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1-3.卑屈な欲意

　アーデリー居住区とその郊外にあるヴァンパイアの巣の丁度境界線とでも言える場所に、「アーデリー警

備署」が設置されている。これは国営の機関であり、市中の警備を一手に担う。設備も人員も国内一と言わ

れ、常時１００人近い警備官が詰めている。

　だがその数をしてもアーデリーの治安は困難を極め。ヴァンパイア、夜盗の類が起こす犯罪は毎夜少なく

は無かった。その為、結局は賞金稼ぎと変わらないヴァンパイアハンター達に頼らざるを得ない状況にある。

　国家もヴァンパイア警備官の制度化と実行を急いではいるのだが、未だはっきりした予定すら立てられて

いない。一つにはまだまだ根強いヴァンパイア達への嫌悪感が邪魔をしているのだろうと思われる。

　とは言え、ヴァンパイア犯罪に対抗する建設的な手段は他には見付かってもいない。実在するヴァンパイ

アには聖水も陽光も聖なる言葉もまるで効果が無いのだから。

　人間がヴァンパイアとやりあう為には、ロケットランチャーのような対戦車クラスの重火器が必要になる

だろうが。銃器の技術も未だ稚拙で重火器など夢想にも考えられず、ましてや市内戦で使う事を考えれば、

警備官をヴァンパイアにする方が遥かに現実的でもあった。しかしそう解っていても、人が自然に覚悟を決

めるには膨大な時間を要する。よほど切羽詰まった状況になれば、それも別の話になるのだが。

　しかし現在は幸か不幸かヴァンパイアハンター達の成果も大きく、民衆の間にそれ程の危機感は無いと言

って良い。

　この警備署の署長を兼ねる警備長の名をレッフェル＝ダインと言う。アーデリーで生まれ、アーデリーで

育った生粋のアーデリーっ子だ。そう言う事もあり、この市の治安に並々ならぬ情熱を持っている。それは

むしろ狂気にすら似て、生来のこうと決めたら譲らない頑とした性癖の故か、自分を含む警備官の一刻も早

いヴァンパイア化を心から望んでいる。切望していると言ってもいい。

　しかしそう望む者は署内でも明らかに少数であり、署長の彼をしてもこの計画は遅々として進まなかった。

パトロンである国家が世論を恐れてか踏み切れずにいる以上、肝心の始祖を得る手段も無く。

　レッフェルは今日も苛立っていた。

「何故解らんのだ。このアーデリーを救うにはもうそれしかないのだと」

　コツコツと指が机を弾く音が聴こえる。リズムは一定のまま、音の響きだけが力強さを増していく。苛立

ちと言うリズムは不思議な事に酷く安定しているらしい。

「もう国には任せておけん。ならばこの警備署長たる私以外に誰がやる」

　レッフェルの眼の輝きにはいつの頃からか危険なものが混じり始め。現在はもう隠せない程に強くなって

いる。

　そしてそれを後押しするかのように、彼には一つの希望があった。

「フフ、始祖さえいれば。始祖さえ手に入れば事は済む。たった一人、そう一人の始祖ヴァンパイアさえい

れば良いのだから」

　レッフェルは薄い悦楽の笑いを浮かべて立ち上がった。それは或いは、宝物を見詰める子供の眼に似てい

たかも知れない。そんな夢想の光が。

「あの医院に踏み込みさえすれば、全ては救われる。アーデリーは救われるのだ」

　そう、彼の希望とはアーデリー郊外医院に居ると言う始祖ヴァンパイア。つまりはリオン＝マクレガー少

年の事だった。

　延命法が解った現在でも始祖ヴァンパイアの数はそう多くは無く。居てもその行動の一切は国家に監視さ

れ、軟禁に近い状況にある。つまりは国のゴーサインが無ければヴァンパイア化計画は決して勧める事が出

来ない。

　しかし不思議な事に、このリオン少年の場合、その存在自体は広く知れ渡っているにも関わらず。まった

く国の手が入っている様子は無かったのだ。

　元々ここの主である博士に介入する事を国が躊躇っている事は解っていたが。レッフェルからすれば、始

祖を野放しにしておく事自体が、国家の怠慢にしか思えない。だとすれば、自分がこの始祖を警備署に連れ

て来る事は自分の望みをかなえると共に、仕事上野放しにされている始祖を捕える事になり。正に一石二鳥

の結果になる。

　この件についてのレッフェルの正当性は誰しもが認め。更に後に治安を回復するとなれば、自分を救国の

英雄だと千年先まで褒め称えこそすれ、非難する者はいないだろう。

「そう、これは聖なる御業。これこそ神の祝福であり、この始祖の存在こそが福音である」

　レッフェルの自己肥大した願望はこうして日増しに彼を侵蝕して行った。

　そしてその薄笑いを更に子供じみたモノへと刻一刻と変えて行く。

　何しろ署長である彼を止められる者は、この警備署には一人としていないのだから。

　警備官アーネード＝ラウドスはその時、詰め所の片隅で宿敵の出現を知らされた。

　宿敵と言っても、個人的に恨みがある訳では無い。しかし有名な犯罪者こそが、彼の終わりの無い宿命の

敵達であった。

　彼は身に燃える正義感の塊のようなその眼をぎらりと輝かせ、他の警備官と共に一斉に詰め所を飛び出し

て行く。

　時間はすでに夜中と言ってもいい、そんな時間である。光に照らされる事を許されない悪党共が動くには

ぴったりの時間だ。

「今日こそ奴を、死天を捕えてみせる！」

　アーネードは走りながら、自分を鼓舞するかのように雄々しく叫んだ。

　数居る中で、現在彼の最も大きな宿敵の名は死天。ひるい無きガンナーであり高名なヴァンパイアハンタ

ーと噂され、数人しかいない特等賞金首の一人でもある。素性やその姿は一切不明で、主に窃盗を繰り返し

ながら幅広く悪行の数を増やしている。

　影のように現れ、陽炎のように消えて行く。

　噂だけが先行し、世間を大いに賑わせている。そんな所謂大怪盗だ。

　その名前だけが一人歩きしている所は、リオン少年に似ているかも知れない。

「現場を包囲しろ！」

　警備主任官の声に威勢の良い掛け声を上げ、警備官達が事件現場を包囲して行く。

「死天だ。死天が居るぞッ！！」

　誰かの声に、アーネードはそちらを睨み付けるように見た。

「死天！今日こそはこの俺、アーネード＝ラウドスが貴様を捕縛してやる！！」

　アーデリー美術館の屋上に暗い影が在る。それは暗い影としか言い様の無いモノで、そのくせ不思議な程

この夜闇に浮いて見えるのだ。この影こそが、死天と呼ばれる犯罪者。

　死天はいつもアーネードを待つように、決まって彼の夜勤の時に出現し。そしていつもゆったりと目立つ

高所でたゆたっている。

　今日の死天の得物は恐らく、現女王リリル＝レーン＝シルビリア陛下が夫でもあった前国王グラウル＝フ

ァスト＝シルビリア八世陛下の命日に寄贈したと言う、大真珠のネックレスだろう。前国王との思い出の品

でもあり、またその金銭的価値も計り知れない。

　その想い出の品をよりにもよって、命日から十日も経たずに奪いに来るとは。

「盗人が！！」

　アーネードは影に向かってそう吠えると、歯をギリギリと噛み締めながら死天の方へと駆け出した。

「待て、アーネード！」

　主任官が静止の声を発するが、怒りに燃えるアーネードには届きはしない。

「主任官！死天が」

　死天もアーネードを誘うようにゆらりゆらりと屋根上を移りながら遠ざかって行った。

「くッ、追え！！」

　主任官は慌てて指令を発した。しかしその頃にはもう、死天の姿もアーネードの姿も夜闇に消えてしまっ

た後だった。

「またこの様か！」

　死天が現れると、決まってこういう事になる。腹立たしいが、ただの人間では死天は捕える事は出来ない

のだろう。主任官も流石にこう何度も続くと、そう思わざるを得ない。

　しかし主任官は吐き捨てるように呟いた後、それでも懸命に二人が消えた方へと向かった。

　アーネードは雲を追っているような気がしている。

　雲ならば、追っても追っても初めから届くわけが無い。初めから手の届かない所に居るのだから。

　影は屋根伝いにゆらりゆらりと彼方へと消えて行く。そのくせ自分を誘うように視界からは消える事は無

かった。

　雲で無ければ目に映った残像を追っているようなものかと、怒りが空回りしている自分を感じる。それは

正義感と使命感に後押しされているアーネードにとっても、酷く虚しい行為に思えた。

「降りて来い。降りて来い、死天！！」

　結局彼はいつものように一晩中死天に振り回され、何の成果も上げずフラフラになりながら警備所へと戻

った。死天はこれまたいつものように、朝焼けと共に薄っすらと消えてしまったのだ。まるで初めから居な

かったかのように。

　最早全てが燃え尽き、呆けたような顔のままベットに倒れ込むと。アーネードはそのまま深い睡眠へと落

ちた。その身に宿るモノ全てが、徐々に単純な死天への怒りの感情へと転化していくのを感じながら。

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