奇人劇開演

1-4.貴人達の道化劇

　アーデリー中心に位置する王侯貴族と大商人が住む区画、通称貴銭街。その更に中心に並み居る貴族を従

えるような巨大な屋敷が在る。その家名をレーンフィール、地位は王に次ぐ公爵にして王家とも浅からない

姻戚関係にもある。歴史は古く、この国の建国にまで遡る古き一族でもあり。この類の常として、無意味に

誇り高く選民意識が深い。

　現当主の名はリグルド＝レーンフィール。貴族を束ねる者と言われている。

　地位だけでは無く、大富豪としても有名で。実質的な権力は王を凌ぐかも知れない。そんな男である。

「ミルの様子は？」

　リグルドは俵に傅く初老の男にそう尋ねた。

　ここは彼の私室であり、その初老の男以外には誰も見えない。無意味に広い室内を多くの書籍と本棚が埋めて

おり。タイトルに記された言語も様々だが、どの書籍も一様に古いのだけは共通している。その文字を全て読め

る者がこの場に居たとすれば、おそらくその眼を疑ったであろう。

　黒魔術から太古の秘術まで、そこにある物は全てが全て胡散臭い呪術書だったからである。

　もしかすれば、その言葉の邪悪さに吐き気を催したかも知れない。

　どちらにしても最高位の貴族に似つかわしいとはとても思えない。

「はい、本日も健やかに過ごされましたように思います」

　初老の男はごく丁寧な口調でそう告げる。

「ただ・・・」

「ただ？」

「はい、旦那様。ただ・・・お顔の色が優れません」

　初老の男は少し辛そうな顔をした。皺の刻まれた彫りの深いその顔立ちが歪むと、その少しがとても辛そうに

見える。そんな風に気持がストレートに伝わると言う顔の男だ。

　名前をラウド＝ベッグナー、この屋敷の運営を一任されている執事長である。

「血が足りないのか？」

「いえ・・・」

「ならば何かあったのか、ラウド」

　リグルドは詰問するような口調で訊く。そこには暖かみの欠片も存在し得なかった。

　ラウドはその声に無数に刻まれた皺を深めるように表情を強張らせる。それは怖れを感じていると言うよりは、

すまなそうに身を縮込ませる仕草に似ていた。

「それが・・・、外を見たいと、外出したいと仰られておられまして・・・・」

　しかしそれを聴いたリグルドは何処かホッとした表情を浮かべた。

「そうか、その程度ならば良い。きちんと血は摂らせているのだろうな、ラウド」

「はい。それはもう心配ございません」

「それなら良い。ミルには画家に風景画なり描かせて渡してやれ。何があってもあいつを外へ出す訳にはいかん。

誰にも会わせるな・・・・決してな」

　それだけを言うと、リグルドは全てを拒絶するように本棚から一冊の本を取り出し、静かにそれを読み始めた。

　ラウドは何も言わず静かに一礼をしてその部屋を去る。

「・・・・・誰にも会わせる訳にはいかん・・」

　リグルドは静まった室内で一人、それだけを重々しく呟いた後、改めて作業へと没頭し始めた。

　彼が一心に見入っているその本はヴァンパイアウイルスに関するある一冊の書物であった。人には知られてい

ない、ある一人の男が書いた手記である。

「やはり何としてでも始祖の男を見つけ出さねばならんな」

　暫くしてリグルドはゆっくりと立ち上がり、窓際へ寄って自慢の庭園を見下ろした。

「その時こそ全ては私の足下に跪くだろう。この庭園が世界へ変わる日も遠くはあるまい」

　そしてリグルドは何事かを楽しそうに笑った。

　窓の外に日溜まりが見える。

　もしこの部屋を飛び出してあの地に立てたとしたら、それは一体どれほど気持が良いのだろう。でもそれは敵

わぬ夢と言うものだ。彼女にとっての太陽は窓から差し込む光だけでしか無いのだから。

　この窓から見える景色が彼女の外界の全てであり、同時に世界の全てでもあった。

　レーンフィール家でも奥まった位置にある一室に、他の全てから隔離されるように彼女は居る。生まれた時か

らずっと居る。おそらく死ぬまでずっと。そしてその理由も彼女は知っていた。だからこそ納得もしていた。い

や、納得するしか無かったのだ。どちらにしてもこの部屋からは出られないのだから。

　でも外へ出たいと言う気持は膨らむ一方で、それを抑える事は出来なかった。父に命じられた画家の描いてく

れる風景画を見る度に、更にその思いは膨れ上がり続ける。

「父様は残酷です」

　彼女を慰める為に風景画を描いてくれたり、メイドや家庭教師達が外の話をしてくれるけれど。それは彼女に

してみれば拷問でしか無かった。だが父親は彼女の気持などは解ろうともしてくれないだろう。母親の方はそれ

以前に彼女に関わろうともしない。母に最後に会ったのは一体どれくらい前だったろうか。

「ミルフィリアお嬢様」

　彼女を呼ぶ声と共に軽くドアがノックされた。

「開いてます」

　軋み無くドアが開き、皺塗れの男が顔を出した。執事長のラウドである。

「お嬢様、新しい絵が届きました」

　ラウドは丁寧に一枚の額縁に飾られた風景画を室内に飾った。しかしその顔はどこか申し訳無さそうに曇りが

見える。この初老の男はその伝わり易いその顔に、まったく正直に感情が浮かばせるらしい。根が善人なのかどうか。

「ありがとう、ラウド」

「いえ、何もお役に立てませんで・・・・」

　ラウドは更に顔を曇らせて俯いた。もし恐縮と言うモノが人の容を為したとすれば、恐らくこのような人物に

なるのだろう。そんな姿だった。

　ミルフィリアはラウドのこんな姿を見る度に、それでも少しだけ救われている気がしていた。

　実の父と母よりも使用人や家庭教師の方が自分に愛情を注いでくれると言うのはやはり辛くも思える。でもや

っぱり自分はこれで充分幸せなのだと思う。初めから自分には人間の幸せは望めはしないのだ。何しろ生まれ付

いてのヴァンパイアなのだから。

　そう、彼女も始祖ヴァンパイアだった。アーデリー郊外医院に居るリオン少年とは正反対に、その存在はまっ

たくと言って良いほど知られていないのだが。

　しかしこの二人が育った環境はどこか似ている。勿論、二人共それを知る由もないのだが。

「ありがとう、ラウド」

　彼女はその愛らしい顔を一杯に咲かせ、もう一度礼を言いながらにっこりと微笑んだ。始祖は例外無くすべて

を蕩かす程に美しい容姿をしている。彼女は更にそれに生まれ付いての気品も加えられている。その美しさは冗

談ではなく、女神と見間違える程に神々しくすらあった。

「ははッ」

　ラウドはその頭を一杯に下げ、嬉しさに涙を流さんばかりに畏まった。

「そうだわ、そろそろ先生が来られる時間です。ラウド、出迎えて差し上げなさい」

「承知致しました」

　ラウドはもう一度深々と一礼してからその部屋を出た。歩幅は短いが、軽快なリズムで床が鳴る音が遠ざかっ

て行く。

「・・・・暖かそう・・」

　再び窓から外を眺めると、日溜まりの中に数羽の小鳥達が集まり、楽しそうに囀っていた。

　それを観るミルフィリアの心はとても暖かくなり、そして同じくらいに哀しくもあった。　

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