3-6.陽炎と呼ばれた者


 そこは建物が立ち並ぶ狭間を進むと突然開ける場所にある不思議な空間、日差しも暖かく降り注ぎ、今ま

での陰鬱とした狭苦しい暗闇が嘘のように晴れる所。そして目の前には家が一軒きり建っている。それ以外に

は何も無い。

 光の輝きを暗闇で覆い隠す。正にその家の住人を現しているかのようだ。

「ここはいつ来ても慣れんな」

 博士は目を瞬かせながらも、一つだけあるドアを無遠慮に開け、そのまま室内へと踏み入れた。

 中も日差しで満たされ、何も照明器具が無いくせに眩しい程明るい。

「相変わらず住人に似て非常識な家だ」

 博士はぐるりと見回した。それほど広い建物では無い為、一目で大体は把握出来る。今はこの部屋には博士

以外には誰も居ないようだ。

「奥の方か」

 奥へのドアに近付く。どちらにしてもこの時間にここの住人が出払っていると言う事は考えられない。その

住人も博士と同じく夜のイキモノなのだから。

「そう言う意味では正統なヴァンパイアかも知れんな」

 博士は少し笑った。まあ、その住人がヴァンパイアかどうかは知らないのだが。昼は室内で過ごし、夜には

暗闇を疾走する。これこそが正しくヴァンパイアと言うものでは無いか。

 少なくともそう言うイメージはあるはずだ。

「まあ、実際のヴァンパイアに正統も外道も無かろうが」

 現存しているヴァンパイアと呼ばれる存在は、威厳も何も無い、単なる始祖の従者か下僕なのである。そん

なものに正統も何も無いだろう。正統な下僕、外道な下僕、そのようなモノが存在するならばそれはそれで面

白いかも知れないが。

「開けるぞ」

 声をかけ、それからゆっくりとドアを開ける。

 軋む音が鋭く歪み、脳を刺激した。それは決して気持の良いモノでは無かったが、ドアの隙間から零れ出て

きた香りが全てを払拭してくれる。蕩ける程に脳髄の先まで痺れ渡る甘美な香り。

「やはり居たか」

「私に光は似合わないからね」

 香りの先にはあどけない表情を浮かべた女が一人。光が似合わないと言っている割には、窓から差し込む

光を全身一杯に浴びているように見える。まあ、光が嫌いとも一言も言ってはいなかったが。

「でも博士がわざわざ出向いてくれるなんてね。少し感動したよ」

「心にも無い事を言う」

「いや、多少は心にあるさ。言葉は心から生み出されるからね。まあ、心は嘘吐きだけど」

 女はくすりと微笑む。

「ふふ、相変わらずな事だ。ま、それなりの見返りはもらうぞ」

 博士は淫蕩な笑みを浮かべる。

「解っているよ」

 そして女の方も博士に合わせるように、その笑みを妖艶なモノへと変化させて行った。 



 その頃、アーデリー市内警備署は騒がしく、警備官達のざわめきで溢れていた。

 先日もまた死天の被害があったのである。しかも最近は死天の暗躍が頻繁になっている。そしていつも当た

り前のように死天を捕えられず、それどころか捕える手段すら見付からない有様だった。

 その陽炎のように現実味の薄い姿が死天と言う名の由来の一つなのだろうが、まったくもって対処法が浮か

ばない。死天を追うと、まるで夢に戯れているような錯角すら受ける。本当に幻術の類か、集団催眠にでもか

かっているのだろうか、そんな風に真剣に考えざるを得ない。

 特等賞金首と言う事で、ヴァンパイアハンターや傭兵達も血眼になって探しているはずなのだが。いや、現

に警備官と合同で捕縛作戦を決行した事さえあった。しかしそれすらもまるで無意味であり、その尻尾すら掴

め無かったのである。

 確かにその場に居るはずなのだが、常に雲の向こうに居るような、そんな淡さと幻想感。今では警備官の中

ですら、自分達は夢を見ているのだと、愚かにも広言している者まで居る始末。

 もう彼等の大半が諦めてしまっていると言っても良い。

「死天め!死天め!死天め!!」

 そんな犯罪者に対する怒りすら忘れたと思われる警備官の中で、それとは対称的に更にその正義感を燃やし、

怒りを増大させている異質な者が居た。

 警備官アーネード=ラウドスである。

 彼は中空を睨みつけながら、腰に吊るした拳銃をホルスター越しに強く握り締めた。

「必ず、この俺が必ず」

 夜間に限り警備官に銃器の使用が認められたのだが、しかし死天の奴はそれを嘲笑うかのように、常に射程

外で笑って(アーネードにはそう見える)居るのである。アーネードは銃の許可が出てから毎日血の滲むよう

な訓練を自らに課していたが、それも泡と消えてしまった。

 人の手で届かなくても、この鉛玉であれば届くはず。そう思ってやって来たのだが、それすらも死天にとっ

ては無意味であったようだ。

 死天が情報通り比類なきガンナーであれば射程距離を見切るなど造作も無い事であり、熱情のあまりそんな

当たり前の事にすら気付かなかった彼が愚かであると言えない事も無いのだが。まあ、それを言ってしまえば

あまりにも彼が憐れであるだろう。

「そう、必ずチャンスがあるはずだ。完全な存在などこの世に居るものか!」

 そもそも世界が不安定なものである以上、そこに住む者も自然不安定になると考えられる。だがここで彼が

言っているのはそんな理論武装では無く、最早縋(すが)り付く想いにも似ていた。それは願いである。

「そしてその時の為にやらなければならない」

 アーネードの死天への執念は狂気にすら近いモノと成っていたが、まだ理性を完全には失ってはいなかった。

チャンスを作り、そして生かす為に今出来る事も精一杯にやっている。

 その一つが彼の持つ拳銃の改造である。勿論勝手に国から与えられた備品を改造する事は違法であるが、彼

はそんな事には構っていられない。専門の職人をその執念で探し出し、頼み込んで殺傷距離を極限まで伸ばし

ているのである。

 その為、彼の持つ拳銃は本来のスペックを大きく越え、凶器以外の何物でも無くなっている。そして死天に

見切りを誤らせる為にも、その外見は以前とまったく同じ物にしてあった。

「後はたった一度のチャンスで良い。俺に数秒の死天と対峙する時間をくれ」

 アーネードはまるで祈るように今日も拳銃へと執念を込める。

 巧者に一矢報いる為には、その巧者故の侮りと自信を逆手に取るしか方法が無い。彼はそのただ一つの方法

に賭け、そしてそれを行使出来る僅かなチャンスを待っている。

 そして今日も彼に夜勤が回って来る。




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