4−4.ゲルド=バイフォン


 ゲルド=バイフォン、始祖を執拗に狙うあの男である。

 筋肉を張り詰めたような大男で、背中には一対のロングナイフが鈍く灯る。常に陰鬱な空気を伴っており、

暗いと言う印象しか持てないような存在であった。

「自分の妻を始末しろと・・・・」

 ゲルドは今リグルド公爵と対峙している。とはいえ、勿論公爵にその姿を見せてはいない。この男もよほ

ど用心深い男なのである。

 公爵はそんなゲルドの問いにむっつりと黙ったままだ。それを口に出したくは無いのだろう。口にさえ出

さなければ人の真意は明確になる事は無い。そうなれば例え後で自分に容疑がかかってきても、何とでも言

い繕えるものだ。

 勿論一般的にはそんなもので追求の手を緩める事などは出来ない。しかし彼は公爵である。それだけで充

分であった。例え明確な証拠があろうとも、彼を処罰する事は難しい。彼はそんな存在なのだから。

「・・・まったく、自らの妻すら邪魔になれば殺すか。・・つくづく面白い存在だ・・・」

 ゲルドは陰鬱に笑った。

 公爵は相変わらず不機嫌そうに黙っている。

「・・・よほど嫌われていると見える」

 ゲルドはもう一度くぐもった笑い声を洩らすと、そのまま目標へと向かった。別にこの公爵にどう思わ

れようと、彼にはまったくどうでも良い事なのだ。彼にとって始祖以外の存在など、全てが取るに足らない

モノだからである。

「フン、ゲスめが」

 暫くして公爵は低くそう呟いた。

 しかしああいう男も時に利用せねばならない。嫌悪感よりも有効性、それが貴族としての嗜みと言うもの

だろう。詰まらない好悪の情に関わっていては、何事も決して成し遂げる事は出来ない。

 ただ、例えそう考えても流石のリグルドも吐き気すら込み上げてくる感情をどうする事も出来ず、暫くそ

れを黙って持て余しているしかなかった。ゲルドとは人にそんな印象を強く与える男であるようだ。



 ゲルドは件の高級酒場へと向かっている。

 セルビアがよく訪れ、美しい愛人とよく落ち合っているらしいあの酒場へである。

 標的を見つける事は容易い。何故ならば彼女の行き先は常に一つであるからだ。レイル=セーンド、その

相手である男の事もとうに調べ上げている。

 それは別に公爵に依頼されたからではなく、ゲルドは常から使えそうな情報を集めていたからであった。

彼の目指す真の標的は常に幾重にも閉ざされた向こうに居る。その存在に近付く為に、少しでも近付く為に

は何度もトラブルを起こさなければならない。

 その為にいつも騒ぎの種をかき集めているのであった。

 セルビアの事件は彼にとっても格好の材料である。それにレイルが始祖だという噂、これも気になる。九

割方ただの噂であろうが、確認しておくにこした事は無い。

「本当に始祖であれば、これほど楽な事は無いが・・・・」

 そうであればゲルドの望みは一瞬でかなえられるものを。

「まあ、いい・・・」

 とにかく世間をかき乱す事だ。混乱を呼び、その上でさらに混沌を呼ぶ。

「奴も出てくるかな・・・ククク」

 始祖に近付こうとする度に現れ、彼を二度も敗去らしめた男。

 しかし三度目は必ずこちらが勝つ。

「楽しみは無数にある・・・」

 ゲルドは再び不気味な笑い声を洩らした。 


 ゲルドは陰のまま店内へと忍び入った。

 誰も気付かないまま、薄暗い塊が疾走する。

「・・・いた」

 ゲルドは舌なめずりするような声を洩らした。

 公爵夫人セルビアは堂々と貴賓席に座っており、そのくせ愚かしくもささやかな変装を試みているようで

あった。それは真に滑稽以外の何者でも無い。

 あの女は自分の存在が他人に知られているなどとは解ってすらいないのだろう。それどころか、そういう

事に始から関心もほとんど無いのかも知れない。

「死んでもこれほどの愚かさは治るまい・・・」

 これほどの馬鹿では、最早滑稽ですら無いのかも知れない。それを他人から同情されている分、哀れです

ら越えている。

「・・・・来たか」

 夫人が耐え様も無い微笑を浮かべた。彼女の愛人であるレイルが現れたのだろう。確認するまでも無い。

「揃いも揃って愚か者達・・」

 こちらのレイルはと言えば、自分達の関係が知れ渡っていると知りながら、それでもその事の重大さに気

付きもしないのだ。確かにこの娼街には貴銭の差などは無い。客と娼、それくらいしか区別が無く、だから

こそ多くの人間が訪れる。

 いつもの自分ではない、違う自分。そんな馬鹿げた存在となる為に。そして普段抑えているものを解き放

つ為に。

 しかし所詮この世は実力主義だという事を理解していないのだ。貴銭の差など無い、ここには法も位も無

いと人は言う。しかしそんな馬鹿げた夢は本当は人の世には存在しない。人は常に自ら創り出した者と物に

縛られているのだ。

「ようするに愚か者は報いを受ける・・・」

 ゲルドは薄ら笑いを浮かべながら、楽しそうに酒場の二階へ上がる二人を、それ以上に楽しそうに追った

のだった。



 そしてゲルドは扉の前に潜む。

 この手の酒場の二階は大抵簡易な宿になっており、下の酒場で知り合った者達がそのまま事を済ませるよ

うに造られている。とてもシンプルで、それだけに使いやすい。そう言うシステムだから万人に好まれるの

だろう。

 今頃は夫人達も真っ最中であるだろうか。

 しかし残念な事に、高級酒場だけに扉にも良い素材を使っているらしく、外からは室中の音が聴こえな

いようになっていた。

「・・・焦らされるのも良いものだ」

 ゲルドは楽しくてしょうが無い。幸せの絶頂に居るであろう人間を、奈落へ落としてから消し去る。それ

こそが至上の楽しみの一つではないか。人間とは浅く脆いものだと実感させる事こそが、まったくもって楽

しくて仕方が無い。

 それを考えれば、今ただ待っているこの瞬間すら愉悦に顔が歪みそうだ。

 別に入ろうと思えばこの程度のセキュリティを破るのは訳が無いのだが、それでは面白く無い。

 深夜か、それとも明朝か、充足した心と共に二人が出てくるその瞬間、その瞬間に堕とす。それがもっと

も効果的であり、それを行えるからプロフェッショナルと言える。

「さて、どれくらい焦らせてくれるのか・・・・、ゆっくり愉しむとしよう・・」

 そしてゲルドはうっすらと笑顔を陰から覗かせたのだった。   




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