巣窟である

1-1.異質な街

　海都アーデリーの郊外に、他の区域と断絶するように無骨な厚い鉄壁で囲われた区画がある。

　そこが通称ヴァンパイアの巣と言われる、この国最大の隔離病区となっている。

　そこに住む者はほとんどがウイルス持ちであり、今も度々輸送車に乗せられて、ヴァンパイア達が運ばれ

て来ていた。皮肉な事に連れてくる者もほとんどが人外の力を持つヴァンパイアである。ヴァンパイアがヴ

ァンパイアハンターになるケースが一番多く、そして最も強いハンターとなる可能性を持つと言われる。

　最も、その能力と可能性を得る代償として。始祖の命には絶対的に逆らえぬ、言わば自分と言う人格の自

立への、両刃の剣となる覚悟が必要になる。これはお世辞にもお勧め出来ない。

　始祖への情は訓練でコントロール出来るようなモノでは無い。人が人に狂える程に想い焦がれるのに似て

いる。それは避けようが無く、そしてある意味最も絶対的な枷となる便利なモノだ。しかも始祖への愛情は

尽きる事も、薄れる事も無い。始祖が存在する限り、そのヴァンパイアは心から隷属する。そうなる事をヴ

ァンパイアもまた、心から喜びながら。

　その想いに疑問等一切浮かべず、ただ己が内に燃える激情に焼き尽くされるままに。その命ある限り、全

てを捧げ続ける哀れな愛奴。

　その為かどうか、これを最も純粋な愛であると説いている教団もあるようだ。

　これが男と女のであれば。交わるたびに或いは薄れ、或いは満足し。どちらにしても、当初の純粋さとは

変わり果ててしまう意味亡きモノ。それに比べれば、なんたる尊さよ。と言う事らしい。

　信者とはいかないまでも、この説の同意者は多いようだ。愛は隷属する事だと、そう例え無意識にでも、

理解している者がそれだけ居ると言う事だろうか。それとも、自分が生涯得られぬモノへの憧れなのだろうか。

　いずれにしても、それは人には永遠に手に入らない虚しい教えであり。またそれ以前に、愛を説く教団等

にまともなモノは無いのだろう。

　まともで無いモノは朽ち果てれば良い。いずれ消えるモノなら初めから無ければ良い。

　蛇足はここまで。

　そして、ヴァンパイアの巣と呼ばれる区画の中心に、一際異彩を放つ建物がある。

　他の建物とは設計からして違う。異国の技術でも取り入れたのだろうか。ただ、その異質な。言ってみれ

ば場違いなデザインが、不思議とこの区画には良く似合う。

　元々ここはヴァンパイアと言う、ありもしなかった生物達の檻籠なのだから。それも当然なのかも知れない。

　この異質な建物には、「アーデリー郊外医院」と言う単純な呼称が与えられ。もっと単純な看板にその文

字が黒で記されている。夜目の利く、ヴァンパイアを対象としていると。そう、無言の告知をしているのか

どうか。

　ただ、こんな所にある医院に来る者など、概ねヴァンパイアかヴァンパイア関係者以外にはいないだろう。

　隔離区画に来る人間は、例え患者の家族でも皆無と言って良い。

　だからヴァンパイアの巣なのだ。

　救われないシステムに永遠に縛られた亡者の巣。

　そしてそれに捕らわれた愚か者達の巣窟。

　医院には博士と呼ばれる男が住んでいる。

　病弱な程色白で、たおやかな銀髪に、鋭く美しい眼をした男だ。

　彼は博士と呼ばれている事以外は何も知られていない。その経歴も年齢も、そして何の為にここに居るの

かも、誰もそれを知らない。彼も言わない。

　或いは初めからここに居たのかも知れず。また或いは何処かから流れ着いたのかも知れない。

　とにかく彼は腕が良かった。その医学知識も、技術も飛び抜けて良かったのだ。

　だが真面目な医師であるか言えば、そうで無い事は明らかだった。患者を選び、それが美しい者であれば

性別問わずに抱いた。平素何にも興味を持たない男だったが、その点だけは酷く貪欲に出来ているようだ。

　しかしそんな悪名が広がるに連れても、不思議と患者になるのを望む者は後を絶たなかった。それは彼の

腕を見込んでの事かも知れず。また、彼自身が途方も無く美しかった所為かも知れない。

　どちらにしろ、変わり者が多いのは当然だろう。この区画で生きる者ならば。

　その医院に１０年以上も入院している少年が居ると言う。

　この不思議な光沢を浮かべる黒髪の少年もまた、途方も無く美しいようだ。歳は詳しくは解らない、名は

リオンと言うらしい。正式にはリオン＝マクレガー。

　ただ、誰もこの少年の姿を見た者はいなかった。ずっとこの医院の一室に閉じ篭っているらしく、少年は

室外にすら出た事は無い、らしい。

　それなのに、居ると言う事は驚くくらいに知られていた。そしてどうやら始祖ヴァンパイアであるらしい

事も。ただ、何故この医院に居るのかは解らない。両親が連れてきたのか、それとも自ら来たのか。そして

ここに止まる必然性があるのか、それともただのきまぐれで居るのか。

　何もかも解らない。ただ存在している。それが少年を神秘性で修飾し、噂が更に尾ひれを付ける。

　今では、実はヴァンパイアの王だとか、博士の愛人筆頭だとか。逆に博士がこの少年の虜となっているの

だとか、無味無臭の噂が一人歩きしていた。

　それはどうでも良いありがちなモノではあったが、徐々にしかし確実にそれを聴く者の心に干渉して行っ

た。波乱を捲き起こす要因は、いつも小さくて、そしてそれ以上にくだらないモノなのであろう。

　だが、人の心と言うのは、常にそんなくだらないモノに作用される。何故か人は噂なら信じる事も多い。

　そしてこの物語はこの少年と共に歩き始める。

　それはゆるゆると、多分に偶発的に。何より、全てが必然的に。

　ただ、これは少年だけの物語では無い。

　或いは博士の、また或いはそれ以外の誰かの物語であり。もしかすれば、ヴァンパイアウイルスの物語か

も知れず。何の変哲も無い、ありがちな人の感情の揺らぎの物語かも知れない。

　ようするに、ただの物語である。

　そんな物語を、今から聴いて欲しい。

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