2-10.強引力ならず


 エレインは今回も特に何が起こる訳でも無く、無事にレーンフィール家へと辿り着いた。相変わらず、無

意味に周囲を警戒したおかげで少し移動時間は長くなったが、取り合えずは無事である。そしていつもであ

ればこれで護衛は終わり、リヒムッドの役目も終るのだったが。それが今日は少し違った。

 エレインの後を追うように、尾行者も屋敷内へと忍び込んだのである。

「ついに強硬手段に出ましたか・・・」

 リヒムッドも間髪入れず屋敷内へと忍び込んで行った。相手の行動が素早かった為に、少し距離が空いて

しまったが。しかしまだ見失う程では無い。リヒムッドの知覚は未だはっきりとその侵入者を捉えていた。

 おそらくそれは相手も気付いている事だろう。

 侵入者は今、外から窓越しにエレインの後を追っている。太陽は高く、隠れる為の影ならば無数にあり、

それに苦労はしない。エレインは屋敷内に入り安心したらしく、先程とは打って変わって無防備に廊下を進

んでいた。これでは彼女の目的地の位置が解るのもそう先の話では無いかも知れない。

 人の行く方角、視線、そう言うもので大体の位置は掴めるものだ。人は意識無意識問わず、繰り返し目的

地を確認しようとするものだから。

「これ以上躊躇する事は、それだけマイナスになる」

 侵入者に時間を与えれば与えるほど後々の状況を悪くする事になる、そう考えたリヒムッドはするすると

侵入者へと急いだ。意識をこちらへ向けさせる為に、何よりも明確な殺意を発しながら。

 すると侵入者はエレインを追う事を止め、予想を越えてこちらへと向かってきたではないか。

 エレインの行く方角は理解したから、さっさと邪魔者を片付け、ゆっくりとエレインの後を追うつもりら

しい。尾行や侵入を生業とする割に、よほどの自信家なようだ。

 尾行手腕から見て、よほど落ち着いた人物だと見ていたのだが、これはリヒムッドの予想外の事である。

「私もまだまだ読みが浅いと言う訳ですか」

 リヒムッドは一人苦笑した。しかし状況はそれほど悪くは無い。



 しかしリヒムッドが考えているように、この侵入者にもさほど自信がある訳では無かった。何しろ先日の

事もある。同じ追跡者だったゲルドを一瞬で止めたあの手腕は高く評価し、怖れてもいた。

 そして一番の要因として、この侵入者は単純な格闘戦はさほど得意では無かったのである。暗器を使った

暗殺、或いは援護や奇襲の方が性に合っている。

 つまりは自分は姿を見せず、影からひっそりと襲撃するような陰気なやり方に長けているのであった。だ

>から今のように自分が居ると言う事を相手がはっきりと認識し、かつまともに正面からぶつかり合うような

やり方はスマートでは無く、勝算も低い。

 だがやらなければならない。自らの尊厳を変わらず誇る為。そしてここで勝ち、格闘戦に自信を付けてお

く事も、将来に渡って非常にプラスになると考えられる。

「・・・・・・・」

 知覚能力はおそらく五分五分、後はどれだけ相手の裏をかけるか。まともにやりあうにしても、どちらが

先に有利な状況を作り出すか、これが勝敗を左右する事になるだろう。

 身体能力ではあちらに軍配がある、出来得るならばその一瞬で命を盗ってしまいたい。

 侵入者はそこで初めから一番技術に長ける手段に出る事にした。所謂、投げナイフである。



 低空から二本のナイフが、リヒムッドの足の付け根辺りを狙う。下から上へと投げられたものらしく、距

離感が微妙に狂わされた。彼は咄嗟に横へ勢い良く転がり、何とかそれを避けた。ナイフはそのまま中空へ

消えて行く。

「地味ですが油断なら無い物を使う・・・」

 そしてそのまま転がりながら追撃を避ける。今度は数本のナイフが地面に浅く突き刺さった。それほど力

を込められていない証明であるが、刃物の場合はさほど力は必要ない。何故ならその刃自体の鋭利さで充分

人の皮膚を切裂けるからである。だからそれはまったく気休めにもならなかった。

 ただこれはさほど激しい攻勢とも言えない。避ける事に集中しているなら、危なげ無くかわせる程度の物

だ。おそらくこれは初めから当たる事を期待しているモノでは無い。

「ならばそろそろ本腰を入れてくるはず」

 リヒムッドは軸足に力を込めて瞬時に方向転換し、一転して侵入者の方向へと駆け出した。

 侵入者の方もこちらに向かって来ている。この辺はセオリー通り、自信家だと思えば基本に忠実、変な侵

入者だと、リヒムッドは顔だけで苦笑した。

「疾!!」

 そして懐から取り出したやや太めの鉄針を、先程のお返しにと数本投げる。

 勢い良く放たれた針達はまるで意思ある生き物か、手品でも見ているように、複雑な軌道を描きながら侵

入者へと到達した。

「・・・・・・」

 侵入者は無言で大地を蹴り、今までの加速を利用して針達の上を大きく跳躍する。

 リヒムッドは間髪入れず、鉄針を空中の敵に向けて投射するが、それは無意味に空へと消えた。敵の跳躍

速度が彼の予測を上回っていたのである。

「くッ!?」

 そして尚驚くべき事に、その侵入者はその鉄針を宙で蹴り、更に加速したのである。いくらなんでも非常

識過ぎる光景であった。いくら太めであるとは言え、空中の針が人間を支えられる程安定している訳が無い。

しかしそれは間違い無く現実である。

 そして一息に距離を詰めた侵入者が、リヒムッドの眼前に着地した。

「うッ!」

 侵入者の足がしなやかにくねり、リヒムッドの脇腹に叩きつけられる。辛うじてガードしたものの、その

衝撃はガードした腕をを容易く貫き、軽く痺れさせた。

「貫け!!」

 しかし格闘戦ならばリヒムッドも負けてはいない。敵の予想以上の身体能力に虚を付かれてしまったが、

彼の精神はその程度で崩される程弱い物でも無かった。敵の蹴りの勢いを回転して受け流しつつ、かつそれ

を利用して、今度は彼が侵入者へ遠心力を込めた渾身の回し蹴りを食らわせた。

「っあッ!!?」

 流石の侵入者も受けきれず、よろめきながら地面に転がる。

「驕れる者は久しからず、ですね」

 こうして至近距離からの格闘戦に持ち込まなければ、おそらくリヒムッドも苦労させられただろう。しか

しこの敵は敢えてその格闘戦に持ち込んできた。それはおそらく相手の得意とする所で打ち破りたいと言う

心の現れなのだろう。

 それはスポーツ、或いは武道であれば心地良く感じるのであろうが。しかしこういった生業の暗殺者には

愚かとしか言い様が無い。ただそこに一種爽やかなモノを感じる事も確かだった。そう言う無益な誇りも、

リヒムッドはそう嫌いで無い。

 改めて侵入者を見る。

 暗闇から引き摺り出された侵入者は、全てを太陽の下にさらけ出していた。思ったよりも細身でしなやか

な曲線が目を引く。身体のラインを浮き上がらせるような、ぴったりと張り付く衣服を着ている為に、尚更

それが目に付いた。そしてふっくらとした胸の膨らみはある事実を明確に示している。

「まさか女性とは・・・」

 リヒムッドも敵となれば誰でも区別せず、平等に殲滅する方であったが。ただ、蹴り飛ばしてから女だ

と気付くのには少々複雑な心境にならざるを得ない。まったく色んな意味で驚かされる、大変迷惑な侵入者

だと、彼は珍しく肩を竦めた。

「うう・・・」

 侵入者はまともにリヒムッドの蹴りを受けても、まだ少しは動けるらしく。その顔だけを上げ、彼をキッ

と睨み付けてきた。ただその表情には少なからず苦痛と敗北の色が見える。

「さて、どうしますか・・」

 油断無く侵入者の視線を受けながら、リヒムッドは口調だけはおどけたようにそう呟いた。実際彼は困っ

てもいたのだろう。




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