アーネード=ラウドスの走力はやはり驚くほど向上している。死天の影が彼に見る間に近付いてくるのは、 彼が死天を追い始めてから初めての事かも知れない。つまりは初めてアーネードが死天の予測を上回ったと 言えるだろう。 「・・・・・・・・」 しかしその死天はと言えば、驚くでも無く怖れるでも無く、常と変わらず一定のスピードで移動するのみ。 言葉も発せず、何も起こさない。誘うように流れ去って行く。 「死天めが、いつまでも高みに居られると思うな!!」 アーネードは更に速度を上げた。全身の節々がぎちぎちと悲鳴をあげたが、そんなものに構ってはいられ ない。ここで死天を捉えられなければ、おそらくもう二度とチャンスは巡ってこないだろう。死天の予測 を上回る事が出来ている今だからこそ、最大にして唯一のチャンスがあるのだ。 これを逃す訳にはいかない。 死天の姿が徐々にはっきりとしてくる。それは文字通り影のような存在であった。黒い、夜の闇よりも更 にはっきりとそれは黒く暗い。まるで暗雲が実体化したような、そんな不思議な印象を受けた。現実味と言 う物がほとんど感じられない異様な姿をしている。 「これが死天か・・・・」 アーネードは頷かざるを得ない。こんな不可思議な存在であれば、今まで誰も捉えられなかった事も納得 出来ると言うものだろう。だが、その存在に自分は一歩、また一歩と確実に近付いているのだ。 「ふうぅぅ・・・・」 全身の強張りを解くようにゆっくりと細く長い息を吐き、ホルスターから例の改造銃を抜き放つ。何度も 何度も呆れるくらい打ち続けた銃だ。今では手に吸い付くようにしっかりと馴染む。 この銃を死天に対して使えるのもおそらくこの一度きりであろう。 まだ遠い。いや、本当はどれだけ近付いても安心など出来はしない。焦る我が身を抑えながら、アーネー ドはじりじりと死天との距離を詰めて行った。 息苦しく、筋肉細胞までが千切れ飛びそうな程に辛いが、しかし不思議と精神は安定している。後どれく らい体が持つのか、それすら冷静に計る事が出来た。 「今なら出来る。死天だろうと何者だろうとこの手に捉える事が出来るはずだ」 感覚が研ぎ澄まされ肉体に収まりきらない、そんなビジョンが脳裏に浮かぶ。これが精神が肉体を凌駕す ると言う事なのだろうか。そうとすれば今のアーネードはあらゆる偶然が重なり合って、ある一つの高みへ と辿り着いたのかも知れない。 こういう時の人間が、おそらく歴史上不可能を可能としてきたのだろう。 「死天・・・・・貴様のツキもここまでだ。今の俺は神にも勝る」 鋭利な感覚が溢れる自信へと変わる。 そしてアーネードは銃身を死天へと向け、引き絞るようにトリガーを引いた。
銃口が焔と共に弾丸を発し、一糸の乱れも無く死天を見事に貫く。 「やった、やったぞ!!」 アーネードは勝利を確信し、歓喜の叫びを上げた。彼の並々ならぬ努力、いや執念が実を結んだのだ。 これが喜ばずにいられるだろうか。そして犯罪者の中でも最も憎み忌むべき敵者である死天を誅した事で、 彼の使命感と正義感も例えようも無く満足したのだった。 だがそれもそこまでの事となった。 「馬鹿な!?」 なんと言う事であろうか。死天の存在が、まるで剥がれ落ちるように消えていくでは無いか。当然後には 虚しく遺体が残ると思っていたアーネードは、あまりの光景に肝を潰された。ありえる事ではない、人の肉 体が煙のように消え去っていくなどとは。 「いや、誑かされるものか!」 アーネードは死天へと近付く。今はもう死天の進みは止まっている為、今までが嘘のように容易にそこま で辿り着く事が出来た。 「正体を現せ!!」 そして死天へと手をかけ、その陽炎を剥ぎ取るように引き起こす。 「!!!!????」 しかしそこにまるで手ごたえと言うモノは無く、手を入れた部分から止めとばかりに死天は跡形も無く崩 れ落ちてしまったのだった。跡にはまっさらな空間が広がっている。 「そんな・・・・・」 アーネードは今確かに起こったはずの事がまったく信じられない。 信じられる訳が無かった。有って良い話では無い。 まさか死天とは人ナラザルモノだったと言うのか。それとも今まで自分達は幻を追っていたのだろうか。 死天とは年寄り共の噂通り、初めから存在してもいなかったと言うのか。 「違う、違う!!」 アーネードは叫ぶ。 そう、違うはずだ。現に盗られた宝石は無くなっているのだ。宝石店店主ジョシー=クロケットを見れば、 それが狂言で無い事は子供でも解るし、わざわざそんな事をする意味も無い。 では一体どういうことなのだろう。 「何か・・・何か無いのか・・・」 アーネードは諦めず、絶望に必死に抗いながら辺りを探し始めた。何かが存在したならば、必ずその痕跡 が残されているはず。例え人ならぬ者であろうとも、この世に存在し物理的に干渉出来る存在であるならば、 必ずその後には干渉された痕が残る。 それがこの世の絶対的な法則であるはずだった。物体が相互干渉する事が、存在出来る為の絶対条件だと 言っても良い。 「これは・・・」 そしてアーネードは見付けた。黒光りする小箱のような物を。四角形をしており、その一つの面に眼鏡の レンズのようなものが一枚張り付いている。そしてその小箱には確かに銃弾が突き刺さっていたのだった。 紛れも無くアーネード自身が撃った銃弾が。 「・・・・・・・・・・」 後はもうどうしていいか解らずに、ただその場にへたり込んでしまうより他は無かった。 それから暫く後に警備官達に発見されたアーネードは、まるで死人のような顔をしていたと言う。そして これ以降、怪盗死天が誌面を賑やかす事も決して無かった。 結局死天が何者で、どんな目的があったのか。何よりも、そもそも死天などと言う存在がこの世に居たの か、誰も何一つ解る事は無く。アーネードが見付けた小箱以外に残るものなど何も無かったのである。 |