3-2.想いは思うままに


「君がリオン君かな」

 陽炎は少年に問い掛ける。

「はい、リオンです。でもなんで僕の名前を」

 少年はただ不思議そうに首を傾げる。彼の存在を噂で朧げに知っている人は多いが、しかし彼の名前など

詳しい事を知る者は皆無に等しい。このアーデリー郊外では博士とリシアの二人くらいなものだろうか。

「他に誰か居るかな」

「いえ、今は誰も居ないみたいです」

「そうか、どうりで明かりが暗かった訳だ」

 陽炎は一つ頷いた。暗がりの中なので、その動きはまるで影絵のように見える。

「博士が何処へ行ったか知っているかな」

「いいえ、博士はいつも行き先とかは教えてくれないんです。もしかしたら行き先を決めて無いのかも」

「はは、それは彼らしいね」

 陽炎は楽しそうに笑い声を上げた。そして改めて少年の顔を見て、ふと気付いたように。

「君は美しい顔をしているな」

 そう呟き、明かりの側へ、つまりは少年の方へと近付いた。

 仄かな明かりに照らされ、まるでその光を恐れるかのようにその身を覆う陽炎の如き揺らめきが消え、そ

こからくっきりとした人の輪郭が浮かび上がった。

 少年はその陽炎が本当に人であった事に少しだけ安堵し、ゆっくりと微笑んだ。

「陽炎さんも綺麗です」

「陽炎さんとは私の事かね」

「はい、陽炎さん」

 少年はその現れた人を指差す。

「ははは、陽炎さんとは面白いな。そうだ、そう名乗るのも良いかも知れない。では私の事はこれから陽炎

と呼んでくれれば良い」

 陽炎も微笑んだ。明かりに照らされはっきりと見えたその顔は、窓から忍び込んだなどとは思えない程に

可愛らしいと言うべきか、小さな野花のように大人しそうで趣のあるすっきりとした美人だった。少年や博

士程では無いにしても充分美しい部類に入るだろう。

「しかし君に誉められると嬉しいな。まるで幼き頃に還ったようだ」

 陽炎は少年の顔をうっとりと見詰めた。その目には次第に怪しい光を帯びてきているように思える。見ら

れている少年も何だか胸の辺りがドキドキとして来た。 

「ええと、博士に何か御用ですか」

「ん、御用と言う程のものでは無いが。ちょっとした遊戯と言った所かな」

 陽炎はそう言って艶っぽく笑う。

「しかし居ないのではしょうがない。うーむ」

 陽炎は少年の頬を優しく撫でた。

「手を出すと怒るかな。怒るだろうな。・・・・仕方無い、またお邪魔するよ。ではまた、美しい少年」

 暫くそのまま見詰めていたが、やがてその陽炎は来たときと同じようにゆらゆらと窓から出て行ってしま

ったのだった。

「・・・・・・・・・」

 後に一人残された少年は暫く不思議そうに今は閉じられている窓を眺め、やがて何も無かったかのよう

に明かりを消してベットへ横になったのだった。



 暫くしてアーデリー郊外医院に別の足音が響く。その足音はゆっくりとリオン少年の寝室へ近付き、明か

りが消えている事を確認すると静かにそのドアから離れた。

 そして愛用の椅子に座り一息をつく。博士が帰って来たのである。

「あの女もいないとは、リオン君を一人にするのは流石に無用心だ」

 博士は暫くは少し悔いるようだったが、彼は過ぎた事にあまり拘る方では無い。それもすぐに忘れたよう

であった。そして代わりに別の事を思う。

「しかしあの女は何処へ行ったのか」

 あの女とは、リオン少年の僕となったリシアの事である。そう言えば博士が朝方家を出る前から見ていな

い。常に少年の傍に侍るリシアとしてはこれは不可思議な事であった。

 しかし博士にしてみればそんな事はどうでも良くもある。彼は珍しく疲れていたのだ。今日はずっと彼に

関係する女性達の元を訪れていたのだから、それも当然と言えば当然か。しかしたまには逢ってやるのが義

務と言うものでもある。

 そうして博士も寝台へと横たわり、深い眠りへと堕ちていった。



 その頃そのリシア=リヒテこと傭兵名ガルシアはアーデリー傭兵所へと来ていた。

 傭兵所とはその名の通り傭兵を斡旋する仲介機関の事で、ほとんどの傭兵達はここに登録し、ここから仕

事を探す。その他にも色んな情報を仕入れたり、逆に情報を売ったりといった事も出来。最早ただの斡旋

所に止まらず、一大諜報機関とも言える側面を持っている。

 その為か傭兵ならずともヴァンパイアハンターや警備官の姿までもがちらほら見かけられる事もある。犯

罪者や賞金首を狙う者にとって、情報とは何よりも価値のあるモノだからである。

 この傭兵所、どの街にも必ず存在する。その何の面白みも無い名前が誰に付けられたのかは知られていな

い。まあ、機関の名前など解りやすければそれで良いのだろう。

「よおガルシア、久しぶりじゃあねえか」

 顔見知りの所員が彼女に気付き声をかける。30前程の男で細身、あまり肉体労働には向かないだろう。

「暫くここへ来なかった事を見ると、博打で一儲けでもしたのかい」

 男は無遠慮に笑う。この男の笑い声は酷く良く響く。その音量に隣のテーブルの男達が顔を顰めた。

「ええ、まあそんなところね」

 リシアは側にあった安っぽい椅子へかけ、愛想笑いを浮かべた。

「そりゃ景気の良い事で。最近はなかなかそんな儲け話はないぜえ。皆不景気そうな面してやがるよ」

 男は妙に楽しそうに笑った。そう言われてみれば、ここに居るどの顔も大抵しけた面をしている。

「んで、今日は何用だい。今は見てのとおり大した依頼も無いぜ」

「いえ、ちょっと噂を聞いたのだけれど。ロドニーが何か下手をやらかしたそうね」

「ロドニーか・・・・」

 男はその太い眉をしかめた。そうするとまるで両の眉が繋がったように見え、それを皆に笑いの種にされ

ているのだがこの男はそれを知らない。

「ああ、確かにしくじったらしいぜ。俺も胡散臭い依頼だから止めとけって言ったのに、あいつ聞かなくて

よ。まったく気の強え女ってのはこれだから・・・」

「それでロドニーはどうしたの」

「ん、ああ、あれからここには顔を出して無いぜ。でも何だかそのままその館に居るらしい。何とも変な話

なんで確証は無いけどよ」

「その館?」

「ん、ああ・・・・。誰にも言うんじゃないぜ、何でもあのリグルド公爵の館らしい」

 男は今までとは打って変わり生真面目な顔をし、声をぐっとひそめた。流石にあの公爵の事は声高に話す

事は出来ないのだろう。このアーデリーで、いやこの国で公爵に目を付けられては生きてはいけない。この

男も相手が馴染みのガルシアでなければこんな話をしなかっただろう。

「どうしてそんな所にロドニーが?」

「いやいや話せば長くなるが・・・」

 男はロドニーに関する一連の件をガルシアへと話した。

「そう言う事だったの・・・・」

「ああ、気になるなら止めはしないが。公爵やジークナルドとか言う商人には絶対に関わらない方が良いぜ。

あんたも変な依頼は受けない方が身のためだよ」

「ええ、解ってるわ」

 リシアは長居せず、男に礼と情報料を払って傭兵所を出た。

「ロドニー・・・気になるわね・・」

 それから意を決し、ある方向へと歩き始めた。通称、貴銭街と呼ばれる場所へと・・。 




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