9-4.楚と斉


 楚。北方と中央を繋ぐ窪丸を通る交通路、その交通路を塞ぐように位置する国である。この国も双程で

は無いが歴史は古く、始祖八家の功臣を祖に持つとされている。

 その祖が領地を安堵する為、土着民と交わらされたが、次第にその勢威を増し、遂には土着勢力そのも

のとなる事で半独立してしまい。始祖八家の権威が衰えるに従って完全に離れ、この地に覇を築いたと伝

えられる。

 その真偽の程は解らないが、金と同様、いやそれ以上に土地との繋がりが強く、双とは別の意味で愛国

心が強い。国力もあり、北方南部に長く君臨してきた。金劉陶のような繋がりの脆さも見えず、他国人を

見下している所があり、内訌(ないこう)させる事は難しいだろう。

 例え内乱を起させたとしても、結局は越のように独立を保つと考えられる。地盤の堅い国家だったと言

える。

 地形上窪丸との交易も盛んで、孫文台頭後はその勢威に遠慮して多少疎遠になってはいるものの、相変

わらず繋がりは深い。その為に趙起こと楓流とも知らない間柄ではなく、趙深も隊商を扱っていた関係で

その内情には詳しい。

 逆に云えば趙のどちらも知られているという事で、やり辛い所がある。もし窪丸に楓流不在である事が

悟られ、楚が孫に組するような事になれば、今が好機とばかり窪丸を挟撃され、東方の孫軍を待たずとも、

窪丸は落ちてしまうだろう。

 楚にとっても窪丸は交通の要衝(ようしょう)であり、商業に置いて重要な地であるが、だからこそい

っそ奪い取りたいと思う心もあるだろう。今は双の台頭と孫への遠慮(勝手に窪丸に侵略すれば、孫文か

ら手痛い一撃を喰らい兼ねない)から、積極的な行動に出る事を控えているようだが。孫も西方に苦戦し

ているようであるし、この隙にと考えてもおかしくはない。

 それを証明するように、最近軍備増強に努めているという報もあり。双に警戒しているだけとも考えら

れるが。金劉陶が不安定な今、一挙に三国を奪い取り、楚こそが北方に覇を称えるのだと考えている可能

性もあるだろう。

 むしろその狙いがあるからこそ、ここ暫く沈黙を保っていた、のかもしれない。

 楚王は有能だが気が強く、我も欲も強い。繋がりがありながら窪丸が楚を頼っていないように、こちら

の力が強ければまだしも、同盟者としては信頼できない国である。その点も金と似ている。

 楚を攻めるとすれば、窪丸と協力するのが最上の手であろうが。窪丸を迂闊に動かせば、中央の孫が黙

っていまい。さりとて双が侵攻しようとすれば、最早形振(なりふ)り構わず孫と組むだろう。そうなれ

ば孫も良いきっかけだとばかり、西方の侵攻から北方への侵攻へと方針を変える可能性も出てくる。

 西方は防衛に徹する事で孫を防いでいられるのであり、西方から侵攻するような余力は無い。今は西方

との戦いに執着しているから、孫文は攻撃の手を休めようとはしていないが。何か理由が出来れば、あっ

さり変更する可能性は低くない。

 実は西方に執着しているように見せているのは囮で、裏では楚へ工作し、窪丸を落し、その勢いで北方

へ侵攻する準備をしているのだ、という考え方も出来る。

 窪丸を一時放置していたように、西方にもそうしないとは言えない。孫が北方をも支配下に入れてしま

えば、西方も物資の補給源を失う事になり、抵抗しきれなくなるだろう。北方と西方が繋がっているから

こそ、孫に抵抗出来ている以上、まずそれを崩そうと考えるのは、むしろ自然である。

 果たしてこの状況を楚はどう考えているのか。

 孫と同盟してもいずれ滅ぼされるのは必定とはいえ、一時的に力を借りると思えば、悪い選択肢ではな

いと思うかもしれない。

 双と結んで今在る土地を安堵し、その上で東部の斉を討つ、或いは斉と組んで共に東方の孫軍を叩き、

東方に領土を得て孫の力を削ぎながら、自らの力を増す、という考え方もあるし。案外選択肢は多いよう

に思える。

 楚は孫にも双にも影響力の強い場所に在る。今どちらへも一番高く売れる位置に居る。やりようによっ

ては、いくらでも道は生まれるだろう。

 楚がどの道を選ぶのか。その動向には注意しなければならない。



 北方最東端にある斉も重要な位置を占める国である。

 この国は現在東方と領を接し、北方と東方(孫軍はすでに北方にも領土を得ている為、正確には孫領)

との境界を八割方埋める国である。北方が東方へ侵攻するにせよ、東方が北方へ侵攻するにせよ、この国

を避けては通れない。

 それ故に孫と西方の戦が膠着(こうちゃく)するまでは、東方からの孫軍の侵攻に、日々恐怖を募らせ

ていた国で、実際侵攻も受け、幾らか領土を奪われてもいる。

 斉より東にあった国はほぼ全て孫に併呑(へいどん)されており、一番危機感を抱いていた国家である。

 今は孫が侵攻を西方に専念しているから良いが、果たしていつ本格的な侵攻が再開するかと、今も恐怖

を忘れていない。

 しかし斉は決して弱い国ではない。この乱世を利用して大きく領土を増した国家の一つであり、その歴

史も古く、この国も始祖八家と深い関わりを持つ国だと云われている。

 まあ、北方の国家は多かれ少なかれ始祖八家と繋がりが深く、元を辿れば大体始祖八家に落ち着くのだ

が。特に斉は始祖八家に仕えた中でも飛び抜けた功績を持つ、元勲(げんくん)の子孫であると云われ、

前政権から影響力の強い国家であったらしい。

 その事から双程ではないとしても、ある程度の敬意を受けている国で、その為に今まで生き残ってこれ

たとも言えるのだが、元々力の在った国なのである。

 現王はその敬意と代々積み重ねられてきた力を上手く利用し、勢力を伸ばしていた。だが孫文にはその

力も通じなかった。一国家としても弱い訳ではないのだが、とても孫には敵わない。所詮は一地方に名を

馳(は)せる程度の国家であったと云う事か。

 何度も敗北を喫(きっ)し、領土を奪われ、孫に恐怖と共に恨みも抱いている。その事を踏まえれば、

双に協力してもおかしくはないのだが。孫への恐怖心が大き過ぎるが故に、例え延命措置(えんめいそち)

でしかないとしても、孫との戦を避ける方針を採り続ける可能性もある。

 今の斉は鼻っ柱をへし折られ、自信を失い、怒りは抱くものの、とても孫と戦えるとは考えていない。

せいぜい西方に負けてしまえ、などと他力本願に祈っているくらいであろう。

 北方が活発な動きを示している今、孫文がそれを不快に思い、再び東方に兵力を集結してくる可能性が

ある。そうなれば、斉はどういう行動を採るか。西に双、東に孫、出来れば双に付きたいが、さりとて誰

が見ても孫の方が強い。戦っても孫に勝てない事は、身にしみて解っている。

 ならば仕方なく孫に付いたとしても、おかしくはないだろう。少なくとも今の斉を見れば、そうしても

不思議は無い。

 斉も迷いながら、緊張を高めているのだ。

 決断の時を少しでも先延ばし出来る事を祈りながら。



 東南の動きを探りつつ、趙深と趙起は金劉陶を上手く治めなければならない。仕事は増えていく一方だ

が、泣き言を言っている暇は無かった。幸い、金は親双的になっているので、金の将兵を主に使いながら、

双の臣を少しずつ加えて行く方向で、ゆっくりとだが双に取り込んでいけるだろう。

 金は時間さえかけられれば何とかなる。最も、それも双が安定していればの話で、何か衝撃を加えられ

れば、その隙に乗じて不満分子が跋扈(ばっこ)してしまうだろう。それは仕方の無い事なので、目を瞑

(つぶ)るというべきか、受け容れて、双を安定させる事を努力するしかない。

 だがその程度ならば、まだ楽なものだ。

 問題は劉陶である。

 王、将、兵を三者それぞれに疑い合わせる離間策を用いる事で、王を誅し、双が漁夫の利を得る形で領

土を奪った訳だが。その負の遺産というべきか、劉王、陶王が死に、上に立つのが双王に代わったとして

も、将兵間に芽生えた疑心が晴れる訳ではない。当然、その心はまだ生きている。

 王という一つの勢力が消えたとしても、今さら信頼し合う事など出来る筈も無く。かえって三つの内一

つが消える事で、残った二つが余計にいがみ合うようになってしまっている。

 兵は多すぎて無理としても。全将を解任し、兵から信頼されている者に変えてしまう、という手も無い

訳ではない。しかし不安定な時に強引な事をすれば、何が起こるか解らない。

 下手すれば解任された将が、或いは解任される前に、一斉に蜂起し、再び国内が乱れる可能性もある。

仲違いしているとはいえ、将と繋がりを持つ兵も少なくなく。結局双に良いようにされてしまった現状に

対し、強い不満を持つ者も居るだろうし、強引な事は出来ないのである。

 双本国から距離がある事もあり、ぐらぐらと揺らめき、安定するには金よりも数倍長い時間が必要だと

思える。

 だがそのような時間は簡単には得られない。劉陶を得て終わりではなく、ここもまだ途上の段階である

のだが、この状態のまま侵攻を続ける事は出来ないだろう。

 楚を討つにせよ、斉を討つにせよ、不安を抱えたまま戦う事になる。そのような状態で勝てる訳がない。

楚も斉も愚かではない。劉陶にある不穏を上手く利用し、双が、いや趙がやったのと同じように、内訌を

使って力を崩し、逆に領土を奪ってやろうと考えるだろう。

 そうなれば、趙深にも打つ手は無い。彼であっても、不安定な力を用いて他に勝つ事は、まず不可能な

のである。地盤がしっかりしていなければ、何事も為せないのだから。

 頼りに出来るのが趙軍だけという状況では、これ以上の侵攻を考えるのは不可能であろう。

 ではどうするか。

 戦って勝てないのであれば、戦わずに済むようにするしかない。そうして待ち、勝てるようになってか

ら戦う。単純極まりない答えだが、答えとは大体そのようなものだ。

 戦いを避ける手段、それは外交で楚と斉との関係を良好に保つ事だろう。難しいが、それしかないので

あれば、そうするより他にない。双は不安定な現状であっても、北方に覇を称えられる力は持っている。

少なくとも、持っていると他国に思わせる事は出来る。影響力は以前の比ではない。

 安定しておらず、不安はあるが、さりとて完全に無力という訳ではない。

 その力を利用すれば、上手く現状を渡って行く事も、或いは不可能ではないのだろう。

 孫文という強大な外敵が居る事も、かえって内部の結束を強める力になる。東方という外から来る力は、

北方国の共通しての脅威であるが故に、北方の国々に不思議な身内意識を与える。これは西方大同盟を成

しえたのと同じ心であり、上手く利用すれば、北方諸国を結び付ける力となってくれるだろう。

 孫文の圧迫が強過ぎれば、身内意識など吹き飛ばされてしまうが。東方の兵力が抑えられている今なら、

上手く利用出来る可能性はある。

 趙深は領内安定で他に手が回らない為、必然的に外交役は趙起に回ってくる。越との交渉という経験も

あるし、荷が重そうならば趙深が助言すれば良い。越に引き続き、帝王学指南の第二歩と考えても悪くは

ない。

 二人は相談した結果、まず楚と結ぶ事を決めた。

 無論斉にも使者を発するが、これは、まず重きを楚に置く、という意味である。

 そこには、窪丸に繋がる楚を早く得るなり味方に付けるなりし、窪丸への道を造りたい、という気持も

あったが。斉が頼りにならない、という事も大きな理由である。

 前述したように、斉は孫と領を接し、その上負け続けている為に、孫への恐怖心が強い。東方軍の脅威

が薄れた今も、常に怯えている。そのような国と例え対孫同盟を結んでも、何かの拍子にあっさりと裏切

られてしまいかねない。

 それに怯えていると云う事は、戦意が薄れている、という事でもある。

 そんな斉に比べれば、まだ楚の方がましであろう。

 楚自体も問題のある国家だが、楚には今、姜尚(キョウショウ)が居る。

 斉とも深い縁故を持つ者だが、この姜尚が絵に描いたような硬骨漢で、楚王も頭が上がらない。楚は幾

度も姜尚に救われており、その人柄から敵も多いが慕う者はそれ以上に多く、王も師父、つまりは師とし

て父として敬う存在であるそうだ。

 姜尚の人柄を表すものとして、こんな話がある。

 彼は楚王の我の強さを常々批判(ひはん)しており、時には面と向って諭す事もあった。しかし師父と

して敬意を表しているとはいえ、楚王は王、姜尚は臣である。あまりにも堂々と説かれる事を不快に思い、

ある時こんな事を言った。

「師父は何でも知っているようだ。師父が王になれば、さぞかし立派に国を治める事だろう。古の聖人も

師父には及ばないのだろうな」

 これは常々姜尚が、古の聖人君子を引き合いに出す事への皮肉である。その知識を褒めているのではな

く、師父も所詮は古の聖人君子の言葉を借りているだけではないか、と言っているのだ。

 すると姜尚は即座にこう返した。

「何を仰られます。私は、王が古の聖人君子のような事が出来ておられないから、言っているのではあり

ません。古の聖人君子にしか解らない事を、私のようなただ老いただけの不肖な臣などに解る筈がありま

せぬ。ただ私は、私のような愚者でも解る事を、王が解っておられないから、憤っておるのでございます。

王よ、どうかお聞き下さい」

 どのような人柄であったか、察せられよう。

 何とかこの姜尚を納得させ、盟約に賛意させる事が出来れば、双が楚を裏切らない限り、決して盟約を

破るまい。

 ただしそういう人物であるからには、どのような事を述べたとしても、納得させる事は至難である。

 そもそもそれが出来ていれば、とうに楚と窪丸は結んでいる。簡単には納得させられない人物だからこ

そ、わざわざ趙深は双を頼ったのだ。

 しかし今は窪丸ではなく、双として盟約を望んでいる。今ならば姜尚を納得させられるかもしれない。

 双には窪丸などとは比べ物にならない力があるのだから。

 趙起は早速準備に取り掛かった。姜尚を説くとなれば、彼自ら行くしかない。例えそれで趙起の正体が

はっきり知れる可能性があるとしても、人任せではとても姜尚を納得させる事は出来ない。

 それに窪丸へ行くとなれば、どの道楚を避けては通れない。どうせいつかは進む道、趙起は覚悟を決め

たのである。




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