伯爵の思いつき日誌

2-4.伯爵遊覧記

　シュフェルム伯爵はアーデリー警備署長就任翌日、早速ロッティードを引き連れて郊外巡視に出掛けた。

勿論、いつもの紳士的スタイルは崩さない。伯爵はスーツ、靴、シルクハット、ステッキに到るまで同じ物

を幾つも持っているのである。それこそが真のお洒落であり、彼特有のダンディズムでもあった。

　ロッティードの方はと言えば、特に服装を気にする訳でもなく。着れれば布切れでも良いと言った具合で、

以前毛皮だけを着てまるで原始人のような姿で現れ、伯爵が怒りの一撃を喰らわせた事もある。

　想像するに、ロッティードがこのようなゴム団子連結状の姿になったのは、伯爵の数々の拷問技を拝謁し

た所為なのかも知れない。

　そして今日も伯爵が小粋に回すステッキが当たり前のようにロッティードの頬を掠め。擦れるだけに、な

まじ一撃を受けるよりも蓄積する痛みの度合いは激しかった。しかしロッティードにはそれに黙って耐える

以外の事は許されてはいない。

「ロッティードよ、この胡散臭さがたまらないではないか」

「ハハッ、そうでございますな、シュフェルム様」

　アーデリー郊外は相変わらずスラムのような陰惨さと、暴力的喧騒に塗れていた。ここでは当たり前のよ

うに遺体が見付かるし、犬も歩けば犯罪者に当る、と言った具合である。ここに住む者すべてが悪魔のよう

だ、とは言わないが。こういう環境であれば自然とそれに近くなるのが人間と言うもの。

　警備官の巡視も毎朝毎晩のようにされているのだが、それでもとても追い付かない。ここを武装した人間

が歩くのにはせめて１０人くらいの人数は必要であり、それほどの人員が必要ではいくら郊外の一区画だと

してもカバーしきれる筈が無かった。

　レッフェル前署長が警備官のヴァンパイア化を強く望んでいたのも、これを知れば誰でも頷けるだろうと

思われる。賞金目当てのヴァンパイアハンター達がいなければ、現在の最低レベルの秩序にも満たない秩序

ですら、おそらくは保っていなかっただろう。

「しかし別な臭いもたまらんな」

「人間も死んでしまえば生ゴミですからな」

　ロッティードが押す荷車に積まれた遺体からは、すでに死臭が香って来ていた。

　こうして遺体を片付けるのが警備官の第一の仕事となっている。何しろこう言う遺体を放置しておくと、

そこから有害なモノが発生し時に疫病が流行ったりもする。ヴァンパイアを隔離する重厚な壁も病原菌を阻

む事は出来ない。アーデリー市民を守る為には、まったく地味で喜ばしくない仕事だったが、これを怠る訳

にはいかなかった。

　この伯爵、意外にも仕事には熱心であるらしい。

「シュフェルム様、いっそのことここで燃やしてしまいましょうか」

「うむ、人通りも少ないからな。ここは景気付けに燃やしてしまうのがよかろう」

　今日は霧が深い為に人通りも少ない。こういう日は犯罪が増えるものなのだか、この場所では逆に皆無に

なってしまう。犯罪者が霧の妖魔を恐れると言うのならば、これほど面白い話も無いのだが。理由は単純に

人通りが減るからだろう。当たり前のように犯罪が行われる場所では、人通りが減れば当然それに比例して

犯罪の数も減る。

　犯罪する相手がいなければ、犯罪以前に何も出来ようがないのだから。

「しかしロッティードよ、我輩達には肝心の火の持ち合わせが無い。これはどうしたものか」

　こう言う日には普通松明（たいまつ）やカンテラを持ったりして巡視するのだが、伯爵は我輩が持つのは

ステッキだけだ、と言って持って来なかったのである。ゴム団子のロッティードの方も小さい体では荷車を

押すのが精一杯で、とても片手に松明を持つと言う芸当は出来なかった。

「シュフェルム様、丁度あそこに明かりの付いた家がありまする。あれにて火を用意させましょう」

　ロッティードが差したのは異質なこの区画に在って、更に異質な建物だった。異国のデザインか技術でも

取り入れたのだろうか。設計そのものが他の建物とは違う。

「うむ、お前もたまには良い事を言うでは無いか。あの味わい深い木製の扉からして、貴族趣味を解する雅

な者がいるに違い無い。火ならば貴族的なカンテラの方が望ましいからな」

　そうして遺体の積まれた荷車を道の真中へ放置し、二人は明かりの付いた家の前に立ち。そしてゆっくり

とこの郊外では珍しい木製の扉を開けた。

　外にあった単純構造の看板にはアーデリー郊外医院と黒で記されている。

　

　木製の扉を抜けると、中は期待に反して酷く殺風景なものであった。そこに本当に人間が住んでいるのか

と思う程に生活感と言うモノも無く、全てが作り物めいて感じる。

　ざっと見渡して見たが人の気配も無い。

「どうも我輩の買被りだったようだ。これは何と面白みの無い事か」

　伯爵は失望したように溜息を吐いた。

「そうとなれば火をいただいてさっさと出ましょう、シュフェルム様」

「うむ」

　伯爵は紳士らしくネクタイを締め直し、一つ咳払いをしてから声を張り上げた。

「申し訳無い！誰かおられぬか！」

　伯爵自慢のバリトンの声がその空間に良く響き渡ったが、しかし何の物音も返って来ない。

「おかしいぞ、ロッティード。本当に明かりが点いていたのだろうな」

　伯爵は苛立ち紛れにステッキでロッティードの頬を捻じ切るが如く突く。

「確かに点いておりましたとも。ここは私が見て参りましょう」

　ロッティードはステッキから逃げるようにバタバタと奥の方へと踏み入っていく。そうすると脂肪が揺れ、

まるで肉球が転がっていくようにも見えた。

　かと思うと、その肉球が突如逆回転してこちらへと戻り転がって来るでは無いか。

「なんと、これは珍妙な」

「美容整形は専門外なのだが」

　伯爵の声に奥からの枯れた声が重なった。

　そちらに目をやると、肉球の向こうからこれまた作り物めいた途方も無く美しい男が現れた。ただその声

は外見に似合わず掠れている。　

「どちらが患者だ」

「どちらも患者では無い。ただ火をもらいに来たのだ」

「火、だと」

　美しい男は優雅に首を傾げる。

「うむ、火をいただきたい」

「まあ、いいだろう」

　そう言うと、その美しい男は奥から古ぼけたカンテラを持って来、それを伯爵へと差し出した。そして同

時にもう一方の手も差し出す。

「ふむ」

　伯爵も片手を差し出し、硬い握手をした。しかしそれを見て、美しい男は軽く眉をしかめる。

「違う、代金だ」

「ああ、金か、これはまた世知辛い。ロッティード、こちらの御仁にお支払いしろ」

　伯爵は肉球をごろりと転がし、美しい男へと向け直した。そして自分はカンテラを受け取ると、何事も無

かったかのようにその建物を出、次いでそのカンテラを荷車へと豪快に投げ付けた。

　カンテラは荷車に儚くぶち当たって四散し、中から飛び散った油が程無くして燃え上がり、なんとも言え

ない臭いと共に積まれた遺体を荷車ごと盛大に燃やし始めた。嫌な色の煙が霧空を犯すように立ち昇る。

「ふむ、ここは医院だったのか」

　改めて今出た建物を振り返ると、確かにそう言う看板が出ている。伯爵はふと、どうせならあの肉団子を

さっぱりと捌いてもらいたいと思った。

「しかし、先程の男・・・・。何やら伯爵的見覚えがあるが・・・はて、何処で見たのか」

　伯爵はぼんやりと呟くと、後は全てを忘れ何事も無かったかのように歩き始めた。

　その後、この一帯は火葬の臭いとその炎で大騒ぎになり。置き忘れられたロッティードは全責任を負わさ

れ、燃え上がる荷車を牽いて泣きながら駆け回る羽目になったと言う。霧のアーデリーに話題を提供したの

は功と言えたかどうか。

　ともかく、これがシュフェルムと博士の初めての対面となったのである。

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