セルビア=レーンフィール、レイル=セーンドの二人はこうしてアーデリーより姿を消した。 報道上は高級酒場での火災に巻き込まれた大勢の一人として処理され、二人の死は貴族と娼と言う区別は あるが、それぞれの属す者達に深く同情の念を起こさせた。二人ともそれぞれの属する所において、彼らが 思っていた以上にその人気は高かったようだ。 しかしそんな事で救われる事など何も無く、セルビアの葬儀が盛大に行われた事くらいしか特筆すべきモ ノは何も無かった。数月も経てば、二人とも時折ふと思い出される程度の存在になる事だろう。 リグルド公爵も表面上は妻の死を悼み、酒場へなど行かせるのでは無かったと、そう如何にも哀しそう に事ある毎に涙して見せた。元々貴族達がセルビアへの同情が深かった為に、それがリグルドへの同情に変 わるのもそう難しい事では無かったのだろう。 とにかくもこれでリグルドの地位は益々強化され、セルビアのスキャンダルを心配する必要も無くなった。 例え娼街の者達が何を言ったとしても、逆に侮辱罪として処罰される事だろう。 法の執行者と言えど人間であるからには、やはり人心と言うものに重く突き動かされる。 そうなった時、果たして大貴族と一介の娼の言葉と、どちらを信じるだろうかは言わずもがな。自分の利 害無く、ただ正義のみで権力者に逆らえる者であれば、そもそも裁判官などと言う地位ある存在にはなれて はいまい。 いつからこのような地位や立場と矛盾した存在が溢れ、当たり前となってしまったのかは解らない。 だがそんな事を考える事に意味は無く、ただリグルド公爵にとって都合の良い未来へと向かおうとしてい る、その事実だけが一人歩きし始めていた。 彼の現在唯一の敵者であるリリル女王も、少なくとも貴族達がセルビアの死を悼んでいる間は何も行動を 起こす事は出来ないだろう。 しかしそこに一人、いや一つの存在だけが深く疑問の念を抱いていた。 リグルドとセルビアの娘、ミルフィリア=レーンフィールである。 「母様が・・・母様が・・・・」 彼女は悼むどころでは無かった。何しろ彼女が求めて止まない母の愛を受ける機会も、その母の死により 永遠に失われてしまったのである。まあ、生きていても彼女の望みがかなえられる事は決して無かったであ ろうが。 そうして彼女は暫くは何もかも忘れて、ただ一人、家庭教師のエレインですら室内に入れず、ひたすらに 涙し、そして悲嘆にくれていた。何も他に浮かばず、何の気力も持てず、心は一つだけ、ただ無性に悲しか ったのである。 しかし数日もすればそれも落ち着き、少しずつ何事かを考える余力が生まれてきた時、考えたくも無い事 が当たり前のように彼女の心を支配してきたのであった。 それは以前より不安に思っていた事。即ち母に父が何事か行ったのではないか、その事である。 あのリグルドが母に対して無策でいたとは到底思われない。 そして結果的に一番得をしたのは誰か、それが物事の表裏の真実を判断する為の一つの材料である以上、 リグルド=レーンフィール、その性格と照らし合わせてみても彼に不信を感じた。甚だしく。 「あの人なら、例え母様であっても・・・」 誰であっても容赦などはしないだろう。世間の人はまさかと思っているのだろうが、そのまさかを行う男 こそがリグルドと言う存在であった。 「母様・・・」 そして真実を知りたくなった。彼女が能動的になる事は、彼女自身が望んで拒んでいたのだが。しかした だ一人の娘として母の死の真相くらいは知っておきたい。 その事をミルフィリアは日々の中で強く願うようになって行ったのである。
ミルフィリアが頼れると言えば、家庭教師のエレインか執事長ラウドであろう。 しかしエレインにはあまり迷惑をかけたくないと思う。何しろ彼女はミルフィリアから見てもどこか危な っかしい所があった。信頼と言う点においてはこれ以上無い人ではあるが、こういう場合に頼み事をする には相応しくない。 それにエレイン先生にはあまり父リグルド公爵に関わらせたくないともミルフィリアは思う。母がいなく なった以上、姉代わりと言えるエレインの存在はミルフィリアにとって更に大きくなっていた。エレインま でも失うような事があっては、そう考えるだけで寂しくて、不安で、気が狂いそうにもなるのである。 だからこの場合、彼女が頼れる相手は一人しかいなかった。 それは執事長ラウド=ベッグナーである。彼ならば顔も自分などよりは遥かに広く、長年この公爵家に仕 えているだけに、こう言う場合の対処もよく心得ている事だろう。 ミルフィリアは呼び鈴を鳴らし、来てくれたメイドにラウドを呼ぶようお願いした。 「本当に事故であれば、母様も少しは救われますけれど・・・」 しかしそれが淡い期待に過ぎない事は、流石の彼女も良く解ってしまうのである。世間と言うものを、リ グルドと言う存在を、不幸にも少しでも知っているが為に。
ラウドは張り切っていた。 何しろ麗しの姫君の頼みなのである。老いたりとは言え、彼女への忠誠心と気概であればまだまだ誰にも 負けない、彼はそう自負しているのだ。 勿論、肉体的にはとうに役に立 たない存在へとなっている事も、深く理解している。 「こういう時にあの方が居て下されば心強いのですが・・」 リヒムッド、そう呼ばれる男が居てくれればこれほど心強い事は無かろう。しかし彼は影に日向にと真摯 にミルフィリアお嬢様の事を守っていてくれてはいるものの、こちらから連絡を取ったりと言う事は不可能 な存在であった。 考えれば不思議なものだ。あれほど素性が解らないのに、これほど信頼出来ると言う存在は古今珍しいだ ろう。まあ、何にしても今は頼れないと言う事である。 「ならば、ロドニー殿に頼むしかあるまい。それにどちらかと言えばこちらの方が得意分野であられよう」 ロドニーとは現在この屋敷の警護を勤めている暗殺者である。 元々お嬢様を狙って来た者であるが、それも単に仕事の上での事、特にお嬢様自身に恨みなどがある訳で も無く。報酬さえ納得出来れば、その腕を存分に発揮してくれる。ある意味味方でいる内は、これ以上信頼 出来る存在もいないとも言えるかも知れない。 彼女であるならば、屋敷の警護などよりもそう言った調査などの方が性に合っているはずだ。 ラウドは彼女が現在居るであろう応接室へと向かった。 ロドニーは平素そこで優雅にお茶などを嗜んでいる。その仕事柄に似合わず、風流人でもあるようであっ た。この屋敷で出されるラウド仕込みのお茶が気に入ったらしく、今ではラウドやメイド達とも気楽に話せ る仲となっている。 思えば人の関係も不思議なものだ。 「ロドニー殿」 「何かあったか?」 相変わらずロドニーは落ち着き払った様子でお茶を嗜んでいた。 「いえ、幸いにもここ暫くは侵入者などはございません。そうでは無く、本日は頼みがあるのです」 「頼み?」 この職務に実直で有能な老人があまり人に頼みなどはする事は無く、ロドニーは珍しく少し驚いたような 表情を浮かべた。しかしその頼みの内容を聞いて納得した。 「了解した。私が調べてみよう、暫く時間をくれ」 「お頼み申します」 セルビア公爵夫人の真相、それは少なからずロドニーも興味がある内容であった。退屈な警護に飽きてい る彼女には久しぶりにその手腕を発揮出来る仕事であるだろう。 そうしてロドニーはすぐさま行動に移ったのであった。 |