死天は相変わらずその憎むべき犯罪を延々と続けている。警備官アーネード=ラウドスはその報告がなさ れる度に、身を引き裂かれるような苛立ちに襲われた。何しろその全てに自分も出動し関わっているのだ。し かし何度その姿を目に映せても、まるで陽炎を追っているかのようにいつも手が届かない。そして死天は嘲笑 うかのように夜明けと共に何処へかと消えてしまう。 一体何なのだろうか。皆揃って夢でも見ているのだろうか。死天とは名ばかりで、それを耳にする者目にす る者は皆暗示でもかけられていると言うのか。 アーネードもこのような相手は初めてであった。いや彼だけで無く、ベテラン老齢の警備官ですら、今まで に見た事も聞いた事も無い相手だと言う。そして皆一様にそう言った後首を傾げる。それから仲間に、確かに 昨日見たはずだな、と問いかけ合うのである。 死天と出会っていた、それは確かなはずなのに何と朧げな事だろうか。しかしそれくらい得体の知れない相 手なのだ。捜査も当然進展は無く、新聞記者達も半ば面白がって書き立てている。死天が狙う至宝など、新聞 の対象者である一般市民からすれば夢のような物であり。それが奪われたとしても特に彼らに直接の被害も無 く、逆に金持ちが損をして小気味が良いくらいにしか思えないだろう。 現に市民からは現代の怪盗として賛美にも似たもので騒がれているのだ。 「死天め、必ず正体を暴いてやる」 アーネードは夜勤の度に今か今かと息巻いている。かと言って別に何か勝算がある訳では無い、ただ犯罪者 を追い捕える事、それが彼の全てなのである。彼からすれば、この愛すべきアーデリー市の平穏を乱す悪党を 許しておける訳が無いのだ。 何故かは知らないが、死天は彼を待つようにいつも現れ、誘うように姿を見せている。ならば自分が捕える しか無い。例え何度逃がそうとも、死の果てまでも永遠に追いかけ捕縛する。最早使命感をも越えた執念の二 文字であった。 そして勝算は無いが、少しだけ当てになる物はある。 「この銃で撃ち抜いてやる」 ヴァンパイアの跋扈(ばっこ)する郊外とは違い、市内に配備された警備官には銃器が標準配備されてはい ない。銃自体が高価な貴重品である事もあるが、そこまでする必要が無いからとも言える。勿論、その代わり に警備官は武術等をみっちりと仕込まれ、日々訓練も欠かさない。ヴァンパイアとは体力差から言って勝負に ならないが、人間の犯罪者相手にはこれで充分なのだ。 それにアーデリーは要人の住宅地帯や重要な施設も多い為に、治安には力が入れられている。郊外を除けば 大した犯罪も起こってはいないし、起こったとしてもすぐさま解決される。 だから銃器は普段は使われないのだが、あまりにも死天に対して成果が上げられない為、今回から人通りの 少ない夜間に限り、銃の携帯を認められたのだ。 「例え俺の手が届かないとしても、この鉛玉ならば撃ち抜けるはずだ」 そう願いを込めながら、アーネードは今も念入りに銃の手入れをしている。 賞金稼ぎ等に捕まえさせてはならない、死天を捕えるのはあくまで警備官なのだ、と。幸いにも市内での発 砲は特令以外では認められていない。つまり死天を打ち抜けるのは銃を与えられた警備官のみなのだ。 だからこそ必ずやらなければならない。情報では凄腕のガンナーとも言われている死天、それを撃つ為に今 日もアーネードは射撃訓練に身を入れる。
死天、そう呼ばれ始めたのは何時の頃だったか。そもそも誰が呼んだのだろうか。いつの間にか、いつの間 に死天と呼ばれた。それが正しいのだろう。何故ならば自らは死天等と一度も名乗った事は無いはずだ。 陽炎のように虚ろで、そこに在ってそこに無い。例えば本当にそんな生物が居たとしても、それは少なくと も人でもヴァンパイアでも無いはずだ。それが噂されるような作り物で無い限りは。 「うーん、死天さんか・・・どんな人なんだろう」 リオン少年は読みふけっていたアーデリー新聞を置き、ぼんやりと考え始めた。 彼は新聞か博士やリシアから得る情報を広げ、空想に耽る事がとても好きだった。と言うよりはこの一室に 閉じ篭っているしかない少年にとっては、そうする事以外に楽しみが見付けられないと言っても良いかも知れ ない。楽しみと言えば他には本を読むくらいしか無いのだから。 だから今も取り留めなく考え続ける。死天の格好、顔、そして怪盗として颯爽と跳び回る姿。それは彼にと って憧れにも似たモノを抱かせるには充分な素材だった。 今は博士も、常に寄り添うようになったリシアも何処かへと出掛けて居ない。一人で空想を膨らませるには ぴったりの時間。 「夜風を切って、アーデリーを跳び回る。それってどんなに気持が良いのかな」 そして自分が死天になったつもりになってみる。 夜闇に隠れ、疾空し、華麗に至宝を奪う大怪盗。まるでどこかの小説にでも出てきそう。楽しいのだろうか、 それとも不安だろうか。でも充実しているには違い無い。自分とは違って、とても生きていると言う実感が いつも在るんだ、とそんな事を思う。 彼も自分の今の境遇を悲観してばかりいる訳では無い。もうこの生活を始めて長いし、慣れても居るのだか ら。でも、それでも時折思う、もし自分が自由に飛び回れたらと。 それがどんなに虚しい考えかも解っている。自分が外に出てはいけない、始祖ヴァンパイアは居るだけで 混沌を捲き起こす存在なのだ。その存在を知らしめてはいけない、噂ならまだ良い、でも確実に認識させては いけないのだ、決して誰にも。 それに政府の監視下に置かれるよりは、博士やリシアと居た方が幸せだとも思う。その点で同じ始祖でも自 分は恵まれている。ただ、そう思っていても空想は止まらない。 もし、もしそうならば、例えばこうだったら、その思いは誰もが持ち誰もが止める事の出来ないものなのだ ろう。そしてそれはとても甘美であり、明らかに夢想であるからこそ逆らえぬ魅力がある。ただそれは、常に 実行すれば自らを破滅へ傾くと言う現実をも伴う。人が魅せられる事がその人にとって破滅であるとは、人間 とはなんと皮肉に出来ているのだろうか。 「ふう・・・」 リオン少年も人間の根源にまで遡って嘆く程、そこまでは考えてはいないけれど。でも、ふと溜息を洩らし てしまうのは避けられない。それは博士や誰の前でも見せられない、決して誰にも見せてはいけない少しだけ 隠された少年の別の顔。 「え??」 でも今日は見せてしまった。誰でも無い、見知らぬ誰かに。 「あ、貴方は??」 困惑するリオン。その誰かは開けられるはずの無い窓を開け、重いカーテンの中からゆらゆらと現れたのだ った。その格好と姿に勿論見覚えは無い。 「あ、博士ならお出かけです」 でもひょっとすると博士の知り合いかもと思い。その誰かに問われる前にそう言った。誰かが望む前にそれ をする事が本当の親切なのだと、そう何かの本で読んだ事がある。それをたまたま思い出し、思い出したから 素直に実行してみたのだ。 その声にようやく振り向いた誰か、その顔にやはり見覚えは無かった。その誰かはただゆらゆらとたゆたっ ている。まるで陽炎のように。 そしてその陽炎の奥の深い瞳が、静かに少年を見付けた。 |