うかばれないモノ達

1-12.無慈悲な判決

　博士は詰まらなそうにアーデリー郊外を歩いている。

「無意味な街だ」

　ヴァンパイアの巣と呼ばれるこの隔離病区はこの世の掃溜めと言ってもいいのだろう。治療も予防すら出

来ないこのウイルスに立ち向かう気力はすでに薄れ、ウイルス保持者は諦めたようにここを訪れる。いや、

連行されると言った方が正しいか。

　そして或いは犯罪に明け暮れた後ハンターに狩られ、或いは細々と血肉を喰らって生き延びる。どちらに

しても末路と言う言葉が相応しい。檻の中で、ただ延命だけを求める日々・・・・それの何と虚しい事だろ

うか。呆れる程に無意味に思える。

　他にこの区画に居る者と言えば、ヴァンパイアとハンター、そして多少の警備官。こんな三竦みの関係で

も安定（多分に落ち着きの無いモノではあるが）しているのだから人の世は不思議なモノだと思う。人はど

んな状態にでもそれなりに適応し、落ち着く事が出来るらしい。

　しかしこの区域を一歩でも出れば、そこにはヴァンパイアウイルス未発現当時と同じ暮らしをしている人

々も少なからず居る訳だ。ヴァンパイアに脅威を覚える瞬間もさほど訪れず、それ以前にヴァンパイアに会

う事すら無いかも知れない。

　正に天国と地獄がこの区域を囲む分厚い鉄壁を隔てて存在している。

　昔の宗教家や芸術家がこれを見たらどう思うのだろうか。博士はふとそんな事を思った。そしてそれもま

た無意味な行為だったに違い無い。

　博士はふと視線を右奥へと伸ばした。

　血の滴る匂いがする。

「・・・・・・無慈悲な事だ」

　建物の間に出来た細い通路、その中に若い女の身体が無造作に捨ててあった。牙は無い。おそらく誰かを

見舞いにでも来たか、或いは駆け出しハンターか。まあ、そんな所だろう。

　着ていたらしい服は散々に剥ぎ取られ、剥き出しの下腹部からは濁った液体がどろりと垂れ流れている。

到る所に吸血痕らしき傷が見え、その表情は苦悶と快楽の狭間で、血の気と言うモノがまったく無く。蒼白

なまま項垂れていた。

　散々弄ばれ、最後には血を抜かれ、そしてその内この骸すら跡形も無く喰われてしまうのだろう。

　こんな死餌がこの街の片隅に無造作に置かれている事も珍しくは無かった。無論、それに男女の区別は無

い。金も無く、弱く、そして多少なりとも美しい者はこの街ではいずれはこうなる運命なのだ。

「まあ、私には無関係なモノだが」

　博士は後は無言でこの巣を隔てる門の方へと歩いた。

　城塞のように強固で長大なその門は、この区画からなら何処へ居ても目にする事が出来る。そして今も当

然の如く閉じられていた。

　アーデリー居住区とヴァンパイアの巣との境界線、つまりは門の傍にアーデリー警備署はある。警備所と

しての登録は一つなのだが、不思議な事にその警備署の建物は居住区側と巣側に一個ずつある。

　二つなければ警備に支障が出るからと言う単純な理由なのだろう。何かある度に、一々門を開いていたの

では現場への到着が遅くなってしまう。それになるべくならばこの門を開きたく無いのも人情だろう。

　護送車の警護、ハンターの入出、門が開かれるのは主にこの二通りであり。しかも日に決まった回数しか

開かれない。ただし開く時間は決まっていない、これはヴァンパイアの居住区侵入を防ぐ為であるだろう。

　人々が多少ヴァンパイア達に対して同情的であるにせよ、やはりヴァンパイアは怖い。

　どう言い繕っても、所詮普通人からみれば化物以外の何者でも無いのだから。

　そして警備署長レッフェル＝ダインは最近は常に巣側の署内に居た。

　一つには始祖奪還にこちら側の方が都合が良く、トップである署長が危険な側に居るのが当たり前と言う

風潮もあるからだろう。妙な正義感が強いレッフェルは、以前からその風潮を守ってもいた。

　しかし今そうしているのは前者の理由、つまりは完全な私利の為である。

「ハンター共を動員すれば、流石にあの博士とやらもどうしようも無いだろう。能無しの部下達に頼ったの

がそもそもの間違いであったのだ」

　門番である警備署長であれば、当然門を通るハンター達との結びつきも強い。いくらか報酬を出し、門の

通過を今までよりも容易にしてやると言えば喜んで彼らは従ってくれるだろう。単純に自分の利益で動こう

とする者ほど、動かしやすい物は無い。

　レッフェルは独りほくそ笑んだ。

　署長室は完全な個室であり、出動しやすいように署員の部屋が出入り口近辺にあるのに対して、ここは最

奥にある。つまりはレッフェルが何をしていようとも、それに気付く者は良いも悪くも皆無と言って良い。

　そんな室内にレッフェルが待ちかねていたノックの音が響いた。

「おお、来たか。さあ遠慮せずに入るがいい」

　呼んでおいたハンター達が到着したのだろう。レッフェルは珍しく笑顔で、ドア越しに入室の許可を与えた。

　そして丁度レッフェルの正面に位置しているドアがゆっくりと開き、一人の男が訪れた。暗がりな部屋に

も艶やかな光を放つ銀髪、そして途方も無く美しく妖艶な顔。

「誰だ、貴様は！」

　現れたのは彼の旧知のハンターでも、ましてや彼の部下でも無かった。この顔にこの髪ならば一度見れば

忘れないだろう。しかしレッフェルにはまったく見覚えが無い。いや、確かに面と向かってみた事は無いが、

この顔は何処かで・・・。レッフェルはおぼろげな記憶を必至に辿る。

「貴方方から博士と呼ばれている者だよ、警備署長」

　美しい男はゆらりとレッフェルに近付く。

「博士・・・・・貴様があの博士か！」

「その通りだよ、レッフェル君」

　博士はくぐもった声で微笑み、今度は名で呼んだ。

　レッフェルは飛び上がる程に驚き立ち、彼が今まで座していた椅子が乾いた音を響かせた。

「組織の長たる者が、そのように落ち着きが無いようではいかんな」

「うるさい！貴様、一体何をしに来た！」

「何を・・・か。本当にそれが解らないのかね、レッフェル君」

　博士は今度は穏やかに笑った。しかし目には獣のような光が浮かんでいる。口元は微笑んでいるが、目の

奥に凄惨なモノが瞬いて。それが静かにレッフェルの心を砕いて行くようだった。

　最早レッフェルには余裕と言う言葉は無く、心底から来る震えにただ身を任せるのみであった。

　ただその時、レッフェルの記憶の靄も同時に砕かれたように。レッフェルの脳裏にようやくある一人の人

物が思い浮かんだ。　

「思い出した！ギルス＝ドレイス伯爵。そうだ、貴様はヴァンパイアウイルスの発見者にして権威、ギルス

博士だろう」

　その名を聞くと、博士がふと動きを止めた。不思議そうな顔でレッフェルを見やる。

「何故貴様がその名を知っている」

「私は警備署長だ。これでもヴァンパイアの事は調べに調べあげている、ギルス博士の事を知らない訳が無

いだろう。最初のヴァンパイア・・・まだ生きていたのか」

　確かにヴァンパイアが警備官にとって一番の脅威であり、敵である以上。警備官であるならばヴァンパイ

アに対しての知識は多少なりとも持っている。しかしギルス博士の事まで知っている者は普通いない。何故

ならその知識はヴァンパイアの対処法に絞られており、ウイルス云々までは至らないのだから。

　レッフェルがギルス博士の顔まで知っていたのは、彼の野望を為す為に必要以上にウイルスについて調べ

た結果なのだろう。何しろこの博士以上にヴァンパイアに関係する人物はいないのだから。

「ほう」

　しかし博士にはそんな事情は興味が無い。ただ自分の名を知っていると言う事が問題だった。そして博士

は改めて決断する。

「ギルス博士と知っていたなら、初めから部下等に期待し無かったものを・・・」

　ヴァンパイアは年を経る程に、血肉を啜る程に、強大になると言われている。とすれば最初のヴァンパイ

アとはつまり・・・・・。

　レッフェルは頭を振り、何かを振り払った。そして今度は態度を変え、懇願するように言う。

「貴方の持つ始祖を私に譲ってくれ。そうすればこのアーデリーは救われる」

「愚かな事を考えたものだ」

　しかし博士はそれを一笑に伏す。

「愚かだと！ヴァンパイアに対抗するにはヴァンパイアしか無いのだ。貴方ならばそれを一番知っているは

ず。それなのに何故わざわざ主でも無い始祖を匿うような真似を・・」

「君には関係無い事だよ、レッフェル君」

　再び博士はレッフェルにゆらりと近付く。眼が爛々と光放っている。

「ふはは、そうか、所詮はギルス博士もヴァンパイアか」

　それを目にして、何故かレッフェルは突如笑い出した。

　博士は初め、狂ったか、と思ったが、どうやら違うようだ。レッフェルの眼には未だ光が在る。理性を持

って笑っているのだ。

「自ら主を殺しておいて、その代わりが欲しくなったか。ふはは、愚かなのはどちらだ、ギルス博士」

「・・・・・・・」

　博士の両眼が壮絶に歪む。

「知っている、私は知っているぞ、ギルス＝ドレイス伯爵。この・・・ごぶッ」

　博士の右腕がレッフェルの心臓の辺りを貫いた。レッフェルが痛みを感じるより先に血が口から溢れて来

る。そしてその血がレッフェルの言葉を鈍らせた。ただ、その眼だけは変わらず嘲笑の色を帯びて。

「・・・始・祖・・ご・・ろ・・・し・・・・」

　その後も暫く口を開閉していたが、もうそれ以上は言葉にはならなかった。

　博士がスラリと腕を引き抜くと、最早骸と化したレッフェルは眼を見開いたまま、崩れた人形のように静

かに床に崩れ落ちる。

「余計な知識は命を縮む」

　博士は腕に纏わり付く血を丁寧に舐めとり、表情に何か苦いモノを浮かべながらも霧のようにそこから姿

を消した。

　何にしろ、これで暫くは博士の平穏を崩す者はいないだろう。リグルド公爵の多忙ぶりも博士はリヒムッ

ドから聴いてすでに知っていた。勿論レッフェルの不穏な動きも。

　レッフェルの死はそれから暫く後に署長室を訪れたハンターによって発見された。ハンターが訪れた事自

体は仕事柄珍しく無いので、これを誰も追及する者はいなかった。もしかすればそこに不穏の匂いを嗅いだ

者もいたかも知れないが、少なくとも誰も何も言わなかった。

　警備官達はすぐさまこの犯人を賞金首とし、自らも懸命に捜索したが。ついに一つの情報すら見付からず、

レッフェルに私怨のある者の犯行であると断定し、そのままこの事件はお蔵入りとなってしまった。

　それからこの姿無き暗殺者は或いは死天では無いかとも噂され、暫くの間アーデリー市内を賑わせたと言う。　

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　第一幕　了　

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