9-5.硬骨


 楚の都の名は、彭城(ホウジョウ)。人口多く、商業も活発で、都市そのものの規模も大きく、守りも

堅い。正に一大拠点として相応しい姿で、軍事内政共に楚の中心となる都である。

 場所は楚を南北に分け、丁度その北側の中心となる辺りになる。北方を広く見通せるような位置で、東

西北の三面を睨み、どの方面にも進みやすい。北方を相手取る上で、便の良い場所だ。

 この彭城を都としている事からも、楚が大陸中央よりも北方に意識を向けている事が解る。

 楚が中央に抜けるには窪丸を落さねばならず。窪丸はその規模に似合わず堅い。孫文でも一息に抜けな

かったのだから、相当な物と云える。全ての力を結集すれば落せぬでもないが、被害は多く、結果として

他国に漁夫の利を得られてしまう結果となるだろう。

 故に敵ではなく、交易相手として、或いは交易路として、窪丸とは盟約を結び、お互いに必要以上には

干渉しないのが一番良い方法だと思い、それを実行し、その関係を今も続けている。

 だが現在、双の台頭に寄って西と北の脅威は去っている。双も得た領土を安定するまでは、楚に侵攻し

てくる事は無いだろう。東の斉も更に東方の孫軍を恐れ、楚と戦う気概も力も示していない。今ならば窪

丸に集中する事が出来、窪丸も孫文との戦いの傷跡がまだ癒えていない為、落す事はそう難しくは無いか

もしれない。

 とはいえ、楚も孫と単独で戦う力は無いし、例え窪丸を得たとしても、余計な手出しに不快を感じた孫

文にすぐに奪われてしまうだろう。それどころか、その勢いのまま楚まで孫に取り込まれてしまう可能性

がある。

 孫の勢いは怖ろしく。楚としても出来るだけ直接当たる事は避けたい。一息に壊滅させられた楓の二の

舞になってはならぬと、堅く窪丸攻めを戒(いまし)めているのである。

 故に窪丸は北の脅威を感じる事は無いが、楚からこれ以上の協力を得る事も難しい。

 孫に飼い殺されている状態から抜け出す為には、楚の積極的な協力が必要になるのだが、それは難しい。

 双が力を飛躍的に伸ばしつつあるとはいえ、とても孫には及ばない。もし孫が西方との戦を抑え、その

戦力の一部でも窪丸に持ってくるとしたら、窪丸がいつまで耐えられるだろう。

 窪丸が落ちれば、次に狙われるのは楚である。しかし楚にも孫を跳ね返すような力は無い。

 北方のどの国であっても、まともに戦えば、まず勝ち目が無い。

 北方もまた、一つにまとまらなければならない。

 ではどうして楚を説くか。一つには、窪丸という地の、地理的な意味を考える、という案がある。

 見方を変えれば、窪丸があるからこそ、楚は孫と領を接せずに済むし。窪丸があるからこそ、孫の脅威を

感じずに済む。

 孫は強い。でもだからこそ、窪丸を孫への盾として存続させる必要がある、という原理が生まれる。窪丸

という存在が、孫と楚の間にある事は、楚にとって悪い事ではない。むしろ有益である。

 とはいえ、例え楚が全面的に協力し、援軍を派遣したとしても、それで孫の猛攻を防ぎきれるものだろ

うか。双と結び、窪丸への援軍に総力を注いだとしても、孫軍に勝てるかどうかは解らない。

 楚が窪丸に協力するとなれば、孫文も流石に無視しておけず、一時西方から中央へ移り、自ら窪丸攻め

を指揮するかもしれない。西方も孫軍を中央へ押し返すような力は無いのだから、孫文もある程度は身軽

に動く事が出来る。部下に任せたとしても、戦線を維持する事は簡単であろう。余計な事をして孫文を誘

い出すような事になれば、窪丸存続は絶望となってしまう。

 それに結局窪丸へ援軍を出すのは楚であるし、楚に利点があるのだろうか。今孫と敵対する事に、果た

してどれだけの意味があるだろう。

 それならば窪丸を無視し、窪丸が孫への防波堤となっている間に、少しでも国力を蓄え、軍備を増強し、

後の孫軍に備える方が良いのではないか。

 孫文もいずれ考え方を変えないとも限らない。西方が予想以上の抵抗を示している今、北方まで敵にす

る事を厭(いと)い、例え一時的にでも北方の勢力と良い条件で盟約を結ぼうと考えるかもしれない。

 例え一時の方便だとしても時間稼ぎになるし、その分国力を蓄えられるだろう。窪丸に余計な手出しを

しない事が、楚にとっての最善の方法ではないのか。

 それで双との仲が拗(こじ)れるとしても、双もまた身軽に動けない状態にある。楚に侵攻したくとも、

それは不可能であろう。

 ならば、むしろ今双を討つべきなのかもしれない。双が安定する前に、その力を削いでおく方が賢明と

言えまいか。

 このように楚にも様々な考えがあるが、余計な手出しはしないというのが一番多いようである。双が迫

っている今、双を討つべしとの声も聴こえているが、それはあくまでも少数派だ。楚も双と総力戦を行い、

共倒れになる事を恐れている。

 例え双に侵攻して領土を奪えたとしても、今度は楚が今の双と同じ状況になるだけで、安定するまで身

動きが取れなくなる。そうなればまた双が復讐戦を仕掛けてくるかも知れず、結局はいたちごっこになっ

てしまうだろう。

 それが容易く想像出来るからには、主戦論者の言葉も虚しく聴こえる。

 何より楚内で一番の影響力を持つ姜尚が、外部の要因に一喜一憂している暇があれば、自らの力を増す

事を考えるべき、という意見を持っており。何かしようとする者が出れば、その度に痛烈に論破している

のだから、どうしようもない。

 皆姜尚が怖ろしく、また彼を納得させるだけの意見を誰も持っていない。姜尚の意は単なる先延ばしで

はなく、地味だがおそらく今出来る中で一番建設的な方法であるからには、誰も文句を付ける事は出来な

いのである。

 だからいくら外から働きかけようとしても、この姜尚を動かさない限りは、決して楚を動かす事は出来

ない。彼は双との同盟も、結局は双に利用されるだけだと反対している。双も孫もなく、ただ楚の力を増

す事を望んでいるのである。

 楚の現王、楚燕(ソエン)は我が強く、感情的になる事も多いが、決して人の意見を聞かないような人

物ではない。姜尚を師父と敬い、重く用いているし、たまには皮肉も言うが姜尚を憎むような事はない。

勇も強く剛胆で、欠点を補って余りある。

 姜尚と楚王の間を裂くような策は通じないし、我が強い楚王を説く事も、姜尚を説くに負けず劣らず至

難であろう。

 ようするに頑固者が多い国なのだ。一朝一夕の策などは通じない。

 越の時などよりも、よほど困難が伴うと思われた。



 趙起は例の仮面を付け、彭城へと向う。水路を併用すれば、移動時間も少しだが短縮できる。越の技術

の導入、協力により、水運が飛躍的に進歩しつつあり。全てが完了するまでにはまだまだ時間がかかるも

のの、その効果ははっきりと現れている。

 水路を利用する商人や旅人の数も増えているようだ。領土を増しつつある双にとって、これは何よりの

助けとなってくれるだろう。

 ただし完全に水路を整備するまではその範囲は限定され、特に領土を得たばかりの金劉陶内では使えな

い場所の方が多く、他国に到っては言わずもがな。

 目的地に少しでも早く辿り着ける事はありがたいが、過度の期待は、少なくとも今は、禁物である。

 彭城は政策が良いのか賑わっており、街中を流れるどの顔にも活気が溢れていた。

 その国がどういう状態にあるのかは、その国に住まう民の顔を見ればすぐに解る。陰鬱な顔、或いは疲

労感を湛(たた)えた顔をしていれば、その国には大きな問題があると云える。逆にこういう活気の溢れ

た顔の多い国というのは、今正に大きく伸びている時であり、迂闊に手は出せないと判断できる。

 宰相である姜尚の人柄を反映してか、罪は厳罰を持って対処されており、治安もすこぶる良いそうだ。

 罰が軽んじられるような世の中では、とても統治が上手くいっているとは云えない。無論罰など無くて

も罪を犯さないのが最上とはいえ、そんな時代はとうに過ぎ去っているようだ。或いはそんな時代は、過

去にも未来にも決して存在しないのかもしれない。

 四方に放った間者達の意見も一致している所から見ると、現実に住み良い街であるようだ。乞食や物乞

いの類も少なく。金銭が平等とは言わないが、広く流れている事が解る。金と物の流れの良い国は、単純

に盛んであると言えるだろう。

 外交使である趙起を迎える警備兵達も凛々(りり)しく、国を守る意志、仕事に対する意欲が溢れてい

るように感じた。その軍容も立派なもので、粛々とした姿には、力強さすら思わされる。

 趙軍を用いても、戦うとすれば苦戦を免れまい。金劉陶の兵では尚更である。

 無論、これも外交使に威圧感を覚えさせる為に、国でも最も精強な軍隊を警備役に選んでいる為かもし

れないが。街の雰囲気と照らし合わせると、必ずしもこけおどしとは言い難い。

 楚も越同様交易を財源としているようだが、水路ではなく主に陸路を使っている。陸の越という感じで

あるが、越よりも国としての規模も力も大きい。商いとしては越の方が収入は上だろうが、楚には豊かな

土壌があり、農作物の収穫高も多い。

 確かに地盤を固めさえすれば、その力はどこまでも伸びて行くだろう。姜尚の意はこの国に最も適して

いるとさえ思える。

 他国侵略にさほど積極性を見せなかったのも、自国だけで事足りるという理由があるのかもしれない。

趙のように他国に侵攻せねばならない理由も無いようであるし、楚にはどっしりと構えているような印象

がある。

 楚を相手取るとすれば、山を相手にするようなもので、力押しでも不可能とは言わないが、相当な損害

を覚悟せねばならず。それは乱世という現状を考えれば、不可能と言えなくもない。

 南に孫が居るから、楚は軽々しく動けなかったが。もし楚が動いていたとすれば、双の侵攻も大いに阻

まれていただろう。

 楚の内情を知れば知る程脅威を覚える。北方といえば双だと思っていたが、実力でいえば楚の方が上で

あったのかもしれない。楚も北方の民であるからには、双に対して多少なりとも敬意を持っているようだ

が、他国同様、やるとなれば遠慮はしないだろう。

 趙起は一通り街を見物した後、複雑な気持ちを抱いたまま与えられた宿舎へと案内されて行った。



 楚は越のように厳しく監視の目を光らせる事も、その行動を限定させる事もなかった。宿舎に着いてか

らも好きにしてよく、勿論警備を付けず勝手に外出する事は憚(はばか)られたが、望めば外出も出来るよ

うである。

 よほど自信があり、逆に見せ付けたい気持ちがあるのかもしれない。我が国はこれ程に精強なのだ、栄

えているのだ。そんな風に知らしめる事も、外交的な効果がある。虚勢を張っても容易く見破れるが、そ

れが真であるとすれば、これほど威圧感を感じさせられる事はない。

 耳目に直接その強さを触れさせられる事は、外交使を震え上がらせるに充分であろう。

 趙起もある程度知っていたが、これ程とは思わなかった。見せられる物全てが真実ではないとしても、

改めて楚の力を計り直さなければなるまい。

 しかしこうしてやたらとその力を見せ付けられる事は、王の性格もあるかもしれないが、楚が双に並々

ならぬ関心を抱いている裏返しとも取れる。それが好意なのか、それとも敵意なのかは解らないが、楚も

また双を恐れているのだろう。

 新領土の地盤がまだ固まっていないとはいえ、双は驚く程力を増している。それは膨張するが故の弱さ

をも生み出したが。兵力や国力を見る上で、領土の広さというのは大きな重みを持つ。全ての力は人から

生まれ、人は土地に住まう。土地が多ければ人も多く、その分力は増すのである。

 しかも実り豊かな北方の土地を得ているのだから、土地からの恩恵は尚更大きい。

 趙深が無理しても領土拡大に努めたのは、窪丸と繋がる為という意味の方が強いとしても、北方の領土

を得る事は、損失を補って余りあると判断したからである。

 これが他の地であれば、別の方法を採っただろう。実り豊かな北方の地であったからこそ、多少の無理

も可能だと判断した。それは姜尚も解っている筈だ。姜尚も趙深が舌を巻く程したたかで、頭の良い人物。

趙深の意図もある程度悟られていよう。

 そのやり方は正反対であり、理解出来ぬ部分もお互いに多くあるだろうが、国を背負って立つという、

似たような境遇にある者として、いくらかの親近感と、言葉に出来ない感情があるのかもしれない。

 趙起を篤(あつ)く遇しているのも、双に対してというよりは、趙深を慮(おもんぱか)っての事と云

えるのかもしれない。双に付いて瞬く間に勢威を増させた人物。脅威として、好敵手として、趙深がそう

であるように、姜尚もまた強く意識している筈だ。

 二人は似通っている所も多い。今出来る事を考え、夢を見ず、なるべく堅実な方法を採る。窪丸の事が

無ければ、趙深も姜尚と全く同じ方針を採っていただろう。

 それだけに姜尚は不思議に思っているだろう。何故趙深は領土拡張策を採るのか。確かに無理とは言わ

ないが、かなりの負担となっているのは確かである。今までの一連の流れを見ても、何故ここまで無理を

しても領土を広げようとするのか、そこに違和感を感じている筈だ。

 その違和感から、とうに趙の真意を悟られているという可能性もある。似た思考を持つ姜尚ならば、全

てを理解するのは難しいとしても、いくらかは悟っていると考えるのは、買い被り過ぎであろうか。

 姜尚がどこまで知っているのか、悟っているのか、まずそれを知る事が肝要であろう。

 全ては明日。楚王と姜尚とは、果たしてどういう人物なのか。見極める為にも、力を蓄えなければ。

 趙起は寝具に包まり、ゆっくりと休む事にした。



 空は快晴、とは言えないが、多少雲がかかっている程度で、雨の心配はなさそうである。日の光も柔ら

かいがその強さを失っていない。

 趙起は沐浴を済ませ、衣装を着替えると、最低限の人数で王城へと入った。そうして細々とした作法を

続けながら、楚王の居る謁見(えっけん)の間に進み、王の側へゆっくりと近付いて行く。

 楚王は思ったよりも小柄で、虎のような姿を思い描いていた趙起は意外な気持ちがした。ただしへの字

に結んだ口といい、釣り上がった眉といい、気性の荒さを察するに充分な材料を持ち合わせている。

 側には付き従うように白髪の老人が居り、こちらを眺めている。これが姜尚だろう。こちらもどちらか

といえば優しげな佇(たたず)まいで、表情も穏やかであるように思える。

 噂に聞く彼らの姿もまた彼らだとすれば、楚王も姜尚も単純に一言で言い切れぬモノを、多く宿してい

るのであろう。

 趙起は小細工無用と悟り、常に付けている仮面を外し、ゆっくりと深い礼の姿勢を取った。仮面を付け

る言い訳はどうとでもなるが、この二人に対しそれは仇(あだ)にしかならないと判断したのである。も

し正体がばれたとしても、それはそれで良しと開き直る事にした。

 趙起が誰であれ、双王の名代として来た事に変わりない。楚王も姜尚も、詰まらない事で双と仲違いし

ようとは思わないだろう。戦うとなれば躊躇(ちゅうちょ)はしないが、かといって敢えて諍(いさか)

いを起そうとは思わないのはどちらも同じ筈。

 むしろここで自分は楓流(フウリュウ)であると名乗り出ても良いとさえ思える。

 いずれ正体は判明するであろうし、いっそ腹を割ってみるのも、悪くはない。趙起の覚悟の程、そして

窪丸への想いを理解すれば、それは重みとなって楚に圧し掛かる。

 覚悟こそが、楚王と姜尚へ重圧を加える事が出来る。覚悟には覚悟で立ち向かうしかないが、人は覚悟

する事に恐怖を持つ。どれだけ剛胆であろうと、勇猛であろうと、抱く恐れは変らない。

 無論この二者をそれだけで圧し潰す事は出来ないとしても、その心に大きな変化を生み出すきっかけに

はなるだろう。

 趙起はその変化を見てみたいとも思うし、そう思えば、幾らかの余裕が生まれてくるのを感じていた。

窮地も楽しめば、余力が生まれてくるのである。

 そしてその余力こそが難事を打破する力となる。

 趙起は仮面越しではないその生の眼で、しっかりと楚王と姜尚の姿を捉えた。

 今こそ、それを為すのだ。




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