9-12.刺された棘は抜き放て


 趙起は急ぎ東城へ軍を入れると、驚く守備兵達を後目(しりめ)に、すぐさま長官の下へ向かった。

 現在、東城を任されているのは、李晃(リコウ)という人物。項関と仲がよく、東城を任されるだけあ

って、全幅の信頼を置かれている。歳はもう老齢といっていいくらいであるが、まだまだ気力は充実して

おり、前線指揮も辞さない覚悟であるそうだ。

 これは兵を鼓舞する為もあるだろうが、実際に自信があるからだろう。事実、彼は度々兵の訓練にも参

加しており、兵士も驚くような大声を発しながら、機敏に槍や剣を揮っている。その姿は平素の彼とはま

るで別人であり、軍事経験の多さを物語っていた。

 面白い事にこの李晃は名だたる詩人でもあり、後世にも沢山の詩が残っている。その作風も性格を現す

ように、剛胆で、しかし荒々しくはなく、むしろ繊細であり、静かなる力強さを感じさせる。それがその

まま本人に当て嵌まるかどうかは解らないが、少なくともそういう人物であったとは伝えられている。

 李晃はすでに話しを聞いていたのだろう、すぐさま趙起の来訪に応じ、政務などはそっちのけで熱心に

話し合い、激しく論を戦わせた。

 彼もまた、諦めている訳ではない。むしろ趙起よりも抗戦の意志が強かった。戦術を練るのにも自然と

力が入る。

 斉孫を正面から打ち破る力が無い以上、篭ってその矛を鈍らせるしかないが。趙深の軍も楚軍も遠方で

戦っているからには、東城への援軍は望めない。他に当てもなく、東城と趙起でこの戦いに勝利しなけれ

ばならないだろう。状況は不利極まりないが、東城の防衛力を利用すれば、斉孫の攻撃を防ぐ事は出来る。

 しかしそれだけでは駄目なのだ。包囲され、この東城を実質封鎖されてしまうような事になれば、窪丸

への輸送に支障が出てしまう。

 東城を包囲した後、斉孫は輸送隊を叩く為に別働隊を組織するであろう。そうして窪丸への輸送を封鎖

し、大陸中央から来る軍を待つ。それだけでいい。楚と窪丸の補給線を断てば勝てるのだから、東城陥落

は二の次でもいい。

 特に今は楚軍も駐屯している。食料の消費がいつも以上に激しく、窪丸にある蓄えもせいぜい一月、い

や、もしかすれば半月もすれば底が見えてくる。孫に警戒心を抱かせぬ為、交易の規模を縮小せざるを得

なかった事が、今重く響いていた。

 ようするに東城は守勢一辺倒ではなく、護りつつも相手に余裕を与えぬよう、激しく攻撃を仕掛けなけ

ればならない。他に注意を向けさせる余裕を無くさせ、敵軍をこの東城に釘付けにしなければならぬので

ある。

 その為にはどうするか。

 東城そのものを囮に使うしかあるまい。

 それはどういう意味かと言えば、守備兵をなるべく少なくし、その少数の兵で敵の攻勢を防ぎ。予め密

かに外に伏して置いた軍勢を使い、敵軍を攪乱(かくらん)、敗走させるのである。

 幸い隠れ場所となる壕(ごう)や穴などは、周辺に無数に作られている。もし意図がばれたとしても、

伏してある場所を特定する事は、まず不可能である。長い年月敵を待ち侘びる間、東城の将兵は執拗なま

でに軍事へ労力と時間を費やしている。ただ篭るだけが東城ではない。

 これは守勢になれば城に篭るしかない。という常識を破る、大胆な作戦である。この作戦であれば、敵

が別働隊を組もうとも、こちらもすぐに対処する事が出来るし、最悪東城を包囲されたままだとしても、

何とか補給線を保てる可能性が生まれる。

 危なっかしい作戦で、成功は困難であったが。李晃は面白いとだけ言い、一つ返事で快諾(かいだく)

した。

 その上、李晃は住民を集めて演説し、民兵を募って新たに数千の兵を調達している。正確な数は記録さ

れていない為(こんな時にわざわざ数えて記録する暇はなかったのだろう)、解らないが、とにかく二千

や三千、下手すれば万近くも居たと言われ。訓練を積んでおらず、戦争の経験など無い者の方が多く、と

ても軍として組織する事は不可能であったが。防壁から落す石や熱した油などを準備したり、見張りに立

ったりと、そういう事には充分使え、頼りになる援軍となってくれた。

 勇のある者の中には、自ら石を投げつけたり、壁を登ってくる敵兵を蹴り落としたりした者も居たよう

で、自分の街、家と家族を護るという心から、その士気は兵達よりも旺盛(おうせい)であったのかもし

れない。

 勿論、女子供、傷病者達はすでに逃がしている。そういう事は斉孫軍がこちらに向かっていると報が入

った時から、実行し、すでに終わっているのである。防衛力があるといっても、もう少し後に生まれる城

砦都市のような堅固な物ではないし、非戦闘員を予め逃がしておく事は、この時代の常識であった。

 いや、住民の方が我先に逃げていた、という方が正確であるかもしれない。住民の士気旺盛な場合のみ、

今の東城のような事が出来る。楓流が住民から受ける敬意を持って、初めて集縁で同じような事が出来た

ように、李晃も民から随分慕われているのだろう。

 この民兵を合わせれば、何とか暫くの間は持つかもしれない。東城の兵数の少なさも、誤魔化せるかも

しれない。

 このように、李晃は非常に協力的であった。文句一つ言わず、親身になって尽力してくれる。

 趙起はこの事に非常に感謝し、感激し、深い礼を捧げた。そして手勢から金兵一千を抜き、自由に使っ

てくれと貸し与えている。

 出来ればもっと多く守備兵に割きたかったのだろうが、ただでさえ劣っている兵力をこれ以上割く訳に

はいかない。外に出る趙起の方が、多くの兵を必要とするのであるから。

 戦術は決まった。後は実行するのみ。

 趙起は一時李晃から全権を与えられ、全て彼の命で動く事になる。指揮系統の統一の重要性を、流石に

李晃はよく解っていた。一丸となる為には、頭は一つでなければならない。これは至極 当然の事であろう。

 李晃はその上、公言していた通り、自ら陣頭指揮を執る。彼がすぐ側で戦う姿を見れば、兵の士気は今

以上に高まる事だろう。

 理解のある者が上に立つとは、何と素晴らしい事か。無用な手間が全て省ける。兵が神速を尊ぶのであ

れば、この判断力の迅速さ、上下の確固とした繋がり、そういうものをこそ重視すべきである。何故なら

ば、兵を訓練してその反射速度を高め、軍としての速度を上げるよりも。将の判断力や上下の信頼関係を

築く事の方が、遥かに容易く、時間を労しないからである。将の態度如何でそれが大きく決まるのであれ

ば、将の心構えこそが、最も重要な事であるだろう。

 自分もそうあれねばならぬと、趙起は李晃の姿に深く感銘を受けた。



 隠れ場所は多いとしても、多数を一箇所に伏せられる訳もなく。結局は四方に兵を分散させる事になる。

力の分散こそ趙起の最も嫌う所であるが、他に方法が無いのであれば、これに賭けるしかない。不安を抱

えながら、懸命に方策を練った。

 趙起は軍を三つに分け、自ら千二百の金兵を率い、百と斯に賦族兵を七百ずつ与え、その指揮を任せた。

傷を負った者は東城に置いてきたので、総勢二千六百。先の戦いで負傷したと考えても、六千はいるだろ

う敵軍と比べると心許無い数である。

 敵の心をどれだけ揺さぶれるかが勝負なのだが、敵将の思考を考えると簡単に崩れてくれる相手ではな

さそうで、こうして待っているだけでも心を圧し潰されるような気になる。自ら考えた策、それを行なう

覚悟はあるが、決して自信がある訳ではなく、苦し紛れといっても良いような策である。どうしても不

安は不安として残った。

 それは李晃もよく知っていただろうし、よくもまあ気持ちよく送り出してくれたものだ。もしかしたら

自身と趙起の不安を紛らわす為に、ああいう態度を採ったのかもしれない。

 確かに頼れる人物である。

 年齢といい、丁度窪丸の白祥(ハクショウ)に似ている。自分達の街を護りたいという熱い想いといい、

必要とあれば年少者にも膝を屈する覚悟といい、李晃は趙起に窪丸を、そして愛郷の念を思い出させるに

充分であった。

 そしてその念と共に、薄れていた闘志が湧き上がってくる。

 やらねばならぬ。窪丸を救い、楚を救い、そして北方を救う。その上で孫を破り、中央へ帰り、懐かし

き集縁(シュウエン)を取り戻さなければならぬ。

 趙起の胸に、孫への恐怖心から忘れかけていた火が再び灯された。趙深も白祥も、今必死になって戦っ

ている筈だ。その上に立つ自分が、独り挫ける訳にはいかない。孫文の虚像などに屈す訳にはいかない。

今東城を護れぬ者が、孫の将にすら勝てぬ男が、孫文に勝てる訳がないではないか。

 そう、相手は孫文ではない。あの完全無欠の軍神ではない。孫文は遥か彼方に居る。その力がどれ程強

いとはいえ、今ここには居ないのである。孫文の家臣はどこまでいっても家臣であり、孫文にはなれない

のだ。孫将も孫の威を借りる狐でしかない。ならば勝てる筈だ。孫文の猛攻を一度は返した自分が、一将

軍程度に負けるものか。

 心を滾(たぎ)らせるのだ。相手は軍神ではない、大陸を圧する恐るべき獅子王ではない。

 その事をよく思い出し、虚像を払い、あるがままを見るのだ。

 よく考えれば、自分は今まで孫将ではなく、孫文の影に脅(おびや)かされていたのではなかったか。

孫将とは、そこまで有能なのだろうか。恐るべき敵なのだろうか。

 初めの攻め方といい、夜襲といい、今回の援軍といい、今考えてみると、腑に落ちない点が多くある。

もし敵将が自分であれば、とうに勝利出来ていた、或いはもっと効果的な手が打てていたのではないか。

 結局孫将が行った事は、無意味な消耗戦である。その結果趙起は東城に退く事になったのだが、斉孫は

無意味に斉兵を死なせただけではないのか。その上見付かればそそくさと撤退して行く。やるなら死に物

狂いで夜襲を行わなければ、斉兵を必死に進ませた事に何の意味があろう。あの戦い方は、はっきり下手

だと言えまいか。趙起が買被っていただけではないのか。

 冷静になって考えてみると、様々な疑問が浮んでくる。確かに自分が抱いたような危惧(きぐ)が起こ

る可能性はあった。しかし本当にそれは在ったのか、あの場に可能性として存在していたのだろうか。

 趙起は知らず知らずの内に、相手を孫文だと思って戦っていたのかもしれない。

 もし孫文であれば、最初から用いられる全ての兵を動員して、一挙に崩しにかかった筈だ。温存など、

無意味な言葉である。そんな事をするのなら、全軍を用いて、少しでも早く確実に仕留め、全体的な損害

を減らすようにしただろう。

 孫文が獅子と呼ばれるのは、常に全力を持って挑むからである。それは単純に戦だけを考えるという意

味ではないとしても、少なくとも無意味に兵を死なせるような事はしない。何か目的があってしているの

ならばともかく、今のようにわざわざ趙起を東城に篭らせるような事はしないだろう。

 全兵力を使わなかったのは、趙起を野外に誘い出す為だとしても、それなら尚更途中で退くような事は

しなかった筈だ。

 必ず一度で仕留める。何故なら、その機会は常にある訳ではないし、戦を一度で済ます方が、死傷者と

消耗を減少させる事に繋がるからだ。

 それにくらべ、孫将はどうか。彼のやっている事は精彩さを欠く。言わば死策である。そこに意味は感

じられない。その場その場の気分で戦っているようにさえ思う。

 明らかに、孫文ではない。

 では趙起は、今まで一体誰と戦っていたのか。

 ようやく目が覚めた。そもそも孫、孫と子供のように拘り恐れていた事が、間違いであったのだろう。

今まで孫という名に拘り過ぎていた。孫文という居もせぬ者を、わざわざ自分で作り上げていたのだ。妄

想に目を奪われていれば、勝機を逃がすのが道理である。

 曇りなき眼で見なければならぬ。現実はどこにあるのか。それは自分の頭の中ではなく、目の前にある

ものであろう。



 趙起は東城の正門を前と見て、その前部一帯に自ら率いる兵を伏し、左右に百と斯の隊を伏させた。一

番危険かつ重要なのは、勿論前に潜む趙起の隊である。この部隊で正門に挑む敵の本体を突く。

 しかし趙起が率いる兵は賦族ではなく、金兵である。賦族兵も少数組み入れているが、ほとんどが金兵

だ。それは金兵を少数に分ける事を危険と考えたからである。分散して伏すのは仕方ないとしても、全体

としての人数を少しでも多くしたかった。だから一番兵数の多い自分の隊に、彼らを率先して編入したの

である。

 金兵達は度胸が無い。経験が浅く、開き直れない部分があり、恐怖を持て余す所が多くなるのは、どう

しても防ぎようがない。彼らにはまだ甘い部分が多くあり、援軍、趙起の撤退など敵軍に有利な情況が続

いている為に、どうも腰が引けている。

 臆病とは言わないが、度胸も無い。ここぞという時に立ち止まる力が無い。だから少しでも兵数の多い

部隊に居させた方が良いのである。

 結局大した意味はないのかもしれないが趙起はそう判断した。それに危険を置かなければならないのな

ら、自分の目の届く所に置いておいた方がいい。

 百や斯を信頼していない訳では無いが、勝敗を左右する部分はどうしても自分の手で握り締めておきた

かった。これは軍を率いる者、共通の望みでもある。誰もが自分の知らぬ理由で敗北す るなど、我慢なら

ない事である。

 その執着によって負ける事があるとしても、それを捨てきれないのが心である。この事は趙起自身にも

多分の甘さがあった事を意味している。しかしこの場合は、確かに自ら金兵を率い、賦族兵を同族であり

気心の知れた百と斯に任せる方が、良かったのだろう。

 歴史にどちらが本当に良かったのか、などと問う事は愚かな事であるが。結果として、悪くない選択だ

ったように思える。

 趙起が東城に入り、四日か五日経過した頃だろうか。六千を超える大軍が、土煙、いや土嵐を立てて堂

々たる姿を現した。

 夜闇に紛れて行軍するような事はせず、白昼堂々と進軍してくる。これは斉孫の絶対的優位と自信を強

く表している。最早策を弄(ろう)する必要は無い、お前達の敗北は決まったのだと、その陣容を持って

知らしめているのだ。

 いくらかは降伏させる為の演技だとしても、彼らの優位性に間違いはない。まともに戦えば当たり前の

ように粉砕され、土嵐の中に屍を捨てる事になるだろう。後に残るのは土塊と悲鳴の残響のみである。

 兵の錬度も問題なく見え、流石は孫兵と思わされる。今は威容を整える為だろうか、斉兵を後ろに付け

ていた。勝ちは決まり、最早脅す必要もなくなったという事なのかもしれない。

 だとすれば、孫がそう考えているならば、付け込む隙はそこにもある。

 勝ちを確信すれば、油断が生まれる。情況は不利なままでも、決して悪い事だけではない。そう考え、

趙起は自らを鼓舞した。後は金兵の恐れを減じさせる事が出来れば、作戦の成功も夢ではない。

 少部隊に分け、広範囲に伏せさせている為、もしかしたら趙起の号令に参加しない部隊も出てくるかも

しれないし。小数に分けた事で、そういう負の決断がしやすくなったという事も確かである。しかし見方

を変えれば、少数に分けた事で、例え参加しない部隊が出ても、兵力の減少は少数で済む。

 全部隊が臆してしまうという事にでもなればお仕舞いだが。ここまでくれば開き直るしかない。またし

ても失敗したのではないか、という考えが頭を覆ってきたが、今更悔いてもどうにもならないのだ。いざ

となれば独りでも敵陣に斬り込むだけである。

 予想通り、斉孫軍は東城を包囲し、兵力に物を言わせて、厚く布陣した。しかし東城はその辺にあるよ

うな小さな村ではない。例え六千を超える軍勢とはいえ、どうしても薄く見える。確かに厚いのだが、東

城に比べればとても薄く見えるのである。

 東城の防壁は窪丸や集縁のように堅固な物ではないが、敵の襲撃に耐えられるよう、それなりの高さと

強度を持っている。素材は木と土であるが、仕事は丁寧だ。

 準備は万端。東城にも数千の戦闘員が居る。例え全方位から攻められたとしても、簡単に落とされるよ

うな事はない。今は信じよう。そして敵が疲弊するまで、なるべく被害を多くするまで、最後の最後まで

耐えて待たねばならぬ。

 そうして斉孫の目が東城一点に集中した時、その時が作戦開始の合図である。自ら先陣を切り、作戦開

始の狼煙(のろし)を挙げよう。

 趙起は歯を食い縛り、冷静を必死に装いながら状況を見据えた。



 一日、二日、激戦は続く。外から見ても、よく持っているものだと思う。東城が激しい抵抗を示した為

か、斉孫も徹底抗戦の構えである。彼らは孫文と同じく軍を幾つかの部隊に分け、それらを交代で昼夜問

わず攻めさせる。東城に休む暇など与えない、常に力を加え、敵が絶望するのを待つ。その苛烈なる戦い

ぶりは、正しく孫。確かに孫文の力を借りる者である。

 しかし大した事はない。そんな風にも趙起は思った。孫文に比べれば、あの窪丸防衛で経験した苦悩に

比べれば、まだまだ余裕がある。孫兵も将が孫文であったからこそ、死力を尽くす事が出来たのだろう。

手を抜いているつもりは無いだろうが、あの時と今とでは比べ物にならない。

 比べる相手が悪いのであって、孫将の指揮も決して悪くは無いのだが。孫文を知る趙起が曇りなき目で

眺めれば、こんなものか、と思ってしまう。確かに東方の留守を任せる程度の将だ、とも思う。

 これは余りにも侮りすぎかもしれないが、心がそう感じる事は止められない。そう思うと余力が生まれ、

今すぐ叩き斬ってやろうか、などと気の大きな事を考え始めたが、それは抑えた。敵を侮れば、どんな利

点も機能しなくなる。その事はようく解っている。今は辛抱しなければならない。そして一日でも長く東

城が耐え続ける事を祈ろう。

 やれる事は全てやったのだ。後は天に祈るのみ。

 そういえば無責任に聞こえるかもしれないが。人事を尽くして天命を待つ、というのは、むしろその者

の自信の現われであると思える。

 やれる事は全てやった、後はその時を待つだけだ。その何と力強い事か。そこにあるのは悔いでも嘆き

でもない、溢れる程の自信と誇りである。

 これで駄目なら何をやっても駄目。そういうある種極限に追い込まれた状態が、かえって人に揺るがぬ

自信をもたらす。

 意志ある限り、絶望にも決して屈しない。人の恐るべき所は、おそらくそういう所にある。諦めない人

間ほど、怖いモノはない。




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