2-8.始祖を護る者


 レーンフィール家執事長ラウド=ベッグナーはエレインをミルフィリアお嬢様の元へと案内した後、もう

一度裏門へ行き、ある男を招き入れた。

 ある男とは誰あろうリヒムッドその人である。

「貴方には世話をおかけ致します」

「いえ、とんでもありませんよ」

 ひっそりとした廊下を二人で歩く。落ち着きがあり広い分、二人が居ても少し寂しく見えた。ラウドは独

り言か、ここに花でも飾りましょうか、と呟く。リヒムッドはそれに気にした様子も無く、そのまま静かに

歩く。

「エレインはどうでしたかな」

「ええ、やはり付けられているようですね。二人程いました」

「左様でしたか・・・・」

 ラウドは皺だらけの顔をうっそりと縮めた。

「しかし彼女に危害を加えるつもりは無いようです。勿論、今の所は、ですが」

 リヒムッドはその老人の顔を気にしたのか、付け加えるようにそう言った。おそらく気を使っているつも

りなのだろう。エレインが無事なだけでラウドには救いだろうからだ。

 ラウドからは元々尾行者とその依頼者を調べる事では無く、その尾行者からエレインを護る事を頼まれて

いる。だから余計な事は起こさぬよう、先程の目の方は追跡せず放って置いた。おそらくエレインがこの屋

敷を出るまでは外で見張っているのだろうが。

 だがそれならばそれでも良い。下手にその目に手を出して、相手を刺激する方が危険だと思えるからだ。

ふと目に付けば何でも手を出せば良いと言うものでも無い。時にはこうしてじっくり静観する事も必要なの

である。

 人は待つ事を嫌うのだが、そう言った私情を優先させると得てして上手くゆかないものだ。己を殺す事も

学ばねばならない、何よりも己の為に。

「いつかはこんな事が起こるとは思いましたが、よりによってその相手がジークナルドとは・・・」

 ラウドにはリヒムッドの些細な気遣いもさほど効果が無かったようで、相変わらず鬱蒼とした顔でそう呟

いた。

 ジークナルド、この男は確かに性質が悪い、いや悪過ぎる。リヒムッドはそう思い、一人頷く。ジークナ

ルドなる人物は欲望と野望のレベルが高過ぎるのだ。おそらくそれは彼の能力以上に。

「しかしまだ姫君までは感付いていない様子。今はエレインさんを護る事が急務でしょうね」

「ええ、しかしそれも時間の問題かも知れません。エレインは頭の良い子ですが、しかし秘密を守るのには

不向きな性格をしております」

 ラウドはゆっくりとした息を吐いた。それはまるで今にも迎えが来そうなくらいに縁起が悪く見える。

 しかしリヒムッドはそれには触れず、何度目かのフォローを入れておいた。

 この老人は彼から見ても、何故かとても儚く見える。

「とにかくエレインの事をお頼み申し上げます、リヒムッド殿。御代の方も少ないでしょうが、私に出来る

精一杯は差し上げますから、なにとぞ・・」

「いえ、そう言うものは私には必要ありませんよ。これもまた仕事ですから。こちらとしても姫君の事が知

られると面倒が増える事になりますのでして」

「左様でありますか。しかし何もお返ししない訳にもいきますまい。せめてこの老人の淹れた茶でも飲んで

下され」

 ラウドはそう言って初めて笑顔を見せた。それはしわくちゃながら、とても良い笑顔にリヒムッドには思

える。誰のであってもこう言った笑顔を見れる事は幸福であるだろうともしみじみに思う。

「お嬢様には会っていかれますかな」

「いえ、それは遠慮致しましょう」

「そうですか・・・、しかし一度くらいは・・・・」

「いえ、今はまだ・・」

「左様でございますか・・・。ではしばし私のティータイムに付き合っていただきましょうかな」

 ラウドはそう言ってもう一度微笑んだ。   



 ミルフィリアは心配そうに家庭教師であるエレインを見ている。

 本来心配するのはエレインの方である事が正しいのであろうが、しかし現在ではそれが逆になっている。

まあ、単純に考えればミルフィリアよりもエレインの身の回りの方が物騒である事は間違い無いのだが。

 ミルフィリアはレーンフィール家の最奥に閉じ込められている為、言わば金庫に入っているようなもので、

誰であろうと彼女に危害を加える事はまず出来ない。何しろ彼女の部屋はヴァンパイアにも対抗出来そうな

程、強固に作られているのだ。

 これを当主であり彼女の父でもあるリグルド公爵の親心と見るかどうか。

 どちらにしても、リグルドは娘の存在を知られたく無い事だけは確かであり。そう考えればこの国でミル

フィリアの部屋程安全な場所も無いと思える。或いは女王の寝所よりも安全かも知れない。

「先生、やはりお顔の色が・・・・」

 ミルフィリアはしきりにそれを気にしていた。それほどエレインの表情は強張っており、焦燥感にも似た

焦りが色濃く出ているのだ。先程まで追われる気分を味わったのだから、それも当然かも知れないのだが。

それにしてもやけにそれが強く見える。

 しかしエレインは大丈夫、何も心配はいらない、自分はいつも通りである、そんな風に無理矢理それを隠

そうとしている。勿論、隠せる訳も無いのだが。エレインはこの自分よりも愛しい教え子に、どうしても余

計な心配などさせたくは無いのだろう。

「・・・・・・先生・・」

 ミルフィリアもその気持が良く解っているから、あまり強くは言えない。ただその途方も無い美しく透

き通った瞳で、エレインを心配そうに見詰めているのみだった。

「ミルフィリアさん、大丈夫、私は大丈夫ですよ」

 ミルフィリアの瞳に自分が映っている、それだけでエレインは歓喜で身も弾けそうな心持になる。

 彼女は今自分だけを見、自分だけを心から心配し、考えてくれているのだ。愛しい者が自分の事を第一に

考えてくれている、この世にこれ以上幸福な事があろうか。

 エレインは奥底から溢れる程に、心が満たされていくのを感じていた。



 ミルフィリアの部屋と同じ最奥だが対極となる正反対の棟に一人の女性が居る。

 彼女もあまり人前には出ず、今ではあまり人の噂になる事も無い。その名をセルビア=レーンフィール、

リグルド公爵の妻であり、ミルフィリアの実の母である。

 しかし彼女の部屋の位置からも明らかなように、実の娘を彼女は明確に避けていた。いや、実の娘だから

こそ愛情よりも嫌悪感が先立つのかも知れない。自分からおぞましいヴァンパイアが生まれて来た等と、ど

うしても認めたくも無いのだろう。

 セルビアは不幸の人と言っても良いかも知れない。

 元々レーンフィール家に嫁いだのも、ありがちな政略結婚であり、彼女自身の心には今ではリグルドを嫌

悪する感情しか無い。愛も情も初めから何も無く、虚無的な自虐心と、自らの運命を呪う心だけが妻となっ

てからは彼女の心を鬱々と流れていた。

 彼女が娘に冷たいのも一つにはそれが原因なのかも知れない。ただでさえ嫌いな男との子供が、しかもヴ

ァンパイア、これを愛せと言う方が無理である、とも言えない事も無い。

 セルビアは伯爵令嬢であり、貴族間の地位も始から低くは無かった。しかもその美貌は比類無しとまで言

われた程で、始祖を除けばその美に比する者等何処にも居なかったようだ。その為、産まれ付いてからず

っと、不幸などと言う言葉とは無縁の生活を送っていた。

 しかしある時、無造作に両親からリグルドの妻になる事を告げられる。勿論、彼女も自分に結婚相手を選

ぶ自由など無い事は百も承知だった。だが自分がここまで無造作に扱われるとは思いもしなかっただろう。

 リグルドは彼女を愛すどころか、まるで省みる事も無く。たまに気付いたように抱いては、それで自分だ

け満足し、その後は初めから結婚などしていないかのように扱った。

 セルビアの多少は甘い結婚願望など無惨に打ち砕かれ、その後も綺麗な人形として公爵夫人としての飾り

物と成り果てた。しかし彼女はまだ何処か期待していたのである。子供が生まれれば、と。

 そうしてとうとう待望の子を授かる事が出来た。確かにそうなるとリグルドの態度も少しは変わったよう

にも見えなくは無かった。だが、それも生まれてみれば・・・・。

 結局、ミルフィリアと言う存在は、セルビアにとって何から何まで憎むしか出来ない存在なのである。そ

れは運命としか言いようも無く、例え陳腐でもそう言わなければ救いようも出来ない程に、誰にとっても悲

惨な出来事なのであった。

 ミルフィリアが生まれてからはセルビアは表に出る事も以前以上に極力無くなった。

 それは表向きは生まれたばかりの娘を亡くした為と囁かれ、多分に他の貴族達からは同情的な気持を寄せ

られている。そうなればリグルドとしても一々妻と同伴で出かけなくても良く、非常に都合が良かった。

 彼はそうして妻も屋敷へ放って置いた。もうセルビアなる存在を忘れ去っていると言っても良い。

 セルビアは今日も窓から娘と同じように外を眺めている。娘と同様の美しい瞳に、娘とは違った虚無に彩

られた光を乗せて。




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