9-7.宿命は決断から


 楚からの返答がもたらされるまでに一日の時間を要した。それが長かったのか、短かったのかは解らな

い。どちらにせよ牢獄の中に居る者からは、一瞬も永遠も等しく、無限に続くような時間であったろう。

 戸が開かれた時、流石に趙起は緊張を隠せなかったが、どこか救われたようにも感じている。ただ待つ

事のなんと辛く、重苦しい事か。人の身でそれに耐えられる事が信じられないくらいである。

 結果として、趙は楚に受け容れられた。楚は双と結び、窪丸とも結び、これ以後は孫を敵国と考えて行

動していく。そして同時に趙ともより強く結び、関係を深める事となる。それが必要となるのはまだまだ

先の話だとしても、今の内から準備しておくに越した事は無い。

 ただ余り先走り過ぎてもいけない。今は趙も双の臣として見、それ以上でもそれ以下でもない存在であ

るとしていなければならない。将来への布石は、そう見せてはならぬ所に難しさがある。何気ないもので

なければならない。気付けばそれが成っていた。そのように見せなければならない。

 見せる事で起こる威もあるが、今はその威こそが不必要なモノ。要らぬ威は警戒を生む。それはいつの

場合でも必要ではないのである。

 ただ、楚は双ではなく趙と結んだ、と云う事は理解しておくべきか。あくまでも楚が信じたのは趙であ

り、双ではない。おそらく双だけでは手を結ぶ事を考えなかっただろう。双に趙という異分子が居たから

こそ、初めて同盟を結ぶ気になった。

 双という国自体には信が置けぬでも、信用するに足る理由があればいい。趙はその理由としては充分で、

窪丸こそが現状で尤も困窮(こんきゅう)している国の一つであるからには、それに属する趙は信用出来

るという訳である。本当に困っている人間は、手を差し伸べている限り、決して裏切らないだろうから。

 もっとも、状況が変われば、どうなるかは解らない。困っているからこそ信じられるというのであれば、

困らなくなれば信用出来ない、という事でもある。盟約を結んだとはいえ、楚はいつも趙と窪丸を監視し

ている事だろう。

 それは楚に対しても言える事で、同盟を結んだとしても、簡単に信頼出来るものではない。楚も自国の

利を考え、独自の意で動く筈。同盟とは友達になる事ではなく、お互いに利用し合うという意味であるか

らには、窪丸もまた楚から目を逸らさないようにしなければならない。

 姜尚が双の意に従い、その意のみを考えて動く事も考えられず。楚にとって理がないと判断した時には、

平然と盟約を破棄する事も考えられる。同盟を結んで尚、腹の探り合い、騙し合いを繰り返していかなけ

ればならない。同盟もまたそう云うものなのだ。

 関係が親密になっても、楚に姜尚が居、楚が楚である事は変わらない。そして楚が窪丸と双を繋ぐ橋と

なる以上、その影響力は常に大きく、双はその意向を無視する事が出来ないだろう。

 だがまあ、それは趙とは関係の無い事だ。双と楚が争い合い、お互いに疲弊し合えば、窪丸にも目が出

てくる。趙深、趙起も諦めた訳ではない。彼らにも野望がある、夢がある、望むべき道がある。現状では

愚かにしか思えぬでも、理想を捨ててはいない。

 三者三様、他に関わらぬ独自の想いがそれぞれにあって、それらが絡み合い、時には誤魔化し合いなが

ら、それでも一つに繋がっている。真に不可思議な現象である。

 とはいえ、窪丸生存への道が拓けた事に間違いない。

 果たして孫はこれに対し、どう反応するのか。そして楚は、双は、窪丸はどうなっていくのか。それを

今正確に理解するのは、不可能であろう。



 双と楚の同盟は伏せられている。程無く孫に覚られるにしても、出来る限りその時間を引き延ばし、少

しでも多くの時間を戦の準備に使わなければならない。

 趙深は窪丸への輸送路の整備に重点を置き、特に水路の整備を急がせている。楚とも協力し合い、楚領

内にも水路を完備させるつもりのようだ。水陸両道を得る事で、物資、兵の輸送を少しでも多く、少しで

も速く行えるようにしたいのだろう。

 それに水路を整備する事は、双と楚にとっても大きな利がある。交通の便を良くする事で物の運搬が盛

んになり、両国の商業が活性化する。商業が活性化すれば、その分収益が増し、国もまた栄える。

 戦の準備に追われる今、資金と物資はいくらあっても足りない。商業と交通が発達する事は、双と楚に

とっても願っても無い事であった。

 その為にお互いの領土へ進軍しやすくなるという不利益があったとしても、それに目を瞑れる程の利を

得る事が出来る。逆に言えば、その利を得られなければ、決して楚は道を整備する事を承知しなかっただ

ろう。

 こうして着々と計画は遂行されているが、北方にはまだ問題が残されていた。

 そう、斉の事である。

 趙深の対孫戦略を完成させるには、北方が力を束ね、東方へ侵攻する事が是非とも必要となる。そうし

て孫の注意を東方にも向けさせなければ、圧倒的な力を持つ孫を相手取る事は不可能だからだ。孫の力を、

西方、中央、東方と三分させて、初めて孫に対抗出来る。

 その為にも孫文に危機感を抱かせなければならない。孫文が本気で当らなければ処理出来ないと思わせ

るだけの力を、東方へも加えなければならない。

 中央から東方へ向かう道の多くは、この斉にある。斉の力なくして、東方へ攻める事は出来ない。

 斉は前述したように孫と領を接し、すでに侵攻を受けている。孫への恨みは大きい。だが孫から与えら

れた恐怖も大きく、果たして孫と本気でぶつかり合う気があるのかは疑問だ。そこまでの気概が残ってい

るかどうかは解らない。

 最悪、恨みよりも恐怖心が上回り、孫と結んでしまう可能性もある。

 双、越、楚が繋がり、北方がほぼ一つにまとまった今なら、斉も話には乗ってくるだろう。斉も北方で

孤立する訳にはいかない。だが実際に孫軍を目の前にした時、斉がどう行動するのかが解らない

 まだ優勢であれば良いが、少しでも劣勢になろうものなら、その誇りも義理も無残に砕け、あっさりと

軍門に降る可能性は低くないのである。

 東方へ進軍するとなれば、北方軍は斉を越えて行くしかない。もしその斉に裏切られれば、北方軍は退

路を塞がれ、孫軍に蹂躙(じゅうりん)されてしまうだろう(楚への道もあるが、その道は狭く険阻で、

行軍に適していない)。

 この斉が頼れぬ同盟者では、どうしても思い切った行動を取れない。孫を相手に一か八かの賭けは出来

ぬ以上、これは深刻な問題である。

 主力を西方に当てているとはいえ、孫の将兵は有能だ。特に東方を任されている将は、孫文の信認も篤

い名将であると聞く。北方に隙あらば、決して見逃しはすまい。

 斉をどうするか、この事が対孫戦略に大きく関わってくる事になる。果たして上手く斉を懐柔(かいじ

ゅう)できるだろうか。



 斉を相手取るには、姜尚を使うのが有効であると思える。

 何故なら、姜尚は元々は斉国の人だからだ。それも建国から脈々と続く重臣の一人であった。嘘か真か、

祖を辿れば建国王の血に繋がるともいう。

 では何故、そんな人物が楚に居るのだろう。

 姜尚は昔から有能である。人柄も今と違わず硬骨漢であった。その上王族に準ずる家格として遇されて

おり、血統信仰の強い北方において、望む望まぬに関わりなく、かなりの権威を持っていた事は容易に察

せられる。

 それに比べ、斉の時の王(先王)はあまり能の無い人物で、気位が高く、嫉妬深い性格であったらしい。

長子であったから王になれたような人物で、血以外に取り柄は無かったようだ。そのような王の下で、有

能かつ家柄も良い臣というのは、非常な困難に陥らされるものである。

 人は言う。あの人がもう少し王に血が近ければ、王になっていたのはあの人であったろう。いや、そも

そも元を辿れば建国王にまで行き着くというのであれば、王位を頂いても良いのではないだろうか。その

方が祖先の英霊も安心されるに違いない。云々。

 他人事であるから、皆好き勝手な事を言う。それに皆が王に対し不安を抱いていた。こんな者が王では

斉は滅ぼされてしまうのではないか。ひょっとしたらそのような不安を、こういう言葉で誤魔化していた

のかもしれない。

 例え姜尚が王族であっても、王位に付いたのは血の順列に従い、同じく今の王であった事は間違いない

のだから。

 だが徳のない人間に限って耳だけは聡い。その上、自分に能がない事を知っているものだから、本当の

事を言われると過敏に反応してしまう。また姜尚を妬む愚かな者達が、王の気分を利用しようと様々に讒

言(ざんげん)を耳に入れ、その気分を煽(あお)る。彼らとしても、姜尚は煙たい存在だったのだ。

 姜尚は忠誠心もあり、また代々生きてきた斉という国に対し、深い愛情を持っていたのだが。それだけ

に王や愚かな者達のように、国を欲しいままにし、我が意を遂げる為に利用しようとするような者達は、

決して許せない性分であった。

 彼は王に会う度に正道を説き、その事がまた王の気分を逆撫でする。この男は評判が良い事に増長して、

王である自分を蔑(ないがし)ろにしていると感じたのである。

 王は常に危機感を持っていた。馬鹿馬鹿しい事に、姜尚に王位を簒奪されると本気で考えていたのだ。

 そしてとうとう強硬手段に出た。罪をでっち上げ、姜尚を罷免(ひめん)したのである。王の側にはそ

ういう事に関してだけは巧みな者が多く居る。やるとなれば容易い事であった。

 職を失い、権威を取り上げられたら、次は命を奪われる番である。当時は一度に奪わず、少しずつ奪っ

ていく。順々に格下げし、どうしようもなくなった所で命を奪う。残された時間は長くはない。

 姜尚に味方する人達は亡命を勧めた。大陸中で戦の数が増え、その規模も内容も激しくなっていた時で

ある。どの国も有能な臣が欲しく、少しでも名の知れた人物には、すぐに各国の手が回る。姜尚程の人物

であれば、受け容れる国は数多くあるだろう。

 姜尚は決断を迫られた。しかし彼は命を惜しんで逃げ出すような男ではない。今更どの面下げて逃げろ

というのだろう。それよりもここは身命を賭して王に一言申し上げ、その心を諌めるべきである。

 流石に少しは悩んだが、やはり義は正すものと信じ、姜尚は危険を推して王の前に出、痛烈に王とその

取り巻きを批判した。

 しかしそんな言葉を、今更王が聞き入れる訳が無い。目口が裂けるまで怒り、その場で姜尚を捕えると、

王都から切り離すように、遠く楚との国境近い辺鄙(へんぴ)な村へ幽閉してしまった。これは島流しの

ようなもので、こうなった以上、もう二度と都に返り咲く事は出来ない。それどころか暗殺される可能性

もある。

 島流しは貴族の常套(じょうとう)手段である。奥地へ流してしまえば、後は好きに出来る。

 王とはいえ、評判の高い有能な士を簡単に殺す事は出来ない。都であれば、それを防ごうとする者も出

るだろう。だからこそ誰も手を出せぬ場所に移し、人知れず殺す。人々にはまだ生きていると思わせなが

ら、秘密裏に殺す。或いは悲憤(ひふん)の為に死んだなどという噂で誤魔化(ごまか)そうとする。

 命を救うには流される前に嘆願し、何とかその罪を謹慎などに減じる他ないが。今回は王が非常に怒っ

ている為に、誰の言葉も聞こうとはしなかった。寵愛(ちょうあい)している愛妃でさえ、姜尚の名を出

せば、ただではすまなかった。

 死を覚悟した姜尚の論調はそれ程厳しく、嫉妬(しっと)にかられた王に深い殺意を抱かせるには、充

分であったのだ。

 移された場所が敵対していた楚のすぐ側である事からも、王の怒りの程が知れる。防備の薄い村など簡

単に奪われてしまう。つまり王が殺したという汚名を防ぐ為、わざと楚に奪わせて殺させようと考えたの

であろう。楚に囚われれば拷問(ごうもん)を受けるだろうし、様々な恥辱(ちじょく)を受ける筈であ

る。その上に殺す手間が省けて好都合、村の一つや二つなどどうでもいい、と言う訳だ。

 誠に酷い有様だが、この程度はまだましな方かもしれない。人の長い歴史も常に光り輝いていたとは云

えない。むしろ曇り錆び付いていた事の方が多くあるように思える。

 姜尚もそんな事は重々知っていたが、その上で自分の運命を受け容れた。これもとうに覚悟していた事。

王を変えられなかった事は虚しいが、それでも自分がやった事で何らかの種を蒔く事が出来た筈。機が訪

れれば必ずそれは芽吹く。ならばそれでいい。自分は充分役目を果たした。

 こうして姜尚はその名を歴史から消す事になる筈だったのだが、天は彼の死を惜しんだようだ。

 程無く楚が侵攻し、その過程で姜尚が置き捨てにされた名も無き村も併呑されたが、時の楚王(先王)

は以前から姜尚の事を知っており、是非客分としてでも我が国に来て欲しいと、助力を乞うたのである。

 姜尚は斉の王族に近しい者である。いくら工作しようとも斉は手放さないだろうし、姜尚自身が祖国を

裏切るような真似はすまい。だから泣く泣く諦めていた。しかし今天が導かれるままにこうして会う事が

出来た。これも天命、是非我が国にと楚王は誠意を尽くし、臣ではなく師として教え導いて欲しいと、必

死に頼み込んだのである。

 そうなれば姜尚も応えない訳にはいかない。嫉妬で身内とすら言える自分を殺そうとする王がいれば、

他人でありながら師として仰ぐ王もいる。何と云う事だろうか。姜尚は世の不思議を痛感せずにいられな

かった。そして世の乱れを想ったに違いない。

 姜尚は意を決し、楚へ降った(形としては客分扱いとしても、降った事に変わりない)。だが姜尚は何

処に行っても姜尚である。彼は斉の事を片時も忘れなかった。そして憂いている。

 隣国の楚王が英明なのに対し、斉王の何と惰弱(だじゃく)な事か。このままでは斉は楚に滅ぼされてし

まうだろう。姜尚は人の道として、それだけは防がなければならないと考えた。例え斉を離れたとしても、

祖先の祭られている斉を捨てた訳ではない。

 斉を救う為には王を変える必要がある。幸いにも王には有能とまではいかないが、ずっと心栄えの良い

弟が居た。この弟君とは姜尚も少なからず面識があり、良好な関係を築いている。この弟を斉王にしよう

と姜尚は考えたのである。

 楚王から師として迎え入れられた姜尚は楚臣の妬みも意に介さず、早速斉に干渉し始め、彼に味方して

くれる者達と共謀し、強引に斉王からその弟へと王位を譲らせた。皆王に不満を持ち、姜尚を追いやった

事でその怒りが頂点に達していた為(王は知らなかったようだが、今までは姜尚が不満を持つ者を抑えて

いたのである。つまりは自分の感情によって、最も大切な味方を自分から捨てた事になる)、大きな抵抗

は無かった。

 王位を譲るにしても弟ではなく子に譲るべきではないか、との意見はあったようだが、王子も父親に似

て評判が良くなかった為に、一蹴されている。こんな時には血筋も糞もないものらしい。

 戦が当たり前のようにある世の中、誰もが不安であったのだろう。少しでも頼れる者に上に立って欲し

い。それは大きな望みであり、悩みであったのだ。

 姜尚の名誉は回復し、新しき王は当然のように姜尚の帰還を望み、それを乞うた。楚王もそう望まれれ

ば断る訳にはいかないが(臣ではなく、師として遇している為、王とはいえ強く言えないのである)、当

の姜尚がこれを丁寧に辞し、楚に残っている。

 どんな理由があれ祖国を裏切った事に違いはない。楚王にも恩義があるし、今更斉に戻るような事は出

来ないのだと。

 しかしどうも本当の所は、楚に斉を滅ぼさせないようにする為、楚に残る決意をしたらしい。あくまで

も姜尚は、斉の為に生きるのである。

 王が変ったとはいえ、楚王に比べればどうしても見劣りする。斉王は心栄えは涼やかであるが、勇に欠

け、頼りない部分がある。その上先王があのようであったから、国力が甚だ疲弊していた。姜尚が戻った

としても楚に抵抗出来るだけの力を持てるかどうか疑わしい。斉と楚の力は自分の目で見た姜尚が一番よ

く解っている。今のままでは斉は楚に対抗出来ないだろう。

 ならば時間を稼ぐしかない。自分が楚に残り、斉への侵攻を止めさせ、一時でも友好な関係を築く事が

斉の為になる。生粋の頑固者である姜尚は、どう遇されようとも、決して斉の事を忘れない。

 楚王も姜尚の考えを察していたが、それでも彼をそのまま受け容れている。今も斉を愛している事に変

わりないが、それで楚を愛さないとは限らない。姜尚の性格から言って、恩は恩として楚の為に必死に働

いてくれるだろう。ならばそれでいい。

 姜尚を敵に回す事を思えば、その程度は大した事ではない。

 楚王は息子を姜尚に任せ、より密接な関係を保とうとした。こうしておけば、姜尚は一生楚から離れら

れない。楚王もまたしたたかであった。

 この息子が現楚王である。彼も先王に似て勇猛でありながらも、決してその勇に奢らない。姜尚の教育

の賜物というべきか。

 このような背景があり、姜尚は未だ斉に対し少なくない力がある。

 だが斉に戻らず楚の為に尽くす姜尚を良く思わない者も多く居るし、孫の動きにも不安を覚える斉とし

ては、姜尚の言といえども、或いは無力となるかもしれない。

 結局、確実な事などは一つも無い。しかしそう解っていてもやるしかない。

 可能性はある。そう信じて立ち向かうしかないのだ、人間は。




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