室内から独特の雰囲気が消える。そして静寂。 夜も深け、廊下には人の気配すら無い。 ゲルドはむくりと自己を起こし、ぼんやりと深い静寂に沈んだ。 「・・・いい気分だ・・」 標的を前にするであろうその時、それまでの間が実は彼が一番好きな時間だった。自分を見てどういう反 応をするだろうか、そして自分の愛しい者が消え去るのを見て、一体どんな表情を浮かべるのだろうか。 公爵夫人は美しい。その絶望の表情は耐え様も無く美しいに違い無い。 それを思うと、ゲルドは性的衝動にも似たモノが身体に宿るのを感じた。 「・・・・・実に楽しみだ・・」 どれくらいそうしていたのか、とうとう小さな曇り窓から光が差して来た。どうやら朝を迎えるらしい。 となれば待ちに待ったその時が、ついに訪れると言う事をそれは示している。 ゲルドは再び浮上し、ゆっくりと扉の前にたゆたった。 そしてゆっくりとその扉が開かれる。 「なっ、なんだっ!?」 「何事ですか!」 ゲルドはそのまま二人を再び室内へ押し込むと、内側から鍵を閉め、そして初めてその姿を朝日と共に彼 らの前に晒した。 筋肉の盛り上った体躯に不気味な笑み、そして鈍く鞘の中からも光って見えるロングナイフ。 「おま・・・うっ!?」 大声を上げようとしたレイルを無慈悲に張り倒す。 「無礼も・・・っ!??」 そして返し様にセルビアの頬を張る。 対象を黙らせるには苦痛と共に衝撃を与えるのが一番である。その者を凌駕するには、冷静さを失わせる 事が一番良いと一般的には言われるが、実は一概にそうであるとは言えない。逆に冷静にさせてこそ、真の 恐怖を実感させ、力関係を容易に理解させる事が出来るとも言えるのだ。 ただ、それにはあまり多くの苦痛を与えてはいけない。その辺のさじ加減が難しく、それをコントロール 出来てこそ、初めてプロフェッショナルと言えるのだろう。 「・・・・我はゲルド。公爵よりの使者と言えば御解りか」 ゲルドはくぐもった笑い声を洩らす。これも効果的であるが、別段計算でやっている訳では無い。この辺 はゲルド自身の底意地の悪さと言うべきものを現している。 「・・・・そんな、あの人が・・」 セルビアはそこで初めて女としての顔を見せた。公爵夫人の仮面は通用しないと、そう解ったからだろう。 そして彼女はこれも愚かしい事だが、夫に自分の不義がバレていた事を、今始めて知ったようだ。 「・・・公爵の言う以上に愚かな女らしい・・」 「無礼だぞ、おま・・・・っ!!?」 レイルを再び張り倒す。こちらはやはり現状を理解してすらもいないようだ。 「・・・・やはり外れか・・・」 このような愚かな者が始祖のはずは無い。そして良く見ればやはり、あの始祖の怪しいまでの美しさには 遠く及ばないと悟った。彼は生に満ち溢れ過ぎているのだ。儚さも無く、妖艶さも無い。いつものあの翳り さえ見えるあの表情も、所詮は作り物の薄っぺらい仮面に過ぎないようであった。 やはり人は人。人ならぬ魅力は宿らぬのだろう。 「残念だ・・・残念だ、紛い物よ・・・」 そしてゲルドは溜息混じりにロングナイフを抜き、レイルの首を容易く刎ねた。 最早この男には一塵の興味も無い。
「・・・・・・・」 セルビア公爵夫人は声にならない叫びを上げた。いや、もしかすれば彼女も現状の変化についていけてな いのかも知れない。或いは生まれながらの貴族と言う者は、少なからず公爵と同じ性質を持っているのか。 とにかくもセルビアは一声も上げずに、ただ虚ろな目で立ち竦んでいる。 「・・・・女帝よ、覚悟は出来てはいまい・・」 それを見ながらゲルドは憐れみにも似た声をかけてしまう。男の欲情をそそるその美貌ならばこそ、どん な表情に変わろうともよく映えた。期待していた表情とは少し違ったが、それでも充分に満足出来る。それ 故に多少の情がわいたのかも知れない。 「・・・・・・」 セルビアは尚も呆然と立ち竦む。 ゲルドも彼女もレイルの血を一滴とも浴びてはいない。その辺はプロの仕事である。返り血などは受けも せず、また醜くその血を散布させる事は無かった。 その代償か、床には黒く濁った血溜まりが深く澱んではいたが。 「・・・レ・・・レイル・・・」 セルビアはようやく虚ろな声だけを上げ、後退りしながら腰を抜かした。 実にありふれた滑稽な様ではあったが、それも美貌の主が行えばなかなか趣き深い。結局は年老いるまで はその容姿こそが最も貴いモノなのかも知れず、中身が如何に希薄であろうと、そんなものは取るに足らな い事であるかも知れない。 見よ、あの気高いまでの美しさを。これ以上に人の心を打つモノなど他に在るはずも無い。下らない偽善 ぶった戯言は今すぐその胸にしまうが良い。ゲルドは今を持って、そう心に理解した。 「・・・何故こうなったのかも、貴様は理解出来ないのだな・・」 セルビアはへたり込んだまま、呆然とレイルの首を眺めている。 しかしこの女はなんと御しやすい女なのだろうか。後はこの刃を振るえば、それで全ては事足りた。そう すれば後には仲良く二つの首が並び、さぞ美しい光景になるだろう。 死を共に。愚かしいが、それ故に面白みも、美しさもある。 「・・・しかし、惜しい・・・」 ただここでゲルドの心に一つの感情が浮かんでいた。そう、惜しい、と。 これほどの女を、まだ美しい肢体のまま殺すのは如何にも惜しい。どうせ要らぬ存在であれば、自分が攫 ってしまっても良いのではないか。愛人の首が見る前で行うのも一興と言うモノかも知れない。なにせ、目 の前に溢れる人の血と言うモノは人間をいずれにも高揚させる。 「・・貴様は捨てられた。もはや一人の肉奴に過ぎぬ・・。ならば我がもらい受けよう・・」 「・・・・!!・・???」 そうして無力な肉奴を彼女が理解出来ないまま、ゲルドは喜びと共にたっぷりと犯し、その後酒場へ火 を放ち、女を担ぎ上げて何処へかと消えて行ったのだった。 これで事実上はセルビアもレイルも死んだ事になる。真実を知る者はこの世に二人しかいない。 |