大人達の狭間で

1-5.姫君の憂鬱

　戯れにも似た窓からの差し日がミルフィリアを照らす。彼女は美しい。そのおそらく地上で最も輝かしい

光にすら打ち消される事も無く、霞む事すら無い。それはあらゆるモノを超越し、そして跪かせる絶対的な

美である。その美を感じるのには男女の区別は関係無いのだろう。

　ミルフィリアの家庭教師、エレイン＝レーンフィールもこの少女から眼を逸らす事は出来ない一人であっ

た。瞬き程の一瞬でもこの美姫を眼に映さない事は考えられない。エレインは自分の幸運を信じてもいない

神に感謝した。

　彼女は名門レーンフィールの姓を名乗る事を許されているとは言え、所詮は一族の末流の更に末である下

級貴族の出に過ぎず。本来ならばこうしてミルフィリアと直に話せる身分ではない。だが彼女は当主リグル

ドにまで聴こえる程に、その聡明さは有名であり。執事長ラウドの計らいもあって家庭教師へと異例の抜擢

をされたのである。完全な身分社会である貴族社会においては正に万に一つの出来事と言って良い。

　ラウドにしても下級貴族の出の方が多少なりとも外の世界を知っていて、ミルフィリアの話し相手として

も良いと思っての事だろう。エレインとラウドには個人的な付き合いは無い、今までもおそらくこれからも。

　エレインが家庭教師になれたのは本当に偶然の結果なのだ。

「先生、解けましたわ」

「流石ですわね、ミルフィリアさん」

　ミルフィリアは外見に劣らず教え子としても優秀で、家庭教師としても教えがいもあった。教えれば教え

るだけそれを吸収し、自分のモノにしていく。ミルフィリアは学ぶ事において最も重要な、芯を捉える技術

に長けていた。もっと言うなら勘が鋭く、理解力にも優れていたのだ。

　教え子として、これほど教えがいのある者もいないだろうと思える。

　しかし当のエレインにしてみれば、そんな事よりもとにかくミルフィリアと一緒に居れる事こそが重大で

あり、それ以外は何一つとして問題では無かった。元々教師としてよりも話し相手として望まれている為に、

それほどやっきになって教える必要も無い。

　ミルフィリアは学校に行っておらず。その生まれでは成績如何等、元々関係が無かったのだから。

「それでは今日はここまでにして、お話でもしましょう」

「はい、先生」

　ミルフィリアは全てを蕩かすような笑みを浮かべた。それも淫蕩では無く、限り無く清楚に。

　そして彼女が鳴らす軽やかな鈴の音が響くとすぐさまメイド達が現れ、勉強道具を片付けて代わりにお茶

とお菓子を並べて行く。

「ご苦労様でした」

　ミルフィリアの笑顔を見るとメイド達は嬉しそうに下がって行った。

　メイド達も誰よりもミルフィリアに好意を持っている。それは例え彼女が始祖ヴァンパイアだとしても変

わらない。彼女が夜毎血を啜っていると知っていてもだ。

　すでにヴァンパイアと言う種の存在が当たり前のモノだと認識されているにしても、これは珍しいケース

かも知れない。彼女には嫌悪感とかそう言ったモノを他人に抱かせない何かがあるのだろうか。

「先生、外ってどんな感じなのです？」

　そしてミルフィリアはいつも決まってエレインにこう問う。

「そうですね。例えば・・・」

　エレインもそれに適応するように自然、ここに来る前には幾つか話の種を仕入れて来るようになっていた。

しかも何を問われても応えられるようにと一つ一つ仔細に到るまで。

「先生って何でも知っていらっしゃるのね」

　この事がミルフィリアをいつも喜ばせ、結果としてエレインにその二つと無い笑顔を向けてくれる。

　エレインは今はもうこの笑顔を得る為ならば、例え何を犠牲にしても構わないと思うようになってしまっ

ていた。この笑顔が心の全てを奮わせるような甘美な何かをエレインに与えてくれるのだ。無ければ飢えを

感じるかのような、そんな耐えがたいモノを。

　しかしその笑顔が今日は少しおかしい。白い雲に黒絵の具が一滴混じったような、そんなふうわりと漂う

翳りが見える。

「ミルフィリアさん、何かあったのですか？」

「先生・・・実は」

　ミルフィリアはまた新しい風景画が届いた事を話した。彼女にとってもエレインの存在はただの家庭教師

と言うよりも姉に似たモノへと変わりつつあるようだ。だからエレインにだけは心の内を打ち明ける事も多

く、実の母に疎まれている分だけ頼る事も多い。

「そう・・・・でもお父様も貴方の為を思っての事でしょうから」

　エレインは身体に昂ぶるモノを抑えながら、身を竦めるミルフィリアをそっと抱き締めた。

「はい・・・・」

　ミルフィリアも安心しきっているのか、抵抗無く身体を預ける。

「いつかお父様も解って下さいます」

　エレインはミルフィリアの頭をそっと撫でながら、自らもその至福感に狂わんばかりであった。そして何

かが更に飢えて行くように、際限無くミルフィリアを求め出す自分を共に感じていた。

　その時ミルフィリアの父、リグルド＝レーンフィールにとって転機が訪れていた。

　それはこの荘厳華麗な屋敷には似つかわしくない一人の大男からもたらされた。その大男は自分の事をゲ

ルド＝バイフォンと名乗った。体全体が筋肉に覆われていて口数は少なく、薄汚れた地味な姿をしている。

ただ彼の持つ得物としては珍しいロングナイフだけが鞘越しにもある種の光を放っていた。

　その大男をリグルドは軽蔑の眼差しで見詰めて、いや睨みつけて居る。本来リグルド公爵ともあろう者が

こんな汚らしい下賎の者と顔を会わす事は無い。そして彼自身も会いたくも無かった。

　それを何故わざわざ最奥の私室にまで通したのか。それはこの大男が彼の切望している者に心当たりがあ

ると言うからであった。つまりは男の始祖ヴァンパイアの情報を持っていると。

「それで君は何が望みなのだね」

　リグルドは嫌悪感を剥き出しの声色で問いかけた。こんな薄汚れた大男と話しているだけでも耐え難い苦

痛なのだろう。

　しかし当のゲルドはそんなリグルドにもまるで意に介した様子も無く。

「・・・望み等無い」

　それだけを答えた。表情がまったく変わらず、不気味な事この上無い。

「それでは無償で教えると言うのか？」

　これにはリグルドも不可解な色を浮かべた。この大男からは何の感情も読み取れないが、人間が無欲であ

る等と彼にはまったく信じられなかった。下民が貴族に奉仕するのは当たり前としても、流石にそれを手放

しで喜べるほどリグルドは愚かでも無かった。

「何故だ？」

　リグルドは再度問う。

「・・・お前が動けば都合が良い」

　ゲルドも再度無表情のまま味気なく答えた。

　リグルドは俯き、少しばかり考えていたが。

「なるほど・・・そう言う事か・・・」

　顔を上げて大男を睨みながら呟いた。

　リグルドはこの大男を他国の密偵か工作員ではないかと思い立ったらしい。おそらく騒ぎを起こさせてお

いて、その間に使命を為すつもりなのだろうと。しかしそうとするならば・・。

「一国の公爵を使おうとは不遜な奴め・・・。・・・・まあ良い、貴様が何をしようと構わぬ」

「ならば教えよう」

　ゲルドはそっとリグルドへと近付き、ある始祖の事をそっと耳打ちした。　

「なんと！そうか・・・こんな近くに居たとは・・・。私とした事が迂闊であった」

　するとリグルドは先程までとは打って変わって躍り上がらんばかりに喜んだ。

　それを見ながら、不気味な大男ゲルドは初めて微かな笑みを覗かせたように見えた。

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