を、逆に矢避けとして使い、柵に穴を開けながら着実に歩を進めてくる。犠牲を

顧みず、趙起軍への道を切り拓こうとしているようだ。捨て駒と言っても良いが、決して惨(むご)くも

珍しくもない手である。敵に達するには向かわねばならず、その為には死を覚悟で進まなければならない

のだから、斉兵も文句は言えまい。

 力攻めに文句を言うのであれば、他にどういう手が打てるというのか。彼らに逃げるという選択肢がな

いのであれば、例え愚かであろうとも進む以外に道は無いのである。

 しかし本当にそれだけなのだろうか。

 孫将はただの自信家ではない筈だ。彼が孫文のやり方を踏襲(とうしゅう)しているのであれば、単純

な手で終わるとは思えない。これには何か裏がある筈で、別の目的を併せ持っている筈なのだ。

 筈、筈と馬鹿な事を言っているように思えるかもしれないが、その疑問を捨て去る事が出来ない。この

時刻を選んだ事にも、必ず狙いがある。そう思える。

 趙起は迫り来る軍勢への応射を金将に任せると、自らは賦族軍を反転させ、後方に出てみる事にした。

勿論後方にも柵は張り巡らされているが、こちらは東城と繋がる為、軍の進退を容易にする為、前方程厚

く設置されている訳ではない。前から迫り来る兵が囮(おとり)だとすれば、別働隊が背後から向かって

くると考えるのは当然である。

 それもまた単純な手に思えたが、その可能性がある以上、こちらもそれに応じなければならない。



 暗闇から気配だけが足を忍ばせてくる。夜襲とはそのような感覚に出遭う事だろう。

 本陣から離れ、坂がなだらかな線を描く程度にまで降り、趙起は敵勢の気配を探った。それは念の為に

行った事であったのだが、いつのまにか周知の事実のように感じ、今では必ずやってくるという確信にま

で成長している。

 その変化には、孫に対する拭えぬ恐怖心が理由としてあるに違いない。

 しかしその恐怖心も、悪い事ばかりではなさそうだ。

 隙を突くからこそ夜襲は成功する。だからそれを事前に予測されていれば、その効力が薄くなる。無意

味とすら言っても良いかもしれない。

 人は夜闇に完全に溶け込む事は出来ない。どうしても人の息吹というモノが出る。生命という何物かは

夜闇に置いてさえ、高慢に自己を表現しようとする。それが生命としての営み、生命としての性である以

上、誰も逃れる事は出来ぬ。

 知らぬからこそ隠れる事が出来るが、例えおぼろげでもそう察していたなら、隠れ進む軍を見付ける事

は難しくない。

 報が入る。

 斥候が、趙起軍の背後に移動した敵部隊を発見した。数は千程度。夜闇である為にはっきりとは解らな

いが、数十でも数百でもなく、千であるという。半ば直感に寄るものであろうが、そう感じたのであれば、

最低でも千は居ると考えて行動しておいた方が良いだろう。

 過大評価も過小評価も共に不利益しか生まないとしても、どちらかしか選べぬとすれば、この場合は過

大評価を取った方がいい。

 思ったよりも少なかった、よりも、思ったよりも多かった、の方が与えられる精神的打撃が大きいから

だ。しかも夜闇となれば、尚更その恐怖が大きくなる。現実よりも少ないと思い込んでいたが為に戦える、

という事もあるが。賦族兵の精神力を信頼している趙起としては、予想以上の反撃に遭う事の方を恐れた。

 無論、そこには敵を多数と見る事で、自らの心を引き締めようとする狙いもある。

 とはいえ、賦族兵は千五百居るのだ。例えそれに数百加算されたとしても、こちらの優位は変わらない。

夜襲は覚られた時点でその効果を失くす。対等以上の勝負であれば、誰が相手だろうと負ける気はしない。

 むしろ見せてやろう、という考えが浮ぶ。ここで孫に見せ付けてやるのだ、趙起の新たなる力を、賦族

の力を。

「五百ずつ三方から攻める。敵兵を見付ければ全力を持って攻撃し、その上であらゆる物を鳴らして全軍

にその存在を知らしめよ。我らも闇夜に居る事を忘れるな。闇を利せるのは我らも同じなのだ」

 趙起は中央を行く部隊を率い、右を斯(シ)、左を百(ビャク)に任せ、ひっそりと軍を進めさせた。

 闇に潜む部隊を正確に把握する事は難しいが、敵軍の目指す場所は決まっている。だとすればこちらか

ら迎え撃つ事は難しくない。



 突如、右部隊から大声と大音が発せられ、火の明かりが戦場を照らし出した。趙起は慌てず方向転換し、

即座に手勢を向かわせる。そして彼の率いる兵の松明にも火を灯し、大声を発せさせた。

 少し離れた所にも火が灯り、騒がしい音が聴こえる。左部隊だろう。

 戦術としては、右以外の部隊にその存在を隠させたまま、敵軍の横背を狙わせるのが良いのだろう。そ

れが一番戦果を挙げられる。だが今は夜である。見えない味方と連携を取るのは難しく、下手をすれば同

士討ちの危機に陥る可能性がある。無理をすべきではない。今は確実に勝利への道を歩む事が重要だ。

 例え利点を捨てても、欠点を埋めた方が良い場合もある。

 これが勝負の分れ目ではない。その時はまだ先だと、趙起は悟っていた。確証がある訳ではないが、そ

れだけは確かだと己が心が告げている。焦ってはならない。

 趙起の読み通り、夜襲の失敗を悟ると、斉孫軍はあっさりと引き上げて行った。斯の報告に寄れば、敵

軍は意地になって戦おうとせず、むしろ想定していたかのように、綺麗に退いて行ったそうだ。

 斯も命令通り弓矢での追い射ちのみに止め、深追いを避けている。彼も夜闇で単独行動する危険をよく

解っていた。夜間訓練もみっしりと行なっていたからだ。欲を出して追いかけるような真似をすれば、罠

に嵌められかねない。

 ただ、趙起の慎重さを逆手に取りからかっただけ、という事も考えられない事ではない。だから迷う。

そして振り払い。また迷う。

 見えないと云う事は、厄介な事である。人が闇に恐怖を見出すのも、仕方の無い事だ。

 その後は本陣の側に陣を組み、そのまま朝を迎えたが、斉孫はそれ以上何かをしてくる事はなかった。

本陣を攻めていた敵勢も、ちょうど同じ頃に退いたそうだ。



 警戒を強め、様子を窺っているが、敵からの侵攻は目立って力を落としている。こちらを誘うかのよう

に小隊を差し向け、前日のような力押しをしてくる事も、夜襲を仕掛けてくる様子も無く。決まりきった

攻めを続けるだけ。

 攻撃が無ければ楽ではないか、と思うかもしないが、そうではない。むしろ変化無くいつくるか解らぬ

恐怖と向き合せ続けさせられる事は、耐えようのない苦痛である。疲労は弥増し、三交代にして一日中見

張らせているが、例え休む時間を貰っても落ち着く暇が無い。

 焦れてこちらから進撃すれば、それこそ相手の思う壺であろうし。苛立つ心を抱え、兵を抑えながら、

じっと待ち続けるしかなかった。

 ふと、あの夜襲の時に無理してでも叩いておけば、という想いが浮んだが、そんな事を考えるのも弱気

になっている証拠なのだろう。あの判断は正しかった。今後の事を考えても、あの時に博打のような可能

性に賭け、無理をすべきではなかった。それだけは確かである。

 しかしそのような気休めも、次に来た衝撃の前には何の意味も無かった。

 恐ろしい事に、斉国から援軍が向かっているそうなのだ。しかも孫兵が二千も。

 必要となれば、兵を出し惜しみするつもりはないらしい。予想より趙起が手強かったという事なのか、

それとも援軍が来る事による精神的効果を狙ったのかは解らないが。初めから全力で楚を叩く所存で、い

つでも兵を出せるよう準備していたのだろう。

 現状でも分が悪い所へ、二千の孫兵を加えられるのは痛い。兵の動揺も少なくはないだろうし、本気で

攻めかかって来るとなれば、もう二度と退く事は無いだろう。本気の孫はとにかく圧しに圧して、制圧す

るのみ。

 この陣地もいつまで持つ事か。すでに半ば破られているのだから、本気で突撃されれば、一息にぶち破

られてしまうかもしれない。

 趙起は考えた末、東城まで退く事にした。最早当初の目論見などはどうでも良くなっている。何として

でもこの地を護らなければならない。もし東城を奪われれば、全てが終わるのだ。窪丸は孤立し、趙深の

戦略は破綻(はたん)をきたし、敗北という言葉が全軍の士気を挫くだろう。

 自身でも消極的過ぎると思えたが、どうしようもなかった。後に野戦で無敵を誇る彼も、今はまだ雛鳥

のような力と自信しかなかったのである。

 現時点では、兵力の勝る孫に野戦で勝つ見込みは一つも無い。

 悲しくも悔しくも、それが現実であった。




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