虜

1-8.魅入られる瞳

　博士は侵入者共の顔を確認した。まったくどいつもこいつも性根の浮ついたような面白みの無い表情をし

ている。何より重要な事には、博士の食指を動かすような者は一人としていないと言う事だった。

「フン、警備官とは人のおらん所らしい」

　博士は人の価値に美しか求めてはいない。その為、判断基準がえらく限定されるのだが、現存の警備官に

有能な者が数える程もいないと言えるのもまた事実ではあった。

　警備所が出来、警備官と言う役職が出来たのはもう大分古い話になる。少なくともその当時から生きる者

が一人としていない程には時間が流れている。古いと言う事は熟成され、組織としての形態が整って来ると

言う事でもあるのだが。その反面、何故か常に酷く鈍重になり。組織としての機能も精神も淀んでしまうと

言うデメリットも得る。

　しかしながら、組織の末端であればあるほど風通しも良く、その淀みからは外れるのが定説なのであるが。

この警備所では最早その末端ですら淀みきっているようだ。

　博士はこんな奴等が大手を振って街の治安を守っているなどと、この街も良い恥さらしになったものだと。

人知れず今日何度目かの溜息を洩らした。

「貴様、警備官に銃を向けるとは何事か！」

　そんな博士の思いは遥か他所にして、沈黙に耐えられないのか、はたまたそう言った機微すら持ち合わせ

て無いのか、一人の警備官が博士へと怒鳴り散らした。その警備官は無謀こそが勇気とでも言うように、警

備官の群れの中からずかずかと博士の前へと歩み出る。しかしその勇気も銃口の前に出ると急に萎んだらし

く、妙に落ち着き無く群れの最前の一歩手前で立ち止まり、そして僅かに後退った。

　ようやくその位置で落ち着いたらしく、その警備官は再び口火を切る。

「この医院に不法に始祖を滞在させていると言う話を聴いた。検めさせてもらう」

　警備官は妙に芝居がかった言い方で博士を睨みつけようとした。そう、そうしようとした。しかしその時

点で彼の眼に映ったモノは、博士の途方も無く美しい顔でも、闇に輝かんばかりの白銀色の髪でも無かった。

ただ彼に見えたのは、無機質な円形であり、ようするにただの弾丸である鉛玉であった。

　当たり前の事だが、弾丸は容赦無くその警備官を貫く。彼らは一度解き放たれれば牙しか持たない。

「煩い男だ。医院は古来静寂を尊ぶものだと言うに」

　博士は血煙を洩らして倒れ付す男には見向きもせず、そのまま新たに銃口を別の警備官へと向き直し。

「良いな、医院は静寂を尊ぶ。理解せよ」

　途方も無く美しい表情から枯れた声を洩らし、あくまでも静かにそう言った。

　警備官達は同胞の生死を確かめようとも、手当てしようともせず。ただ博士に呑まれたように、何するで

も無くその場に立っていた。

　博士はただ佇むのが仕事なら、案山子を雇った方が遥かに経済的だとふと思った。

　その頃烏合の衆の指揮官たる女は、あろう事かすでに医院の二階へと辿り着いていた。ようするに警備官

達を囮とし、博士を引き付けさせている間に窓から忍び込んだのだが。それにしても鮮やかな手並みとしか

言えなかった。

　しかしその彼女にしても博士と正面からやり合うつもりは初めから無い。彼女の雇われている側で、不思

議な事に彼女だけが、政府が博士を一種畏れている訳を少しだけだが知っていたからだ。それは彼女が国に

属する官では無く、言わば傭兵とでも言う存在だったからかも知れない。彼女はヴァンパイアハンターと呼

ばれる賞金稼ぎ達ともまた少し違う。

　まあ、そんな事はどうでもいい。

　ともかく彼女は問題無く目標の始祖ヴァンパイアの一歩手前まで辿り着いたのだ。しかもあの博士を出し

抜いて。これは彼女の仕事仲間内では充分誇れる事だった。

　彼女は博士の私室へと静かに入り込みながら、その事に少しだけ満足をし、誰に向けるでもなく震える程

淫蕩な笑みを浮かべた。

「博士と言っても、所詮は一人と言う事ね」

　彼女は影のように奥のドアへと近付き、そのドアへとその形の良い耳を当てた。

　中からは微かに穏やかな寝息らしき音が聴こえる。それからどれだけ神経を耳へと集めてみても、それ以

外の物音は欠片とも聴こえて来なかった。

　彼女は決意を新たに一つ頷くと、ゆっくりとそのドアを開けた。

　その時何故か、彼女の心は不思議な程高揚していた。

　リオン少年は柔らかな光とも言えない、薄れた明かりが頬に差すのを感じた。それは月光と呼ばれている

モノだったが、少年の感覚は閉じられた空間の中で、すでにそんな光がある事を忘れていた。だから少年は

その心に面白くも無い不審感と危機感のみを抱いた。この一室内が全ての彼にとって、自然光はいつの間に

か異質な存在に変わっていたのだ。

　そして柔らかな人影が少年の瞼にかかる。

「・・・・・誰？」

　少年がうっすらと目を開けると、見たことも無い格好の人が唯一の出入り口であるドアの辺りに立ってい

た。それは初めて見る柔らかな曲線に覆われていて、それを見る度、少年のか弱い胸を叩くように少しだけ

だが動悸が激しくなってくる。少年は初めての不思議な感覚を味わっていた。

　そんな中で解ったのは、その人が初めて見る人だと言う事だけだった。

　リオン少年の心はその感覚と同じく不思議な暖かみに包まれ、まるで気恥ずかしさから逃れるように思わ

ず上半身を起こしてしまった。だがそうすると少しだけ気が楽になった。

「遊びに来てくれたの？」

　そして少年は無邪気に微笑んだ。その笑みも途方も無く美しく、侵入者はしばし自分を忘れ、その笑顔に

取り込まれるように魅入られてしまった。

「どうかしたの？」

　その少年の言葉に侵入者の女はやっと自分を思い出したらしく。

「貴方が・・・リオン君かしら？」

　改めてそう問い掛けた。少年の瞳は夜闇の中でも水晶よりも透き通り、神秘的な程に潤んで見える。女は

その眼に無邪気に見詰められると、不覚にも少しだけ眼を逸らしてしまった。

　彼女は目標の始祖ヴァンパイアに会えば即座に捕え、そのまま攫って戻るはずだったのだが。そんな事は

もう頭の隅にも無かった。ただ女は純粋に見られていると言う事だけを感じていた。自分はこの途方も無く

美しい少年に、夜を覆す朝日よりも澄んだ瞳で見られている。そう、見詰められているのだと。

　女の頬には赤みが増し、視線はリオン少年から離せずまた直視も出来ない。そして鼓動だけがその心を正

直に表すように、止め処なく高鳴って行く。

「はい、僕はリオン。貴方は誰ですか？」

　少年はそう言って可愛らしく小首を傾げた。

「わ、私・・・・私はリシア・・・、リシア＝リヒテ・・・・」

　彼女は少年に魅入られたまま、何も考えられず素直に本名を言ってしまった。本来なら素性が知れないよ

う、傭兵名であるガルシアを名乗らなければならなかったはずなのに。

　そして言ってしまってから彼女はまた照れた。彼女自身、リシア等と言う如何にも可愛らしい名前をあま

り気に入ってはいなかったのだ。恥ずかしい。本当はガルシアのように男っぽくインパクトのある名前の方

が良かった。

　しかしこの少年をほんの僅かでも誤魔化せる人間が居るだろうか。少なくとも彼女には出来ない。自分を

素直に晒す事しか出来なかった。

「リシアさんか・・・・・可愛い名前ですね」

　リシアはそれを聞いて更に真っ赤になった。最早傭兵ガルシアでもなく、淫蕩な女でもなく、ただの少女

へと還ってしまったようにか弱かった。

「もっと側に・・」

　そして少年に呼び込まれるまま、ゆっくりとその傍へと寄って行った。

　少年もリシアを見る度に狂おしい程の衝動に捕らわれていくのを感じていた。欲しいと思った。自分の中

の何かが必至に渇きを訴える。少年はその衝動を抱いたまま傍に来るリシアの頬に片手を触れさせ、ゆっく

りと枕もとにある小机から血牙と呼ばれる血液摂取装置を取り出し、装着した。

「ああ・・・」

　リシアはうっとりとそれを見詰めた。

　そして少年に見詰められ、彼女は徐々に恍惚の笑みと声を洩らし始める。

　博士は突如面倒になった。この状況に飽きたと言ってもいい。そして愛用の懐中時計を取り出して確認する。

「ふむ、もう充分だろう」

　博士は不審そうにこちらを見やる警備官共を無視して、何故か美しくも淫楽な笑みを浮かべた。

　そしてふと思い出したように警備官を睨み。

「もう用は済んだ。消えるがいい」

　だがその言葉とは逆に、その手の銃を興味を失った子供がするように、何故か無慈悲に投げ捨てた。

「自分から銃を捨てるとは・・・・。皆、捕えよ！！」

　それを見て他の者よりは少しは冷静だった警備主任官がすぐさま命じる。

　部下の警備官達はその声に慌てながらも、博士を取り押さえようと彼の回りに群がった。そして警備官達

がお得意の制裁と言う名のリンチを加えようとした時。

「うごッ！！？」

　突然、警備官の一人が玄関の木製のドアごと突き破り、院外へと弾丸のように飛んで行くのが見えた。

「え？？」

　警備官達はそれを不思議そうに眺める。そしてそれが博士が投げ飛ばした為だと鈍重にも気付いた時。

「ヴァ・・ヴァンパイアッ！！！」

　口々に思い思いの悲鳴を上げ、雪崩れのように我先にと逃げ出して行ってしまった。常人外の身体能力を

持つヴァンパイアに人間が敵う訳が無い。ヴァンパイアには銃器すら時に無意味なのだから。特に彼らは警

備官と言う仕事上、その恐怖を不必要なまでに知っていた。

　暫く博士は腰を抜かした警備官を次々に叩き出す事に専念し、それからゆっくりと溜息を吐き。

「リヒムッドめ・・・。おかげで野蛮な真似をする事になったぞ、どうしてくれる」

　疲れたように目を細め。それから仕上がりを確認すべく、階段を静かに上がって行った。

　博士の静かな夜はこうして台無しになってしまったのである。

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